2000年10月 北東北旅行(2)

さて、朝になりました。野田から出発する今日の予定はまず久慈へ。
然る後、南部氏関連の城を次々と攻略する手筈です。
国道45号線を海に沿って北上するルートは、三陸鉄道の北リアス線とも
並行する道なんですが、宿を出て数分すると道の駅が見えてきました。
道の駅「のだ」、何とここは本当に鉄道の駅にもなっています。
三陸鉄道の陸中野田駅が、駅前広場を利用して道の駅になっているのです。
ほぉ、これは面白うござるなぁ。間違うことなく、正真正銘の駅だもんねぇ。
駅舎もガラス張りのモダンな作りでとてもオシャレ。なかなか楽しめます。
三陸鉄道 陸中野田駅
三陸鉄道 陸中野田駅

道の駅にもなっている三陸鉄道の陸中野田駅。
わかりやすくて良いッスね (^-^)

さて、浜街道こと国道45号線を進めば久慈市に入り、
バイパスを抜けて市街地に突入しました。ここ久慈は琥珀の町として有名です。
そんな街中は朝の出勤時間らしく、道路もやや混雑気味。
市街で特に観光する予定のない拙者なぞは早々に退散した方が良さそう。
久慈川を遡る国道281号線に入り、郊外の久慈城跡へやってきました。
市の史跡になっている城跡、案内の看板を見ると結構立派な様子なのですが
入口の階段を登ろうとする時点で、蜘蛛の巣だらけ…。
うぁー、史跡に指定している割には全然手入れしてないなぁ。
どうにか階段を登りきって曲輪らしき場所まで到達しましたが
その先は―――完全に藪。右も左も前も、すべて藪。
こっ、これは、全然進めないよ。無理だよ。藪漕ぎするつもりなんか無いもん!
ダメだこりゃ、と諦めて引き返す事にしました。

ところが泣きっ面に蜂、何とかの法則のように運の悪い事は続くようでして
停めていた車を動かそうとしたらぬかるみにハマッてしまった!
ゲ、マジかよ。こりゃ完全にスタックしたぞ(汗)
こんな所で助けを呼べるはずもないし…。というか、誰もいないし…。
身の危険に直面し、さすがに本気で青ざめました。
どうにかして自力でタイヤを何とかしないといかん!
周りにある芝草をかき集め、駆動輪の下に入れてみるが
それすらもスリップして空回り。枯れ木で試してみても不十分。
1時間ほどの悪戦苦闘の末、車中に予備で置いていたタオルを
ありったけ敷き詰めて、ようやく脱出。あーぁ、何枚無駄にしたんだか。
当然その後の予定は大幅に狂ってしまいました (TヘT)
ちくしょう、ひでぇ目にあった…。

久慈渓流の綺麗な景色を眺めながら走っていると、次第に気分は落ち着きましたが
泥だらけで汚れたこの手を洗いたい。と思ってたら、どうやらこの先に
またもや道の駅があるらしい。助かった〜、と安堵し
その道の駅「白樺の村やまがた」で一休み。何だか朝から酷い目にあいましたが
ここでリセットし、気分を一新して出直す事にしました。
久慈渓流
久慈渓流

何だかんだ言って、良い景色があると
キッチリ写真を撮っているかすこばであります。
岩手県道6号、一戸山形線は爽やかな高原ルートの道で
途中にはのどかな牧場もあったりするのね。そこを通り、九戸村へ。
無駄に費やした時間を取り戻すため、一区間だけでも高速を使う事にして
九戸ICから一戸ICまで走り、国道4号線に入りました。
で、一戸からすぐに市境をまたいで二戸市に進みます。
(九戸だの一戸だの二戸だの、何だかわかりにくいなぁ)
何で二戸に来たかというと、ここには立派な城跡があるからなんですねー。
国指定史跡になっている九戸城です。
さすがに国史跡なのでちゃんと整備されてましたぞ、ここは。
九戸討伐の舞台となった城跡…二戸にあるのに九戸城というのが笑えるけど (^^;
九戸郷を領有する九戸党が本拠として使った城が九戸城と言う事で、
二戸の地とは関係ない命名だそうです。だから、二戸にあろうが
八戸にあろうが「九戸党の城」の「九戸城」なんだとさ。
そうそう、九戸討伐というのは豊臣秀吉政権最後の戦乱。
1590年の小田原征伐で東北も平定されたんですが
これに反対し、南部家の乗っ取りを図ったのが同じ南部一族の九戸政実。
南部家当主の南部信直は秀吉に討伐を依頼、九戸軍は全滅させられた事件です。
あ、ついでながら南部氏の説明も。
鎌倉時代から続く奥州の大名で、当初は岩手県北部のみを領有したが
次第に台頭し、最大期には青森県・岩手県の全域を支配した勢力でございます。
「三日月の 丸くなるまで 南部領」と謳われたほどです。

どうにも説明じみてしまいましたが、二戸からは国道4号線をそのまま北上し
いよいよ青森県に入りました!今まで青森は未踏の県でしたので、感激もひとしお。
今度は三戸町にある三戸城跡、城山公園が目的地です。
これまた南部氏関連の城郭。と言うか、盛岡の町が拓かれるまでは
ここが南部氏の本拠地だった所なんだよね。
もちろん、古くからの建物が特に残っている訳でもなく、
どうやら史跡というよりも桜の名所として有名になっているようなんだけど
それでも城郭愛好家としては行っておかねばならん場所やね。
如何にも模擬建築!という感じの資料館(温故館)や
本当に史料検証したの?と疑問になる復元門(卯辰門)がありましたが
まぁ、戦国の城跡らしい痕跡が所々に見受けられたような…。
今までは素人丸出しの城めぐりをしていたんですが
我ながら、今回の旅行は難易度高めの城跡を選択していると感じ
段々と「遺構の見方」が身についてきたような気がしてきました。

続いての見学地は八戸。国道4号線を少しばかり進んだ所で
分岐した国道104号線にシフトします。この道を直進すれば八戸市です。
ですが…どうやら渋滞気味。ノロノロ運転になってしまいました。
迂回ルートも特にないようだし、いやー困ったなぁ。
タダでさえ久慈のトラブルで大幅に遅れているのに。
少々いらつく気持ちを抑え、ようやく市内に入りましたが
今度は複雑な道に戸惑う始末。現在地がイマイチ分からない。
きっとこの方角に行けば良いんだよな?と勘任せに走り
ようやく辿り着いたのが根城(ねじょう)という城。
中世の状況を正確に再現した復元建築物が並び、まるでタイムスリップしたよう。
いや本当にここは見事です。当然、国の史跡ですし。
そうかぁ、戦国期の、陸奥の奥地の城跡ってこうだったんだぁ、と
目に見えて良く分かるようになってます。木板の塀や木柵が並び、
主殿は大きいけども簡素、納屋は竪穴式住居そのものだし。
縄文時代だけでなく、中世でも竪穴式住居って普通に使われてたんですね。
城と言うとどうしても巨大な天守や櫓が林立し、
石垣と水堀がぐるりと囲う…という風なものだと
一般の方は思うんでしょうけど、現実はこういうものだったというのが
手に取るように理解できる城跡。これはスゲーっす! (^^)
国史跡 八戸根城
国史跡 八戸根城

こちらが竪穴式住居の納屋。
この他に主殿や木柵とかが再現されています。
根城の凄さを存分に味わった後、八戸市中心部へ。
これまた、道がややこしい。少々難儀しつつ、目的地の八戸城跡へ到着。
と言っても、門がひとつ残っているだけなんですがね。
でもこの門が立派なんですよ。かなり大きな棟門。
棟門でこれほど大きいものは全国的にも珍しいようです。

城跡を2つ攻略したので、これにて八戸からは退散。
混み気味の市街地からはとっとと離脱しないと、ますます時間がなくなるからねー。
今後は下北半島方面に行こうと思っているのですが、その前に…
もう一つ城攻めしようかなー (^^;
ってなワケで、八戸から再び45号線を経由して国道4号線へと復帰し
向かったのは七戸町にある七戸城跡。
七戸郵便局、そして当時の七戸町役場の前と通過して行き、
たどり着いた城跡は公園になっておりました。
公園の周囲は割りと切り立った傾斜地となっており、
「おぉ、これぞ城と言わんばかりの立地じゃないか」と少し感心。
それでいて内部は静かな広場が広がっていて、
如何にも公園らしい公園。なぁるほどねー。
ちなみに現在は天間林村と合併した新たな七戸町になってますが
旧来の七戸町役場は支庁舎になり、天間林村役場が新七戸町役場に。
七戸町七戸にあるのは単なる支所で、
七戸町森ノ上(旧天間林)にあるのが町役場?
合併する両町村の妥協策なんでしょうが、分かりにくいよねぇ(困)

夕方になり、少しずつ辺りは薄暗くなってきました。
国道394号線を使い、十和田湖と並んで青森県有数の湖である小川原湖の畔を通過。
どうしても最果ての湖というのを見てみたかったんで、
わざと湖畔の田舎道を通りました。しかしそのせいで、どんどん日が傾いていきます。
どうしよう…。是非とも下北半島を周遊したいのですがねぇ。
希望としては霊場・恐山や本州最北端の大間崎、景勝地の仏ヶ浦を見てみたいのですが
こりゃもう絶対に無理そうだなぁ。と、とりあえず行けそうな所まで行ってみるか?
ちっくしょ〜。朝、久慈でハマらなければ余裕で下北半島まで行けたのに…。
悔しがりながら車を走らせれば、案の定、日が沈んであっという間に暗くなりました。
ダメだこりゃ、と諦めて宿へと向かう道に切り替えようとしたのは六ヶ所村役場の前。
ん?六ヶ所村?ここがあの、原子力で有名な六ヶ所村か!
少々道に迷いつつ、下北半島を北上から横断する方向に方向転換すれば
次々と凄い建物が目に飛び込んでくる。これって、やっぱ原子力関連施設だよねぇ。
本当にまぁやたらにこういう施設があるある。
それに図書館や消防署は一級品だし、道路もまるで高速道路のよう。
原子力の村には国から相当な金が補助されてるね。
核開発の是非は置いておくとして、あれなら過疎の村が飛びつくのも頷ける。
あーでもしないと村の開発は出来ないっていう現状なんだねー。

下北半島を真っ直ぐ横断し、太平洋岸から陸奥湾へ。
国道279号線を野辺地湾に入り込むように南下、またまた国道4号に帰ってきました。
東北本線の線路に並行して走り、そのまま夏泊半島は根元を横切り、
今夜の宿泊地、浅虫温泉の宿に着いたのが6時半。なんてこったい!!
2日連続で遅い到着になってしまった。あ〜ぁ… (T_T)
こんなつもりじゃなかったんだがなぁ。




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