2010年2月 常総縦断
旅行期間:2010年2月20日(土)
主な滞在地
2月20日(土):守谷市〜常総市〜坂東市〜結城市〜小山市内諸城館

温暖な渥美半島へ行ったばかりだと云うのに
今度は北関東の方へ行ってみようかと思い立ち、
寒さ厳しいのを覚悟しつつ、常総方面へと出発した2月の20日。
この辺りはなかなか行く機会が無かったので、城攻めの空白地になっていた訳で。
それでいて歴史に名高い名城もあったりして、是非行っておかねば!という妙な使命感もありw
いざ早朝から車を飛ばし、常磐道を谷和原ICまでひた走りました。
谷和原ICに程近い住宅街の中にあるのが守谷城址公園。
守谷駅の裏側にある静かな森ですね。朝霧が薄っすらと立ち込める公園は
早朝の厳かな雰囲気に包まれていて…

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守谷城址公園
朝日に照らされた公園…。
静かで幻想的です。
2月ですが、それほど極寒でもなく
城めぐりにはありがたい日和です。
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城跡は写真にある奥の山なんですが、そこに足を踏み入れると
堀がザクザク切り込まれていて、なかなかエッジの利いた(?)造形美。
曲輪の形状や繋がりも分かり易いし、これは見やすい城跡だなと。
城の裏側は現在野原になっているんですが、往時はここが入江になっていて
船も出入り出来るようになっていたそうで、水城としての機能もあって
上手い具合に作り込まれた堅城だったのかな〜?良い城だ!
守谷から国道294号線を北上。常総市に入り、小貝川の土手上を目指します。
何で土手の上?とお思いでしょうが、そこに豊田城の城址碑があるからです(笑)
豊田城と言うと、まるで江戸城天守にも負けない巨大なインチキ模擬天守の
地域交流センターが有名なんですけど、それではなくて「本当に城があった場所」がこの土手上。
とは言え、河川改修で巨大な堤防が作られた所ですから
遺構なんて物は全く無く、その城址碑がある事だけが城跡としての証明…。
そこから石下の市街地へ転じ、今度は神社になっている石毛城を攻略。
これまた、それほど明確な遺構がある訳では無くて立派な由緒の石碑がある位です。
ま、とりあえずこういう位置関係でいくつも城があったと言う距離感は実感。
石下の町から、今度は西へ。そう、目指すは坂東の名城・逆井(さかさい)城!
ここは再現された戦国時代の櫓や門が建てられた綺麗な城址公園で、TV番組のロケなどでも使われる有名処。
しかも後北条氏の軍役史料にも名が残る、由緒ある城でして、後北条スキーの拙者としては
必須の城址でありますな。まぁ以前にも行った事のある城ですが、改めてじっくりと見直してみると
やっぱりお見事!ため息の出るような素晴らしさでして…。

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逆井城址公園
池には未だに水が。
この池の底が小田原城に続いているとかいないとか…。
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写真左:
曲輪の形は直線&直角!
如何にも後北条氏の作り方…
写真右:
井楼櫓に登ってみると
実に高い!いい見晴らしだ〜!
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復元された櫓から真下を見れば
堀を渡る橋が丸見え…これは
敵が攻め寄せてきても簡単に
撃ち倒す事が出来るという構造だと
よく分かります。こういうのが
復元建築の意味合いというものですな。
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で、これが復元された物見櫓。
威風堂々、戦国時代の櫓としては
非常に良く出来た質感ですね。
もちろん木造、壁も土壁。
リアルに当時の工法を用いてます。
その分、維持管理も大変そうですがw
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御殿建築(居館)も再建され
そこには枯山水の庭園が…。
でも、こうして写真にしてみると
物見櫓が借景になるという
物々しくてアンバランスな絵面(笑)
でも、戦国の居館って
実際こうだった訳だよねぇ。
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逆井を出発し、再び北上。国道125号線の菅谷(すげのや)十字路交差点を跨ぎつつ
「菅谷って言うと、小田氏家臣のアレ?」とか思いながら走ると(←歴史分からん人には何の事やらw)
茨城県道20号線は結城市内に突入。程なく「山川不動尊」の道案内が出て来たので
「確か次の目的地はそんな感じのお寺だったよなぁ?」と案内に従って左折。
で、行ってみたけど全然城の雰囲気が無い。よくよく調べ直したら山川不動尊ではなく
目的地にしていたのは東持寺というお寺でして、すっかりダマされた(←勝手に間違えただけやん)
改めて東持寺に向かおうとしたら、さらに道案内「水野忠邦の墓」だと?
水野忠邦って、あの水野忠邦?天保の改革だよね??こんな所に墓があるの???と
俄然興味が出てきて、ちょっとそこへ寄り道してみる事に。
然して水野家の墓地に行ってみれば―――

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茨城県史跡 水野忠邦墓
墓石はとても大きくて立派なんですが、そこに書かれている名は
「濱松城主 從四位下 侍從 越前守 源朝臣之墓」…。
普通、大名ならば戒名とかを刻んで「●●院殿▼▼大居士」とか
書かれる筈なんですが、そうした贈名は全く無し。ましてや、
「水野忠邦」という俗名でさえ書かれてない。そもそも
水野家歴代の墓地という由緒ある場所なのに、畑のド真ん中に
それなりの囲いも礼拝施設もなく、寺も何にもない全くの荒れ野原…。
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水野家初代・忠元から11代・忠邦までの墓所であるこの場所は、元々はきちんとした
万松(ばんしょう)寺という寺があったそうですが、江戸時代の終わりに大火が襲い
それっきり廃寺になってしまったとの事。廃寺になったとは言え、仮にも譜代大名の
墓所がこんな荒れようと言うのは…ちょっと驚愕。
だって普通、大名家の墓所と言ったら霊廟が建っていたり、そこまで豪勢じゃないにしても
きちんと歴史遺産として維持管理されているものなのに、こんな野晒し状態とは…。
“あの”吉良上野介でさえ、ちゃんとしたお寺の中に墓所があるんですよ?
思うに、強権の老中として天保の改革を断行し、挙句に失敗した忠邦は
老中罷免時に江戸の町民から屋敷を襲撃されたという程、恨みを買って(しまって)いた為
寺が火事になったと言うのももしかして?
廃寺になったと言うのも、予定通りの筋書き?
子孫も忠邦の事績に関しては大きな声で語る事が憚られ、何も出来ずに放置?と
色々な憶測が考えられそうな気配。庶民や諸大名を敵に回した忠邦と言う人、
ちょっと遣り過ぎたのは確かだけど、死んでまでこの仕打ちはちょっと哀れな気がします。
そんな水野忠邦、辞世の句は
■汲みてこそ 昔も偲べ 往く川の かえらぬ水に うかぶ月かげ■
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何と言うか…、悲哀に満ちていると感じるのは私だけ?
で、改めて東持寺―――山川氏館に行ってみると
これがなかなかに良い土塁&堀!お寺の周りをぐるっと囲んでいます。
しかも結構大きいぞ!方形居館としては十分な広さに関心。
続いて更に北上、結城市の中心部に近づいてきたあたりには城ノ内(しろのうち)遺跡とも呼ばれる
結城朝光館がありますけど、こちらも綺麗な方形居館。うっすらとですが、土塁と堀が見受けられます。
しかしまぁ、こういう風にしてあっちこっちに武士の館がある訳ですな、常総の地には。
さて水戸線の線路を越え、結城市街地を通過して北の外れ辺りまでやって来ると
本日一番の目的地、結城城があります。結城合戦、教科書で習いましたよね?ね??
史上名高い、その結城合戦の舞台となった城、今まで行った事が無かったんで
是非行ってみたかったんですわね。しかしまぁ、住宅街の中にある公園になってるんで
あんまり目立った遺構は無いのかなぁ…と思ったんですけど
城の裏側に来たら一変!周りは見事に絶壁、あたりの田圃はガーンと落ち込んだ地形で
ここが台地の“キワ”であった事が良く分かりました。

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結城市史跡 結城城跡
城跡から見た風景、城の周りは
10mほど低い地形ばかりで、ここだけが
周囲から一段高い場所だった事が分かります。
室町時代の兵装じゃ、ここを落とすのは
なかなか難しかったんでしょうねぇ。
彼方には筑波山の峰が見えますね〜★
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一番メインになる城跡も無事に見学できたので、後は帰る感じになるんですけど
時刻は15時、まだ余裕がある時間帯です。じゃ、このまま足を延ばして栃木県へ!
下総国から下野国に入る事にしてみます。結城市の隣は小山市、これも古城の多い
鎌倉武士に所縁の多い土地ですから。で、まず手始めに訪れたのが手近にあった中久喜城跡。
JR水戸線の線路沿いにある古城址です。民家の裏手のガサ藪の中、あまり状態の良くない城跡ですが
それでも土塁や堀らしき跡は見受けられます。更に小山市街地に突入していくと
思川の河畔にある台地を使った祇園城、続けて鷲城を攻略。
どちらも台地の内部をザクザクと堀で断ち切って、曲輪を重ねている城郭。
良い感じで見応えがありましたねぇ! (^-^)
2つとも“小山城”と呼ばれる事のある祇園城と鷲城を見ていたら
流石にもう日暮れの時刻が近づいて来ました。でも何とか、もう1箇所くらい見たい!
帰路の東北自動車道を目指しつつ、栃木市に入った所にある永野川沿いに
小さな城跡があるので、そこへ急行したんですが…あれ?どこだ?
場所的に神社があるあたりかな?と思ったけれども違う。
陽が暮れてしまってどんどん暗くなってきて、探すのも難しい。
今ほど気軽にスマホで検索とか出来る時代じゃなかったんでねぇ(苦笑)
たまたま通りがかった地域の方に訊いてみたら、もう少し北の方に古城の城址碑があるらしく
何とかそっちへ行ってみて、でも何だか良く分からなくて、ホントにこっちなのかと
焦って来た所で発見!間違いなく榎本城跡の石碑だ!
いやーもう完全に真っ暗になってしまって、車のヘッドライトで照らして
何とか石碑だけは写真に収めたけど、これ以上は撮れる状態じゃないねぇ。
でも目で見る分には、確かに見事な堀と土塁!凄い!!!
暗くてもハッキリ分かる堀跡に関心しましたが、これは改めて明るい時に見直したいねぇ。
ってな訳で、これで本日のスケジュールは終了〜!
国道50号線を西へ進み、佐野ICから高速に乗って帰宅しました。
最後はかなり焦りましたが、常総の名城を総ざらいで見た旅は満足できるものでした!
◆◇◆ 古兵(つわもの)が 拓きし原野の 城往かば 時の欠片を 目に焼き付けて ◆◇◆
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