2006年4月 第四回全国一斉お城の日

旅行期間:2006年4月28日(金)夜半出発〜4月29日(土)

主な滞在地
4月29日(土):

苗木城址・岩村城址・明知城址
大正村界隈・落合砦跡・飯羽間城跡
第四回全国一斉お城の日行程地図




「全国一斉お城の日」とは?

全国から集まられたお城好きの皆さんが同じ日に一斉に好きなお城を巡り、
それをスレにつなげていくというものです。
当日の城攻めとして有効になりますのは当日の24時間です。(AM0:00〜PM12:00)
なお、当日お城にいけない方も皆さんのお城レポートやケータイによる
実況レポートに対して随時感想、応援を書き込んでいただいて結構です。

有名なお城、近場の小さな城跡、陣屋跡などどんなお城でも結構です。
めざせ全国制覇!!

(mixi「お城めぐりしよう!」コミュ イベントトピより抜粋転記)


という事で、当頁からもリンクさせて頂いている「城めぐドットコム」のu1さんが主催する
mixiコミュ「お城めぐりしよう!」の中で、恒例となっている企画が「全国一斉お城の日」。
要するに、この日は全国で城好きの面々がそれぞれ行ける城へ行って
その戦果をスレッドにどんどん書き連ねていくっていうイベントです。
(これがかなり盛り上がるんです)
前回の「第三回」に続いてまたもや参加した拙者でござるが
今回は地元を離れた大遠征を企画。関西在住の友人、はやま。殿と挟撃作戦を展開し
関東と関西の中間地点である美濃国を荒らしまわろうと言う事に。
前々から共同作戦をやってみたかったんで、今回ようやくそれが実現しました。
(実は「第三回」の時点で既にこの計画を立てていた次第w)
ターゲットにした東濃地方、なかなか行く機会も無い所なんで
こういうイベントでもなけりゃ、多分ずーっと行かず終いになりそうだし…(苦笑)
ってな訳で、春の連休が始まろうという4月28日の夜
仕事を終えてから一人で家を出て夜通し中央高速を走破。
目的地直前にある神坂PAで仮眠を摂り、翌朝の行軍に備えました。

明けて4月29日の朝、日がまだ昇るか昇らないかと言う時刻に行動開始し
中津川ICで国道19号線へ。はやま。殿と待ち合わせしたコンビニへ向かい
無事に合流を果たしました。さぁ、ここから城攻めの開始です!
はやま。殿の車に先導してもらい、木曽川の城山大橋を渡れば
そこはもう苗木城の敷地内。車で山を登れるところまで登り、
抜かりなくはやま。殿との共同1番槍を申告し、いざ突撃…と思ったら
いきなり、勇壮な石垣がお出迎え!! いやはや、最初っからヤられまくりです。
一歩、また一歩と進むと次々現れる石垣。これは石垣のフルコースだ!
しかも単なる石垣ではなく、山肌の巨岩をそのまま取り込んだ石垣なので
圧巻な光景をただただ口を開けて唖然と見るしかありませんでした…。
山頂の天守台から見下ろす木曽川の風景も勇壮。
凄ぇ、苗木城。凄すぎる… (><)

ちなみに、苗木城の写真は↑でリンクした大天守の頁に多数掲載したので
ここでは割愛。そちらをご覧下さ〜い! (^ ^;

再度木曽川を渡り、恵那市内を通過。阿木川の流れに沿って南下し
赴いたのは岩村の町。ここは城下町として発展した古い町並みが残り
当然、立派なお城があるわけでして。そんな訳で、尋ねたのが岩村城
これまた、石垣が見事な城として有名なんですが
まずは城山の麓、江戸時代に藩主の居館が置かれた所へ。
駐車場もあり、ゆっくりと城を見聞することができる広場は
復元された櫓や門があり、否が応にもテンションが上がるというもの。
歴史資料館があるので中を覗けば、岩村藩の栄華が偲ばれます。
岩村城址 藩主居館部
岩村城址 藩主居館部

こんな感じで、見事に復元された建物が。
近世城郭の姿が綺麗に再現されており
当時の雰囲気が良く伝わってきます。
御託抜きにして、とても美しい…。
そこからかつての城跡、つまり山の上へは徒歩で上がりました。
車で上がる事もできるようですが、登城路沿いには
様々な遺構が残されているので、じっくり見ないと勿体無い!
延々と山道を登るのは大変だ、と思われるかもしれませんが
むしろ城好きな人間にとっては、苦労ではなく感激の途ですな、この山道は。
とにかくまぁ、登るにつれ随所に見所が現れて… (^_^)
岩村城址(1)
岩村城址(2)
岩村城址(3)
岩村城址にて

山道を歩けば、次から次へと見事な遺構が。
ここ、ホントに凄いです!
そうこうしている間に、この城最大の見所と言われる六段石垣が出現!
いままで散々、良い遺構を見せられ続けた後にこれが出てくると
むしろあっけないほどあっさりとした登場に思われてしまい
「あれ?もうここまで来たの??」と拍子抜け(笑)
そうは言ってもやはり最大の見所、よくまぁこんなものを作ったもんだと
感心するやら呆れるやら…(失礼w)
結局、ここでしばらく時間を取って見物し続けましたよ (^ ^;
岩村城址 六段石垣
岩村城址 六段石垣

六段石垣を横から見てみる。こうまでして
石垣を六段にする必要あるのか?と
思わずツッコんでみたくなる(笑)
高石垣にするとか、一二三段にするとか
方法はいくらでもあると思うんだけど…なぜ六段?

岩村城本丸にて
岩村城址(4) 岩村城址(5)
六段石垣を過ぎれば、程なく山頂。つまり本丸です。
苗木に続き、東濃の名城を攻略した余韻にひたりつつ
山を下りました。で、しばし拙者の車は岩村城の駐車場に留める事にし
はやま。殿の車に便乗させてもらい、1台での移動を開始。
次の目的地は明智の町です。旧明智町、現在は恵那市の一部となった明智は
明知(「明智」に非ず)鉄道の終着点でもあります。
明知鉄道 明智駅
明知鉄道 明智駅

白地に色鮮やかな花をあしらった
明知鉄道の車両。とても綺麗です。
写真右端の電柱(しかも木造)には
昔ながらの「あけち」という
木製駅名プレートが…渋いw

そんな明智の町を見下ろすように聳える小山の頂は、
かつての明知城址。明「智」の町に、明「知」の城です。市街地をつき抜け
徒歩で登るルートがありますが、城山の裏手へ車で乗り付ければ
搦手口から割りと簡単に本丸へ至る事ができます。
という事で、ここでは時間節約のため車で登って行き、一気に本丸へ。
新緑に覆われた山は、4月下旬にして初夏の陽気を醸し出していました。
途中のコンビニで調達したお弁当を広げ、はやま。殿と2人
ここで「城跡deランチ&デザート」と洒落込みます♪ (^-^)
どうやら城跡を抜ける道がハイキングコースになっているようで
お弁当を広げるのにちょうど良いベンチがありました。

苗木、岩村が総石垣作りの城であったのに対し
この城は土作りの城。いかにも、戦国期の山城という情景です。
あたりは草木に埋もれつつ、城マニアの目で見れば
さぞかし良さそうな遺構が垣間見えそう…という雰囲気たっぷり。
食事も食べ終えて、いざ遺構見学!と思ってたら
市街地方面からの登城路を上がってくる人影が2人。
おや?城好きのお仲間が来たのかな?と思って目を遣ったんですが
―――どーにも場違いな感じの若い女性が2人やって来ました (^ ^;
見るからに、間違えて山に入った感じ。スカート姿だったしねぇ。
多分、城跡へ至るハイキングコースだからと気軽に登ってきたんでしょう。
城跡は城跡でも、ここは中世城郭。あのお嬢さんたちはきっと
天守や櫓があるような、観光できる近世城郭を想像してたんでしょうが…。
結局、そのまま何も無かったかのように通り過ぎて行かれました。
それにしても、あんな格好でよく怪我もせず山頂まで来られたもんだ。
むしろ猛者中の猛者だったのか?!?!(いや、そりゃないってw)

果敢に藪漕ぎするはやま。殿に対して、「藪は行き止まりだ」という主義の
軟弱な拙者は軽く見て回るだけでしたが
それでも、明知城の遺構は見事なもの。
ごくわずか、部分的に土留めの石垣があったり
何度も細く折れ曲がるように仕掛けられた虎口に感嘆したり。
とどめに出てきたのは、山城特有の構造物である竪堀が
連続して何本も構えられた畝状竪堀!
思わずはやま。殿と2人して「おぉー!これ凄ぇ!!」と声を上げました。
いやはや、東濃の城は石垣でも土塁でも素晴らしい…★

大正村(1)
大正村(2)
大正村(3)
大正村

左上:旧明智町役場(日本大正村役場)
右上:大正浪漫館
左下:十六銀行
明知城下、すなわち明智市街地は大正時代の建物を多く保存し
町全体を日本大正村と称した有名な観光地です。
せっかくここまで来たんだから、こういうのも見ないとね♪ (^ ^)
路地の角を曲がるごとに、古い建物が垣間見えて楽しめます。
そんな中、市街地の端っこへ至れば
大正時代どころか江戸時代から残っている風格あるお屋敷が登場。
これこそ、江戸時代に明智の町を治めた明知陣屋の址。
重厚な土蔵が、伝統を感じさせます。そんな明智の町は
江戸時代、旗本の遠山家が領した町。よって、街中には遠山氏屋敷もあります。
まぁ、屋敷址と言っても今や何も無く、敷地に昔から生えていた
桜の大木があるだけなんですがね。この桜、その名も“遠山桜”。
時代劇で良く耳にする単語ですなぁ(笑)

明智の郊外には、もう一つ城跡があるので車でそちらへ向かいます。
その名も千畳敷砦、別名で落合砦です。
現在は城の名前から採られた千畳敷公園となっており、市民の憩いの場。
展望台から下を見れば、確かに眺望抜群。明智の町が一望できます。
ここが砦跡だったというのも納得。
でも、明智光秀誕生の城と言う伝承は本当なのかなぁ…? (ー ー;ウーン
千畳敷公園からの眺め
千畳敷公園からの眺め

眼下に明智の町並み。
その向こうの山が、明知城址です。
実際の所、明知城址からよりも
こっちからの方が眺めが良い…(爆)

そろそろ夕刻、城めぐりの旅も終わりに近づきます。
岩村に置いてきた拙者の車を取りに行くべく、明智から
明知鉄道沿いに岩村へ引き返します。ちょうどこの時間、
明智発の列車が出たところで、道すがらほぼ併走状態。
のどかな単線ローカル線は、車で追いつけるスピードで走るんですな。
明知鉄道
明知鉄道

我々が明智の町を出発すると同時に
明智駅を発車した列車なんですが
途中の踏切で行き会って、その姿を撮影。
結局この列車、岩村駅にも同着でした!
そんなこんなで岩村へ帰って来た我々は、最後に岩村城下町を散策。
明智が大正の町並みならば、こちらはそのまんま江戸時代の街並みです。
城下の鍵の手、高札場、古くからの商家、どれも情景満点。
近年建てられた郵便局も、景観に配慮して同じような外観に仕立てられてます。
町の人全員がこうした努力で町を守ってるんですね。
城下町を堪能した所で、はやま。殿とはお別れしました。
ここから、あちらは関西へ
こちらは関東へと帰宅する途につきます。
国重要伝統的建造物群保存地区 岩村町本通り
国重要伝統的建造物群保存地区 岩村町本通り

正面に見える山が岩村城址。
城の真下に真っ直ぐ伸びるこの通りは
国の伝統的建造物群保存地区になっています。
味わい深い商家の軒先…いいですよねぇ。

―――とか言いつつ、単独行動になってから日没までの時間
オイラは抜け駆けでもう1城(爆)
岩村の町外れにある飯羽間城に立ち寄りました。
が、城山に登ろうとした道はどうやら先年の大雨で崩れてしまった様子。
仕方が無いので、城の周囲をぐるりと見回す事にしたんですが
いやー、絶壁やねこれは!
登城路以外、入れそうにないと言う事が良くわかりました(苦笑)
今度こそ、美濃から撤収です。中央高速に乗り、途中で仮眠を摂りながら
日が替わる直前、山梨県にある岩殿トンネルを通過。
実はここも岩殿山城跡だったりする。武田の城だけあって
金掘攻めでの攻略か?!(笑)その後も帰宅する道すがら
厚木市郊外の荻野山中陣屋の前を通ったんですが
これはもう「お城の日」が終わった後なので、ノーカウント。
なんだかまぁ、色々と動き回った1日でしたが
とりあえず今回ははやま。殿と共同で1番槍の称号をゲットしました〜★

余談ですが…。
この日、関東の城コミュメンバーは共同で房総半島の城をめぐったそうですが
全身ずぶ濡れになるほどの大雨だったとの事。一方、オイラが向かった美濃は
真っ青な空が気持ちよい最高のお天気!
どうやら、晴れ男のオイラが居なくなった関東は荒れ模様で
オイラが向かった場所には、快晴が憑いて来た様子。
いやー、我ながら恐ろしいまでの晴れ男っぷりだ (^ ^;;;


◆◇◆ 美しき 山に野原に 町並みに 集う友との 濃い城めぐり ◆◇◆




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