いわゆる「行基図(ぎょうきず)」から始まり…
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「行基図」と云うのは、奈良時代の高僧・行基が救民のため
全国を行脚したという伝説に仮託し、畿内を中心に日本の諸国が
どのように連なっているのかを示した“模式図”的な地図の事だそうで。
実際に行基さまが地図を作ったと言う訳では無いそうですが、
弘法伝説と同じく、全国行脚をなされた事で
「日本の国の姿を明らかにした」という話に繋げているようですな。
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江戸時代中期には、精度を高めた
「赤水図(せきすいず)」が出て…
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「赤水図」と云うのは、江戸時代中期の
地理学者・長久保赤水図(ながくぼせきすい)が
当時の技術を駆使し、ある程度の測量・計算を
行った上で制作した地図。「伊能図」が出るまでは、
これが最新の精度に基づいた地図で
実用に耐えうるものとして重宝されていたとの事。
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そして皆様御存知の「伊能図」の登場!
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所謂「伊能図」正確には「大日本沿海輿地全図」
江戸時代後期の地理・天文学者である伊能忠敬が
全国をくまなく実測調査したデータから制作した地図。
その精度は、現代の衛星地図と遜色ないレベルです。
伊能忠敬は、測量によって地図生成に必要な「データを収集」し
(なので、必ずしも本人が行った測量だけではない)
その数値を元に、図面が制作されたもの。ですから
忠敬の死去の後、この地図は完成したのですが
(忠敬はあくまで地図データの収集と制作方法を示した形)
その偉業は間違いなく、彼の功績という事になります。
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