2001年7月 西国制覇(7)

姫路城内郭部地図 (C)MapFan

管理事務所で入城券を購入し、ここから先は有料エリアに入ります。
内郭部の正面入口になっているのが菱の門。華頭窓で装飾した優美な外観は
城の入口としての風格を備えた堂々とした建物。もちろん、防御も万全。
外郭をぐるりと回ってきただけで十分凄い城だと言うのが感じられたんですけど
こうして菱の門をくぐると、否応無しに「まだまだこんなもんじゃないぞ」と
圧倒的な迫力を思い知らされます。で、菱の門の先には三国濠があり
その堀で枝分けされたルートがいくつか…。
城内の案内図がないと、いきなり迷いますねこれは。
まぁ、それでこそ戦闘拠点である城郭なんですけど。
正面にあるいの門やろの門を軽く写真に収めた後、
登城ルートとしては定番の左手、西の丸方面に上がっていきます。

西の丸は千姫の住居として整備された曲輪として有名ですね。
徳川家康の孫娘である千姫は、政略結婚で豊臣秀頼に嫁がされましたが
結局、徳川と豊臣の関係は破綻し大乱が起こり、秀頼は自刃。
若くして未亡人になった千姫は、時の姫路城主・本多忠政の嫡男
本多忠刻(ただとき)と再婚しました。この時、千姫のために造成されたのが
ここ西の丸。とは言え、本丸と対を成すように標高が高い位置にある曲輪ですので
戦闘時には副指揮所になり得るだけの防御性能を有した感があり
“千姫のため”という巧妙な理由で城の防備を強化した?裏事情が垣間見えます。
それはともかく、ここから見る天守はまた一段と綺麗だねー♪
女性用の曲輪だけあって、庭園も美しく整えられていますから
そりゃもう絶好のロケーションだよなぁ。よく時代劇で映るお城のシーンは
ほとんどこの場所で撮影されているんですけど、それも納得ですな。
西の丸にて
西の丸にて

よく時代劇で出るでしょ、このアングル。
殿様や姫様が話なんかしてたりするシーンで。
それだけ絵になる場所なんですね。
乾小天守が修繕工事中で
足場に囲まれてしまっているのが少々残念。
西の丸は外縁を一周するように様々な櫓が取り囲んでおり
城マニアとしてはどれも興味深いもの。一つ一つの建物をつぶさに見て
…どんどん時間が経っていきます (^^;
えぇい、時間はいいんだ!それよりも
…どんどんフィルムが消費されていきます (^^;;;
あぁっ、また1本使い切ってしまった(焦)
そうこうしつつ、千姫の住まいだったという化粧櫓の内部も見学し
一応、西の丸は全部確認。ふむ、なるほどね。
よしゃ、続いて本丸方面へ行くぞ!
階段を登り、はの門・にの門・ほの門とくぐっていくんですが
道はつづら折に折れ曲がり、右へ左へまた右へ、
その途上の両脇にはロの櫓やらイの渡櫓やら…うひゃ〜!
西の丸だけでも凄かったけど、どんだけあるんだ建物が?!って感じです。
はの門入口
はの門入口

ここもよく時代劇で出る場所ですな。
折れて折れて折れ曲がる道、
しかも細く長い道ですから
敵の兵は否応無しに足止めを食らいます。
で、上から鉄砲で狙い撃ちされて…。

天守群北面直下まで来ましたが、まだここからでは中に入れません。
渡櫓に沿って歩き、一度天守群の向こう側を回ってこないと
入れないようになっているんです。ですので、まだまだ歩きます(笑)
こうしてグルグル巻きになっている迷路が、敵を惑わせるんでしょうね。
普通、天守の前まで来たら「さあ入るぞ!」って思いますもの。
やはり城郭って奥が深いなぁ。
への門・との門を通り、その脇に目をやるととの一門があります。
こっちへ進みとの二門・との四門へ下ると、さっき差し掛かった搦手口です。
そうなると城外へ出てしまうので、ちの門へ直進。
こうした分かれ道も、敵を惑わせる仕掛けですな。
国重文 との一門・ちの門
国重文 との一門・ちの門

左に大きな口を開けているのがとの一門。
敵の兵が雪崩を打って突っ込んで行くと
そのまま搦手から城外へ出されてしまいます。
天守へ攻め込むならば、右側の影に隠れている
小さなちの門に入るのが正解。
天守の前まで来ているのに、ひとつ違う道を選ぶと
一気に城外へ出されてしまうんですから。
ちの門を通過して右の備前門へ入ると、ようやく備前丸。
大天守の正面に広がる曲輪です。晴れて大天守とご対面〜!
って、デカいぞこりゃ!! 煤i ̄□ ̄;
何だこの大きさは!ホントにこれが木造建築か!!
確かに遠くからでも良く見える建物だけど、これほど大きいとは…。
国宝 西小天守・大天守
国宝 西小天守・大天守

もうね、圧倒的重量感ですよ。
建物というよりも、山がそこにある感じ。
石垣だけでもかなり高いのに
その上にこれだけの建物が建ってるんですよ?
目の前で見れば見るほど、
何だか自分の目が信じられなくなりました。

そこからさらにぐるっと回り、西小天守の脇にある水の四門を入ると
やっと天守群の入り口に達します。その入口は狭く、
回り全部の建物から見下ろされていて
うわー、四方八方から狙い撃ちされる場所だなぁ。
少々緊張しながら中に入れば…げ、槍や鉄砲が並んでる!
やっぱここは純粋な戦闘要塞なんだなぁ。
薄暗い建物の中、窓から差し込む明かりは眩しく
ふと外を見渡せば、姫路市外を一望!
う〜ん、この眺めはスゲー!
槍と鉄砲で武装して、眼下の敵を睥睨する…これぞ至高の戦いの場だ!
大天守最上階にて
大天守最上階にて

姫路城の建てられた姫山にはもともと
刑部(おさかべ)神社が祭られておりました。
城を築くに際し、その神社の祭神である
刑部姫を大天守に招いたとか。
女性の祭神を祭ったからこそ
白鷺城と別称される
優美な美しさを備えたのかもしれません。
天守最上階には祭神が祀られ、戦いが武力だけでなく
精神力にも支えられている事を物語っていました。
壮大な歴史の流れを示していた天守を後にし、
備前丸から下の段へと降りていきます。
そこにあるのは帯の郭。通称で腹切丸と呼ばれています。
城が陥落した時に、城主が自ら覚悟を決める場所という伝承が残りますけど
まぁ実際にはそういう目的で作られた曲輪だという訳じゃないらしいです。
さらに下って太鼓櫓・りの門を通りぬの門へ。
ここにはお菊井戸なる井戸がありまして、名前でわかる通り
怪談「播州皿屋敷」でお菊さんが投げ込まれた井戸だとか…(ホンマかいな)
埋門を抜けて再び三国濠の前に戻ってくれば、主郭部の見学は無事終了!
菱の門を辞し、大手門である桐門を出てようやく駐車場へ帰ってきました。
で、時計を見れば既に午後3時半を回ったところ。ここに着いたのが朝9時半頃だったから
正味6時間かけて姫路城を見ていた事になりますな。
ひぇ〜、我ながら城バカだなぁ (><)
いくら何でも、今まで6時間も一つの城に費やした事はありませんでしたが
さすがに姫路の城は桁が違いました。というか、ありとあらゆる建物が現存していて
もう見所一杯、お腹一杯という感じです。

え、昼食?もちろん食べておりませんが、何か?(大爆)

さて…今回の旅の一大目標であった姫路城を攻略し、大変満足したかすこば。
一応、姫路を最後にしてその後の予定は全く未定にしていたんです。
何なら日暮れまで姫路城を見倒そうと思っていたので (^^;
しかしもう十分満足。というか、これ以上姫路城に居たら混乱しそう。
それくらい、城マニアの目線では見所が多すぎる場所だったんです。
とりあえず姫路を離れてどこか別の所へ行こうと思い立ち
道路地図帳を広げてみれば、目に付いたのが播但道。
この道を北上すると、ほう、生野銀山の方に出るのね。
有名な鉱山だし、戦国史にも大きく関わりのある史跡だから
これを見るのも悪くないかなぁ。その先に行くと…和田山かぁ。
ん?和田山?! 和田山と言えば、あの和田山か?!?!
あ、もう決定。目指すは和田山。生野はスルーで構わないから。
日が落ちるまでに、何としても到着せねばっ!

ってなワケで国道312号線で姫路市街地から郊外へ出て、
とにかく播但道を北上。ひたすらぶっ飛ばし。
制限速度は…敢えて見ないふりをしました(ォィォィ)
和田山PAに差し掛かったあたりで前方の山を望めば
見えてきました!お目当ての城、竹田城跡です。
和田山ICで高速を下りると、早速竹田城への案内標識があったので
それに従って山道を登ります。何だか山の裏側へ出てしまったので
ホントに合ってるのか、この標識は?と疑いたくなりましたが
結局、山をぐるぐると回って城の袂の駐車スペースに到着。
時刻は午後4時半。良かった、何とか日が落ちるまでに見て回れそうだ。
喜び勇んで車を下り、少々藪道になっている登城路に踏み込みます。
ここ竹田城は、城郭愛好家の中では“天空の城”として有名な場所。
そのあだ名に負けず、険しい山の頂を存分に切り開き
総石垣造りの要塞が、尾根を下るように広がっていきます。
そして遥か眼下に和田山の町を一望し、
天候次第では城が雲海の上に浮かぶのです。
それはもう絶景としか言いようがありません。まさに天空の要塞。
堅固な石垣、空を飛んでいるかのような光景、どれをとっても1級品。
この城を見ずして播磨の城は語れません!
国史跡 竹田城跡
国史跡 竹田城跡

浮いてます!飛んでます!
これぞまさしく天空の城です!
アニメ映画に出てきたりするのや、
南米の空中都市遺跡が有名ですけど
日本の城だって負けちゃいません!
姫路と竹田、播磨国を代表する2大城郭なんですが
両者は今や播但道で一直線に繋がれているんですね。
いやー、1日でこの2城を両方攻略できるとは…感無量です。
それにしてもこんなに険しい山の上にこれだけの石垣を築くとは
相当な難工事だったと思うんですが…。
戦に備えるのが当たり前だった戦国時代とは言え、
こうした事業はごく自然に行えるものだったのでしょうか?

竹田城を見終わった所で、ちょうど夕暮れ。
私が下山しようとした時に入れ替わりでバイクで城に上がって来た人が居ましたが、
彼は今から何をしようとしたのでしょう?ちょっとビックリしつつ
まぁ、人それぞれに城の見方はあるものですから、
あまり深く考えるのは止めにして立ち去りました。
(夜景でも見るつもりだったのかな?)
それで…今度こそ予定が無くなったぞ (^^;
どうせ宿は手配してないし、もう帰っても良いんだけど
このまま夜通し走るのも疲れるなぁ。明日は予備日に取っておいてあるので
夜明かしして明朝少しだけ観光するのもアリかな。
で、またもや地図とにらめっこ。
さて、どうするかな〜?




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