陸奥国 三戸城

三戸城本丸跡

所在地:青森県三戸郡三戸町梅内字城ノ下

■■駐車場:  あり■■
■■御手洗:  あり■■

遺構保存度:★★☆■■
公園整備度:★★★■■



三戸南部氏の本拠として栄えた三戸城。形態は山城。
南部氏は甲斐源氏の一党で、源頼朝の奥州征伐で功績があり
一族でこの地へ移住した名族でござる。
建武新政後も北奥州の中心勢力であり、戦国時代に24代当主となった晴政は
「三日月の 丸くなるまで 南部領」と謳われるほどに領土を拡大した。
が、南部政権は内部での権力闘争が絶えなかったのが実情で
26代信直の時期には津軽為信が独立、一族の九戸政実が叛乱を起こした。
結局豊臣秀吉の奥州仕置によって南部領は全体的に南側へ移動することとなり
三戸城から不来方(盛岡)城へ首府を移したのでござる。
三戸城はしばらく後廃城となったが、石垣・土塁などは残っており
今では3000本の桜が植わる花見の名所、県立城山公園となっている。


現存する遺構

堀・石垣・土塁




八戸城・根城  七戸城