1998年6月 中部地方大周回(4)

福井で迎えた4日目の朝。
本日はこのまま北陸路を進み、石川県へと入る予定だ。
昨日の城巡りから一転、今日は寺巡りの旅になりそう。
というのも、福井・石川のあたりは
鎌倉時代に曹洞宗、室町時代に一向宗が栄えた地域で
それに関連した名刹が沢山あるからだ。

宿を出るや、早速向かったのがお寺 (^^;
福井市郊外の有名なお寺と言えばそう、永平寺ですな。
本当は昨日のうちに行っておきたかったんだけど
時間の都合で今日に繰り下げ。西から東へと福井市街地を横断し
昨日と同様に市内の渋滞に流されながらも、車は国道416号線で永平寺町へ。
程なく国道364号線に折れ、京福電鉄永平寺線と並走して進めば
永平寺の門前町が見えてきた。寺の参道になる道を登っていくと
両脇は土産物屋が軒を連ねていて、ここが永平寺参拝で賑わう
観光地という事を感じさせる。(駐車場の客引きが凄いのよ)
どこか静かに車を停められるところは無いかと探したら
あれっ?永平寺の山門前を過ぎちゃった (TへT)

気を取り直し、改めて永平寺の拝観へ。
大きな森を抜けるように山門から境内へと入っていくと
拝観についてのご案内が。曰く、お寺の建物はいくらでも写真に撮って構いません。
でもお坊さんは、御仏に仕える修行の身につき、撮影してはいけませんとの事。
ほほう、なるほどね。気をつけましょう。
それでは寺内の見学をば…って広いね!さすが曹洞宗の大本山!!
風格あるお堂が沢山立ち並び、見所は多い。
一通り見て回ったら、余裕で1時間以上かかってました。
城じゃなくてお寺だから、かなり端折って見たつもりだったんだけどなぁ。
あれ?それって不真面目な拝観って意味になるか?
(いや、そういうつもりじゃないんだけど…)
永平寺
永平寺

沢山ある寺内の建物の中でも、
これは中雀門と呼ばれる門。
1852年の建立と言われ、
福井県文化財に指定されている。
脇の樹木が生き生きとした緑色で
永平寺の風情をより一層美しく盛り上げてくれる。
この門の奥にあるのが仏殿。

永平寺をありがたく拝観させて頂いたのち、下山。
福井市から山の方へ入ってきたが、今度は一転海へと向かう。
福井県道24号線を使って日本海を目指すが
その途中には、や〜っぱり城が待ち構えてます★
北陸地方唯一の現存天守を有する古城・丸岡城がそれ。
天正年間の建築?と見られる天守は、1948年の福井地震で倒壊してしまったものの
その古建材をそのまま利用し修復され、1955年に復活!
もちろん、国の重要文化財に指定されている。
こりゃもう見なかったら城攻め忍者の名が廃るというもの。
で、行って見ました。丸岡の町の中にポツンと立つ小柄な城で
丘というべき小さな山の頂に、天守はありました。
往時は結構大きな城郭だったはずなのだが、
現在は市街化の波に飲み込まれ、その小山だけが取り残された状態。
建物も天守以外は残っておらず、城跡は単なる公園というだけなんだけど
それなりに雰囲気は良く、拙者は嫌いじゃないなぁという感想が正直なところ。
特に現存天守は戦国の気風を残す実戦的な作りで
小さくともその風格たるや、他の城に負けてません。
城址公園に現存天守という組み合わせ、案外と一般の観光客でも楽しめるかな?

丸岡から更に西へと向かい、車は日本海へ到着!
越前切っての景勝地、東尋坊(とうじんぼう)が到着点です。
(東尋坊と言っても、お寺じゃありませんので、念のため)
日本海に突き出した荒々しい岩場が独特の風景を作り出している名所。
切り立った断崖から覗き込む海は、なんだか底なしの深さがあるような…。
よく“自殺の名所”という悪評で名高い東尋坊ですが、
「飛び込む」つもりがなくても「吸い込まれる」感じがしますなぁ。
何だかこれじゃ東尋坊がロクでもない場所のように言ってるみたいだけど
いやいやそうじゃなくて、神秘的なまでの絶景という事なんですよ。
みなさんも、是非ここは行ってみて、御自分の目で確かめてみて下さい。
本当に凄い景色ですよー。
国名勝・天然記念物 東尋坊
国名勝・天然記念物 東尋坊

地質学的に“柱状列石”と呼ばれる岩が
地表に露出し、その切り立った岩壁が
日本海の荒波に洗われている。
荒れた日はさぞかし激しい波しぶきに見舞われる事だろうが
この日はベタ凪ぎの静かな海で、水の底まで見渡せるほどだった。
だからこそ、おもわず吸い込まれそうな感覚に陥って…。

東尋坊から海沿いにぐるりと周回すると、左手に雄島が見えた。
そこからさらに進むと、国道305号線に合流。
北潟湖の畔まで来れば石川県との県境はもうすぐだ。
その県境、まさにあと何mで石川県という所にあるのが浄土真宗の大寺、吉崎道場。
室町時代中期、一向宗中興の祖と呼ばれる蓮如(れんにょ)が
北陸地方における布教の拠点として開いた寺である。
以後、ここを中心として北陸は爆発的に一向宗が広まり、
戦国時代になると宗徒によって加賀国(現在の石川県南部)に自治政府が成立。
織田信長が制圧するまで、約100年に渡って一向宗が国を治め続けた。
そういった所縁もあり、戦国史に興味を持つ人間としては見学したい場所であった。

吉崎道場を見学し、再び車を走らせればいよいよ石川県に突入。
石川県最初の町は加賀市。片山津温泉や山代温泉といった名湯の町だが
今夜の宿はまだまだ先、金沢市に予定してあるので関係なし。
かすこばに関係ある場所と言えば…やはり城跡。
加賀市にある城で有名なのが大聖寺城
元々は、今まさに訪れた吉崎道場の北を守る為に城塞化した一向宗の寺である。
江戸時代になると加賀前田家の支城として利用されたと言われる。
とは言え現在はただの公園。というか、あまり手入れされていないので
ほとんど野生のままの山といった感じ。普通の人は奥まで立ち入らないだろうなぁ。
ちょうど小雨まで降り出して、辺りには誰も居ない…
と思ったら、高校生と思しき男の子が数名いた!こりゃビックリだ。
しかも何か城跡の探求をしているようなご様子。
歴史サークルとか、そういった関係の学生さんだったのかな?

雨がやや激しくなってきたので、大聖寺城を後にして金沢方面へ移動。
加賀市から海沿いに石川県道20号線を走ると、小松市に入った。
確か小松にも城があったよなぁ…と考えながら運転していると
おや?空港が見えてきた。小松空港だ。民間空港としてのみならず、
航空自衛隊の小松基地ともなっているこの空港は、
石川県の空の玄関口というだけではなく、日本海側の空を守る重責も負っている。
そんな小松空港玄関口の脇に見えたのが、小松航空プラザという建物。
小松空港に関わりの深い航空機や、飛行機の歴史などを展示した博物館で
何と入館無料との事。タダならばありがたや、雨宿りを兼ねて見学させてもらおう。
で、中に入ったんですけどね。これが結構すごい。
タダなのがもったいないくらい。入館料取ってもいいんじゃない?と思えるほどで
かなりお得な経験をさせてもらいました。ここは是非ともオススメ!
石川県立小松航空プラザ
石川県立小松航空プラザ

写真は航空自衛隊で実際に使われていた
F-104Jスターファイター要撃戦闘機。
“最後の有人戦闘機”と呼ばれた往年の名機です。
こうした飛行機が、軍用機・民間機問わず
いくつも並べられています。
これがタダで見られるとは、絶対お得な話!
飛行機に興味ない人でも、十分楽しめますよ♪

小松空港に続いて目に入ってきたのが「←安宅関跡」の道路標識。
おー!そうだそうだ。勧進帳で有名な安宅関所の跡はここだった!!
これも歴史好きの人間としては見逃せないよなぁ、と思い立ち
急遽進路を左へ変更。海の目の前にある安宅関跡は現在公園となっていて
義経・弁慶・関守の銅像が建てられている。ふむふむ、なるほどねー。

さて、寄り道ばかりしていられない。もう時間も少ないし、早く先に進まないと。
兎にも角にも、小松城はどこだ!それが一番重要な事じゃないかと思い
小松市街地へと急行。小松市役所の隣が城址の芦城公園となっているので
とりあえずそこへ向かった。んー、でも、ここって城跡らしい遺構がなさそうなんだよね。
確か本丸櫓台の石垣があったはずだから、そっちへ行こう。
で、しばらく探し回るとありました。小松高校のグラウンド脇に。
見事な切込ハギの石垣!これは凄いね♪と喜び勇んで階段を登ろうとしたら
雨上がりで濡れた石に足を滑らせ、ステーンと転倒!痛たたたた…。
今まで数々の城跡を攻めてきたものの、事故ったのはこれが最初で最後。
小松にて無念の討ち死にと相成ったのでござった (x x)

まぁ、尻もちを突いただけで怪我したわけじゃなかったんだけど
あたりはすっかり雨で濡れてるし、もうすぐ日暮れだし、
今日はこれ以上無理してもダメだなと感じ、一路宿へと直行する事にしました。
小松ICから北陸自動車道に乗り、金沢西ICへ。
高速を下りたら金沢市の中心街へとハンドルを切る。
時間はちょうど仕事帰りの車で混み合う夕刻で、前日の福井市と同じく
思うように進まない有様であったが、何とか無事に宿へと到着した。
今日のお宿は兼六園のすぐ隣、
石川厚生年金会館内にあるホテル・ウェルシティ金沢。
もうお分かりだと思うけど、明日は金沢市内を攻略する予定なので
これほど便利な場所にある宿はないって感じですな (^^)v



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