2002年10月 街一番号引退記念遠征(2)

毎度毎度、車中泊が恒例となっているかすこばの旅。
今日も車で夜を明かし、朝6時に起床。車を停めた郊外から
宇和島市街地へ出発、開門とほぼ同時に城跡へ立ち入ったのは
現存天守を有する希少なお城の一つ、宇和島城です。
昨日は微妙に小雨が降ったりやんだりしたあいにくのお天気でしたが
今朝はとりあえず、もう雨は降らない感じ。うん、幸先良いぞ!
雨上がりの爽やかな空気の中、桑折(こおり)家屋敷門を通り
いざ宇和島城内に突入、山肌を舐めるような登山路を登ります。
途中、所々に城跡の痕跡がいくつも登場。井戸あり、曲輪あり、
かつての武家屋敷の移築建築物あり、そして土塁に石垣…。
コンパクトにまとまった、比較的小さめなお城なんですけれど
それだけに城郭の遺構が濃密に詰め込まれているようです。
で、最上段まで上がると、小ぶりながらスタイリッシュな天守がお出迎え!
朝一番の登城でしたので、管理人さん以外は誰も居らず、静寂のひととき。
本丸からは朝霧にけむる宇和島の町と豊後水道が見え、壮観でした。
国重文 宇和島城天守
国重文 宇和島城天守

山を登る道すがら、振り返るとこの姿。
いやもう感動的ですよ、ホントの話。
ちなみに、これを撮影した時点では
まだ管理人さんも登頂していなかったようで
天守入口の扉が閉まってるんですが…わかります?(難)

朝食を摂ろうにも、まだお店は全然開いてないので
とりあえずコンビニでサンドウィッチを買い、運転しながら口に。
宇和島市から国道56号線を走り、海沿いに南下していきます。
松尾トンネルを抜けると津島町。リアス式の海岸を右手に眺めれば
入り組んだ山並みと小さな湾が交互に姿を現します。
そうこうしている間に、車は宿毛市に。ここで国道321号線に入れば
足摺岬へ行く事ができます。四国最南端、見てみたいんだよねー。
でもきっと、そっちへ行っちゃうと確実に
とんび殿との待ち合わせに遅れちゃうんだよねー (^ ^;
悩みに悩んだんですが、さすがにそれはマズいと思い、
泣く泣く、そのまま国道56号線を直進しました。

足摺岬を諦めた分、せめて城攻めしないと(笑)
という事で、四万十川に架かる渡川大橋を渡った所で国道を折れ、
中村市役所裏手の山を登ります。ここが中村城の跡。
土佐の小京都と称される中村市は、戦国時代に一条氏が拓いた町。
その一条氏が居館としたのがこの中村城跡で、
中村市街地を統べるに適した山となっております。
何と言っても、四万十川の真上に建つお城って絵になるじゃないですか!
資料館として建てられた模擬天守がちょっと…という感じでしたが
(だって、いかにもニセモノっぽいんですものW)
城中には細かく案内が記されていて、お城初心者でもわかりやすい史跡でした。

中村を出た所で時刻は既に正午すぎ!いや、ヤバいぞこれは。
いくらなんでも時間かかりすぎだろう。
って言うか、四国の道は遅すぎ!どうしてみんなこんなにノロノロ走るの?!
これじゃとんび殿の待ち合わせに間に合うかどうか…。
他にも観光したかったんだけど、もうそういうのはぶっ飛ばして
一気に国道56号線を東に向かい、少しでも時間を稼ぐ為
須崎からは開通したばかりの高知自動車道を一区間だけ利用(笑)
いやぁ、どうにかこれで遅れを取り戻したかな。
せっかく高知まで来てるんだから、せめてもう少し観光させてくれという感じで
土佐市から再び一般道へ出て、仁淀川沿いから海岸線に向かいました。
仁淀川河口
仁淀川河口

10月の話ですが、何だかまだ夏のような光景。
土佐といえば“日本最後の清流”と讃えられる
四万十川が特に有名ですが、個人的には
この仁淀川の方が綺麗な川に見えました。
高知県道14号線は海沿いを走る道。これを東に進むと
有名な桂浜です。途中、道路標識を発見して慌てて立ち寄った
浦戸一揆供養六地蔵を見学もしました。浦戸一揆というのは、
関ヶ原合戦の後、新たに土佐の領主となった山内一豊が
旧領主の風土を懐かしむ在地の武士を粛清した戦の事です。
互いに意見はあったものの、結果として弾圧された国人らは
土佐藩の治世下においても抑圧され続け、幕末には体制破壊の原動力になります。
歴史の因果は繰り返される…というものなのかな?
坂本龍馬像
坂本龍馬像

ちゃんと普通の観光もしてますよ(笑)
桂浜に来たからには、これは見ないとね。
ちょうどイベントをやっていて、
龍馬像と同じ目線で太平洋を眺める事ができる
仮設の櫓が用意されていたので、そこから撮影。
ちなみに、坂本龍馬も浦戸一揆によって弾圧された
国人の家系に生まれた人物です。
さて、土佐の観光名所・桂浜。ここは見ておかないと。
何と言っても…浦戸城の跡ですから(また城かい!)
大概の観光客が砂浜へ下りていくのに、オイラだけは山へ登ります(爆)
ふむふむ、少しだけ石垣が残ってるのね。それに井戸と天守台…。
まぁ、観光地の脇で放置された城跡ってのはこんなもんかねぇ。
で、城跡から下って山の麓へ行くと…なになに、浦戸砲台場跡?
おぉー、つまり桂浜そのものも台場として使われてたって事なのね。
まぁ、一般の観光客はそんなの全然興味ないだろうけど、
こういう細かい史跡って、結構身近にあるもんなんですねぇ。
桂浜
桂浜

だから普通の観光もしてますって(大笑)
浦戸砲台場から桂浜を遠望した写真です。

桂浜を後にして、県道34号線を北上。途中、若宮八幡宮の手前にある
鎮守の森公園で、土佐を代表する武将として有名な
長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の銅像を発見し、思わず寄り道(笑)
然る後、とんび殿が競技に参加した春野運動公園の競技場へ向かいました。
到着したのが、ちょうどとんび殿の退出時刻。いやぁ、バッチリやね(苦笑)
で、彼を乗せて高知市街地へ向かいました。要はもう帰ればいいんですが
その前に、高知の町の中を観光しようという事でして。
午後の大渋滞に巻き込まれつつ、はりまや橋の前を通り抜け
到着したのはそう、高知城です。
(高知市内の観光地と言えば、城マニアじゃなくてもここでしょ?)
江戸時代からの建物が数多く残る高知城は、
入口の追手門からして現存建造物でド迫力!
そこから石段を登っていくんですが…石垣も見事だし、
ホントに城マニアを厭きさせませんねぇ。あちこち見物しつつ、二ノ丸へ。
ここから廊下橋を渡って本丸へ入りますが、これも当然歴史的建造物。
本丸の中へ入れば…うぁー、古建造物がギッシリ!
全国数多くの城があれど、本丸内の建物が全部残っているのはここ高知城だけ。
江戸時代以来の本丸御殿が建っているのも、埼玉県の川越城とこの高知城のみ。
もっとも、川越城の本丸御殿は部分的に残っているだけなので、
完存しているもの、という意味で言えば高知城だけですね。
本当に高知城って凄いお城なんですよー!! 感激! (^-^)
国重文 高知城天守と本丸御殿
国重文 高知城天守と本丸御殿

城マニア的に解説すると色々語れる建物なんですが
詳しい事は抜きにして、とにかく写真をご覧下さい。
御殿も天守ももちろん内部に入って見学できます。
ここはもう是非!見て頂きたい建造物ですね★
御殿の中を拝観させてもらえば、意外に質素な作り。
お城のお殿様…というと、きらびやかな装飾で
目がくらむような部屋に居るようなイメージがありますけど
いやいや、実際はこういう落ち着いた中にいらっしゃったんですな。
天守に登り最上階に上がれば、おぉー!いい眺めだ!!
城下の町はもちろんの事、市街地を取り囲む山並みがぐるりと見渡せます。
もっとも、高所恐怖症のとんび殿は怖がって見ようともしてませんでしたが(爆)
そりゃ怖いかもしれないけどさぁ、せっかくここまで来たんだから
こういう時くらいは頑張って見回してみようよ〜 (^ ^;;;

さて天守から下りて、もと来た道を引き返します。
二ノ丸からはわざと搦手方面へ回り、杉ノ段曲輪の方も見てみたりして。
陽は既に西へ傾き、高知市から離れる頃には夕方5時近く。
本当は欲張って他の城も見られたら…と甘い期待をしていたんですが
さすがにこれは無理そう。素直に諦めて、高知ICから高速に乗りました。
ここまでずーっと運転しっ放しだったので、とんび殿にハンドルを預け
オイラは車中で少しばかり仮眠を取らせて貰いました。
で、寝ている間に車は進み、高知自動車道から高松自動車道へ。
目を覚ました頃には、鳴門海峡の少し手前で、
大鳴門橋から淡路島に突入。淡路SAで休憩を取り、対岸にある
神戸の夜景を眺めた後、再び出発。明石海峡大橋を渡れば、
ようやく本州へ戻ってきました。そのまま阪神高速神戸線を使い
さきほど見た神戸の夜景の中を走破、西宮ICから名神高速に替わり
夜通し交代で運転し、無事茅ヶ崎へ帰ってきたのでありました。



後段

で、帰ってみれば街一番号の走行距離、25万kmまであと100kmほど。
ボチボチと日常的に使ってましたら、すぐに25万kmを達成しました。
ところがまぁ、肝心の新車がなかなか納入されない (^ ^;
どうも人気車種らしく、生産が追いつかないみたいでして
結局、手元に来たのは高知遠征から更に1ヶ月後の事でした。
ま、さすがに1ヶ月あったからと言って
2000kmを消化する事はなかったでしょうから、
四国まで出張したのは大正解だっただろうけどね(笑)
兎にも角にも、街一番号お疲れ様でした!


◆◇◆ 遍路道 友の迎えと 楽しみて 愛車と別れも 想いつれづれ ◆◇◆




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