2010年2月 渥美半島遠征
旅行期間:2010年2月13日(土)
主な滞在地
2月13日(土):岡崎市〜幸田町〜西尾市〜蒲郡市内諸城郭・田原城・伊良湖岬

「岡崎城で新しく櫓を復元し、完成間近」と聞きつけた事から、
そう言えば三河国ってそれほど攻略してないなぁ、と思い返し
居ても立っても居られなくなり、夜明け前に家を飛び出した冬の週末。
朝からいそいそと岡崎の町をうろつき始めました!
まずは手始めにこの陣屋から…
西大平藩陣屋 復元門
こちら、西大平藩陣屋。
名奉行として有名な大岡越前こと
大岡忠相を藩祖とする陣屋です。
拙者の住む茅ヶ崎が大岡家の本領、
こちらは分知の陣屋でして…
|

|
大岡家の縁があって、岡崎市と茅ヶ崎市は「ゆかりのまち(友好都市)」となってます。
茅ヶ崎市民が岡崎市を訪れるならば、まずこちらに詣でなければ…(そうなのか?)
#実を言うと、復元されているのは門だけで敷地の中は空っぽなんですがね(爆)
大平には一里塚も。民家の合間に佇む土塚、静かです…。

|
国史跡 大平一里塚
江戸・日本橋から80里の一里塚。
本当は街道を挟んで南北に塚が
あったんですが、昭和初期に道路
改修で北の塚は壊され、残るは
南の塚だけ。ちなみに、茅ヶ崎も
一里塚が残ってますよ〜!
|
で、岡崎城ですが。早朝にはまだ誰も居らず、静寂の時。
そんな城内には花時計があったり、銅像がいくつもあったり…。
 岡崎城内は銅像がいっぱい!
 しかみ像を立体化するって、キョーレツw
本多忠勝やっぱり格好えぇ〜!!! (><)
岡崎城 復元天守
で、岡崎城の天守。
正面(南側)から撮ろうとすると
目の前に松の木が2本立っていて
なかなか撮りにくいと不評なんで
今回、敢えて裏側(北側)から撮影。
まぁこのアングルも木々の隙間を
狙って熟考の構図なんですが(苦笑)
|

|
足早に城内を一周し、岡崎公園の外側へ。
城門を模した公園正門からちょっと歩き、公園駐車場の端に
新しく建てられた東隅櫓が朝の陽に浮かび…?

岡崎城 復元東隅櫓
見た目にはほぼほぼ完成している感じですが
いや、実はまだバリバリ工事中(爆)
周囲は工事用フェンスで囲われ、近づく事も出来ませんが
フェンスの上にカメラを突き上げて撮ってみました。
こういう時、バリアングルは非常に便利!D5000万歳〜♪(何だそりゃw)
さて、早々に復元櫓を見終わってしまったので
この後は三河の面白そうな城館を手当たり次第に攻略したいと思います。
岡崎の町から南へ下り、幸田町へ突撃。この辺りは“三河武士”の館が色々揃ってます。
あ、三河武士というのは徳川家康が地方の一大名から天下の将軍へと成長していく間
艱難辛苦に耐えながら主君を支え続けた忠義の家臣団を例えた称号(?)
で、まず訪れたのは大久保氏陣屋。三河武士の代名詞と言える「天下の御意見番」こと
大久保彦左衛門忠教(ただたか)の屋敷跡でございます。

|
大久保氏陣屋 石垣遺構
陣屋址は今や神社になってますけど
その敷地を囲うように、石垣が。
「え、石垣って言うよりタダの石の列でしょ?」と
お思いでしょうが、史跡の遺構ってこういう僅かな物。
こうした微かな痕跡を探すのが、宝探しのようで
史跡めぐりの醍醐味なんですよー! (^^;
|
三河武士の館を訪れるなら、何を差し置いても先ずは大久保彦左衛門さんでしょ!
大岡越前に続き、講談の有名人を立て続けにお宅訪問して大興奮〜♪ (^-^)
#近くに「彦左公園」という公園がありますけれど、そこではないのでご注意を。
この後、平岩さん家の坂崎古城・天野さん家の坂崎城・高力(こうりき)さん家の高力城と
御近所さんを次々と回って行きます。回覧板回してるみたい(何だそりゃw(再び))
今度は幸田町から西へ向かい、西尾市内へ。
訪れたのは黄金堤(こがねづつみ)。ここは江戸時代、吉良上野介が堤防を築き
領民を水害から守ったという謂れのある堤防です。が、その脇を見てみると…

|
鎧ヶ淵(よろいがふち)古戦場
何と、戦国時代の古戦場だとか!
当時、この辺りは深い崖に囲まれた
湿地帯で、敵に敗れて沼に沈んだ兵の
鎧や武具が後に度々引き上げられた為
鎧ヶ淵と呼ばれるようになったとか。
|
まぁ要するに、この場所は常に水はけが悪く川の水が溢れるような位置だったと言う事ですな。
そんな所を改善すべく、洪水を防ぐ堤を作った吉良上野介。え、吉良上野介?
そう、忠臣蔵で「日本人全ての仇」の様に印象付けられているあの上野介さんです!

|
黄金堤
よくよく考えれば、浅野内匠頭がキレて襲われた挙句
浪士から仇と狙われ、屋敷に押し入られ殺されてしまった
悲劇の人、吉良上野介さん。内匠頭に意地悪をしたと云うのは
ぜ〜んぶ話の筋書きとして作られたフィクションですから
むしろ「日本最大の不幸人」なんじゃないでしょうか…。
堤の前には、上野介さんを讃える銅像があります。
|
吉良の殿様は領民を水害から守り、その恩恵で豊穣の実りを手にする事ができるようになった為
この堤防は値千金、「黄金堤」と呼ばれるようになったそうで。上野介さんは今でも現地では
素晴らしい名君として称えられております。
それにしても、大岡越前・大久保彦左と来て吉良上野介まで!
今回の旅は有名人オンパレードだなぁ(笑)
オイラは断然、吉良派。アンチ浅野なので、ここまで来たら上野介さんのお墓参りをしようかと。
で、吉良家の菩提寺にもやって来ました。西尾市内…と言うか、合併前の吉良町内にある
臨済宗妙心寺派の華蔵寺(けぞうじ)です。

臨済宗片岡山華蔵寺
吉良家は鎌倉時代から続く名家。しかも足利将軍家の縁戚で
「足利が絶えれば吉良が継ぐ」とまで称された高い家格。家内での抗争もあったが
代々この地を領し、江戸時代にまで家を繋いでいた。その家柄によって徳川幕府の
儀式典礼を司るようになったのですが、例の忠臣蔵事件で…御家断絶。
浅野なんざ、同じ源氏とは言え分流の分流のそのまた分流みたいな家柄で
秀吉に取り立てられるまでは、田舎の地侍みたいなモンだったのに…(←浅野家に失礼だw)
ともあれ、上野介義央(よしひさ)さんのお墓が右の写真。
お墓の写真を載せるのもどうかとは思うんですが、まぁ史跡として御紹介させて頂きたく m(_ _)m
お寺は山を背負い、小庭園が綺麗な風情豊かな古刹です。
義央さんが治めていた岡山陣屋の跡を見学した後、続いて東条城へ。
江戸時代の陣屋が岡山陣屋である一方、戦国時代の吉良家の城が東条城でして
やはり吉良家の本領には色々と関連史跡が満載…。

|
東条城
川沿いにある小さな丘を利用した東条城。
この小山が、現代にまで綺麗に残っていて
今ではちょっとした復元建物も作られ
非常に分かり易い、良い史跡になっています。
吉良さまバンザーイ!
|
吉良の郷から南へ。三河湾に面した海沿いにも古城がありまして
寺部(てらべ)城へとやって来ました。こちらは信濃の名族・小笠原氏が国を追われ入った城。
寺部城から望む三河湾
その寺部小笠原氏、戦国時代になると
徳川家康の家臣になります。更に時代が
進み、徳川家が関東へ移ると小笠原氏も
関東へ。しかも小笠原氏は南の海への
進出を狙って探検隊を派遣、これが
小笠原諸島の発見に繋がる訳です。
|

|
信濃の山から出て来た小笠原氏は、実は海と切っても切れない仲に。
そんな小笠原さんの城からも、三河湾が綺麗に見えます〜!
あ、「小笠原諸島」の名は当然ながら小笠原さんが由来です。

|
形原城跡
今度は三河湾沿いに東へ。やってきたのは
形原(かたはら)城。こちらも海の間近にある
小山なんですが、すっかり神社の境内に。
赤い鳥居がいくつも並んで、ちょっと絵になる情景。
そして…逆光は勝利!(by 鳥坂センパイ)
この後、蒲形陣屋を経て更に東へ進みます。
|
伊奈城跡
蒲郡市から豊川市へ。こちらは新幹線の
線路沿いにある静かな城跡、伊奈城跡。
伊奈と言うから、後の関東代官で有名な
伊奈氏の城なのかと思ってたら、実は
本多家の城なんだそうで。騙されたw
崩れかけた土塁、歴史を感じます。
|

|
豊川市内、伊奈城の近くにある糟塚(かすづか)砦を通りつつ、この先は渥美半島の方へ行こうかと。
今まで渥美半島というのは未踏の地域だったもので、こういう機会でもないと行く事はないかなぁ、って。
で、午後の渋滞に巻き込まれ吉田城は完全スルーし(泣)我が愛車は国道259号線をひたすら南下!

|
田原街道にて
田原街道を走っていると、あちらこちらで
綺麗な菜ノ花畑が目に入りました。
まだ2月前半だと云うのに、すっかり満開で
鮮やかな黄色が鮮烈!やっぱり渥美半島って
暖かいんですね〜♪ (^-^)
|
さて、渥美半島の有名な城と言えば田原城。
わざわざ半島の先まで周って来たのは、この城を見る為です。
田原と言えば江戸時代の学識者・渡辺崋山でも有名ですよね。
城の傍には崋山を祀る崋山神社も鎮座していて、歴史の町という雰囲気が漂います。
田原城跡 模擬櫓
城には門や櫓が再建されてますが
あまり史実を踏襲していないらしく
城マニアからは評価の低い田原城。
でも町の中に跡地が綺麗に残されて
個人的には好感が持てましたねぇ。
|

|

|
田原城にて
櫓の軒先には紅梅の花。
厳冬の季節を想像させる
梅の花ですけど、菜ノ花と
同時に咲いていると、何だか
梅の花にも温もりを感じます。
|
ここまで来たんだから、どうせなら半島の突端まで行ってみようと思い
この先は城と関係なしに、景色を眺めるためのドライブを。で、やって来たのは伊良湖岬。
渥美半島の最西端です。ここからは伊勢湾を挟んで三重県の鳥羽までフェリーが運航しています。


|
伊良湖港にて
フェリー乗り場には乗船待ちの長い車列。
その隣には海上保安庁のはやなみ型巡視艇
「しののめ」が。対岸の鳥羽からやってきたようです。
毎日海で働く皆様、お疲れ様です!
|
恋路ヶ浜
岬の南側は綺麗な砂浜。歌唱曲「椰子の実」は
伊良湖岬での情景を元に作詞されたそうですが
こんな風景だったのかな?
♪名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月♪
|

|

|
遠州灘
ところがまぁ、この時間になって
急に風が強くなりだして、海は荒波!
ザバザバと波が打ち付け、しぶきが舞い
とても「椰子の実」の歌唱にあるような
抒情的な雰囲気からは一転(爆)
|
伊良湖岬灯台
おかげで灯台にも波がカブり…
………
……
…
なかなか迫力ある写真が撮れたので
まぁ良しとするか (^ ^;
|

|
◆◇◆ 春近し 梅に菜ノ花 波しぶき いずこ舞い散る 豊穣の地 ◆◇◆
|
|