2001年7月 西国制覇(4)
夜が明けて7月17日の朝。さぁ、今日は瀬戸大橋を渡って本州へ戻ります。
車のエンジンをかけて、いざ出発…と思ったら、あれ?
何だか警告ランプが点いている。何だこれ?
昨日は全然問題なかったのに、おかしいなぁ。
これから海を渡ると言うのに、車に異常があったんじゃおっかなくてイカン。
とりあえず、恐る恐る山の上の宿から車を転がして
(マニュアル車だったんで、ギア抜いてまさに“転がし”運転を…)
麓の坂出市まで到達。うむ、ほとんどアイドリング状態のままだから
駆動系にダメージはない筈だね。このまま流して運転し
何とかト○タのお店まで到着、調べて貰いました。
そしたらまぁ、排気系に障害が発生していたとの事。
さほど修理費もかからず直して頂きましたが
これで予定よりも1時間のロス!う〜む、しくじったなぁ。
気を取り直し、大急ぎで坂出北ICに向かいました。
で、乗りました。瀬戸大橋です。あ、ひと口に瀬戸大橋といっても
南から南備讃瀬戸大橋・北備讃瀬戸大橋・与島橋・岩黒島橋
櫃石島橋・下津井瀬戸大橋という6つの橋があり、
それらを総称して瀬戸大橋と呼んでいます。で、途中にある与島PAで景色を眺めつつ
順次この橋々を渡り、岡山県本土に入りました。
瀬戸大橋
えーっと、一人旅だったんですが…。
車の走行中に撮った写真でして…。
どうやって撮ったかは、追求しないで下さい (^^;
―――明石海峡大橋でも、大鳴門橋でも
同じ写真を撮ってますが、それが何か?(爆)
橋を渡りきった所で、高速を下ります。
四国を望む海っぷちにある
下津井城
を見るためです。
古くは源平合戦の頃から要衝として名を馳せた下津井の城は
戦国時代終盤に近世城郭として大改修を受け総石垣造りに変貌、
江戸時代になってから廃城とされても、その石垣は残ったのであります。
ふむ、結構広い城跡だし、なかなか立派なもんだねー。
しかしあまりゆっくりはしていられないので、駆け足で見学。
再び車に飛び乗り、水島臨海工業地域を通過し広島県方面を目指します。
実を言えば、今回の旅で広島県は予定外地域だったんだよね。
でもまぁ、せっかく中国地方まで来ているんだから
ちょっと欲張って、一歩だけでも広島県に入ってみたいという
単純な(おバカな)考えで国道2号線を西進。
岡山県から広島県に入った所にあるのは福山市ですから
とにかく
福山城
さえ見られりゃもういいや、って感じで(笑)
ところが、予定外の行動に出たバチが当たったのか(?)道は大渋滞、
しかも県境を越える頃、急に暗雲が立ち込めてきて時ならぬ驟雨!
うぇー、夕立ならぬ昼立の豪雨だぁ。こりゃスゲー降りだなぁ。
“晴れ男”の拙者にとってはまさに青天の霹靂、
こんな雨に見舞われるのは極めて屈辱的な話です (><)
福山城に到着はしたものの、さすがにひどい雨だったので
しばらくは車外に出ることもままならない状況でありました。
恨めしげに空を見上げれば、ようやく小降りになってきたので
えぇい、これで行っちまうべぇ!と覚悟を決めて突撃開始。
そんなオイラを出迎えてくれたのは、移築遺構の内藤家長屋門。
おー、これは何だかとても風格ある建物だぞ。
いきなりこんな良い建物に出会えるとは、福山まで来た甲斐があったというもの。
雨がそぼ降る情景も、かえってこの古風な長屋門の風合いを引き立たせてくれます。
って事は、雨が降って良かったと言う事なのか?(いや、それはない)
内藤家長屋門
古建築が残っているとついつい反応してしまう拙者。
特に長屋門という建築物は、全国でも
城郭遺構として残っているのが皆無で
このように城下武家屋敷の残存建築しかありません。
雨中の撮影だった為、画像がかなり暗くなっていますが
そんなの気にしないくらいに感激してレンズを向けました (^^;
福山城には他に、現存建築の伏見櫓や鐘櫓もあり
復元建築も併せると色々な建物が建っています。
それらを見て回っているうちに、すっかり雨は止み
天守を望む頃には、雲の切れ間も覗くようになっておりました。
この福山城天守、戦後の再建建築なんですが
戦災で焼ける以前の古建築は、北面の壁が一面鉄板で覆われていたそうです。
大砲の砲撃を受けても耐えられるように、という事で
そうした装甲板を備えていたんですけど、さすがに再建建築では
それは見られません。う〜む、惜しい… (ー ー;
家を出る時に、36枚撮りのフィルムを5本用意してきたんですが
福山まででほぼ全滅。まだ行程半分というところなんだけど
明らかに足りないので、城からすぐ近くにあったカメラ屋へ立ち寄り
36枚撮りフィルムを10本追加(爆)
岡山県内で色々見ればよかったかなぁと思いつつ
でもやっぱり福山城を見たのは大収穫だったとも考えましたが
何はともあれ、予定外に足を延ばした分、
早いところ次の目的地に進まねばという状況だったので
福山から山陽道で一気に岡山市へ。
続いても近世城郭の名城、
岡山城
を拝見させて頂きます。
やや混雑気味の岡山市内を走り、駐車場に車を入れたら大手口から突撃!
見所満載の岡山城内を何回もぐるぐると回り、
櫓や石垣に感激しまくっておりました(笑)
岡山城とセットで見る場所が後楽園庭園。
日本三名園に数えられる景勝地にして、岡山城外苑の大名庭園でありますな。
ここはもうあれこれウンチクを語る必要もないほど有名な所でしょう。
水戸の偕楽園、金沢の兼六園は既に見ましたが
個人的にはこの後楽園が一番素晴らしいのではないかと思った次第。
城を見るのと同じくらいの時間をかけて、じっくりと眺めてしまいました。
庭園の向こうに見える岡山城天守の姿も絵になるし。
う〜ん、岡山恐るべし (^^;
国特別名勝 後楽園
花葉(かよう)の池と延養亭(えんようてい)
後楽園はどこを見ても素晴らしい!
造られた庭園というわざとらしさが無く
それでいて園内には建築物が建てられ
まさに自然と人知が融合した美しさ。
普通、“借景”というと彼方の山々が入りますが
後楽園の場合、岡山城天守がそれに当たるのも凄い♪
そんなこんなで時刻は午後2時半過ぎ。
やば、かなり押してる!朝っぱらから車はトラブったし
福山まで足を伸ばしたからなぁ。急がないと!
この後、本当は吉備路の寺社を見ようと思っていたんだけど
どうも(やっぱり?)そんな時間的余裕は無さそう。
ってなワケで、お寺や神社はカットして、城一本で攻めるしかないわなぁ。
で、次に訪れたのが
備中高松城
。
え、そんな城知らないって?
そういう貴方、小学校の日本史の授業を思い出すように。
織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時、
中国地方攻略を任されていた羽柴秀吉が毛利氏とにらみ合っていたのが
ここ、備中高松の城であります。水攻めって、習ったでしょ?
秀吉は毛利の動きを封じる為、城を水没させたけど
かと言ってそれ以上手出しができず、お互い膠着状態になっていたところに
信長が斃れたという報が入り、慌てて講和に持ち込んで撤収したっていう話です。
戦国の血生臭い話の舞台だった訳ですが
今ではすっかり静かな田園地帯になっていて、
時代の移り変わりを感じさせてくれる史跡でもありました。
清水宗治の墓
その講和にあたり、城兵の命を救う代わりに
全責任を取って自害したのが城将・清水宗治。
敵味方すべての兵を救う為、一命を賭した彼は
毛利軍随一の義将として高く評価されています。
宗治公の死後およそ400年を経て建てられたこの墓石は
今もなお、彼が皆から思慕されている証です。
時刻はもうすぐ午後4時になろうかという頃。
宿に行く前に、もう1箇所くらいは攻め落としたい(爆)
そんな訳で、手配していた宿に程近い城を目指して山の中へ。
向かった先は国指定史跡の
鬼ノ城(きのじょう)
。
ここは戦国時代の城ではなく、古代の山城跡でござるな。
なので、城と言っても普段見慣れた中世・近世の城郭とは全然違う環境。
少し薄暗い森の中、中国大陸の城壁を思わせるような石壁が登場したり
急断崖の絶壁が立ちはだかったり、なかなか新鮮なものがある。
ちょっと山深いのが難点だけど、かなり面白いッスねぇ。
水門と呼ばれる排水口は、昼間の豪雨で溜まった水を勢い良く流し出し
今でも立派に機能しているのが見て取れたし、
何より、この山から見下ろす景色は絶景!
そりゃ城を築きたくもなるわな (^^;
ちょっとしたハイキングにも最適な史跡でしたよ。
国史跡 鬼ノ城
城の下を覗き込めば
切り立った断崖絶壁。
そしてその向こうには
雲海のようにたなびく雨霧と
霞む備中平野が広がっていました。
鬼ノ城 第二水門
ちなみに水門はこんな感じ。
1500年以上経っている遺構ですが
今でも立派に排水溝として機能しています。
スゲー… (ー_ー)
そうこうしているうちに、すっかり日暮れが近づき
山の中は薄暗くなってきました。
さすがにこれ以上留まっているのはヤバイと思い下山し
宿へ向かいます。と言っても、宿は鬼ノ城から15分ほどで着く場所だったので
それほど慌てなくても大丈夫だったんですが… (^^;
それでも、到着したのはもう6時半を回る頃で
すっかり予定時刻をオーバー。
夏は夕方過ぎても明るいから、イマイチ時間感覚が狂いますなぁ(爆)
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