2015年10月 “天空の城”と“天空の朱鷺”
旅行期間:2015年10月8日(木)夜半出発〜10月10日(土)早朝帰着
主な滞在地
10月
9日(金):
備中松山城・頼久寺・姫路城
1日だけ自由に出来る日が作れた2015年の秋。急遽空いた日だったので事前に何か準備するでもなく
ほぼ思い付きで決めたのが「
備中松山城
へ行こう!」と言うもの。勿論、
以前にも備中松山城へは行った事があった
のだが、
その時は天守一帯が「平成の大修理」中で内部に入れなかったので、今回こそは中に入る、その一心のみで決めた行先。
斯くして、時間を有効活用すべく(毎度の事ながら)前日の夜半に家を出て岡山県まで一気に走破するのでありました。
ところで、夜通し走りながら頭をよぎったのが「もしかして雲海見られるかも?」と言う事。
その当時、雲海の上に山城が浮かんで見える“天空の城”と言うキーワードが流行り始め、
特に兵庫県の
竹田城
には大挙して人々が押し寄せて大混雑し、観光振興と言うよりは
大混乱の社会問題化していましたが(そのせいで竹田城は入城規制される事になりました)備中松山城も
気象条件が合えば雲海が見える“天空の城”。竹田城よりは隠れた存在なので、そんなに混乱する事も無い城ですし。
幸か不幸か、この前日は全国的に天気が悪く大雨。そして翌朝からは晴れる予報。
秋の高梁盆地、湿気をたっぷり含んだ状況、寒暖差は大きそう…一か八か行ってみる価値はありそう!と思い
城へ直行するのではなく、隣の山にある展望台へ向かう事にしました。岡山道の賀陽ICを下り、
国道484号線を西へ。そのまま行けば高梁の町に入るのですが、途中の分岐から細道に入って展望台へ至ると
同じ事を考えた人が居たようで、既に駐車場には数台の車が。でも殆どが地元の車らしく
他県ナンバーの車は無し。ましてや湘南ナンバーなんて(笑)
カメラと三脚を担いで展望台へ登ると、4〜5人の方が先着していたので
その脇の空いているスペースを確保。ここから夜明けの城を狙いますが、時刻はまだ真っ暗な頃。
明るくなるのを待っていたら「お兄ちゃん、何処から来たの?」と年配の方に声をかけられました。
「神奈川から…」と恐る恐る返事をすると「神奈川!そりゃ随分と遠い所から」と、向こうも驚いた様子。
「雲海は初めて?」と更に訊かれ、「備中松山城には行った事がありますが、ここは初めてです」と答えると
その方は連日狙っているらしく、「昨日は見られなかったんだよなぁ。なかなか簡単には見られないよ」との事。
まぁこちらはダメ元ですし「雲海じゃなくても夜明けの備中松山城が見られれば良いや」位に構えていたので
それほどガチな気負いも無かったんですがね、その方が言うには「今日は平日だからこんなもんだけど、土日はもっと混むよ」と
みんな雲海を撮りたくてこの時季はここへ押し寄せる様子を教えて下さっていたら徐々に空が白んできて…
雲海…
まともに撮れた最初の1枚目がこれ。
おぉ、雲海!ばっちり雲海が出てます!!
でも…城はどこ?(汗)
どうやら雲が出過ぎて、海の中に沈没してしまっているようです。
狙い通り雲海になったからと言って「雲海キター!」と、手放しで喜べるモノでも無いんですね (- -;
備中松山城展望台にて
しばらく様子を眺めていたんですが
どうやら雲海って刻一刻と状況が変わるようで
だんだんと“海水面”が下がってきました。
何となく、山の頭が見えてきて…
国重文 備中松山城天守
少しずつ姿を現してきた天守!
もうちょっと明るくなれば、綺麗な写真が撮れるか?
期待半分、不安半分…。
雲海!
本当に、雲が波打つように流れていきます。
まさしく“雲海”と呼ぶに相応しい光景。
城が出てても出てなくても、見ていて飽きません。
そして明るくなるにつれ、今まで青白かった風景に少しずつ色が射すようになり
緑色に見えるようになってきた木々の隙間を、霧がスーッと通り抜けて行きます。実に幻想的!
天守の向こうから霧が流れ落ちたかと思えば、手前の谷から湧き出すように上がってきたりもして…。
手前の谷と向こうの谷で“海面”が随分と違って、雲の流れがダイナミックです!
朝日で天守がほんのり赤く染まりつつ、雲海の波に呑まれそうな一瞬!
隣に居た方が言うには「本当は上空が晴れて陽の光で照らしてくれた方が、色が良く出るんだよなー」との事ですが
これだけでも十分美しい姿ですので、オイラとしては大満足です♪
「お兄さん、初めて来たのに雲海と行き会うなんて運が良いねー」とも仰ってました(笑)
この後、また雲が上がってきて城が再び“水没”していきました… (^ ^;;;;;
この時は思い付きで雲海を見に行ったのできちんと準備をしていた訳では無かったんですけど
今更思うに、動画やタイムラプスで撮ってみても面白かったかな?
もし次に行く事があれば、そういう機材も用意して行こうと思います。
(と言って、なかなか行けるものじゃないし雲海が撮れるとも限らないのですがw)
せめてもの(無駄な)抵抗として、撮った写真を繋ぎ合わせてコマ撮り動画にしてみました!
本当に無駄な抵抗なんですが…(滝汗)
雲がフワっと湧き出て、風に流され、また湧き出て来る…そんな様子がお分かり頂けますでしょうか?
2時間くらいこの展望台に居ましたが(まだまだ飽きませんけれども)そろそろ肝心の天守を見るべく出発。
元の国道へ戻り、高梁の市街地へ向かいます。その途中、峠道には視界が開ける展望台があって…(展望台続きだw)
大久保峠からの眺め
“高梁観光百選”と銘打った碑が立ち
まだ霞のかかる街並みを見下ろせば
なるほど、これは絶景と言える眺めです。
さて高梁の市街地に入り、ここから城山を目指して登って行くのですが
山深い所にある備中松山城はぶっちゃけ「不便」なので、
江戸時代には山麓つまり町の中に藩主の居館が置かれておりました。
高梁の街並み
現在の高梁高校周辺がその居館跡なんですが
辺りには堀跡と思しき川や石垣などが残るだけでなく
お屋敷っぽい重厚な建物が今でも見受けられます。
こういう所で勉強する高校生、羨ましいなぁ。
この道をずっと登って行けば城に辿り着きます。土日は循環バスを使って登るのですが
この日は平日なので、そのまま車で山へ入る事が可能。で、城の近くにある駐車場まで行って
そこからは徒歩登山。途中まで車で来れるとは言え、この山道が結構な勾配でなかなかハード。
そりゃ、藩主さまも麓で暮らしたくなりますわな(笑)
そんな登山道を登って行くと…
松山城への道程
ふいご峠駐車場からの道程では
山の麓に雲がかかり、山の上にも雲がかかり
相変わらずの雲海モード。もう8時半を回り
“早朝”と言うような時刻では無いんですが。
“登城心得”
山道には“登城心得”の掲示が。
城までの距離や道筋を伝えてくれます。
こういう案内板、秀逸ですよね。
そしていよいよ大手入口が見えてきました!
備中松山城 大手口
切り立つ岩山!
そしてその岩を取り込むように
組まれた石垣。有名な光景は
何度見ても圧巻の姿です。
国重文 備中松山城 三の平櫓東土塀
大手から道に沿って延びる土塀。
これも江戸時代からの現存遺構。
でもこの狭間、いったい何を狙ってるの?
ここから覗いても、敵が居そうな場所じゃ無い…。
備中松山城 城内通路
坂道を登り、上の段へ上がると
さっきまで居た場所が丸見え。
城へ入って来る者は常に狙われているんですね。
さすが山城、堅い守りです。
備中松山城 鉄門跡
天守が見える位置までやって来たら
急に霧が晴れ、空が澄んできました。
雲海が見たい時には見え、
天守が見たい所では晴れ…
今まで晴れ男としての自信はあったんですが、こうなるとむしろ天気を自在に操る能力があるんじゃないかと(爆)
そんな感じで、最高のタイミングで天守を拝む位置に到達。
国史跡 備中松山城(小松山城)二ノ丸跡
まだ朝早い(そして平日の)
本丸前は、殆んど誰も居ません。
ほぼ貸し切り状態に、ついつい嬉しくなり…
縦で撮ったり横で撮ったり、
カメラを高く掲げて撮ったり、低い位置からアオってみたり、
色々と撮ってみたくなる面白さ! (^-^)v
そしていよいよ本丸の中へ入ります。
備中松山城 五の平櫓(門)
この門は復元建築ですが、
古建築と馴染む見事な出来栄え。
そんな門を額縁にして、天守を撮影。
このように、復元ながら伝統的な工法で建てており
柱の仕上げなど、鉋を使わず手斧で削られています。
窓を覗けば、門扉の横から敵を討てるし
再建と言えど、本物と同じ作りです。素晴らしい!
本丸に入ったので、天守に突入…したいところですが
まずは天守の真下を通り抜け、裏側を見に行きました。
国重文 備中松山城二重櫓
天守と隣り合わせに建つ二重櫓。
これも古建築なので、国の重文です。
このように橋台で繋がっているので
名古屋城
と同じように、大小2つの天守が並ぶ
連結式天守を構成している訳ですな。
まぁ、二重櫓の中には入れない(通常は非公開)ので、ここからまた引き返す事になりますが(苦笑)
国重文 備中松山城天守(裏側)
で、二重櫓から引き返すと天守のこの姿。備中松山城の天守は
二重なので、大小天守のどっちも二重櫓なんですけど、でも
裏側から見ると、屋根が複雑に重なって、三重櫓に見えたりします。
むしろ表側よりこっちから見る方が恰好良いのでは?
一般的な城の本や電網頁ではなかなか見かけないアングルです。
では改めて天守の中へ!
小さい天守ですが、近づくとやっぱり威厳があります!
備中松山城天守 付櫓部分内部
天守の脇に密着する付櫓から
内部に入る構造。ですがこれ、
天守本体部分は建物の中なのに「外壁」!
付櫓に入ったからと言って、その先へ進むには
もう一つ階段を登り、扉を開かないとダメ。
建物としては内部に入りましたが、付櫓は
天守にとっては“外側”と言う事ですね。
まるで
松江城
の天守みたい…。
(松江城天守も、付櫓と本体が仕切られます)
先程の二重櫓を天守側から。
こちらも、突き上げ戸の窓を
額縁にして撮影しました。
そして念願の天守内部!
14年前には修復工事中だったので入れなかった場所です (T-T)感涙
備中松山城天守 囲炉裏
備中松山城天守と言えば、この囲炉裏。
戦時には“最後の砦”となる天守ですから
普通は火気厳禁、中で火を焚く事なんか
あり得ないんですが、流石に山の上の天守は
暖が取れないと厳しかったという証です。
古い建築ならでは、という感じで
随分と複雑な骨組み、しかも
←こんなにひん曲がった部材も。
現存建築は中の構造が面白いw
天守の2階には守護神を祀る御社壇が。
この他、城主が身なりを整える装束の間など
興味深い設備が入ってます。城主が衣服を
整えると云うのは―――落城時に切腹する為。
それが実際に使われる事はありませんでした。
天守から下を眺めれば、先程の本丸。
大きな唐破風が印象的です。
その向こうには高梁の町が広がります。
すっかりお天気が良くなり、
遠くまで見晴らせるようになりました。
さて、存分に天守を堪能した後は…
先に見た二重櫓の裏側へ。
このまま、山の奥へと踏み入ります。
季節的にヘビや蜂がちょっと心配ではありますが
登山路が続いているので、そこを進んで山頂部へ!
実は、今まで見てきた“建物のある城跡”は備中松山城でも「小松山城」と呼ばれる近世城郭として使われた部分。
ここは城山の中段にある小ピークを使った城で、戦国時代に使われた「大松山城」は更に高い位置となる山頂一帯です。
今回、天守の中を見るだけでなく大松山城まで制覇するのが目的でやって参りました。
ところどころに堀切の跡とかが見受けられ、今なお城郭としての遺構が残る道を行けば
備中松山城 大池
山城の生命線である「水」。
近世城郭として小松山部分だけを使うようになった備中松山城ですが
この大松山には巨大な石垣を組んで、貯水池を確保したそうです。
これが今なお残っていて、こんなにも水を蓄えています。凄い!
備中松山城(大松山城)本丸
木々に埋もれた堀切とか
写真に撮っても良く分からんので
とりあえず、この石碑を撮影。
ちゃんと大松山城(山頂)まで行ってきましたよー!
(誰に言ってるんだw)
大松山まで攻略したので、満足して下山します。
駐車場へ戻る道、登って来る時に見た高札の裏側を見れば…
ははぁーッ!お褒めに預かり恐悦至極にござりまする m(_ _)m
雲海見物から始まり、重要文化財の天守を拝み、山頂の大松山まで登り、駐車場から往復する散策。
これだけ楽しめて、何か規制がかかる訳でも無く、しかも日が良かったせいか快晴なのに城を独り占め。
もちろん土日には混むという話ですが、ちゃんと見物客の導線も確保されている備中松山城は
むしろ竹田城より良いんじゃね?と、現地を見て実感。こっちは建物も残っている訳だし。
竹田城は観光客を呼び込む為に煽るだけ煽って(一時期、やたらとメディアに「雲海」「雲海」「雲海」と採り上げさせていた)
結果的に収拾が付かなくなったみたいでしたが、それを横目に見ていた高梁市はいち早く駐車場の運用ルールや
バスルートを策定し、そうならないよう配慮したようで、雲海見るなら、いや、雲海は関係なしにしても
素晴らしい環境整備を進めた備中松山城に軍配を上げたいと思います。
さて、この時点で時刻はまだ11時前。何せ夜明け前から動き回っているので
色々充実した旅を味わっていますが、まだそれほど時間は過ぎていません。
念願の備中松山城は制覇したのでもう帰るだけなんですが、流石に早いので高梁の町も見て回りましょう。
備中松山城下 武家屋敷街
古くからの街並みが残っている高梁市。
武家屋敷が今でもこうやって使われています。
平日なので観光客も居らず、静かな佇まい。
国名勝 頼久寺庭園
そんな武家屋敷街の中にある頼久寺には
江戸時代初期の名作庭家・小堀遠州が作った
見事な枯山水庭園が!
本当はこの縁側の奥に庭が開けているんですけど、この部分の幾何学的配列も気になったので、敢えてこの写真で(笑)
小堀遠州こと小堀政一
(まさかず)
は戦国末期〜江戸初期の武将で、関ヶ原合戦の直後
それまでの戦乱で荒廃していた高梁の町を立て直すべく、徳川家康から備中代官として派遣されました。
武将ですが武功の人と言うよりは民政家だったようで、そうした中で頼久寺の庭園も手掛けたもの。
当時、寺社を復興させるのは「為政者の徳を示す行為」だったんですよね。現代で言えば学校や病院を作る感じです。
茶人としても有名な人で、その流派である遠州流・小堀遠州流は今でも続いています。
要するに、エリート文化人だった訳ですな (^-^)
そんな頼久寺を拝観していたら、すぐ裏にある伯備線の線路に―――
JR西日本 381系 特急「やくも」
関東では見られない特急列車が目の前を通過!
とっさに撮ったのでちょっと設定が甘いw
そして電線が邪魔〜!(苦笑)
高梁の町を離れる際、のどかな農村風景を見かけパチリ!
備中松山城展望台にて(再)
最後にもう一度、朝の展望台を訪れました。
すっかり雲海は晴れ、遠くまで見通せるように。
城と城下町、こんな風景だったんですねー!
雲海じゃなくても、これはこれで良い景色です。
国重文 備中松山城天守
明るい陽の下で見ると、天守はこのような姿。
木々の中に顔を出す天守と二重櫓は
森と一体化し、本当に“天空の城”と呼ぶに
相応しい佇まいでした。
そんな感じで、備中松山城を存分に堪能した旅でした。さやうなら〜! (^o^)/~~~
と言っても、まだこの時点で正午を過ぎた位の時間。
目的は果たしたので帰るだけ―――と云うには勿体ないので、帰り掛けに寄れる所を考えてみたら
あぁそうか、6年に渡り
「平成の大改修」として“天空の白鷺”
となっていた
姫路城
の工事がこの年の3月に終わって
天守内部の公開が再開されたから、それを見に行こう!と閃いた。「平成の大修理」で見られなかった備中松山城を見たのだから
「平成の大改修」で見られなかった姫路城も見ておかないと(笑)
壁の塗り直し、瓦の葺き替えが行われた天守群は、真っ白な装いになって
“白鷺城”ならぬ“白過ぎ城”と噂されておりましたので、これを実際に見てみようと (^-^)
そんなワケで、高梁から姫路へ向かいました。
国宝 姫路城天守群
と言う事で、ドーン!!!ホントに白過ぎ〜!
姫路城の三ノ丸広場から見上げた姿です。
塗り替えたばかりだったので壁が白いのは当然として
瓦も漆喰で塗り固めているので、屋根まで白い!
他の建物と見比べると、大天守がひときわ
白く見えるのが分かります。青空に良く映える〜★
定番、三国濠越しのアングルや
西ノ丸から見た安定の構図でも白いwww
特にこの角度で屋根を見ると白い面の方が多い(爆)
将軍坂
これも定番のアングル、古き良き時代劇で
江戸城
の代わりに
将軍さまが闊歩するシーンの撮影に何度も使われた事から
将軍坂と通称される地点。坂道に沿って白壁が延び
その延長線上に天守の姿。絵になる〜♪
搦手側
“天空の白鷺”天守の大修理が終わった姫路城では
搦手(裏口)側の修理工事が始まっていました。
歴史的建造物が山ほどある姫路城は、1箇所の修理が終わると
また別の所を修理し始めるという、順繰りで工事が続きます。
職人の技術を継承させるため、姫路城ではエンドレスでどこかしらの修理が回っていくんですな。
ではここからが大天守の中の様子です。平成大改修のうちは入れなかったので、
中に入るのは実に14年ぶり!
武具棚には何も無し?
出窓の内部も真っ白け!
建物を突き抜ける大柱は相変わらずの存在感!
以前は武具棚に鉄砲や鎗などを掲げていたんですが、それだと興味本位で武器ばかり見られてしまうので
新装開店以後は、敢えて武具を置かず“棚の並び”に注目して貰えるよう改めたんだそうです。
鯱が載る破風も白漆喰
最上階に城の守護神
窓が計画されていたと云う壁面
解体修理の結果、大天守最上階の壁面に窓を作ろうとした痕跡が見つかったのですが
実際には強度の問題などがあり、実現せず埋め込まれたままだったそうです。
その通りに作られていたなら、もしかするとこの壁には窓が開いていたかも?
まるで雪山から見下ろすよう
桐紋と蝶の紋の瓦
瓦が漆喰でガッチリ固められてます
屋根に注目してみると、どこもかしこも白い漆喰で均一に固められています。
単に外から白く輝く、というだけでなく精緻な仕上げを全体に行き渡らせる事が
最終的な美しさに繋がっているんでしょうな。
先ほど、下から見上げた時に特に白く見えた部分は
瓦の重ね方で局面を作っているのではなく、漆喰で階段を
作る事で唐破風のカーブを構成しているんですね。
これを横から見ると、白い漆喰面の方が際立つ訳で。
その武具棚、こうして静かな佇まいで見ると
こっちからあっちまで等間隔にびっしりと並び、
数の多さに驚かされます。確かにこれは
武器を置かない方が、棚そのものに目が行きますね。
流し台
備中松山城の天守には囲炉裏がありましたけど、
姫路城大天守にあるのは炊事をする時の流し台。
籠城戦の時、大量の兵士に食事を賄う必要があるので
こんな設備が用意されています。美観ばかりが
取り上げられる姫路城ですけど、本来は軍事要塞、
実戦本位の作りになっている事を忘れてはいけません。
と言う感じで大天守の中を探訪。
久方ぶりに(しかもじっくりと)中を見て
やっぱり姫路城はケタ違いの迫力だと再確認しました。
外に出てみれば、秋の雲を背負った天守が
何か“気”を纏っているようで、壮大な姿に。
平日だったせいか、備中松山城と同じく
比較的お客さんが少なめの日。おかげで
天守前でも誰も居ない綺麗な写真が撮れました★
下城する道すがら天守を振り返れば、少しずつ傾いてきた陽光でほんのりと黄色がかってきました。
←ぬの門の前にて。影が横に広がる時間帯。
↑再び三国濠の前にて。殆んど人影もなく、ベスポジが貸し切り状態!
石垣の継ぎ目
三国濠と言えばここ、左右の石垣を埋めた痕跡。
ついつい撮っちゃうよねー(笑)
そもそも何でここに石垣の合間があったのか、
そして何故埋めたのか、色々と興味は尽きません。
せっかく姫路まで来たのだから、もっと色々な角度から見て回りたい。
個人的に一番お気に入りのアングル、喜斎門(城の東端にある門)址から天守を見上げる構図で写真を撮りたくて
三ノ丸広場を横切って行く事にしました。何せ搦手門は工事中で通れませんので、外から回り込む訳です(苦笑)
腹切丸下から見上げる
この位置から天守を見ようとすると
手前に石垣が高くそそり立ち、その上には
2つの長櫓がせり出すように塞がります。
まるで上から睨み付けられたような、迫力の構え。
喜斎門址から見上げる
そして喜斎門址から見上げるとこの構図。
個人的に、天守が「最も高く突き抜けて」
見えるアングルだと思います。
天守の妻側から見るのも、一般的な
平側からの写真よりスマートに見えますし。
ついでに、作業車用のカーブミラーからも
天守が見えたので、面白写真を撮影w
このまま城の北側へ回り込んで一周するのも考えたんですが、
流石にそれは遠回りだし時間もかかるので、元来た道を戻って駐車場へ帰る事にしました。
そう、時刻はもはや夕暮れ時。
あと数分で17時、という頃合いの太陽は赤さを増し、辺りも赤く染まり、そんな中で天守を見てみれば…
白鷺が朱くなって…まさに朱鷺色!これは天空の白鷺ならぬ、天空の朱鷺だ!!!
(どの写真もそうですが、特にフィルターをかけたり色調補正はしてません。見えたままの画像です)
ジャスト17時に撮影。天守だけでなく、櫓も、塀も、石垣も朱い装いになり見送ってくれました。ありがとう姫路城! m(_ _)m
このまま夜景(ライトアップ)になった姫路城を見るのも良いかも…と頭をよぎったのですが
そうなると流石に帰宅できなくなるので、本日はこれにて終了。ここから一目散に高速を走り、家路を急ぎました。
いやぁそれにしても今日は“天空の城”雲海の備中松山城に始まり、
艶やかに化粧された“天空の朱鷺”姫路城に終わる、これ以上ない芸術的な城の姿を写真に撮れた一日でした。
もうこんなに上手く繋がる事は無いだろうなぁ。天気や時刻、環境が揃わないと…。
何と言っても平成の大改修が終わって数年を経た姫路城が、もう真っ白ではなくかなり落ち着いた色合いに戻ってしまったので(爆)
◆◇◆ 雲に浮き 夕陽に染まりし 名城は 一期一会の 忘れじの秋 ◆◇◆
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