1998年6月 中部地方大周回(3)

旅も3日目。長野県、岐阜県、愛知県(ちょっとだけ)と巡り
今は滋賀県に逗留中のかすこばでござる。
滋賀と言えば、織田・豊臣・徳川所縁の城が満載!
今日の予定は福井県へと抜ける行軍なれば、浅井・朝倉の城も山ほど…。
そんな訳で、本日の目的は城攻めトライアル。1日でいくつ廻れるかな?

近江八幡の宿を朝8時に出立。近江八幡と言えば、城下町として栄えた場所。
という事は、いきなり城攻め開始でござるな。町の中心街から
北に位置する山・鶴翼山が近江八幡城の跡なので、そちらへ向かう。
鶴翼山は比高差が大きく、登山にはロープウェイが便利。
そのロープウェイ乗り場にあるのが近江八幡の鎮守、日牟礼(ひむれ)八幡宮だ。
その由緒は神代の昔にまで遡ると言われ、左義長まつりが有名。
境内の建物はどれも趣き深く、平日の静けさもあってなかなか良い雰囲気でござった。
八幡宮の参拝を終え、いよいよロープウェイで山上の城跡へ。豊臣秀吉の甥である
羽柴秀次が築いたこの城は、琵琶湖を背にし、眼下に町並みを一望する事ができる名城。
不幸にして秀次は“殺生関白”の汚名を着せられ自害、城は廃されたため
現在この地には秀次の菩提を弔う寺・瑞龍尼寺村雲御所が建てられている。
ロープウェイを下りると目の前に御所の建物が現れ、
その裏手は城跡をぐるりと一周できる周回路になっている。

登城を終えて麓に戻り、しばし近江八幡の町を見て回る。
秀次が整備した八幡の町並みは、道路や水路が整然と整えられた事で
物流の一大拠点へと成長、城が廃された後も
近江商人によって繁栄する商業都市となった。
今もなおそうした気風は健在で、古くからの街路が残ると共に
数々の有名企業が本社を置く“商いの町”なのである。

さて、八幡から北上し琵琶湖沿岸の城を攻略していく予定なのだが
これから進むルート上には左右2箇所に有名な城跡が待ち構えている。
1つは1000もの曲輪を備えると謳われた観音寺城跡。
もう1つは織田信長の本拠として有名な安土城跡。
どちらも行きたいのは山々だが、時間的にそれは無理。
悩みに悩んだが、やはり城郭史上欠かせない城という事で安土城を選択した。
(え、「観音寺城だって欠かせないだろ」って?こりゃ失礼)
で、行ってみたらまぁさすがに凄いですな。
大手口から伸びる石段の通路、左右に広がる石垣の曲輪群、
山上には天主跡の礎石、裏手にはハ見寺(信長が城内に祭った寺)の建物。
どれもこれもが大掛かりでただただ感嘆。
しかも史跡としてよく整備されているので、登城は非常に楽でござる。
信長が夢幻を形にした栄光の跡、皆様も見学してみては如何ですかな?
(歴史に興味ない方にはあまり面白くないかもしれませんが…)
国特別史跡 安土城
国特別史跡 安土城

山全体が石垣に覆われている。
これぞ天下人・信長の権勢を示すもの。
写真は大手道と呼ばれる城内のメインストリートだが
真っ直ぐ一直線に伸びている道でしょ?
戦国時代の城郭としては異例の構造で、謎は多い。

安土城跡を背にし、車は滋賀県道316号線を北へ移動し、
次の目標とするのは彦根市。その途上、能登川町に差し掛かるや
進行方向左手に何やら巨大な物体が出現。ん、何だありゃ?
―――水車だ。馬鹿デカイ水車だ。
ってな訳で、急遽左折してその物体に近づいた。
能登川水車と呼ばれる大水車は、直径13mもあって関西圏では最大のものだそうな。
圧巻。呆れるほど、もとい、見上げるほどに巨大。
これだけ大きいと、確かに遠くからでも見つけられる。
そりゃ通り掛かりの県道から吸い寄せられますわな (^^;
能登川水車
能登川水車

ちょっと引いた位置から撮った写真ですが
それでもこの大きさは伝わるでしょ?
手前に停まっている車と見比べて下さい。
遥か向こうにある水車なのに、
全然問題にならない程のデカさ…。

思わぬ寄り道をしてしまったが、車は無事に彦根へ到着。
ここで見るのはもちろん彦根城でござる。
1日目の松本城、2日目の犬山城に続く国宝シリーズ第3弾である。
(3日連続で国宝城郭攻略というのも我ながら凄い話だが)
彦根城は江戸幕府の成立にあわせて彦根の領主となった井伊氏が築いた城郭で
大坂・京都を威圧するための第一級軍事要塞でござった。
関西において徳川幕府の威光を示すための城だったのである。
完成を急ぐため、近江国(現在の滋賀県)各地の城郭から建材をかき集め
無数の櫓や門を林立させたという。国宝になっている天守も例外ではなく
かつての大津城天守を移築したもの。大津の城は関ヶ原合戦において
西軍の大軍に包囲され猛攻を受けたが、最後まで落城しなかった堅城。
その城の天守を持ってきたのであるから、彦根城は「不落の天守に護られた城」と謳われた。

さて、現在も各所に櫓や門、殿舎が残る彦根城の攻略に取り掛かった拙者でござるが
さすがに名城中の名城、見るべきところは山のようにある。
というか、城自体が山を丸ごと取り込んでいるのだから当然の事か…。
そんなこんなで、1時間以上かけてようやく山頂に到着。これでも急いだほうなんだけどね。
あ、普通に見るだけならそんなに時間はかからない筈です。念のため。
何はともあれ、ようやく念願の天守とご対面♪
いやぁ、ここは派手ですよ、派手。質素な松本城天守、無骨な犬山城天守とは違い
小柄ながら彦根城天守は装飾が凝っていてきらびやかです。
しばし見とれてしまったのだが、のんびりとはしていられない。
時間も押しているので、内部を見学させて頂いたら早々に下山。
と言っても、それだけで終わらないのが彦根城の怖いところで
山麓には玄宮園などの殿舎・名園が色々とある〜! (><)
これまた駆け足で見学し(見るには見るのね)、ようやく一区切り。
ちょうどお昼時だったんだけど、満足に食事を取る暇もなかったので
コンビニでパンを買い込み、移動する車中でかぶりつくハメになりました。
そうそう、彦根にはもう一つ有名な城がありまして、
関ヶ原で徳川家康と対決した石田三成の居城・佐和山城なんですが
本当はこれも見たかったんだけど、これまた時間の都合で泣く泣くすっ飛ばし。
あぁ、なんてこったい。滋賀は名城が多すぎる(泣)
国特別史跡 彦根城
国特別史跡 彦根城

安土城に続き、こちらも国の特別史跡。
滋賀県が如何に名城の宝庫であるかがわかります。
で、この写真が国宝の天守閣。
大津城から移されたという「落ちずの天守」です。
破風の飾りといい、窓の形状といい、オシャレでしょ?

彦根から更に更に北上。次は長浜市に突入だ。
まず最初に立ち寄ったのが長浜鉄道資料館。昔の長浜駅舎を保存した建物で
中には鉄道関係の資料が展示され、前庭には往年の名機・D51型SLが置かれている。
で、お次はやっぱり城でござるな。
信長の安土城、徳川幕府の彦根城と来て、長浜には秀吉が整備した長浜城がある。
琵琶湖のきわに作られた城郭で、現在は豊公園という都市公園になっている。
公園内には模擬天守が燦然と輝いている…のだが、
う〜ん、現存天守の彦根城を見た後だとどうしても見劣りが(長浜関係者の方、すいません)。
言っちゃぁ悪いが、「城っぽい建物」って感じでねぇ(重ね重ね関係者の方、すいません)。
時間を稼ぐためにも、軽〜く見た所で早々に切り上げ。
長浜市内を抜けて次の目的地に向かったのでありました。
城をあしらったお詫びと言う訳じゃありませんが、
長浜の町並みはかなり好い感じでしたよ。情緒があって。いやマジで。本当に。

長浜からいったん東へ抜け、国道365号線へ。
この道を北に向かうのが拙者の選んだルート。
長浜からただ北へ行くのなら1級幹線の国道8号線や北陸自動車道があるのだけれど
わざわざ365号線に出たのには訳がある。この道、姉川古戦場を通り抜けるんだよね。
歴史が苦手な方は「何だそれ?」って感じでしょうし
歴史が好きな方は「あぁそうか」って思うでしょう。
姉川の合戦というのは、北陸の覇権を賭けて1570年に
織田信長・徳川家康の連合軍と、浅井長政・朝倉義景の連合軍が激突した戦です。
戦国史上欠くことのできない事件なので、この古戦場は是非とも訪れようと思った次第。
ところが、あれ?姉川は思ったよりも小さな川で…。
あっという間に橋を渡り、古戦場は通り過ぎてしもうた。
う〜ん、これだけであったか。何だかなぁ。まぁいいや、次だ次!

365号線を選んだ理由はもう一つ。こっちが本命である。
湖北町に入った所で見えてくる山、小谷(おだに)山への登頂がそれ。
上に書いた浅井長政の居城・小谷城の跡でござる。
小谷城は浅井氏3代に渡る北近江支配の拠点となった城で、
戦国期山城の中でも屈指の名城として知られているのだ。
城攻め忍者としては、ここだけは絶対に外せない場所!
(城攻めなんてしない人にとっては、絶対に行くべきじゃない場所!)
国道から折れてめちゃめちゃ細い登山道を車で行ける所まで進み、
これ以上は無理、という場所で下車し、そこからは徒歩で城跡を目指す。
森深い山中だが、岩に足を取られる事もなくダッシュで登頂した。
15分ほどかけて城跡に到着。とりあえず本丸を攻略すべく更に奥へ進み
大広間(御殿)跡と呼ばれる広場まで辿り着いたかすこば。
…静かだ。
400年前、確かにここでは人々が生活し、激しい戦を繰り広げたはずなのだが
今では嘘のように静まりきったただの草原。えもいわれぬ哀愁に襲われる。
天守台と言われる石垣もほとんど崩れ去り、戦国の悲哀を示していた。
もちろん、拙者の他に訪れる者なく、辺りに動くものは何もない。
これ以上のお邪魔は無礼と感じ、登郭の証拠とする写真をフィルムに収めて下山。
これにて滋賀県の行程を終了、福井県へと突入する!

木之本ICから北陸自動車道に乗り、福井県へ。
時刻は4時少し前、今日も押している (^^;;;
見たい所は山とあるが、今回は有名処を優先的に見るつもりだったので
一気に福井市まで北上の計画。で、これまた城攻めと相成る訳だが
ここで見たい城跡は東と西に分散している。と、最も効率的なルートを考えると
福井の一つ手前、鯖江ICで高速を下りる事にした。鯖江からどこへ向かうかと言うと
朝倉氏累代の居城であった一乗谷城だ。
鯖江ICから東へ進路を取り、福井県道25号線へ。この道は一乗谷に続く道で
比較的交通量も少なく、時間と戦うかすこばにとっては好都合。
と言っても、途中の道幅は狭く、すれ違いに難儀しそうな感じであったが(爆)
さて、市境となっている山を越えた所が一乗谷。ここがかつて京都に並ぶ繁栄を極めた
越前朝倉氏の本拠となった町の跡で、要するに谷全体が史跡なのね。
今は民家が散在する静かな閑村(←誤字じゃなく、そういう感じなのさ)なんだけど
国の特別史跡となっている場所だけに、至る所で発掘の跡が!
あーなんかスゲー。とても全部なんか見きれない。
しょうがないので、復元された武家屋敷の跡と
朝倉氏の居館となっていた場所、つまり一乗谷城跡だけを“つまみ食い”程度に見学。
小谷城跡と言い、一乗谷城跡と言い、何だかとてもわびしいなぁ…と思いつつ
車は谷を後にして北上、国道158号線に出て西へと向かい、福井市街地への途に着いた。
本当はもう一つ東の町、大野市へ行ってそっちの城攻めもしたかったんだけど
日暮れも近いので断念。それはまた次回の予定にする事とした。

今日の宿は福井市内に確保してある。その福井市の中心街へと入ったが
城攻めトライアルの日とあらば、陽が沈むまでは何とか粘りたいもの。
宿に向かうのはもう少し後にして、福井市の官庁街へと方向転換する。
福井県庁や県警本部が並ぶ近辺がかつての福井城址なのである。
ところがまぁ、福井市内って渋滞が激しいのね。
しかも市電が残る貴重な町とあって、車の行き来はなかなかに難しい。
茅ヶ崎在住のかすこばにしてみれば、隣の市・藤沢近辺で江ノ電が走っているので
路面電車との交差には慣れているつもりだったが、福井の大渋滞の中では悪戦苦闘。
渋滞の車列に流されつつ、ようやくの思いで福井県庁の辺りまでやってきた。
いやぁ、参った参った。とにかく福井城址を見物しようと思ったら
またもや難題。車を停めるスペースがないのである。
そりゃさ、有料駐車場ならいくらでもあるけどさ
この時間から城跡巡りとなると大した事はできないから、
駐車する時間なんてほんの少しだけなんだよね。
たったそれだけのために駐車料金払うなんて、何だかとても癪な話さ。
かと言って路上駐車するのもイカンしさ。どうしようかって悩むね。
で、よくよく考えてみりゃ福井城址って石垣だけは残っているけど
その他、特別見るべきものは無いんだよねー。
何たって城跡潰して官庁街にしちゃってる位だし。
時間も無い事だし、半分諦め調子で車窓から写真を収めるだけにして終了。
ま、時としてこういうのも仕方ないでしょ。

福井市内にはもう一つ、北ノ庄城という城跡があるんだけど
あの渋滞に辟易した拙者は、「もはやこれまで」と観念して宿に向かった。
ちょうど陽も暮れた事だしね。
そういう訳で今日の行程が終わったのだが、
城攻めトライアルの結果は、合計7箇所。あと3つくらいは行きたかったんだが…。
これだけ広範囲に動いたんだから、まぁまぁの結果と言えなくもないけどね。
いやそれにしても、さすがに疲れた。
心地良い疲労感に襲われつつ、宿で就寝。明日も城攻めだぁ?!

―――能登川の水車と長浜鉄道資料館以外、城しか行ってねえなぁ。
いくら何でもやりすぎたか(爆死)



前 頁 へ  次 頁 へ


本 丸 御 殿 へ 戻 る


城 絵 図 へ 戻 る