2002年10月 街一番号引退記念遠征

旅行期間:2002年10月19日(土)夜半出発〜10月22日(火)早朝帰着

主な滞在地
10月20日(日):しまなみ海道・因島・今治城・松山市内各所・大洲城
10月21日(月):宇和島城・中村城・桂浜周辺・高知城・明石海峡大橋
街一番号引退記念遠征行程地図


前段その1

当時の拙者の愛車、街一番号。北は青森から南は鹿児島まで、
日本全国通津浦々を走り抜け、総走行距離は24万kmを越していた。
この車のクセで、2度ほど電気系にエラーが発生したものの
それ以外は特に大きな故障もなく、元気に走り続けていてくれた。
嫁を娶った後もまだまだ使うつもりでいたのだが…、
2002年の夏の終わり、度重なるトラブルに悩まされるようになった。
まず始めは室内灯。そんな所は誰も壊すような取り扱いをしていないのに
いきなり、ごっそりと電灯のプラグ部分そのものが抜け落ちた!
なんぢゃこりゃ?!と思っていたら、今度は方向指示灯が球切れに!!
これは困ったと悩む所にとどめの追い討ち、なんと
運転席の窓ガラスが―――外れた!!!
くれぐれも言っておくが、割れたのではなく外れたのである。
割れたのならそれなりの理由もあるだろうしまだ諦めもつくが、
外れるってどういう事だよ!
某ショッピングモールで買い物した時の事。駐車料金を精算するため
パワーウィンドウを下げて駐車券を機械に差し込み、
出庫口の遮断機が上がったので車を走らせ、窓を上げる操作をしたのだが
? 上がらない?? 何度操作してもダメ。
仕方がないのでそのままディーラーに持って行き、点検してもらうと
「窓の留め具が腐食してますね。既に部品の寿命ですので、
 応急処置で留め直しますが、次に外れたらもう無理ですね」だって。
うぁー痛たたたた!ここまで頑張ってくれた街一番号だが
さすがに老衰か…。機械類って一度壊れると次々ボロが出るものだから
窓の次は走行系に致命的ダメージが出るんじゃなかろうか?!
名残惜しい(本当に惜しい)んだけど、この車と別れる時が来たようだね。
何とかお金を工面して、次の車の購入を決断。街一番号と過ごす時間は、
新車が納入されるまでのわずかな期間だけしか残らなくなった。
25万km達成まで、あと2000km程だったんだけど…これは無理そうだなぁ。


前段その2

新車購入を決めて数日後、拙者の親友・とんび殿と話をしていた時の事。
何でも10月に陸上競技の全国大会とやらに出場するらしい。
とんび殿は(拙者とは正反対で)筋金入りのアスリートなので
まぁ、そういう大会に出るのは当然だろう。で、場所は高知でやるそうな。
へー、四国かぁ。香川と徳島には前に一回行ったなぁ。
高知ね、いいねー、楽しそうだねー、え?何?
帰りの交通手段が不便だから、車で迎えに来い??
そんな、お前、四国なんてそう気軽に行ける場所じゃないじゃん!
往復したら1500kmくらいは掛かる…ん?待てよ?1500km?!
街一番号の引退記念で走れば、25万kmに手が届くぞ?
…これはとんび殿に貸しを作るためにも、行くべきだな ( ̄ー ̄)ニヤリッ!



―――斯くして、間違いなく冗談で発した筈の「迎えに来い」という言葉は
色々な思惑が重なり合って、高知行きという無謀な計画を実行させたのである。

で、出発の日・10月19日の夜。嫁さんは実家に帰省するって事で
送り届けて、オイラ一人で夜間行軍に出発。とんび殿は一足先に
もう高知に入ってるので、行きは気楽なわがまま旅ができるというもの(笑)
特に予定を決めていない旅だったので、
適当に仮眠を取りつつ東名→名神→山陽と高速を乗り継ぎ、
何とか福山SAに到着。深夜を通り越し、既に明け方という様子になってましたが
とりあえずここで夜明かしする事にして、眠りにつきました。

さて、明けて20日の朝。ここから今回の旅の本番でござるぞ。
以前、四国に行った時には明石海峡大橋と大鳴門橋、
それに瀬戸大橋を制覇しているので、今回はしまなみ海道を選択。
福山西ICでいったん高速を下り、尾道大橋と因島大橋を渡って
因島に上陸しました。せっかくしまなみ海道を通っているんだから
瀬戸内海の島でも観光しようと思い立ち、まず因島北ICで一般道へ。
地図帳を見てみると、なになに?因島水軍城?
確かに因島と言えば村上水軍の本拠地だけど、こんな城あったかなぁ?
半信半疑で行って見ると、城郭…風の展望台なのね (^ ^;
真面目な話、水軍を率いた因島村上氏の菩提寺・金蓮寺なんだね、ここは。
城は完全にニセモノだったけど、村上氏の墓所を
見たという意味では貴重だったかも(爆)

で、続いて訪れたのが石切神社。
村上水軍と並ぶ(?)因島の歴史的有名人、本因坊秀策を祀る神社です。
秀策って誰?という方もいらっしゃるかもしれませんが
この方、江戸時代末期の碁打さんであらせられます。
碁打ったってそんじょそこらのレベルじゃない、
囲碁史上最強、現代に至れども
秀策に勝てる者はないだろうと言われる人物なんですね。
まぁ、私も囲碁は全然詳しくないんですが
それでも名前くらいは知ってるぞ、という碁の神様ですよ。
民家が並ぶ静かな町並みの中、ひっそりとある神社なんですが
境内には誇らしげに「本因坊秀策碑」が建ってました。
石切神社 本因坊秀策碑
石切神社 本因坊秀策碑

数年前、囲碁ブームを巻き起こした
某囲碁漫画でも登場した秀策の碑です。
実際に訪れると小さな小さな神社なんですが
これだけ大きな碑が建てられている事に
秀策を大切にしている地元の心意気を感じました。

さて、因島だけでゆっくりしているワケには行かないので
ボチボチ出発。しまなみ海道の橋を使い、生口島そして大三島へ。
確か大三島は高校の修学旅行で来た事があって、
何やら国宝が山ほどある島だと聞いたような気がするんだけど
今回は時間もないのでスルー (^ ^;
自称歴史好きとしては、ちょっと失格でしょうか?
とりあえず、更に伯方島・大島を通り抜け
いよいよ来島海峡を渡って四国へ上陸です!
時刻はこの時点でもう正午になろうかという頃でした。

今治北ICで国道196号線を南下、向かったのは吹揚公園こと
今治城跡でございます。この今治城は、築城名人として有名な
藤堂高虎が築いた海城で、“高虎流”と呼べる独自の工夫が随所に見られます。
海城らしく、かつて堀は海と繋がっていたし
何と言っても直線を基調とした石垣が見事!
明治維新で廃城となったものの、昭和から平成にかけて
少しずつ復興され、いくつかの建物が再現されています。
もし全部復興されたら、さぞかし壮観だろうなぁ…。
今治城復興天守
今治城復興天守

高虎の築いた今治城天守は
後に丹波亀山城へ移築されました。
昭和になって復興されたこの天守は、
高虎時代にはなかった
破風や石落しが附けられてしまい
城郭ファンからはあまり芳しい
評価がされていないんですけど
個人的には、これもアリかなと思います (^^;

今治から松山へ向かう道は国道317号線。
海沿いの国道196号線を使う手もあるんだけど
そっちは多分混むだろうし、山を抜けたほうが
道後温泉のすぐ裏側に出られるので、便利だろうと。
で、松山市街地に入ってまず最初に行ったのが道後公園。
ここは戦国時代の城郭、湯築(ゆづき)城の跡。
街中にある閑静な緑の山なんで、一見するとここが城跡?って感じですが
いやいや、城マニアの目で見ると見事な堀や土塁が…(笑)
国指定史跡なので、綺麗に復元されている所もありますね。

国重文 道後温泉本館
国重文 道後温泉本館

少しは観光写真っぽいものも掲載(爆)
道後公園のすぐそばにあるのが観光名所として名高い道後温泉本館。
趣のある木造の建物は、現役の温泉として営業していながら
国の重要文化財に指定されていますな。あたりには
松山市電の路面電車が走っていて、観光ムードたっぷり★
あ、坊ちゃん列車もいる〜♪ (^-^)
坊ちゃん列車
坊ちゃん列車

運行時間以外は、こうして路上展示されてます。
運転時刻になると、動き出しますよー!

そしていよいよ、本日の目玉〜!
松山にきたらここ、松山城ですね。
松山市街のど真ん中、城を作れと言わんばかりに小さな山があり
頂に小ぶりながら堂々とした天守がそびえ立っております。
本当は麓から山頂まで歩いて登るべきなんでしょうが、
さすがに時間がないので、ロープウェイを利用(軟弱者w)
しかしそれでも、下車してからさらに歩きます。
でもまぁこれが楽しいのなんのって! (^^)
登城路を歩けばそこかしこに石垣やら門やらがあって
まさに城郭遺構の宝庫!!よくまぁ、山の上にこれだけの遺構があるもんだ。
復元された建物も含め、見所満載で…時間が足りないぞ(困)
城内をダッシュで駆けずり回り、もちろん天守にも登り、
思いっきり名城を堪能いたしました!

松山城を退出した時点で、時刻はもう4時過ぎ。
えーっと、愛媛県はまだまだ見るべき城跡が沢山あるんだけど…。
とてもこのペースでは廻りきれない!! (><)
とりあえず次の目的地まで急行するため、松山ICから高速に乗り南下。
ところが、どうにも進みが遅い。
オイラが焦っているせいもあるだろうが、いや、それ以上に
実際問題としてこのスピードは遅い。
とても高速道路を走っているとは思えない遅さ。
別に渋滞しているわけではなく、路上の車が全体的に
ノロノロしたペースで走っている。何故?
四国の道って、こんなもんなんですか?? (ー"ー)
こんなんじゃ埒が開かんわ!

で、大洲ICで高速を下りたんですが、既にとっぷりと日は暮れて…。
あたりはもう真っ暗。しかも、高速を下りてからもなお
大洲市街地へ向かう国道56号線はダラダラ運転。
どうやら、これは帰宅ラッシュの時間に当たってしまったらしい。
もうダメだと諦め、開き直って夜討ちモードに切り替えました。
そんなこんなで、ようやく辿り着いたのが大洲城
ここは現存の櫓がいくつか残されているので
まずその中の一つ、三ノ丸南隅櫓を見に行きます。
大洲高校の敷地脇にあるこの櫓、非常に均整の取れた二重櫓です。
さらに苧綿(おわた)櫓を見るために肱川の河畔へ出て見上げれば
おぉ、何とも幻想的な雰囲気…これは夜討ちで良かったと言うべきか?
ところが、そのまま本丸へ登って他の櫓も見ようと思ったら
この当時、天守復元工事が始まったばかりで、惜しくも本丸内は立入禁止。
せっかく坂を登ったのに、これは無駄足になりました (^^;
物事、なかなか上手くはいかないものですねぇ。
大洲城本丸の夜景
大洲城本丸の夜景

天守復元工事の足場が組まれた本丸の風景です。
写真が小さくて見難いかもしれませんが、
旗印に「作事」って書かれているのが秀逸!
これから建てられる天守の大きさが
電飾で示されているのもオシャレ♪
足場鉄骨の手前に建っているのが
国指定重要文化財の高欄櫓です。

本丸へ入れなかったとはいえ、大洲城の雰囲気を堪能した拙者は
このまま調子に乗って次の城も夜討ちで落とす事を画策し
一路、宇和島へ向かいました。ところがまぁ、大洲と宇和島って
一直線に国道で繋がっていてしかもこの時間だから交通量もガラガラなのに
結構時間がかかるんですねぇ。そんなこんなで、宇和島市内に入ったのは
夜の9時過ぎ。で、城へ行ってみたものの、宇和島の城は
夜間閉鎖になるようで、ものの見事に入れませんでした(爆)
この城は何としても見たいので、夜明かしして明朝の朝駆けをする事に決定。
そういえば夕食を何も食べてない事に気づき、
市内の食事処を探してうろつき…結局、ファミレスで (^ ^;
(だってそこしか開いてなかったんだもん!ありがとう、ジョ○フルさんw)
食事の後、飛び込みで泊まれるような宿を探して
またも市内をうろつき…結局、車中野宿で (^ ^;;;
何だかドタバタしつつ、眠ったのでした。




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