2005年9月 愛・地球博

旅行期間:2005年9月3日(土)夜半出発〜9月7日(水)

主な滞在地
9月3日(土):刈谷ハイウェイオアシス
9月4日(日):二見ヶ浦・伊勢神宮・松阪周辺・津
9月5日(月):関宿・伊勢亀山城・伊賀上野
9月6日(火):愛知万博
9月7日(水):豊田周辺
愛・地球博行程地図


前回の「新世紀名古屋城博」に続き、またもや名古屋遠征!
この年、日本中を湧かせたビッグイベント「愛・地球博(愛知万博)」を
見物しに行くのであります。愛知万博の凄さは前年から耳にしていて
これはもう絶対見に行こう!と決定、前々からチケットを確保し
会期終了目前の9月初旬、仕事の夏休みをとっていざ出陣!!という運びに。
とは言え、拙者が出かけるのだから万博だけで終わらせる筈は無く
三重県にも足を伸ばす予定で我が家を発ったのでありました。

例にして例の如く、拙者の行軍は夜間移動が定番。
土曜の夜、日が沈んだ後の涼しい時間を見計らい東名高速に。
そこから途中何度か休憩を交えつつ、静岡県そして愛知県へ。
岡崎市近辺に来た頃から、FMラジオのチューニングを変えると
万博開催中限定で開設されていた万博ラジオ「FM LovEarth」が入るように。
これがなかなかオシャレな内容で心地よく、旅行中ずっと聴くように (^-^)b
時刻は夜の10時半、刈谷のハイウェイオアシスに到着し
建物の綺麗な電飾に目を奪われていたところ…
伊勢湾岸道 刈谷PA
伊勢湾岸道 刈谷PA

綺麗だな、と思ってシャッターを切った瞬間
電飾の電源が落ちて真っ暗に!
どうやら営業終了後、
最後の一瞬を撮影したようです (^ ^;
その後も高速を走り続け、仮眠を摂るため車を止めたのが
伊勢道の多気PA。ちょうどこのあたりでFM LovEarthが入らなくなった。
愛知県からの電波が届かなくなる地点だったようで(苦笑)
場所的にもラジオ的にもキリが良い所で、夜明けまで休憩…zzz

―――で、寝過ごした(爆)
ホントは朝5時くらい、陽が登る前に出発しようと思ったのに
気がつけば既に5時半過ぎ、外は明るくなっておりました(汗)
まぁ、予定が多少遅れたとて何ら問題は無いんだけど
慌てて車を出しましたよ、えぇ。
で、向かったのは二見浦。それってどこ?と仰る方も居るかと思いますが
とりあえずこの写真をご覧頂ければ、お分かりになるかと…。
国名勝 二見浦
国名勝 二見浦

“夫婦岩”の名で知られる立岩。
伊勢の海神を祀る荘厳な場所ですな。
ここから登る朝日を拝みたかったのですが
すっかり夜は明けてしまっていて…。
(どっちにせよ曇り空でしたがw)
さすが名勝だけあって、きれいな浜でした。
早朝だと言うのに、我々以外にも見物客が居ましたしね。
残念ながら曇り空で朝日は見られませんでしたが
海は穏やかで彼方が霞み、逆に神秘的な感覚に…。

そこから山田奉行所跡地を経て、本日の目玉である伊勢神宮へ。
あ、山田奉行所ってのは江戸時代に置かれた遠国(おんごく)奉行所の一つ。
政治的に重要な地には幕府直轄の司法・行政機関があったんですけど
伊勢神宮という日本有数の神社があったこの地も、当然のように
そうした場所の一つと数えられたというワケ。
そんな山田奉行所をより一層有名にしたのが、大岡忠相の存在。
江戸の名奉行として知られる大岡越前は、もともと
この山田奉行を務めていたんですな。それが名公方・徳川吉宗の目に留まり
幕政の中枢、江戸南町奉行に抜擢されたのでござるよ。
と、話がすっかり逸れてしまいましたが(笑)
普段、城ばかり行っていて神社にゃさほど興味の無いオイラでも
さすがに伊勢神宮とあらば、一度は見てみたいと思った次第でして
今回、万博で名古屋まで出張るのならば
もう一歩足を延ばして伊勢神宮まで詣でてみようかと。
そんなこんなで、やって来ましたお伊勢さん!
伊勢神宮は大きく内宮と外宮に分かれているんですが
まず向かったのは外宮の方。外宮は市街地に比較的近いので
神域が町の喧騒と隣り合わせです。それでも、敷地内に入れば
緑の森に宿る神の息吹が垣間見えるようで…。
伊勢神宮外宮にて
伊勢神宮外宮にて

杉の木立に包まれた古式な祠。
太古の昔を思わせる姿です。
これは確かに、一生に一度は
“お伊勢参り”をすべきだと思わせて下さいますな。
続いて向かったのは内宮。こちらは市街地からやや離れた場所で
神域と外部を隔てる結界の如く、五十鈴川が流れています。
この川を渡ると、そこは神の世界になるワケで…。
五十鈴川
五十鈴川

伊勢の山並みから流れ出ずる清流。
本来、お伊勢参りの折には
この川の水で身を清めてから
参拝するんだとか。
ここから先、神社の敷地は広大なもの。
いやぁ、ヘタな城よりも大きいぞこりゃ(そこかよw)
こちらも外宮と同じく緑の中に社殿が並び
一番肝心な正宮が最も奥に控えております。
20年毎に社殿を建て替える伝統が
2000年前から続いている事でも有名ですな。
ただ、正宮の姿は撮影禁止。
なので、写真好きのオイラと言えども撮ってません(当然だ)
どうしてもご覧になりたい方は…やはり現地へ行って見て下さい (^ ^;

さてさて、朝も早よから伊勢神宮参拝を済ませたものの
周囲のお店はまだ開店前。せっかく伊勢に来たんだから
土産を物色したり、何か食べたいと思ったんですが。
仕方がないので、時間潰しに(いったん伊勢を離れて)鳥羽へ。
要するに、城攻めです(笑)鳥羽市役所のすぐ裏にある鳥羽城を攻略。
市役所の隣にあるくらいですから、楽勝の城攻めです(いいのか、それで?)
で、トンボ帰りに伊勢市へ戻ればちょうど良い頃合。
神宮前の旧市街(土産物横丁になっている)おはらい町通りや
おかげ横丁を散策しましたが、偶然にもこの日は
日本太鼓祭というイベントをやっていて、伝統的な和太鼓の演奏が
賑やかに行われておりました。いやぁ、ナイスタイミング!
おはらい町通りにて
おはらい町通りにて

こんな感じで人が沢山動き回り…
おかげ横丁前で
おかげ横丁前で

大太鼓が練り歩く行列も!
9月に入ったばかり、朝から暑い日だったので
おかげ横丁では涼を取るべくカキ氷を所望。
古民家を改造した茶店で食べるカキ氷は、何とも言えない贅沢な感覚。
結構ボリュームがあったので、ここの名物である伊勢うどんは
土産用の「お持ち帰り品」を買う事で良しとした(苦笑)
ホントは現地で食べてみたかったけどね〜 (^ ^;
おかげ横丁
おかげ横丁

ところで、おかげ横丁ってこんな町並み。
一番手前の建物、郵便局なんですよ!
古い伝統的景観をきちんと守っているんですね。

伊勢神宮周辺は満喫したので、そろそろ出立。
まずは石垣が見事な名城、田丸城を攻略します。
ここは前々から行って見たかった城でして…。
三重県史跡 田丸城址
三重県史跡 田丸城址

大手虎口は見事なまでの横矢係り!
しかも綺麗に積み上げられた総石垣!
最上部の天守台から見る展望も素晴らしく
これほど見事な城跡なのに
一般的な知名度が今ひとつなのは勿体無い!!
いやはや、予想以上に良い城を堪能し実に満足!
で、玉城インターから再び伊勢道に乗り
松阪市を目指したかすこばの車。
移動時間を短縮するため、僅かの距離でも高速を使ったんですが
ん?前方を走る車が何やら怪しい。
これは“触らぬ神に祟り無し”というヤツか?
スピードを控えて暫く様子を見よう、と思った刹那
オイラの車の隣を猛スピードで追い越していく別の車が…。
その途端、例の車の頭上に赤色灯が登場!
やっぱり、あれは覆面パトカーだったか… (^ ^;
危ない危ない、直感的にパトだと見抜いて大正解だったわ(笑)
スピードを出して追い越していった車、見事に捕まってました。

そんなこんなで安全運転を心がけつつ
目的地の松阪へ到着したのは午後1時頃。
(やや遅くなりましたが)お昼時の松阪、という事は
あの松阪牛を食するのがお目当て!ところが車内で
ウチのチビ助がすっかり熟睡…(困)
起こすのも可愛そうなので、とりあえずオイラは
時間潰しのため松坂城を見学する事に。
三重県史跡 松坂城址
三重県史跡 松坂城址

こちらも田丸城に負けず劣らずの名城。
高石垣から下を覗き込むのはちょっと怖い!
でも城マニアとしては、こういう写真が必須 (><)
田丸城よりも後の時代まで使われた松坂城は
当然、それだけ大きく堅固な作り。
城址全域が公園になってるんですが、かなり広くて
色々見て回ると、時間潰しというだけでは時間が足りません。
本居宣長の旧宅という“鈴屋(すずのや)”や
城に詰めた武士達の屋敷群“御城番屋敷”など
城以外にも見て回りたい史跡が満載ですしねぇ。

松阪牛♪
松阪牛♪

で、城めぐりが終わった後に昼食。
手軽に楽しむべく、牛丼ですが…。
でもさすが松阪牛、牛丼と言えど“高級料理”でした!

さて、松阪から北上して津市へ。
ここは三重県の県庁所在地。藤堂家32万石の城下町です。
大きな町での楽しみと言えば、嫁さんは喫茶店、オイラは城跡…。
そんなワケで、ここでは別行動を取ってそれぞれの行きたい場所へ。
もちろん、拙者が赴いたのは津城址。
築城の名手・藤堂高虎が自らの居城として築いた城。
藤堂家は幕藩体制の中、伊賀上野にも城を持つ事が許され
上野は戦時の拠点、津は平時の居館として機能分化させたとの事。
即ち、津の城は実戦的ではない…という位置付けになりますが
いやいやどうして、堅牢な石垣に纏まりある縄張りは
下手な小大名のナマクラ城址なんぞよりよほど防備に優れてます。
さすが高虎公、おみそれしました〜! (><)

嫁さんと合流後、三重県庁前を経て更に北へ向かいます。
伊勢上野城跡の公園を軽く見て
鈴鹿市に入ります。鈴鹿と言えばサーキット?が一般的な観光地。
ちょうどこの日も何かレースをやっていたような…。
でもかすこばには全く縁がない話(苦笑)
ここもまた、嫁さんのリクエストで喫茶店へ向かい
オイラはオイラで城攻め…神戸(かんべ)城が目的地です。
ここは織田信長の3男・神戸信孝が居を構えた城。
現在、すっかり住宅街の中に埋没した小公園になり
一般的な知名度は無きに等しい状態ですが、当時は織田一門の城として
金箔瓦を葺いた絢爛豪華な建物が並んでいたそうです。
部分的に残っている石垣は、確かに立派なもの!
周りの景色と明らかに異なる空間は、ちょっと面白かったッス(笑)

で、日が沈んだので本日の行軍はここまで。
国道1号線を進み、今夜の宿がある関へ。
って、1国って鈴鹿山脈を貫いてるんですねぇ。
鉄道路線と同様、関ヶ原から琵琶湖畔へ抜けてるんだと思ってた。
(完全に勝手な思い込みなんですがw)
まぁ、本来の「東海道」って意味じゃこっちが正しい訳だし
線路だって今で言うところの関西本線が
旧来の東海道ルートとして成立してるんだから
当たり前っちゃぁ当たり前か… (^ ^;




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