2001年7月 西国制覇

旅行期間:2001年7月13日(金)夜半出発〜7月21日(木)早朝帰着

主な滞在地
7月14日(土):

尼崎城・富松城跡・伊丹城・三木城址・明石城
舞子公園・須磨の浦・明石海峡大橋・洲本城
7月15日(日):

震災記念公園・大鳴門橋・撫養城・徳島城・勝端城
川島城・秋月城址・土柱・小歩危峡・大歩危峡・祖谷渓
7月16日(月):
白地城・川之江城・銭形・金刀比羅宮・丸亀城・城山城跡・高松城
7月17日(火):

瀬戸大橋・下津井城跡・福山城
岡山城・後楽園・備中高松城・鬼ノ城跡
7月18日(水):

山中鹿之助墓・備中松山城・津山城
林野城跡・茶臼山城址・天神山城址・閑谷学校・赤穂城
7月19日(木):
大島城址・龍野城・姫路城・竹田城跡
7月20日(金):
出石城址・丹波篠山城跡
西国制覇行程地図


姫路城に行きたいっ! (><)
今まで散々城攻めをしてきて、その熱意はエスカレートするばかりという拙者。
北は本州最北端の青森県から、南は九州の果てである鹿児島県まで行っていながら
国宝、世界文化遺産にまでなっている姫路の城にはまだ行った事が無かったオイラ。
今年こそは、と決心して夏休みに姫路行きを予定し
その周辺諸県も回る徹底的な“城攻めツアー”を計画しました。
梅雨が明け、でも学生が夏休みになって混み合う寸前という絶妙の時期を見計らい
西国行きの日取りを決め、宿の手配も万端。さぁ、いざ姫路へっ!と言う事で
例の如く、夜のうちに大よその移動を済ませます。
7月13日、東名高速をカッ飛ばし、これまた例の如く大津SAで夜明かしです。

明けて14日の朝。SAで手早く朝食を済ませ、更に西へ。
出勤時刻に重なりやや交通量が多くなった中、京都・大阪の主要部を
足早に通過していきます。“三日天下”の天王山はトンネルでくぐり抜け、
吹田JCTはそのまま直進、名神高速のまま尼崎ICへ。ここで高速を降り
尼崎市街地の中心部へ向けて南下しました。向かったのは尼崎城址公園。
江戸時代に尼崎藩の政庁として用いられた近世城郭の跡でございます。
往時は4層(3層説もあり)の天守が上げられたという城跡ですから
さぞかし立派な遺構が残っているかと思い…きや、全然ない。
復元された城壁が並びますが、これはどうみても史実と関係なく造られた感じ。
残念ながら、今では城跡である事を証明するものは殆んど無いんですねぇ。
城址公園の脇に尼崎市立図書館があったので、何か史料になるようなものが
配布されていないかと思って立ち寄りましたが、これまた成果なし。
まぁ、完全に都市化されてしまった所なんでしょうがないか、と思い立ち去りました。
尼崎城址

尼崎城址

それにしても、櫓や天守じゃなくて
城壁だけを復元するって…
なかなか凄い着眼点だなぁ (^^;

尼崎市街をそのまま西へ。ここには富松城があります。
こちらは中世の城跡。年代的には尼崎城よりも古いものだね。
室町時代の戦乱にたびたび晒され、実戦経験を有する城跡なんですが
むしろこちらの城の方が遺構が残っている感じです。
いや、残っているというよりも…放置されているという感じ。
堀跡や土塁跡があるにはあるんですが、荒れ放題ですなぁ。
遺構全滅も悲しいもんですが、遺構崩壊も寂しいもんです。
うーむ、尼崎市内で見た2つの城は両極端やねぇ。

今度は北へ向かい、伊丹市に。JRの伊丹駅前にあるのが伊丹城でございます。
別名で有岡城とも呼ばれるこの城は、織田信長が畿内・中国を平定する過程において
重要な戦闘を引き起こした城として有名。信長配下の将・荒木村重がこの城を任され
守りを固めていたはずなのに、突如反旗を翻して籠城。中国攻略部隊として
播磨へ先行していた羽柴秀吉が、西の毛利氏と東の村重に挟まれる事になり
慌てふためいたという事件がありました。有岡城は信長政権の首筋に刺さった
大きな棘になり、織田軍が総力を挙げて攻め落とす事態になったのであります。
で、激闘10ヶ月。凄絶な戦いの後、城主の村重は何と城兵を見捨てて単身逃亡。
残された城中の者はことごとく撫で斬りされてしまいます。
凄惨な戦いを経験した伊丹城ですが、現在は駅前の緑地公園となり
繁華街の真ん中にある憩いの広場となっております。
ところがまぁ、これが立派なもんで国指定の史跡!
土塁らしき跡や、整備された石垣なんかもあったりして
尼崎・富松で期待はずれだった分、非常に感心してしまいました。
ホンマに、よくこんな商業地の中にこれだけの城跡が残ってるもんだねぇ。
(実はそれでも城跡の東半分は削られて消滅しちゃってるんですけどねw)

さて、伊丹から(少々道に迷いながら)中国道へ。
ここから山陽道経由で一気に飛び、三木へ向かいます。
城跡メインの旅ですから、神戸とかその辺はすっ飛ばしです(爆)
まぁ、観光地として有名ですから神戸もきちんと見たいとは思いましたけど
それを抑えてまで三木に来たのは、やっぱり有名な城跡があるからです。
別所氏の城跡として名高い三木城がその目当ての城。
三木小野ICで高速を離れ、国道175号線バイパスを南下、更に東へ折れて
三木の旧市街地に入ります。三木市立図書館の隣に(ここも図書館の隣だ)ある
上の丸公園、ここが三木城の跡です。現状、保育園が城内にあったりして
なんとものどかで静かな(というか、忘れ去られたような?!)公園なんですが
その昔、戦国時代には悲惨な籠城戦が繰り広げられた城であります。
伊丹城でも名前が出てきた羽柴秀吉が、対立する別所氏を倒すため
1年半以上にも渡って城を封鎖し、城内の兵を孤立させたんですね。
当然、城の中には食べ物が無くなり、餓えた人たちは
木の芽や牛馬はもちろん、戦死した人の死体まで口にする有様に。
いやぁ、考えただけでも寒気がする。
結局、城は落ちて秀吉の攻略は成功した事になるんですが
疲弊した三木の町はなかなか復興せず、江戸時代に至るまで
年貢・労役の永代免除を特例として認められたそうです。
そんな三木の町を見渡すような城跡。眼下には美嚢川が流れ
川を渡る古い鉄橋は神戸電鉄粟生線。これがまぁ趣き深い光景。
城の歴史は悲惨そのものでしたが、城下町の情景は良いものです♪
三木城からの風景

三木城からの風景

いかにも古い町並みですよね。
月並みな言い方ですが、
昭和で時が止まっているようです。

国道175線バイパスに戻り道の駅「三木」に立ち寄り、一路南へ。
そのまま進めば一気に播磨灘に面した明石市にたどり着きます。
日本の標準時を決める子午線が通っている場所として有名な明石ですが
オイラにとって見ればやっぱり城下町 (^^;
JR明石駅の北側にある明石公園、ここが明石城の跡です。
広い公園には駐車場も完備されているので、楽々車を停められました。
その駐車場自体、城の曲輪になっていた場所ですから
見渡せば石垣が周りを取り囲み…おぉ、初っ端からスゲーぞここは!
いきなりテンションが上がり、公園を歩き始めました。
園内には野球場や陸上競技場なんかがあって、すっかり都市公園の様相なんですが
基本的には城の縄張りがそのまま残っている感じです。
思わず隅々まで見渡したくなる衝動に駆られ、足が勝手に進みます。
とりあえず公園の表側、広々とした野原に出て写真を撮影。
その後、徐々に石垣で囲まれた曲輪を攻略していきます。
主郭西部の稲荷曲輪に登り、ここでもシャッターを切り
さらに上へあがり、本丸西端に出ます。この近辺には天守台があり
そこでもシャッターをパチリ!その隣には重要文化財の坤(ひつじさる)櫓。
もちろん、これもカメラに収めます。
坤櫓から土塀が伸び、それに繋がるのはこれまた重文の巽(たつみ)櫓。
2つの櫓の間は丁度良い展望台になっていて、明石の町を見渡す事ができます。
遥か彼方には、巨大な明石海峡大橋の姿も…。
貴重な文化財と、最新工法を駆使した大きな橋、
全てを手のひらに収めたこの光景に、思わず感動してしまいました (^-^)
国重文 明石城坤櫓


国重文 明石城巽櫓

阪神淡路大震災の災禍を乗り越え
400年前から現代まで
明石の町を見守っている櫓です。
遠方には明石海峡大橋の勇姿も!
さて、巽櫓の向こう側は土橋で繋がれた二ノ丸。ここには建造物はありませんけど
城の風格は漂っておりますね。二ノ丸の更に東は東ノ丸で
ここからは階段を下りていきます。そうして歩く道沿いには
お決まりのように石垣が目に入ります。下まで降りてきて
少しばかり城の北側に入ってみました。ここには薬研(やげん)堀と呼ばれた
水濠が残り、そこから水面越しに東ノ丸を望む事が出来ます。
よく見ると、ここから眺める東ノ丸の石垣はやけに白く輝いています。
実は明石城、阪神淡路大震災の折に大被害を受け
石垣の半分以上が崩壊した事があるんです。貴重な文化財を守るため
復旧工事が行われ、こうして崩れた石垣は全て積み直されました。
東ノ丸の石垣が随分と新しく見えるのは、こういった復旧工事のせいなんですね。
大震災の際、坤櫓と巽櫓も傾き、危うく崩壊する危機に見舞われましたが
これも大規模な復旧工事を受けております。これがまた凄い工事で
曳屋工法と呼ばれる手法で、いったん櫓そのものを
設置場所から横へスライドさせ、基礎工事や石垣の組み直しを行った後
また元の場所に櫓を置きなおしたというもの。
建物自体を横に動かすなんて方法があるんですねぇ。
震災復興にかける地元自治体の熱意が感じられる話です。
こうした努力のおかげで、従前以上に綺麗な城跡が蘇ったのですから
城マニアとしては、感謝感激という気持ちが沸いてきました。

明石公園から離れ、国道2号線を東へ。神戸市に入り、
明石海峡大橋のたもとにある公園・舞子公園にやってきました。
ここはもう言わずもがな、明石海峡大橋を展望する公園なんですが
それ以外にも、なかなか面白いモノが揃っています。
明治大正の風情を漂わせる洋館・移情閣や橋の科学館などなど
見所はいっぱい。なにより、海に面したのどかな公園ですから
散歩する家族連れやら、のんびり釣りを楽しむ人など、訪れる人も結構多いですね。
初夏の青い空、白い雲に包まれた公園は眩しく輝いておりました。
明石海峡大橋と移情閣


明石海峡大橋と移情閣

文句なしに綺麗な写真でしょ?
(↑自画自賛)

さてその先に進み、源氏物語で有名な須磨の浦にまでやってきました。
せっかく来たんだから、ちょっと立ち寄ってみようかと思いたち
車を(わざわざ)有料駐車場に入れて散策を。平安時代から有名な景勝地ですから
さぞかし綺麗な風景が見られるのかと想像していたのです。
…が、現代では海水浴場なんですねぇ、ここ (^^;
須磨の松浦はまぁ良いとして、海岸に出たら海水浴客でごった返していて
正直、これじゃオイラの地元・茅ヶ崎の海岸とあまり変わらない(爆)
それどころか、泳ぐわけでもないのにブラブラうろついて
(観光目当てだけれど)カメラなんか担いでいたら、完全に不審者やんか!
こりゃヤバいわと気付き、慌てて退散。せっかく駐車場に停めたけど
はっきり言って駐車料金の無駄だったわー! (T-T)

車は阪神高速に乗り、神戸市街地をぐるりと回りこみます。
神戸淡路鳴門道、舞子トンネルをくぐって行けば明石海峡大橋に出ます。
そう、いよいよ大橋を渡るんです!
トンネルを出るや、いきなり海を見渡す展望が広がり
そのまま空を飛ぶような感覚で大橋は海の上に出ます。
いやー、これは爽快です!右も左も海ばかり、
およそ4kmにも及ぶ橋の先には淡路島が霞んでいます。
何だか車を運転しているというよりも、船を漕いでいるような
飛行機で空に浮いているような、不思議な感覚。
面白いねー、これ! (^-^)
しばし空中散歩を楽しみ、長いような短いような渡海を終えたら
車は淡路島に入っておりました。入島直後にある淡路SAにて
今来た道を振り返りましたが、やっぱり長い橋でしたな。
しげしげと橋を眺め、見事な風景に見入ってしまいました。

小1時間ほど淡路SAで休憩した後、高速をそのまま南下。
洲本ICで国道28号線に下り、洲本市を目指しました。
洲本にあるのはもちろん洲本城。淡路島最大の城郭です。
江戸時代に入り、全国各地の城郭は整理され軒並み廃城とされました。
諸国にはおよそ1箇所程度の城しか残されない状況となったのですが
淡路島(淡路国)に残されたのがこの洲本城。明治になって廃されましたが
昭和に入って観光天守が建てられ、展望台になってます。
ぶっちゃけ、作り物のハリボテ天守なんですけど(笑)
ここから望む景色は素晴らしいですね。
オイラが訪れたのは夕方6時少し前、丁度西日が沈む時間で
この展望台から夕景がバッチリ見えました。
反対に東を向けば紀伊半島も見通す事ができ
おー、あっちは和歌山県かぁという感想もあったりして。
前年の秋、青森の竜飛岬から北海道を眺めたんだけど
今回は淡路島から和歌山を俯瞰。何だか似たような経験ですなぁ。
ちなみに、まだ北海道も和歌山も見ただけで行ってません(爆)

さて、日が沈んでしまったので今日の観光はこれにて終了。
旅行初日は“行ける所まで行く”という計画だったので
特に宿は手配してませんでした。ってな訳で、宿を探して島内をウロウロ。
まだ島の中で見たい所があったんで、それは明日観光すると決めておりました。
だからまぁ、島から出るつもりは全然なかったんですけど
とりあえず晩飯は通りすがりのファミレスで済ませ(何だかなぁ)
どこかに宿は無いか、無ければ車中泊できそうな場所は無いかと探し
どうせだったら景色の良いところに行こう、と思って国道28号線を北上。
結局、淡路島の最北端にある道の駅「あわじ」までやって参りました。
要するに、明石海峡大橋の淡路島側の直下ですね。
つい数時間前は海峡を挟んだ対岸の公園で散策し
今はこちら側で橋と神戸の夜景を眺めている…。
何だか不思議ですねぇ。
しかも橋のライトアップ、凄い綺麗で幻想的。
“パールブリッジ”の愛称通り、真珠のように輝いていました。
今夜はここで優雅な夜を明かす事に決定! (^-^)
(あー、何だかんだ言ってまた車中泊だぁ)

そうそう、個人的感想なんですが…。
淡路島という“孤島(というほど小さくないけど)”にいるのは
何だか“浮き島”にいるような無意識の感覚があって
(島が沈みやしないかっていう焦りや緊張感みたいなものですやね)
あまり落ち着いていられませんでした。




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