2001年7月 西国制覇(2)

夜が明けて、15日も良い天気ですな!
淡路島で静かな朝を迎えました。対岸の神戸は忙しそうに見えますが
こっちは時間がゆっくりと流れているような気がします。
そんな中、朝からセッセと行動を開始したせわしない拙者 (^^;
島の中でこんなに急いで動いているのはオイラだけだろうな…。

さて、朝一番で向かったのは北淡町震災記念公園。
かの阪神淡路大震災の震源となった野島断層を保存している場所です。
ここはどうしても見ておきたかった。普段はアホな旅行ばかりして
しかも城ばっかり行ってる私ですが、この場所は真面目に見てみたかった。
あれだけの被害を出した大災害の元ですからねぇ。
いったいどんな所なのか、どういう状況になっているのか
淡路島に入ったら絶対行かねばならないと思っておりました。
もしここを見ないのであれば、昨日のうちに島を出ていましたよ。

で、断層保存館に入ってみると、
いきなり大地が裂け、波打っている有様が目に飛び込んできました。
もともとは平らな地表面だったんでしょうが、
呼んで字の如く、激しいひび割れが入り
またある所では段々畑のように階段状の段差が発生。
これはかなり鮮烈な光景です。断層面がそのまま保存され
断面が見えるようになっているところもありまして
これがまぁ凄まじい感じ。くっきりと地面が“斬れ”てます。
自然の力とは言え、何でこうなるのか凡人の頭では理解できません。
国天然記念物 野島断層
国天然記念物 野島断層

赤丸と赤丸、青丸と青丸が
本来は一点だった場所なんですが
地震で上下左右にずれ込んだ訳です。
ちなみに、元々は田んぼの畦だったとの事。
断層保存館の隣にあるのが震災記念館。
これ、要するに断層の真上に建っていた民家をそのまま保存したもの。
壁にはひびが入り、家の中は倒れた家具や散らばった食器などが
“その時”の姿のまま置かれています。
いやー、見ているだけで恐ろしくなってきますね。
オイラの住んでいる関東南部も地震多発地帯ですし
きたるべき東海地震の予測では相当な被害が出ると言われていますので
もし大きな地震が来たらこうなってしまうんでしょうか?
大地震なんて来ないのが一番良いのですが
万が一、そうなった場合にどうすべきか、色々悩んでしまいました。
震災記念館
震災記念館

どうです、この惨状。
もし我が家がこうなったなら…
考えるだけでゾッとします。
常日頃からの備えが肝心ですね。

さぁ、淡路島を後にしていよいよ四国へ向かいます。
昨日の続きで神戸淡路鳴門道に乗り、鳴門海峡を通過。
もちろん、渡ったのは大鳴門橋。これも海を渡る綺麗な橋です。
明石海峡大橋に比べると短いかな?でもまぁ、こっちも十分大きいねぇ。
橋を渡りきった直後にある鳴門北ICで下り、
徳島県道11号線を海峡方面に引き返し、到着したのは鳴門公園。
大鳴門橋を見渡す展望抜群な公園でございますな。
何と、ここから徒歩で大鳴門橋の中間にある展望台まで渡る事ができるんです。
わたくしもいそいそとその通路を渡りに行きました。
自動車用道路になっている大鳴門橋の上段に対し、下段は
新幹線規格で鉄道を通す予定になっているらしいんですが
まだそんな計画が無いので、徒歩で展望できる通路になっているんですね。
ここからは橋の骨組みがじっくりと眺められる上、
眼下には鳴門海峡を渡る船、そして有名な渦潮を見る事ができます。
オイラが行った時間はたまたま潮流の具合が静かな時だったんで
あまり大きな渦は見られなかったんですが
それでも、潮の流れが速く細かい渦がいくつも発生していましたよ。
海面からかなり高い位置にて渦潮と船を見下ろすのって
結構贅沢な眺めだと思いません? (^^)
大鳴門橋にて
大鳴門橋にて

展望台の足元にはガラス窓が。
眼下には鳴門海峡の潮流が見えます。
海峡なんだから海なんですけど
まるで川の流れのような速さにビックリします。

鳴門公園にて土産物も物色したら、いよいよ四国本土の見学です。
ちなみに、大鳴門橋を渡ったばかりのここはまだ大毛島という離れ島。
県道11号線を南下し、小鳴門橋を渡ってはじめて四国本土上陸になります。
小鳴門橋出口のループを回り、撫養(むや)川沿いを走れば
見えてくるのは妙見山公園。撫養城跡の小さな緑の山ですね。
ここには現地出身の人類考古学者・鳥居龍蔵氏の業績をまとめた博物館があり
それと共に妙見神社もあるので、駐車場なども完備されています。
車で楽々山登りをし、神社の裏にある城の石垣遺構を拝見。
ふーむ、なるほどね。廃城になったわりには、
それほど破壊されてないんだねぇこの石垣は。まぁ、地味だけど(爆)
にしてもここからの眺めは良いですなぁ!
鳴門市街地はもちろん、その先の徳島市方面まで一望できる!
城が築かれるのも納得、という感じでした。

その徳島市へ向かうため、国道28号線を進行。
徳島空港の横を通った所で国道11号に合流し更に南下。
四国有数の大河・吉野川を渡れば、徳島市の中心部に入ります。
徳島市内で見学する城といえば(←もう城限定)徳島城
蜂須賀氏が阿波を治めるために築いた大きな城郭です。
室町時代から江戸幕府成立時期にかけて、実は阿波国は重要な国でした。
足利将軍家の権勢が衰退するにつれて、阿波守護であった
管領・細川氏が台頭。その細川氏も、阿波守護代であった
三好氏に権力を奪われ、京都の政界は激動していきます。
ところが三好氏が京都に出ている間に、土佐国つまり高知県から
長宗我部(ちょうそかべ)氏が四国統一の戦を展開、
一方、東からは織田信長が進出し、哀れ三好氏も没落していきます。
結局、長宗我部氏は四国全域を手中に収めるものの
信長に代わって天下統一の野望に燃える羽柴秀吉が四国をも射程に入れ
今度は長宗我部氏と羽柴氏の戦いが始まったのであります。
こうした歴戦の最前線となったのがここ阿波国。
秀吉の全国統一以来、阿波を領有するようになったのが蜂須賀氏で
その時からこの徳島城が阿波国の首府となったのでした。
秀吉政権の一翼を担った蜂須賀氏による築城は堅固なものでありながら
緑泥片岩と呼ばれる、かの地で産出する独特な石材を使って石垣を組んでいるため
他の城とは一風違った特有な景観を見せています。
城内の表御殿庭園は国指定の名勝、復元された鷺の門(大手門)もあり
じっくり見ると時間がいくらあっても足りないくらいです (><)

時計の針は丁度午後1時を回ったところ。
さぁ、徳島城跡をそこそこに切り上げて、次の目的地へ移動します。
今度は三好氏の本拠であった勝端(しょうずい)城へ。
先ほどは国道11号線の吉野川大橋を渡りましたので、
その西側に架かる徳島県道39号線、吉野川橋で引き返し
県道14号線に入り藍染で有名な藍住町(まんまな地名やな)へ。
いくつか民家が立ち並ぶ平凡な場所に、突然現れたのが勝端城跡でした。
オイラが訪れた時はまだしっかりとした史跡整備はされておらず
いかにも野に埋もれたという感じの古びた城跡で
わずかに濠跡と城址の石碑が残るだけ。どちらかというと、
隣にある見性寺境内に三好一門の墓所があるので
まだそちらの方が見栄えのする(?)状態でした。
話に聞けば、今は大掛かりな発掘や整備が進められ
だいぶ城跡としての体裁が整ったとか…。
どの様に変化したのか、改めて見てみたい気がしますね。

さて、ここからは飛ばして行きます。
飛ばさないと間に合わないんです (^^;
時間次第で見る所を決めつつ、とりあえず県道14号を西へ西へ!
国道318号線の阿波中央橋を渡り再び吉野川の南岸に出たら
道路地図帳に記されていた「城山」という字に反応し(爆)
その場所へ立ち寄ってみました。まぁ、案の定そこは城跡で
当時の川島町、現在の吉野川市川島町にある川島城でした。
この城はかつて「阿波九城」と呼ばれた要塞群の一つに数えられた名城で
吉野川を見下ろす小高い山の崖っぷちに築かれ、眼下の水運や街道を
監視していたそうな。もっとも、江戸時代の平和な世になった後は
城としての必要性が失われ、敢え無く廃城とされてしまったんですが
現在、えらく立派な模擬天守が建てられ、ここが城であった事を
世に示しております。本来の川島城に天守はなかったんですが
観光名所とするには一番手っ取り早い方法ですやね。
史跡としての在り方には疑問が残りますけど、
夏の青い空に映える白亜の天守はなかなか綺麗でしたよ〜♪

川島城のすぐ裏には吉野川が流れ、そこに県道2号線の橋が架かります。
で、その橋を渡り西進するつもりだったんですが…。
む、なんだか変だ。予定したルートと違う。道に迷ったな、こりゃ。
何だかよくわからないまま、成り行き任せで進んで行くと
目標とは反対側、東へ進んでいたことが判明。
何とか進路修正をと考えていたら、偶然にも秋月城跡の近くに出た。
こうなりゃ半分ヤケで、予定外の行動でしたが城跡に立ち寄りました。
石碑が立っているだけでそれほど大した遺構が残っていたわけじゃないんですが
とりあえずこれで城跡1箇所カウントだ!(爆)

予定が狂ってしまったので、慌てて西へ取って返します。
続いて訪れたのは観光名所、阿波の土柱(どちゅう)。
あ、ここは城跡ではありません (^^;
せっかく四国まで来たんだから、少しは城以外の所も見ないとねぇ。
この土柱、山の絶壁が削り取られていくつもの柱が立っているように見える地形。
阿波の土柱はアメリカのロッキー山脈、イタリアのチロル地方と並び
世界三大土柱の一つに数えられるものだそうです。
(世界三大土柱ってのも謎ですけど)
米国や欧州のものと違い、徳島の土柱は砂礫質の山が風雨に浸食されて
できたという特殊なものなんだとか。まぁ、地質学は専門じゃないので
あまり詳しい事は知りませんけどね(←無責任)。
ウンチクは兎も角として、この光景は凄いですねー。
確かに名前の通り、土の柱がいくつも並び立ってます。
夜間はライトアップもしているとか。これも綺麗でしょうなぁ。
午前中に見た鳴門の渦潮に続き、徳島の自然美は素晴らしいッスね!
国天然記念物 阿波土柱
国天然記念物 阿波土柱

これまた、足元を覗き込むと
ダイナミックな光景が。
自然にできたものなんですが
まるで誰かが狙って削り取ったような造形です。

午後3時を過ぎ、日没時間を計算に入れながら次の予定を考えます。
今日の宿は池田町に確保してあるんですが、明日の日程を勘案すると
今のうちに徳島県内の観光は終わらせておきたいもの。
だとすると…土柱のすぐそばに脇町のうだつ旧家の町並みがあるんですけど
これを見ている暇は無さそう。ここは潔く、脇町を諦めて
先へ進む事にします。脇町ICから徳島自動車道に乗り
一気に井川池田ICまで飛び、そこから国道32号線へ。
いったん、宿の前を素通りしてそのまま吉野川の源流である
小歩危峡・大歩危峡へ。幸い(?)32号線はこの峡谷に沿って走っているので
苦労なく、車窓の景色を眺めていれば川の流れを楽しめます。
さすがに川くだりの船に乗っている時間は無かったのでパスしましたが
時折、写真映りの良さそうな所に差し掛かったら車を停めて撮影も(笑)
さっきまでは快晴の青い空だったんですが、山へ来たら突然の夕立。
ところが逆に、雨雲がかかった渓谷はまるで水墨画のような情緒を見せてくれて
雨が降ってきたのはむしろ好都合でしたねー。

そうこうしているうちに、上名交差点で左折し32号線を離れ
車は県道45号線に入ります。この道を行けば、大歩危峡から祖谷(いや)渓へ続きます。
つづら折の道を登っていくと、山の中の険しい集落に民俗資料館がありました。
そういえば、祖谷と言えば平家落人の集落として有名ですしね。
こちらの資料館もそういった平家の旧家を展示しているものでした。
正確には安徳天皇の御典医であった堀川内記の子孫の御屋敷だそうです。
日暮れの時間が刻々と迫っていましたが、まだ今なら入館できるという事だったので
せっかくだから見ておこうと決断。駆け足でしたが、中を見学させて頂きました。

で、その先に進めば祖谷トンネルをくぐっていよいよ祖谷川のほとりに出ます。
ここで徳島県道32号線にぶつかるので、まずは右折し南向きへ。
宿に帰る方角とは反対になりますが、こちらに行かねば見る事のできない
有名な観光地があります。そう、祖谷のかずら橋ですね。
山梨県大月市にある猿橋、山口県岩国市にある錦帯橋と並び
日本三奇橋の一つとされる摩訶不思議な橋です。
祖谷川を渡るこの橋は、その名の通りかずらという植物の茎を使って造られた吊り橋で
平家の落人たち(やっぱりこれですね)が、追手のせまった時
いつでも“切り落とせる”ような構造にした橋だと言われていますね。
昔はこういった吊り橋がいくつかあったようなんですけど
現在は観光用の橋が用意されているんですな。旧西祖谷山村にある
この橋は3年毎に架け替えられ、国・県指定重要有形民俗文化財になってます。
旧東祖谷山村にも「奥祖谷のかずら橋」として2つあるとか。
いいですね、こういう伝統ある文化は。
さて、そのかずら橋を渡ってみたんですが…
何せ雨上がりなんで足元がかなり危ない! (><)
吊り橋の渡し板は一歩毎に隙間が開いているもんですから
真下の川が丸見えなんですね。さすがに人の体がその隙間から
落ちるなんて事はないですけど、手元のカメラなんかは
スッポリとはまりそう。ひえ〜っ!手を滑らせたら終わりだぁ!!
どうにか無事に渡りきりましたが、神経をすり減らす体験でした (T_T)

かずら橋を後にして、徳島県道32号線を北へ戻ります。
大歩危峡方面からやってきた県道45号線との交差点を過ぎ
なお北上していけば、祖谷渓の断崖絶壁に沿った道です。
ところがまぁ、雨上がりですっかり霧がかかってしまい
もはや視界が全然利かない状態。日が暮れてあたりは暗くなり
霧の白さと夕刻の暗さで何にもわかりませ〜ん(爆)
祖谷渓一番の名所、小便小僧の前も通ったんですが
とても写真を撮れるような状況ではありませんでした。
きっと晴れていれば凄い風景が広がっていたんでしょうけどねぇ。
仕方がないのでこれ以上の観光は諦め、宿へ向かいました。

今夜の宿は白地温泉の高台にあるんですけど
確かこの辺にも城跡があるはず。今日最後の締めにせめてもう1箇所
城を落としたいと思い、宿近辺をぐるぐる回り、
それらしい標識か何かはないかと探したんだけど…。
地形的に見て、宿の敷地が城の曲輪っぽくなってるんだが
いや、いくらなんでもそりゃないだろうし。
他に城になりそうな地形の場所は?案内は??
散々悩んだ挙句、ヒントが見つからなかったので諦めました。
一晩休んで頭を冷やし、ゆっくりと考え直そう…。




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