2014年10月 和歌山弾丸往復

旅行期間:2014年10月16日(木)夜半出発〜10月17日(金)帰着

主な滞在地
10月17日(金):雑賀崎台場跡・元番所台場跡・雑賀城跡・和歌山城跡・太田城跡
和歌山弾丸往復行程地図 (C)BingMap


実は、以前から思っていた事がある。
名古屋城水戸城には行った事がある。つまり、徳川御三家の城のうち2つは攻略済。
となれば、残る1つも行かないと!行かないと!!!
そして今回、何となく時間が取れそうだったので意を決して西へと出発。
もうね、此度の旅の目的は「和歌山城一択!」です。他に用はありません。
そんな訳で今回も弾丸往復、前日の夜に家を出て一気に和歌山へ突っ走ります。
新東名→新名神を経て関西へ。そして阪和道の紀ノ川SAまで来た所で、仮眠を兼ねて夜明けを待ちました。
早朝の和歌山平野
早朝の和歌山平野

朝4時に到着し、2時間ばかり仮眠。
そして6時半頃、東の空に朝日が昇ってきました。
山裾に薄っすらと朝霧がかかる和歌山平野、幻想的です…。
このSA、見晴らしが良いなぁ!
さぁ、陽が射してきたので本格的に和歌山攻略を開始いたします o(^-^)o

で、さっそく和歌山市街地…を突き抜けて、海岸線へ。え、和歌山城が目的じゃなかったのかって?
だってまだ朝の7時じゃ、城内の拝観が出来ないもん(苦笑)
ですから朝駆けとして、沿岸にある台場群を見に来た訳です。
早朝の紀伊水道

朝7時過ぎ、まだ太陽が真横から照らす時刻。
雑賀崎(さいかざき)台場跡からは目の前に
紀伊水道が広がり、手に取るような場所に
大島(和歌山市のね)、その向こうには
海上保安庁の巡視船 PL-73「きい」が!
更に彼方で霞むのは…淡路島かな?
早朝の紀伊水道
和歌山城を望む
和歌山城を望む

雑賀崎台場跡から振り返れば、和歌山城が彼方に。
和歌山市は景観条例で和歌山城天守より高い建物を
建てない事になっているそうですが、こうして見ると…ギリギリ?(笑)
とりあえず、市街地のド真ん中に低山(城山ね)が
鎮座している様子は良く分かります。
和歌山県史跡 雑賀崎台場跡 算木積遺構

雑賀崎台場跡では土塁や石垣が見られます。
中でも、石垣の見易く残っている部分がこちら。
隅部が算木積み(さんぎづみ)と呼ばれる、
石材を右方向・左方向に互い違いで積む形式と
なっているのが…イマイチ分かり難い? (^ ^;
和歌山県史跡 雑賀崎台場跡 算木積遺構
とりあえず、この石垣が緑泥片岩(りょくでいへんがん)と言う紀伊水道周辺で良く採られる石材を
使っている(石が緑色で、横長の扁平材)のはハッキリと分かります。地元ならではの石垣なんですねぇ。

雑賀崎台場の隣には、元番所(もとばんどこ)台場と呼ばれる台場も。こちらは現在、観光施設となっており
入場料を払わないと中に入れないのですが、この時間なので受付など出来る訳もなく…でも、駐車場の傍らから
余裕で全景を眺められるので、これで十分かとwww

この時点で7時半をちょっと過ぎた頃。和歌山城へ向かうにはまだ早いので、もう一つ追加で朝駆けを。
市内を流れる津屋川の畔、国道42号線「和歌浦」交差点の近くにある小山が雑賀城の跡。
戦国時代には最強の鉄砲傭兵軍団“雑賀衆”を擁した堅城だったようですが、すっかり今は長閑な公園ですな★
(何となく、削平地や切岸らしいものはありました)
歴史の舞台となった場所ですから、例え遺構は無くともそこで思いを馳せる事が出来れば、それもまた良し! (^ー゚)b

のんびりと公園を散策していたら、8時半になろうかという時刻に。
さぁいよいよ、本日の目的地である和歌山城へ向かいます。ここから国道42号線を北上するだけ、一本道です(笑)
しかし…和歌山の交通状況に少々辟易。どの車も車間距離を目一杯詰めて来る。
拙者の車も背後にピッタリと付かれ、最初は「県外車だから煽られてるのか?」と思ったけど
どうやらどの車も同じような運転で、和歌山では車間ゼロ運転が当たり前のよう。
よく「大阪の運転は荒い」とか「名古屋の交通マナーが悪い」なんていう噂を聞きますが
(大阪や名古屋の方すいません。モノの例えですからご容赦を)
オイラに言わせれば、和歌山の運転の方がよっぽど危ない。これでよく事故が起きないもんだ (▼▼メ
とまぁ、前後の車間にヒヤヒヤしながらも雑賀城から20分ほどで和歌山城の観光駐車場へ入庫しました。
よっしゃ!ここからガッツりと、くまなく城内を見て回るぞ〜!!!
和歌山城内地図 (C)BingMap
不明門の駐車場から徒歩行軍を開始。ここから右に左にうねる経路でくまなく城を見て行きます。
まずは目の前にある砂ノ丸櫓台の高石垣に登り、その高さを実感。そのまま和歌山県護国神社を掠め、東へ歩きます。
水禽園と言う動物園?を横切りつつ、松ノ丸の高石垣の前に出ると
国史跡 和歌山城跡 松ノ丸櫓台高石垣
国史跡 和歌山城跡 松ノ丸櫓台高石垣

まるでブロックを摘んだような石垣。
築城技術が最も進化した頃に作られた和歌山城の石垣ですが
これ程となると、まるで現代工法を使って作ったようにも見えます。
さすが御三家の城…と言うか、将軍さまの江戸城よりも立派じゃない?!
国重文 和歌山城 岡口門
国重文 和歌山城 岡口門

その南側にあるのが岡口門。江戸時代からの現存建築で、重要文化財です。
現在の城域としては、ここが南東隅に当たる場所ですので
これを見たら、北上するような道を辿ります。
国史跡 和歌山城跡 御蔵ノ丸雁木

堀に沿って御蔵ノ丸を歩けば、この凄い雁木(がんぎ)が。
雁木と言うのは、斜面を大きく階段にして大量の人員(兵)を
一気に昇り降りさせられる巨大階段の事。これほどの
大掛かりな雁木は、やっぱり江戸城でもなかなか見ませんねぇ。
近世城郭(江戸時代になってからの「統治用の」城郭)ながら
和歌山城が軍事力にも秀でていた様子が垣間見えます。
国史跡 和歌山城跡 御蔵ノ丸雁木
国史跡 和歌山城跡 表坂
国史跡 和歌山城跡 表坂

御蔵ノ丸を一周したら、くるりと返して表坂を登ります。
ここから先がいよいよ山城となっている部分。
平地(市街地)の中にある和歌山城は、裾野の部分と山上の部分で成り立ち
この坂の上に、本丸(城主の居館)や天守曲輪が待ち構えています。
「表」坂と言うだけあって、威厳のある堂々とした道すじです!
表坂を登ると松ノ丸。そこから先に進み、またも坂を登りつつ180度ターンすると(そういう構造)
本丸への入口がありますけど、それは後回しにしてその更に先へ登って行くと、天守曲輪があるので…
和歌山城 復興天守
和歌山城 復興天守

ジャ〜ン!!!
天守の姿がハッキリと見えるようになります。
屋根の軒がいくつも重なって、真上から見下ろされた位置。
3重天守と小ぶりなんですが、威圧感はバッチリ。
やっぱり軍事力にも秀でてい(以下略)
和歌山城へ来てから既に1時間半。10時を回った時刻となり、ようやく天守の前まで来ました。
(でもまだ城域の半分弱しか回ってませんがw)
ここまで“おあずけ”を食ってきたので、待ちきれなくなって一目散に天守の中へ入らせて頂きます!
和歌山城 復興天守

いよいよ天守の入口へ。
こちらが入りに行っているんですが
天守の方からグッと近づいて来るような
迫力と言うか、ボリューム感があります。
この手前の付櫓が睨みを利かせているんですね。
和歌山城 復興天守
和歌山城 天守からの眺め
和歌山城 天守からの眺め

ふむ、外から天守を見た時には手前に高い建物があるように感じましたが
天守から外を見る限り、邪魔になるような建物はありません。
遠く海が見渡せて、圧倒的な解放感!
当時は工業地帯なんかありませんから、良い眺めだったんでしょうねぇ。
そして手前の天守曲輪もガッチリした守り。スゲー!
存分に天守内部を見回して、下に降りてきたら
和歌山城 復興天守
和歌山城天守の定番アングル!安定感のある、落ち着いた構えです。いいわぁ〜!

そのまま天守曲輪の周りを歩いてみれば
天守曲輪の袴腰石落とし

和歌山城の建物に特徴的な“膨らませた風船のような”袴腰石落とし。
真下から見れば、より「大口」な感じを受けます。
石落としは石を落とすんじゃなくて鉄砲を下に撃ち下ろす設備だとも言われますが
これだけ大口なら、本当に大石でも投げ下ろせそうです。やっぱり実戦重視?

そして緑泥片岩の石垣が、本当に緑色の質感を見せている点にも御注目!
和歌山城 天守曲輪の袴腰石落とし

天守曲輪を一周し、今度は本丸の敷地側へ。天守曲輪と本丸は並び立つ2つの山のようになっています。
とは言え、本丸跡は現在和歌山市の水道配水池となっており、中に入る事はできません。
入口は厳重な門が塞ぎ、まさに今でも堅城の体を成しているのですが、この位置から振り向いて天守を見ると
和歌山城 本丸からの眺め
和歌山城 本丸からの眺め

ここも天守を美しく魅せる定番スポット!
折り重なる破風が変化に富んでおり
銅板装飾の緑色をした切妻面と上手く調和します。
名古屋城のように金に輝く鯱鉾はありませんが、むしろ
“質実剛健”にして“優美(華美ではない)”な良さがあります。

表坂を登って来たので、裏坂を下って麓に戻ります。
ここからは城の北側を回るのですが、この坂の途中にある有名?スポットが…
小人さん?

まるで小人が階段によじ登っているかのように見える木の根っこ。
和歌山城内での(ちょっと)有名な面白名所です。
小人さん?

裏坂を下りた前に広がるのは二ノ丸跡。ここには御殿がありました。その西側に西ノ丸、更に砂ノ丸が並びます。
二ノ丸と西ノ丸の間には堀があり、御橋廊下と呼ばれる渡り廊下で繋がれていました。
近年、その御橋廊下が復元され
和歌山城 復元御橋廊下
和歌山城 復元御橋廊下

このように堀を渡っております。
左が西ノ丸側、右が二ノ丸側。曲輪の高さが違うので
渡り廊下が坂道になって作られているんですが
なかなか面白い構造ですねぇ。この橋は後で渡ります。

現在地から西ノ丸方面へ歩くと、そこにあるのは紅葉渓庭園。
和歌山藩主の私邸とも言える庭園です。
国名勝 和歌山城 紅葉渓庭園

国の名勝になっている大名庭園。さすが徳川御三家…。
池の向こうに見えるのは鳶魚閣と呼ばれる楼閣です。
ここもこの後見て回ります。
国名勝 和歌山城 紅葉渓庭園

まずは城の西端まで行ってみようと、そのまま道を直進。
そこにあるのは砂ノ丸と言う曲輪でして
国史跡 和歌山城跡 砂ノ丸
国史跡 和歌山城跡 砂ノ丸

砂ノ丸、と言うだけあって元々は砂地だった大地を造成した曲輪。
今ではグラウンドになり、その縁取りとして石垣が残るものの
良く見れば、このグラウンドは砂地を突き固めて作られています。
地盤が不安定な砂地に、よくこれだけの石垣を築いたもんですなぁ。

城の裏口とも呼べる追廻門まで行ったら、折り返して紅葉渓庭園の中へ。
国名勝 和歌山城 紅葉渓庭園

先程紹介した鳶魚閣の前にて撮影。
池との対比が素晴らしい庭園なんですが
こうして、緑の木々を眺めるだけでも心が落ち着きます。
流石は国の名勝、森に包み込まれる安心感があります。
国名勝 和歌山城 紅葉渓庭園

では西ノ丸から二ノ丸へ。例の御橋廊下を渡って行きましょう!
和歌山城 復元御橋廊下
御橋廊下の西ノ丸側入口。
ハッキリと、建物の中が登り坂になっているのが分かります(笑)

そして渡った先の二ノ丸は、広々とした芝生の広場です。
ここから見上げる天守も、実に落ち着きのあるフォルム。
国史跡 和歌山城 二ノ丸跡

御橋廊下が復元された事により
堀越しの天守も新たな撮影スポットに! 和歌山城 復元御橋廊下と天守 これだけ見れば、本当に江戸時代のまんま?
いやまぁ、天守も御橋廊下も現代の復元なんですけどね (^ ^;;;

最後に大手門を抜け、城内散策は終了。大手から出るってのも変な話ですがwww
ここまで歩いて、時刻は13時45分。実に5時間かけて和歌山城を歩き倒しました(笑)
と言っても外周を見ていない(そして駐車場は遥か彼方)ので、ここからは堀の外に沿って南へ戻ります。
南海和歌山軌道線 321形 静態保存機
南海和歌山軌道線 321形 静態保存機

城の周りを歩いていたら、おや?こんなモノを発見。
かつて和歌山市内を走っていた路面電車、南海和歌山軌道線の321形です。
路面電車は廃止されたものの、城址の隣にある岡公園にて保存されているそうで
水色とホワイトのツートンカラーが、南国イメージの和歌山で爽やかさを醸し出します。
車体も丸っこくて、可愛らしい (^-^)v

そのまま西へ進み、車を入れた不明門の前まで来たのですが
ここから道路を渡って、駐車場と反対側の小山へ。ここ、実は和歌山城の原初とされている岡山城の跡で
小高い丘になっている事から(最終的に和歌山城の曲輪として取り込まれた訳ですが)
岡山城址 奥山稲荷社

こんな写真が撮れます!
鳥居の額縁の中に、和歌山城天守!! (^ー゚)b
岡山城址 奥山稲荷社

そうそう、和歌山の殿様と言えば“暴れん坊将軍”と持て囃される徳川吉宗公。
まぁ、天下の将軍さまが市井に出て暴れ回ると云うのはドラマの脚色ですけれど
和歌山在住の頃は本当に色々と遊び回っていたとか。しかし藩の財政を立て直した名君なのも事実で
徳川吉宗騎馬像
徳川吉宗騎馬像

城の南には、吉宗公を顕彰した立派な騎馬像が!
鎧兜じゃなく平服で颯爽と走る姿が、いかにもと言った感じですね(笑)
言われてみれば、和歌山藩主で一番有名なのは
藩祖の頼宣を差し置いて、やっぱり吉宗だよねぇ (^^;
(それ以外の人なんて、知名度ほぼ無いしwww)

これで本当に和歌山城の探訪はおしまい。時刻は14時40分にもなり
実に6時間!も和歌山城だけにかけました。しかも朝食も昼食も何も食べてないし(爆)
さぁ、今日の目的は達したので家に帰ろう…
太田城跡 小山塚
太田城跡 小山塚

とは思ったのですが、和歌山まで来たのでもう1箇所寄り道。
御三家の城のうち和歌山城だけ取り残していた如く、
「日本三大水攻めの城」のうち備中高松城(おし)は攻略済だったものの
残る1つの太田城だけが未訪だったので、ここで立ち寄っていきます!
とは言え、現在の太田城跡は来迎寺と言う小さな寺がある一帯の住宅地で、全く遺構らしきものは無し。
とりあえずその来迎寺に行ってみたものの、折しもこの時に寺ではどなたかの法事が行われていたようで
あんまりカメラを向けて写真を撮れる状況になく、仕方がないので門前の写真を1枚と
この「小山塚」と記された戦績顕彰碑のみ撮影。水攻めできるような軍事力を持たない拙者は、そそくさと撤退…(苦笑)

「小山塚」の来歴についてはリンクしている大天守の頁をご覧下さいませ m(_ _)m

んで、今度こそ和歌山から撤収し帰路に就きます。
和歌山ICから高速に乗り、行きも休憩した紀ノ川SA(和歌山ICからすぐですがw)に退避。
(ちなみに京奈和道は当時まだ未開通だったので阪和道の一択)
ここでようやく、よーうーやーく本日最初の食事にありつきました!(爆)
時刻は15時半を回り、もはや朝食でも昼食でもなく夕食に近い感じではありましたが
和歌山と言えば和歌山ラーメン…空腹の身体に程好く塩分が染み渡りました(笑)

食事をした後、そのまま仮眠も摂り(結局、昨夜から然程寝てませんでしたから)
一息ついてから出発。伊勢湾岸道に入り、愛知県へ至った頃にはすっかり夜の気配となり
名港中央大橋 名港中央大橋
名港東大橋
名港トリトン

のうち、2つ(爆)
名港トリトンと言うのは、名古屋港に架かる3つの斜張橋の事。
上2つの写真が名港中央大橋、下は名港東大橋。
カメラ任せで撮ってみたんですが、案外上手く撮れましたw
闇夜に浮かぶA型の主塔、なんか恰好えぇ… (^ ^)

そのままほぼノンストップで走り続け、家に着いたのは22時半を回った所。
そして今回の総走行距離数は1056.2km。片道だいたい500kmって感じです。
移動し続けたのも概ね24時間。和歌山往復、行って行けない事は無いものですな(そうなのか?)


◆◇◆ 恋い焦がれ 紀伊の城へと 赴かば 気韻あふるる 和歌の浦かな ◆◇◆




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