2005年9月 愛・地球博(2)

明くる朝は小雨模様。霧の立ち込める鈴鹿山地は何とも幻想的な眺め…。
嫁さんと子供はまだ寝てる頃、ひとり“朝駆け”をすべく部屋を抜け出し
向かった先は宿のすぐ裏手にある正法寺山荘
この地方の実力者・関氏の居館として築かれた山荘ですが、
今やすっかり草木に埋もれた侘びしい場所。でもそれだけに
雨露に濡れた草原が何とも言えない情緒を醸し出し…。
普通、雨の日に山城へ行くもんじゃないんですが
ここは逆にこの天気くらいで丁度良かったような気もします。

さて、朝食をとった後に宿を出発。関宿と言えばかつての宿場町。
今もなお、その風情を残した町並みが残っています。
国重要伝統的建造物群保存地区 関宿
国重要伝統的建造物群保存地区 関宿

そんなこんなで、ど〜ん!
これまた、雨がそぼ降るからこそ
詫び寂びを感じさせる情景になってました。
で、関宿の町並みを抜けてやって来たのは伊勢亀山城
三重県内唯一の現存城郭建築物である多聞櫓が鎮座しています。
(まぁ、色々と改変うけてたりするんですがw)
高石垣の上に聳える櫓は、まぁ見事だこと!
あまり時間がないので軽く見流しただけでしたが、
この石垣&櫓の配置だけでも、かなり立派な城だった事は伺えましたね。

さて、今日のメインは伊賀上野。名阪国道を使って西へ向かいます。
ひたすら山続きの道を進む事小一時間ほどで上野の市街地に到着しました。
周囲を山で囲まれた盆地の伊賀は、それだけで堅牢な城郭と比喩され
大阪や京都といった大都市に近いにも関わらず、一線を画しています。
現在も、上野の町並みは大都会とは違った趣が残り…
松尾芭蕉旧宅
松尾芭蕉旧宅

こんな重要な建物が、普通に残ってる (^ ^;
特に目立つ高層ビルなどもなく、至ってのどかな地方都市といった上野は
その中心に伊賀上野城を擁しています。
もともと、秀吉の命によって筒井氏が築いたこの城は
江戸時代になってから、“築城の神様”藤堂高虎が大改修。
昭和に復興された模擬天守も良いのですが、何と言っても
伊賀上野城の見所といえば、高虎公が築いた高石垣でしょう!
伊賀上野城 高石垣
伊賀上野城 高石垣

めっちゃ高いッスよ、この石垣… (><)
いやはや、あまりにも高い石垣なんですが
その縁には手すりも柵もなく、近づき放題(汗)
高所恐怖症の方は…当然近づかないでしょうが
そうでなくても、節度を持って立ち入りましょう(お前が言うなw)
伊賀上野城 筒井古城から天守を望む
伊賀上野城 筒井古城から天守を望む

筒井氏時代の古城も、高虎公の手によって改修され
本丸東部を守る要衝となっております。
ここから見る天守、なかなか絵になります★
(だから手すりが無いんだってば…)
城内をぐるりと見て廻り、城の北側へ抜ければ
そこには松尾芭蕉を讃える俳聖殿がど〜んと建ち
さらに向こうには、伊賀忍者の解説施設があったりします。
忍者の館、なかなか興味深かったですよ。
皆さんも伊賀上野へ行かれた際には
上野城内の奥にあるこの施設を見学なさるのが良いかと思います。
俳聖殿
俳聖殿

何だか「キノコ頭」な建物(笑)
ともあれ、松尾芭蕉を知らないという方は居ない筈。
“俳句の旅”と称して日本全国を
驚異的な速度で歩き回った俳聖は
ホントは伊賀の忍者だったんでしょうか…?

城をひと通り見学したら、上野市内を離れます。
市街地南側へと抜け、ぐるりと廻りながら伊勢湾岸へ出るつもりなんですが
その途上、見つけたのがこれ↓
県史跡 鍵屋の辻
県史跡 鍵屋の辻

日本三大仇討ちの一つとして知られる「鍵屋の辻」の地。
弟・渡辺源太夫を殺された兄・数馬は
主君である岡山藩主・池田忠雄に命じられ
仇敵・河合又五郎を討つ仇討ちの旅に出る。
義兄であり剣豪として知られた
荒木又右衛門保知の助力を得て、
ここ伊賀越路の辻道で又五郎を
見つけ出した数馬は、激闘数時間の後
見事に本懐を遂げ、敵討ちを成し遂げた。
ちなみに、三大仇討ちの残り二つは
鎌倉時代の曽我兄弟物語と
講談として有名な忠臣蔵でござるな。
忍者電車
忍者電車

そして上野市駅で見た電車は忍者電車…。
しかも作画は松本零士御大…。
色々な方面からマニア垂涎の車両…かも? (^ ^;
三重県道56号線を東へ下っていくと、喰代(ほおじろ)集落へ。
かつて、伊賀の在地武士達が数多の独立居館を構え
戦国の世に各々が自衛して生活していた場所ですな、ここは。
こうした武士達が、戦闘技能に特化したのが
いわゆる「伊賀忍者」のルーツ。という事は、これらの武家居館は
忍者屋敷と呼んでも良いような城館群でして、一説に拠れば
伊賀市内には200を超える数を擁したとか…。その中でも特に有名なのが
百地(ももち)丹波屋敷。百地家と言えば、服部家・藤林家と並んだ
“伊賀上忍三家”の家柄。要するにここは伊賀忍者の親玉の屋敷って訳。
周囲を土塁で囲んだ居館は、確かに
ちょっとした城砦として機能した様子が見て取れる。
これは(マニア的には)オススメの場所ですなぁ!

長野峠を越え、県道28号線を経て再び津市へ。
その途上、軽く草生(くさわ)城もチェック(笑)
然る後、国道23号線を北上して愛知県入りを目指します。
四日市市内で羽津(はづ)城にも立ち寄り、
(ホントはもっと色々行くつもりだったんだが、さすがに時間が無いw)
何とか粘って柿城まで見た所で三重県終了。
と言っても、実は時刻はまだ夕刻3時過ぎ。日暮れまで頑張れば
もっと他にも見られるんだけど、それをやらなかったのは
翌日いよいよ万博に突撃するため、会場周辺の下見をしておこうと思ったから。
三重県を脱したかすこば一家は、一気に豊田市まで車を進め
愛知環状鉄道の万博八草駅の状況を確認。ここは乗換駅なので
どういう状態なのか、予め見ておいたほうが良いだろうと思ってたんです。
何せ、次の日は車ではなく列車で万博会場へ向かう予定だったので。
そんなこんなで、強行軍のかすこばにしては割合早めに豊田市内の宿へ到着。
じっくりと明日への鋭気を養ったのでござりまする〜♪




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