越前国 福井城

所在地:福井県福井市大手
■■駐車場: あり■■
■■御手洗: あり■■
遺構保存度:★■■■■
公園整備度:★■■■■
織田信長が越前を平定し、その家老柴田勝家が入府したのが北ノ庄城。
信長死後の賎ヶ岳合戦で勝家が羽柴秀吉に敗れると北ノ庄城は落城する。
関ヶ原合戦後の1601年(慶長6年)に徳川家康の次男結城秀康が
北陸の押さえとして福井61万石に封じられると、
北ノ庄城に代わる新城を構築したのでござる。
これが福井城で、1606年(慶長11年)に完成した。
代々徳川一門が城主を務めた親藩城で、幕末には
政治総裁職の田安(松平)慶永を輩出している。
城は足羽川の水を取り込んだ水濠に囲まれた輪郭式の平城。
本丸・二ノ丸は家康自身が縄張りしたと伝えられている。
築城当初は五重の天守が本丸北西隅にそびえていたが
1669年(寛文9年)の大火で焼失し、以後は再建されなかった。
現存する建築物はひとつもなく、外堀もすべて埋め立てられて
残る遺構は本丸の井戸跡と石垣・堀のみである。
本丸敷地内には福井県庁舎・福井県警察本部庁舎の高層ビルが建ち、
かつての城の名残は全く見うけられない。
現存する遺構
井戸跡・堀・石垣
末次城
一乗谷城