1998年6月 中部地方大周回(2)

夜が明けた高山の朝。なんだかすがすがしく感じるのは気のせい?
何はともあれ、旅はまだ始まったばかり、今日も見所満載の予定なので
朝食を済ませるや否や、早速宿を飛び出したのでござる。

まず手始めに向かったのは松倉城。宿のすぐ裏山にある城跡なのね。
江戸時代の高山首府が高山陣屋、安土桃山時代は高山城だったのだが
そのまた前、戦国時代に高山の町を支配した三木(みつき)氏の拠点がこの松倉城。
森深き山中に築かれた、典型的戦国山城でござる。
現在、城址の脇には松倉観音の小さな祠があり、それを目指して車を走らせた。
観音堂の更に奥へと分け入ると松倉城の縄張りとなるのだが
これがまぁ、獣道のような藪道で、普通の人にはオススメできない。
が、城マニア的にはその正反対で、この藪道が十分立派な道に思え、
その道を辿った先には、城郭愛好家感涙という感じの石垣が現れる!
しかも本丸跡からは高山の町を一望できる絶景が広がって…。
いやー、これだから山城攻めはやめられん (^^)
岐阜県史跡 松倉城址
岐阜県史跡 松倉城址

城好きの方なら、この写真を見て喜ぶ筈。
ほとんど無名の城跡ながら、
これだけ立派な石垣が残っているとは〜!
本丸跡から望む眺望も最高ですよ。

さて、昨日の上高地と並び、今回の旅における目玉だったのが
白川郷の合掌造り集落を見学する事。高山から車を走らせ、
山を越えた白川村へと向かうつもりで国道41号線を北上したかすこば。
古川町から国道471号線へ移り、さらに河合村で国道360号線に乗り換え
天生(あもう)峠を越えて白川村へ抜けるコースを考えていたのだ。
高山から白川へ向かうなら、このルートが最短のはずである。
ところが!古川町まで来た所で道路情報を入手したら
「国道360号線は通行止め」だと。ゲッ!何のためにここまで来たのか…。
今更後に引けるか、何が何でも白川村まで行ってやる!!と決めた拙者は
古川から即座に引き返し南下、高山市から西へと抜ける国道158号線へ入り
飛ばしに飛ばして荘川村へと急行する。そこから今度は国道156号線へとシフト、
御母衣湖沿いに北上し、2時間以上かけて白川村へと入った。
むむぅ、何たる時間のロス。これじゃゆっくりと見物する暇などありゃしない。
仕方がないので30分程度の間、村内をダッシュで駆けずり回り
写真を何枚か撮ったところで打ち止め。あわただしく車へ戻り、
次なる目的地に向かって発進する事になってしまった。
あぁ、もっとしっかりと観光したかったのに…。
と言うか、静かな村内を走り回っているのを傍から見て
「何だあの落ち着かないヤツは」と思われただろうなぁ(泣)
伝統的建造物群保存地区 白川郷 明善寺
伝統的建造物群保存地区 白川郷 明善寺

とりあえず、白川郷内で
目を惹いた風景を収めた写真のうちの1枚。
お寺の山門が萱葺き屋根で、
何とも心に染み入る風情を醸し出していて
思わずシャッターを切った。
しかもこの山門、鐘突堂を兼ねている珍しい形式。
山門に鐘が付いているというのは
全国でもこのお寺だけなんだそうな。

さて、白川村から国道156号線を戻り、かつての飛騨国から美濃国へと移動。
この道沿いにある有名な観光地と言えば、郡上八幡(ぐじょうはちまん)。
7月後半から9月上旬の約2ヶ月間、毎夜繰り広げられる伝統芸能の郡上踊りや
町内各所に湧き出す清水で全国的に知られる美しい町だが
かすこばにとっては何と言っても、城!お目当ては美濃国北部の名城にして
積翠城(せきすいじょう)の別名を持つ郡上八幡城の攻略だ。
八幡の町を見下ろす山城であるが、
車のまま山を登れるので見物は非常に楽でござる。
昭和に建てられた模擬天守とは言え、その姿は秀麗で
最上階から望む郡上八幡の町の眺望は、さながら天上からの眺めのよう。
これは是非にもお奨めしたい観光名所と言えますな。

八幡からさらに車を南下させるかすこば。このまま岐阜市方面へ向かい
天下の堅城・岐阜城へ行こうかとも思ったのだが、
その欲求は抑え、次回の楽しみに取っておく事とした。
ではどこに行くかと言うと、愛知県まで入り、木曽川の畔にそびえる犬山城
昨日は松本城を攻略したので、“国宝シリーズ”として犬山城を目標に定めたのだ。
各務原(かがみがはら)市まで一気に南下、そこから木曽川に沿って少し東へ返すと
川の向こうに小高い山が見え、その頂に突き出すような天守の姿が現れる。
おぉ、こりゃ確かに白帝城の別名に違わぬ景観だぁと感激しつつ
城の南側、大手方面へと回りこんだ。いざ登城、と勇み込み
大手登城路に足を踏み入れると、いにしえの城の姿が目に浮かんでくる。
曲がりくねった階段を登ると、目前には国宝天守の堂々たる雄姿が…。
小ぶりで質素な天守だが、それだけに武士の気風を表した感じにも受け取れる。
さすが国宝だけあって、心に何か訴えかけてくるような重厚感がありますな。
犬山城
犬山城

中国の三国志に出てくる白帝関になぞらえて
白帝城と別称される犬山城。
白帝関は長江に沿った砦で、この写真で見られる
木曽川に沿った犬山城と趣を一にしている。
小山の頂上にそびえるのが国宝の天守。
写真で見て分かると思うが、
木曽川という大河に護られた、後ろ堅固な城塞である。

愛知県まで足を伸ばしてしまったが、まだまだ見て回りたい所が…。
今度は西へと取って返さねばならないので、犬山城を下りるやいなや
木曽川の流れに沿って激走、再び岐阜県に入って国道21号線で大垣市へ。
大垣はかつて水郷であったらしく、水陸交通の要衝として栄えた町だ。
当然、そういう町には大きな城が築かれる。大垣城だ。
この城は関ヶ原合戦の折、西軍の最前線基地として用いられた重要な城郭で
江戸時代には徳川譜代大名が交代で城主を務めた。4重4階の天守閣は明治以後も残され
旧国宝に指定されていたものの、惜しくも太平洋戦争の空襲で焼失してしまった。
現在、城跡は公園になっており、鉄筋造りながら天守も再建されている。
かつての名城をじっくりと観察…といきたい所であるが
岐阜県を縦断したおかげで時刻は早や夕方5時を回ったところ。
今日の宿は滋賀県の南部、琵琶湖のほとりに予約してあるので
もうこれ以上見て回る時間はない!再建天守を軽く眺め、
写真を1枚収めた所で車に飛び乗り、名神高速の大垣ICへと向かった。

大垣市内は夕刻の渋滞。高速に乗るまでひたすら我慢し、
ICへ入った途端にカッ飛ばし、一目散に滋賀県へ!
天下分け目の関ヶ原を通過し、岐阜・滋賀県境を越えると
米原で道路は南北に分かれている。北へ向かうは北陸自動車道、
南へ向かうは名神高速の続きだ。もちろん、拙者は南へとハンドルを切り
彦根・多賀・八日市といった要所を次々と抜けていく。竜王ICで高速を下り、
近江八幡市にある宿・ウェルサンピア滋賀(滋賀厚生年金休暇センター)に着いたのは
日暮れ過ぎた午後7時近くでござった。あーぁ、予定オシ過ぎ。
本当はもう1つ2つ城攻めしたかったんだがなぁ。
白川郷に抜ける道で大迂回しなきゃいけなかったのが大きかった…。
もう今日は、とっとと寝よ (x x)



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