2014年9月 二俣城現説
旅行期間:2014年9月21日(日)
主な滞在地
9月21日(日):
|
鳥羽山城跡・二俣城跡・大平城跡・海老陣屋跡・田峯城跡・
足助真弓山城跡・足助陣屋跡・足助町内・足助飯森山城跡・香嵐渓
|
---|

タイトルは二俣城現説となっていますが、ほぼほぼ海老陣屋追悼の頁です (^ ^;
2014年の9月、静岡県にある二俣城にてそれまで埋もれていた石垣が発掘され、現地説明会が開かれるとの事。
今まで見えなかった石垣が掘り出されて公開されると言うならば、ちと見てみたい。
二俣城(浜松市ね)なら行って行けない距離じゃないし、ちょうどその日は仕事が休み。うむ、これは行くべきでしょ!
と言う訳で、当日の朝6時に家を出て、東名〜新東名を走って浜松へ向かったのでありました。

本日は快晴!往く道のどこからでも富士山さんがクッキリと見えます。
9月下旬、まだ山は夏の黒々とした姿ですが、空の雲は少しばかり秋っぽさも見せ…。
朝の9時には浜松浜北ICを降り、訪れたのは鳥羽山城の駐車場。あれ?二俣城じゃないの?と言う感じですが
鳥羽山城は二俣城と隣り合わせの城。で、ここが現説の集合場所となっているワケ。

|
二俣城跡での出土品
現説開始は10時から。待っている間に
駐車場に置かれていた展示物を拝見。
二俣城でこれだけの焼き物が出たそうで。
大皿の“うねうね”面白い…ちょっと子供っぽくもあるけどw
|
で、時間になったので学芸員さんに連れられて団体で二俣城まで移動。天竜川に沿って歩く、ちょっとした散歩コースです。
そしていきなり本題の石垣(笑)前置きなんか全くナシです。川沿いから来た(町側からじゃなく)のはこれなのね (^ ^;

|
裏込石
石垣の天端(てんぱ)、つまり上端部に掘られたトレンチ(試掘溝)には
石垣の内部に埋め込まれた裏込石がしっかりと確認できます。
と言う事は、この石垣は単なる石積みではなく
戦国期、大名権力(それも中央政権に裏付けのある)が築いたものと言う事。
|

|
かわらけ
そのトレンチの延長線上には「かわらけ」も埋まっていました。
かわらけと言うのは、使い捨ての焼き物皿。
使い捨てですから、そこかしこから出るのはアリだとして
何でこんな所に?よう分からん…(苦笑)
|

|
現地説明会
大人数のうち数組に分かれて、この石垣の下へ回り込み
掘り出された石垣の姿を見つつ、説明を聞きました。
上から見下ろすと、それなりに高いんですよね。
これがまるまる埋まっていたと言うのだから、分からんものですな。
|
出土石垣
こちらがその石垣。検出された(掘り起こされた)のは
高さ6m×長さ20m。実際には、もう数段分埋もれていたので
高さは+50cmくらい?長さはもっとある筈、との事。
黒い石(安山岩)と白い石(玄武岩)が混在。
城の直下にある天竜川の河原から持って来たと推定され
どの古文書にも記されず、長らく「存在しない石垣」だったが
地元の「あそこには石垣がある」との口伝に基づいて掘ったら
これだけのものが出てきたそうで。
“一次資料”も大事でしょうが、土地の言い伝えとかも
歴史研究では馬鹿にできない、という好例ですな。
|

|
現代では河川改修で流路の変わった二俣川が、その当時はこの石垣の真下で天竜川に合流していた事から
そこは一大経済網の結節点として川湊が設けられており、それを統治する権力者の威光を見せつけるべく
この「壮大な石垣」が燦然と輝くよう築かれていた、と考えられます。でもそれが廃城から4世紀を経ると
全く埋もれて見えなくなっていた、と言うのだから時代の流れは川の流れより激しいものですな。

|
城内見学
石垣の説明が終わった後は、城内各所を見学。
普段は通れない私有地も、今回は特別に通れる許可を得て
裏の裏まで見て回りました。しかしまぁ、凄い竹林だことwww
|
天竜川遠望
城址から眼下を眺めれば、天竜の蒼い流れが。
晴れていて今日は本当に綺麗な風景です。
|

|
説明を聞き、城跡を見て回り、二俣城での用件はこれにて終了。
概ね2時間、と言ったところでしょうか。お昼になった頃合いで解散となりました。
さて、この後の予定は全くのノープランだったので…どうしようかな?
とりあえずここから手近にあるのは、と考え大平(おいだいら)城へ向かったのですが
山の中段にある神社までは入れたものの、まだ夏の続きなのでそれ以上はヤブが激しく入れそうにない。
こりゃダメだ、と諦めてそそくさと下りてきてしまいました。

|
浜松SA
その神社から振り向けば、目の前に新東名の浜松SAが。
山を造成し、台地の上に様々な構造物が並ぶ様子は
そっちの方がむしろ城らしい雰囲気(爆)
|
今いるのは浜松市、静岡県の西の端。もうどうせならその先まで行って、愛知県に入っちまおうと決定。
国道257号線から愛知県道32号線へ進み、前々から見てみたかった石垣の見事な陣屋跡を狙いました。
二俣城でも石垣を見て、続いても石垣の陣屋…うん、良い取り合わせだ! (^-^)

|
海老陣屋跡
愛知県道32号線「長篠東栄線」を北上し、新城市の海老(えび)と言う集落に
やってきました。鳳来海老郵便局の100mほど北側に、小さな社と赤い鳥居が。
その向こう側に、キッチりと組み上げられた綺麗な石垣が!!
これが海老陣屋の遺構です。見上げると何だか神々しい〜 (><)
|
湧き水
陣屋跡に近づくと、斜面の中ほどから
チョロチョロと湧き水が出ておりました。
つまり、当時の陣屋も水には困らない
安定した生活が送れる場所だった訳ですな。
|

|

|
石垣の上まであがると、そこは一面の畑。
まぁ、今では農地に転用されているんですな。
石垣は畑の敷地を固める用途に変わっておりました。
そこからちょっとだけ南に目をやると、海老の集落を一望。
当時の陣屋も、眼下の街道や街並みを見下ろしていたんでしょう。
|

|
ところで、今の写真(右側)をご覧頂くとちょっと気になるものが。
画像の右端に、道路工事を行っている部分があります。これ、県道32号線の新設付け替え工事。
南から伸びてきた新道が、ちょうど陣屋跡地の手前まで作られており
予定ではそのまま北まで、つまり陣屋の目の前を掠めて開通する…と言う事は?
この陣屋跡地は道路建設で削られる?ギリギリ残る??石垣はどうなるの???と気になる所。
一応、ここは文化財なんだし残してくれる…よね?
あれ?海老陣屋って史跡指定されてたっけ?(←されてない)
今の撮影位置から後ろを振り向けば
段々畑
山側は段々畑になっているんですが、ここにも数段の石垣が。
この石垣が陣屋の遺構を転用したものかは分からないのですが
石材は再利用したものかな?
とりあえず、陣屋の曲輪が重なる雰囲気は味わえました。
|

|
で、一番の見どころになっている石垣に近寄ってみると… 

隅石は直角に整形され、法面は綺麗な平面。近世城郭の隅部と言っても信じちゃうような出来。
金山城や小浜城にこんなような部分ありませんでしたっけ?とにかく良くできた石垣。
石垣が有名な陣屋と言えば静岡県の小島(おじま)陣屋がありますけど、それに匹敵する石垣を有しているのにこっちは全く無名…。

横から見てみても感激ひとしお。陰影が良く出て、影となった部分と日が当たっている部分のコントラストがハッキリすると
隅部の直角具合がより際立ちます。でも(陣屋の来歴からすると)作られたのは江戸時代後期なので
算木積み(石垣隅部の強度を増す為に長方形の石を左右互い違いに積む技法)とかにはなってなくて
戦国〜近世城郭の普請とは年代的乖離が明らか。それなのにこれだけの完成度ってスゴくない?
断片的とは言え見事な石垣を堪能し、海老陣屋に感激。しかしまだまだ時間には余裕があるので
より一層“三河の奥地へ”行ってみる事に。このルートの先には、公園化された城跡があるから、そこへ!

|
田峯(だみね)城跡
駐車場までの道が物凄く狭くて急坂なので、登っていくのが
大変なんですが、車を停めてから歩くや否や、目の前に立派な切岸。
その上には御殿の屋根。この城跡、見学するのが「有料の」公園に
なっているのですが、お金を払うだけあって、居館や物見櫓など
きちんと手入れされた“城の構造物”が建てられています。
|

|

|
田峯城跡 御殿内部
と言っても、御殿の中には総畳敷きの部屋があったり(戦国期の居館は基本的に板敷き)
装飾品の中には、戦国時代と言うよりも平安期の寝殿造り?みたいなものがあったりで
ちょーっと時代考証がチグハグに思える所もあるんですけれど、でもこの建物
地域の公会堂などとしても使われているそうなので、現代の実用面も考慮し
こうなっている…のかな?と思えば、まぁ良しとしませうwww
|

|
考証が甘いと言うのは置いといて、むしろこれらの建物は
史料に基づいた正確な復元「ではなく」、城跡の雰囲気を感じる
模擬建築物だからこそ、自由に立ち入る事ができます。
そして有料施設だから常に維持管理され、腐食や倒壊の
危険とは無縁。だから物見櫓の上にだって登れます。
御殿の屋根を見下ろしたり、豊川の流れを遠望したり…。
|

|
近年、木造復元建築が耐用年数を過ぎて腐食し、「危険だから立ち入り禁止」とか「維持できないので取り壊し」なんて例が
あちこちの城で頻出しているのですが、それに比べれば田峯城は「継続される城跡公園」の一例として、注目すべきなのかもしれません。
田峯から国道473号線を西へ。途中から国道420号線に入り、もっと西へ。
やって来たのは伝統的な街並みの残る足助(あすけ)集落。何でここまで来たかと言うと、街並みを見るのも勿論ですが

|
城跡公園足助城
と言う名で公園化されている足助真弓山城跡があるから。
田峯城に続き、こちらも“再現された”戦国城郭の公園です。
田峯城と同じく有料、そして同じように駐車場から目の前にこの切岸。
城好きとしては、この切岸だけでテンション上がります!
うわーい!戦国の山城だぁ〜♪ \(^o^)/
|

|
真弓山城の復元建築物
田峯城と違うのは、復元された建物がきちんとした考証に基づいて作られている点。
茅葺や柿(こけら)葺き、武骨な木材をそのまま使った建物ですし
戦国時代に作られた様式に従い、建物の規模も発掘の結果に忠実。
本格的な建物なので、これまたテンション上がります!
うわーい!戦国の山城だぁ〜♪ \(^o^)/
|

|

竃、囲炉裏、厩、物見…。
どれもこれも、当時を想像させてくれる
リアルな戦国の建物(だと思う)です。
眼下には足助の街が。高〜い!
|
|

|
初秋の山城。空気が澄んでいます。徐々に西日の時間となってきました。 
そして山を下りてきて、足助の街並みも散策。「うだつ」が上がっていたり、大きな蔵造りの建物があったりで美麗。
通りの彼方に、先程の山城(の櫓)が!
やっぱ古い街並みって良いね〜★
足助陣屋跡
この通りの近くに、足助陣屋の跡地も。現在では
空き地となっている(再整備するのかな?)場所ですが
この当時は愛知県足助農林振興センターが建ってました。
時の流れがゆっくりした足助の街ですが、ここはちょっとばかり
時間のサイクルが早回しになっているようですね。
|

|
さて、足助と言えば古い街並みの他に有名な観光名所がもう1つ。
町へと注ぎ込む巴川の流れが作り出す渓流・香嵐渓(こうらんけい)です。
香嵐渓は飯盛山と言う小山を回り込むように流れているので、この山に登ってみました。

飯盛山の山頂にて
陽が傾いてきて、山登りするにはちょっとヤバい?時刻になってきたのですが
とりあえず、山頂までは無事に到着。木立の下には足助陣屋跡の
愛知県足助農林振興センターが見えます。小山だと思っていたんだけど
こうして見ると、結構高いのね (^ ^;全然そんなつもり無かったw
そして何気にここは足助飯盛山城の跡だったりします(汗)
|

|

|
三州足助屋敷 長屋門
山を下りてきたら、香積寺と言う立派なお寺に出ました。
どれもこれも絵になる、風情のあるお寺だったんですが
その山門の下には、三州足助屋敷と言う観光施設も。
個人的に気になったのが、その長屋門。
これ、煙取りがダブルであってかなりイカついw
|

|
宵闇の香嵐渓
赤い欄干の待月橋に灯りが点り
巴川の水面にそれが映ります。
日が暮れて徐々に色が消えていく時刻、
もみじの緑が残された最後の一瞬は
後ろの旅館に照明が入り、楽しい夜が
始まるタイミングでもありました。
|

|
この緑の葉が、もう少し季節が進むと赤や黄色に彩られるんでしょうね。
香嵐渓は紅葉の名所でもあります。
紅葉にはまだ早いけど、赤い彼岸花と緑の木々、それに旅館の灯りを撮るのも乙なものと思い
色が残っていたギリギリの時間を有効に使うべく、慌てて車から三脚を取り出して長時間露光を実行。

ほのかな風に揺れる枝と、耐えて動かない枝。全部がブレる訳では無く、局所的なブレが偶然写り、なかなか面白い写真に。

夜景撮影って面白いもので、ついつい時間を忘れて撮り続けてしまう。
気が付けば木々は暗闇に沈み、その代わりに夜空に輝く星が現れてきました。
街灯の明かり、水面に映る照明がこれだけ眩しいのに、星空は負けずにしっかり映るので…
あれ?これってこのまま天体写真が撮れるんじゃね?と気づいてしまいました。
町の明かりが過剰な場所だと星は全然撮れないものですが、香嵐渓なら満天の星空が狙える!
そんな訳で、河原の真上にレンズを向けて(ほぼ天頂狙い)撮ってみたのがこちら!

横長の二等辺三角形が見えますでしょうか?夏の大三角形です。
画像上部(やや左寄り)にある明るい星が琴座のベガ、その下にあるのが白鳥座のデネブ、
右端にあるのが鷲座のアルタイル。この3つを繋ぐと三角形になりますよね。
デネブの左側(画像のほぼ端)に横切る線は人工衛星の軌跡です(拡大すると見えます)。
ベガのあたりが薄っすら霞んでいるのは薄雲ですが(それでもベガがハッキリ見える)
デネブ〜アルタイルの近辺が明るい帯になっているのは天の川。
香嵐渓、天の川がきちんと見えるとは相当に観測条件の良い場所だ!
で、タダでさえ夜景撮影でのんびりして帰りそびれたのに天体撮影まで面白がってやっていたから
帰宅したのは自ずとそれなりに遅くなってしまい…おかしいなぁ、二俣城の現説を聞いて軽く終わらせる程度の日程だったのに?!(爆)
ところで。
後日(数年後)再び海老陣屋のあたりまで行く機会があり立ち寄ったのですが、あの見事な石垣がどこにも見当たらす。
あれ?場所間違えたか?いやそんなに分かりづらい所では無い筈なんだけど…と悩んだ事しきり。
改めて調べてみると―――案の定、新道敷設によってあの石垣は撤去されてしまったようでございます (T-T)

|
Googleストリートビュー 2013年10月の画像がこちら。
中央に陣取る電柱の向こう側に、件の石垣が健在。
ですが、県道工事がその電柱の所まで迫っており
手前側は既に法面が新しい壁面に置き換わっております。
と言うか、上から見えていた新道の工事って
こんなに近い場所まで来てたんだ…(大汗)
|

|
Googleストリートビュー 2023年7月の画像がこちら。
すっかり新道が貫通し、鳥居があるので社だけは残っているようですが
周辺の石垣は(維持できなかったのでしょう)全く消え去ってしまいました。
でも、お社が残せたんだから石垣だって残せたような気がするんだけどなぁ。
あぁ勿体ない勿体ない勿体ない…(怨)
こんなに立派な石垣を持つ陣屋、そうそう無いのに (▼▼メ
|
◆◇◆ 掘り出され 石垣還る 名城と 消えた陣屋に 対比の旅路 ◆◇◆
|
|