1998年6月 中部地方大周回

旅行期間:1998年6月6日(土)夜半出発〜6月14日(日)深夜帰着

主な滞在地
6月07日(日):
松本城・開智学校・松本神社・上高地・平湯大滝・高山市内各所
6月08日(月):
松倉城址・白川郷・郡上八幡城・犬山城・大垣城
6月09日(火):

日牟礼八幡宮・近江八幡城跡・安土城址・彦根城
長浜城・小谷城址・一乗谷城跡・福井城址
6月10日(水):

永平寺・丸岡城・東尋坊・吉崎道場・大聖寺城跡
小松航空プラザ・安宅関跡・小松城址
6月11日(木):

兼六園・金沢城址・尾山神社・能登金剛・総持寺祖院
輪島千枚田・時国家・曽々木海岸・恋路海岸
6月12日(金):
七尾城跡・高岡城址・富山城址・称名滝・悪城壁・翡翠海岸
6月13日(土):
越中宮崎城跡・親不知・春日山城址・林泉寺・高田城・野尻湖
6月14日(日):

小林一茶旧宅・戸隠神社・大峰城跡・善光寺・川中島合戦場・海津城址
上田城・別所界隈古刹・生島足島神社・信濃国分寺跡・懐古園(小諸城址)
中部地方大周回行程地図


京都日帰り旅行からわずか2日後、興奮も冷めやらぬ6月6日の夜
自宅を出発したかすこば。成り行きで行った京都とは違い、
今回の旅行は前々から計画していた中部地方大周回の行程でござる。
例にして例の如く、夜間の移動で距離を稼ぐ拙者流の出発で
相模湖ICから中央高速を北上、岡谷JCTから長野自動車道に移り
みどり湖PAで夜明かしして翌日の朝を待った。
茅ヶ崎を夜8時ちょっと前に出発し、みどり湖PAに着いたのは11時過ぎ。
たった3時間強で宿営地に到達したため、さしたる疲労もなく
翌朝まで悠々と寝られたのが非常に良かった〜♪

で、夜明けと共に行動を開始。松本ICを下りて最初の目的地・国宝松本城へ。
朝7時には松本の町に入り、城への登城に取り掛かる。
黒光りする天守群の雄姿を拝み、しばし感動。さすが5重天守は迫力ありますな。
水濠越しにそびえるというのもまた美しい。(なんだかベタ褒めだけど)
小学生の頃に一度来た事があったのだが、そんな昔の事はうろ覚えなので
改めて、自分の足で松本城を再確認するというのが
今回の旅の目的の一つだったのだが、やはり来て良かった。
黒門(松本城の入城口)から本丸に入り、もちろん天守にも登郭。
天守の上から本丸の縄張りを眺めその妙に感服したり、
急な階段を上り下りする事で松本城が「実戦の為の城」と言う事を体験したり、
とにかく現存天守は嘘偽りない歴史を物語ってくれたのでござった。
国史跡 松本城
国史跡 松本城

松本市の中心にある松本城は
戦国時代から安土桃山時代にかけて整備された平城。
信濃の歴史を語る上で欠かせない名城で、
城域は国の史跡に指定されている。
もちろん、大天守・乾小天守・渡櫓
辰巳附櫓・月見櫓から成る天守群が
国宝というのは言うまでもない。

本丸から北へ歩けば、そこは二ノ丸跡。ここはかつて御殿があった場所だが
建物は残っていないため、敷地跡が平面表示されている。
その二ノ丸からさらに北側、道路を隔てた所にあるのが松本神社。
小ぶりな神社だが、新緑に囲まれて何だか雰囲気がある。
松本神社からなお北へと歩を進めると、見えてくるのが有名な開智学校だ。
明治の新学制成立と同時期に作られた学校で、日本最古の新学制校舎の一つ。
松本城と並ぶ、この町の代表的な観光名所でござるな。
白壁で作られた校舎は、現代の小学校と比べれば小さなものだが
当時はかなり大きな建物であったろう。“ハイカラ”な感じの洋風建築で、
中央玄関の上、2階部分にあるバルコニーには「開智学校」の扁額が。
さらにその上部屋根には教会?を思わせるような展望塔。
まぁ、こんな説明を書かなくても、有名だから皆さん知ってますでしょ? (^^;

松本市内の観光はこれくらいで切り上げ、車を西へと走らせる。
国道158号線を飛ばせば、次第にあたりの景色は町並みから山へと変化していく。
名残惜しくも松本城を早々に立ち去ったのは、この山の奥にある景勝地を眺めるためだ。
そう、今回の旅行で最大の目的となる上高地を見に行くのでござる。
梓川を上流へと向かい、無数の狭いトンネルを抜けて標高を上げて行き
梓湖の端、梓村営沢渡(さわんど)駐車場へと到着したら
ここで一旦車を置いて路線バスへと乗り換える。環境保護のため、
上高地へは自家用車の乗り入れが一切禁止されているのだ。
もちろん、このバスも電気駆動のもので、エンジンからの排気ガスが出ないもの。
こうした努力で上高地の自然が保護されているのでござるなぁ、と感心。
20分ほどバスに乗り、上高地入口になる大正池前のバス停で下車すると…そこは別天地。
見渡す限りの鮮やかな緑、どこまでも澄み切った川の水、そして天を突くような山々!
さすが手厚く保護されている環境だけの事はありますなぁ。
この素晴らしさはいくら言葉を重ねても表現しきれないというのが正直な感想。
大正時代、焼岳の噴火で川がせき止められて出来たという大正池から散策を開始し
1時間半ほどの徒歩の間、田代池・穂高岳・河童橋といった数々の名所を目に焼き付け申した。
何と言っても川の水が美しい。真っ青なブルー、いや、まさに「水色」の水で
山の緑とのコントラストがあでやか。それに加えて、野山に咲く花の色が綺麗。
偶然にもこの日はウェストン祭の当日で、山を歩く人たちは皆楽しげでありました。
この祭典は、明治初頭に上高地の素晴らしさを全世界へ広めたイギリス人牧師、
ウォルター・ウェストン氏の功績を称えるイベントです。
…って、拙者は祭りの予定を知らずにたまたま行き合わせただけなんだけど (^^;;;
国特別名勝・特別天然記念物 上高地
国特別名勝・特別天然記念物 上高地

この水の青さ、緑の美しさ!
もう何も言う事ないでしょう。
ただただ、「来て良かった…」という感動しきりです。

上高地からバスに乗り沢渡駐車場まで戻り、再び車を走らせる。
そのまま国道158号線を西に向かい、上高地の入口を通り過ぎた所で
この当時開通したばかりの安房(あぼう)峠トンネルを通行。
普段はあまり有料道路を使わない拙者だが、今回は「開通直後」の物珍しさと
トンネルを使わず旧道を行った場合の時間ロスをなくすために
このトンネルを走破してみた。新しい道路だけあって、さすがに快適だね。
あっという間に安房峠の反対側、平湯温泉郷に抜けてしまった。
で、トンネルの出口付近にあるのが平湯大滝。平湯温泉郷の名所となる大滝で
落差64mという高さは圧巻。しばし見とれました…。

平湯からさらに西へと走り、山を下った所にあるのが飛騨の小京都と呼ばれる高山の町。
ここは見所が沢山ありまっせー!
とりあえず市内をぐるぐる回りながら、手当たり次第で観光する事にし
まず最初に行き当たったのが高山別院。山号は光曜山、正しくは照蓮寺と言い
浄土真宗の大寺として有名でござるな。現在の建物は昭和の再建なのだが、
正面にある大きな唐門は貫禄ありますな。
続いて向かったのは、やはり城!高山は豊臣秀吉の全国統一によって
金森長近の統治下に置かれた町。その長近が用いた城郭が高山市街地の南隅にあり
現在は城山公園として開放されている。公園に向かう道すがら、
飛騨護国神社を発見、さらには照蓮寺の古建造物もお目にかかった。
あれ?高山別院が照蓮寺なんじゃないの?という感じだが、
照蓮寺というお寺、もともとは白川郷にあった寺で
高山の町に移転となり、大寺に発展したと言う。
その際に建築物も移築されたのだが、その建物は城山公園の麓に置かれ、
これとは別に寺の寺務を行い、信仰の中心となったのが高山別院になったそうな。
(まぁ、あまり詳しい事はわからんが…)
ここにある照蓮寺の古建造物は、室町時代の造営と言われ、国の重文に指定されている。
国重文 照蓮寺本堂
国重文 照蓮寺本堂

こざっぱりした建物ですが
築500年を越す由緒あるものらしいです。
あまり有名ではありませんが、結構いいかも。
城目当てに来たのに、何だか色々と興味を惹くものがあるなぁと思いつつ
ようやく目的地の城山公園に到着。だいぶ綺麗に整備された都市公園で
急な坂道を登る必要がある割には、訪れる人が多いようだ。
で、ここが長近の整備した高山城の跡というワケなのだが
あまり有名な城でないせいか、「城跡」という事をアピールする案内などは少ない。
金森長近の銅像があるにはあるのだが、地元の人でさえ「誰これ?」という感じなのかなぁ。
その昔、城が建てられた当時は「天下に三指と数えられる名城」と呼ばれていたそうだが…。
今は昔日の面影少なく、わずかに天守台の石垣が残る程度。
それでもまぁ、城マニア的にはOKだけどもね★

城山を下りて、再び高山の市街地へ。
続いて向かったのは高山陣屋でござった。
高山城よりもこちらの方がずっと有名ですわな。
江戸時代に入り、金森氏が移封されると高山は幕府天領となり
高山城は破却され、この陣屋が統治の本拠となったのでござる。
全国でも陣屋建築が完存しているのはここ高山だけ。
これはぜひ見に行かねばならない名所中の名所ですな。
って、時計を見たらもう5時?!まともに見る暇ないじゃん!ひぇ〜 (><)

結局、高山陣屋は駆け足で通り抜けるに留まり、
この日の締めくくりとして古い町並みを散策する事に。
明治以降、高山陣屋に代わって行政の中心となった
旧高山町役場の建物が保存されているのでそこへ行ってみたり、
古くからの佇まいを残す裏路地を歩いてみたりしたが
もういい加減宿へ向かう時間になったので、これにて終了。
安宿狙いのかすこばが選んだ宿は(何せ貧乏人ですから)
高山市の西外れにある国民宿舎飛騨。
高山駅の東側に開けている高山の町からJR高山本線の跨線橋を渡り
西市街地へと移動、ほどなく宿に到着したのでござる。
一日めいっぱい動き回ったものの、さしたる疲労もなく
宿でくつろぎながら夜は更けて行ったのでありました。




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