2000年5月 第二次東海諸城攻略

旅行期間:2000年5月27日(土)夕刻出発〜5月29日(月)帰着

主な滞在地
5月27日(土):
岡崎城
5月28日(日):

桑名城址・長良川河口堰・長島願證寺・清洲城跡・名古屋城
熱田神宮・大高城跡・丸根砦跡・鷲津砦跡・松平氏遺跡・刈谷城址
5月29日(月):
高天神城址
第二次東海諸城攻略行程地図


なぜか突然、月曜日の休みをもらえる事になり
土・日・月の三連休になってしまった5月末。
唐突な連休出現に戸惑い、特に予定らしい予定はなかったのだが
月初め、ゴールデンウィークを避けて日帰り城攻めを行った事を思い出し…。
やはり日帰りでは不完全燃焼。有名処は押さえたつもりだが、
どうせ行くならもっと大掛かりに城めぐりをしてみたい、などと
想像はあれこれ膨らんでいったのであります。
連休初日の土曜日、日がな一日考えた挙句―――
よっしゃ、こりゃもう一回東海の城攻め行かにゃ気が済まん!という結論に。
急遽旅支度を整え、その日の夕方に茅ヶ崎を旅立ったのであります。
あぁ、今更思うに根っからの城バカ… (^^;;;

今回も厚木ICから東名高速を西へ。どうせ行くんだから
前回訪れた浜松よりももっと西を目指し、名古屋近辺を目標にしたのですが
走っているうちに陽は落ちて、夜のとばりが下りてきました。
と、そこで思いついたのが「ライトアップした城を見に行こう」
日の光りを浴びた姿を見るのは勿論良いのですが、
闇夜に浮かび上がる光りの芸術を鑑賞するのも、城の楽しさというもの。
そこで考えてみる。ライトアップする時間というのは
およそ日没から夜10時くらいまで。それを過ぎる深夜まで照らすのは
光害だし、電力消費の関係からも普通はありえないもの。
今現在走っている位置から考えて、名古屋到着は恐らく深夜0時くらい。
その手前の城でなければ、ライトアップの姿には間に合わない。
天守のある城で、浜松より西にあって、名古屋より手前となると…岡崎城だ!
そんな訳で東名高速を岡崎ICで下り、そのまま国道1号線を直進。
ほどなく岡崎市街地に入り、城跡である岡崎公園に到着しました。
時刻はギリギリ夜10時前。城門は勿論、天守もまだライトアップしてました。
いやー、間に合ったぁ〜!
さすがに深夜の城跡ですので、拙者の他に人影は無く
やや不気味な雰囲気も漂っておりましたが、逆に言えば城跡を独り占め!って事で。
時間を計算しながらやってきた甲斐がありました♪
無論、ライトアップされた天守は美しいものでしたよ〜。
岡崎城跡
岡崎城跡

どうですか?ライトアップされた天守の姿。
こういう光景を見るたびに、
城下町に住んでいる方が羨ましくなります。

さて岡崎城を軽く見学し、再び車を走らせます。
目標は名古屋周辺、ここから更に西へ向かう訳だけど
果たしてどこまで行けば良いのやら。いくら何でも大阪まで行けるモンじゃないし
かと言ってせっかく来たんだから、少し欲張って動き回りたい気もするし…。
国道1号線を西に進みつつ、色々と考えた結論は
「とりあえず三重県に入ろう」という妙な設定(爆)
いや、その、拙者この当時まだ三重県に行った事なかったんで (^^;
三重の地を踏みつつ、名古屋周辺の諸城攻略が今回の目的になりました。
深夜帯なので、岡崎から三重方面に抜けるのは特に高速を使う必要も無く
車はそのまま一般道で進行。国道1号線を下り、ショートカットのために
途中から国道23号線に移ります。名古屋港を横目に、堀川・庄内川といった
河川をいくつも渡り、飛島村に入った所で一休み。ちょうど良い所に
車を一晩置いておけそうな大きいコンビニがあったもので、
そこで仮眠を取ることにしたのであります。
それにしても、さすが「村」と言うだけあって(と言うと失礼ですが)
100万都市・名古屋のすぐ隣なのに静かな場所だよねー。
深夜トラックがひっきりなしに走り回る23号線だけが賑やかでしたが
その周りは田畑が広がっているであろう(夜なので見えません)平野を
静寂の闇夜が占領しておりました。

そろそろ夜が明けようかという薄明時に目を覚まし、
そのままコンビニ弁当で軽い朝食(寂しい〜!)
で、車を走らせて木曽川大橋を渡ります。ここからいよいよ三重県!
念願の(と言うと大げさですが)三重県踏破実現〜★ (^^;
さらには揖斐長良大橋も渡り、桑名市に入りました。
そこで向かった先は桑名城。木曽三川を押さえる要所にして
東海道・七里の渡しを監視するのに好都合な場所を確保した名城でござる。
江戸時代には本多氏や松平氏など、譜代・一門衆が城主を歴任、
外様大名が入る事はなかった点からも、
ここが江戸幕府から重視されていた様子が窺えます。
幕末、桑名藩主の松平定敬(さだあき)が佐幕大名の最右翼であった事から
桑名城は早い時期に破却されてしまったのですが、現在では
九華(きゅうか)公園の名で都市公園になっておりまする。
桑名市街地の細かい道にやや迷いつつ、その九華公園に到着したかすこば。
中を見てびっくりしました。「すげー堀…」
城の建物や石垣は残っていませんが、城の縄張りを区切る堀跡だけは
見事に残され、ほぼ一面に水堀が広がっているんです。これはお見事でした。
公園の周辺にも掘割が残り、こちらには僅かに石垣も現存。
さすが川岸の町だけあって、水には事欠きませんね。

九華公園から北上し、国道1号線方面へ。
その途中、長良川と揖斐川の合流点付近に差し掛かると
何やら川の真ん中に巨大な建造物が現れました。
まるでキノコのような突起物がいくつも並び、その間が
壁で仕切られた水門になっているんです。何だありゃ、と思い
よくよく考えてみると…おぉ、あれが長良川河口堰か!
建造当時、水辺の環境破壊と非難の嵐が吹き荒れ
社会問題にまでなった河口堰ですが、遠くから望む姿は静かなもの。
環境問題の事はよくわかりませんが、きっと治水対策としては
有効…なんでしょうねぇ?とにかく、あの大きな建造物を見る限り
日本の土木建造技術の高さに感心させられた次第であります。
さながら現代の城壁、と言ったところでしょうか。
長良川河口堰
長良川河口堰

何ともサイバーな形の堤防。
某Sim Cityに出てくる
ラウンチ・アルコロジーに
似てると思うのは拙者だけ?
(ネタ知らない方、すいません)

23号線で西に渡った揖斐川・長良川を今度は1号線で東に戻ります。
川を渡り、木曽川までの中州になっている土地が
現在は桑名市に合併された長島町なんですね。その長島、戦国史においては
とてつもなく有名かつ重要な場所であります。織田信長を長年に渡って苦しめた
長島一向一揆の本拠地なんです。で、行ってみました長島城
一揆衆を束ね、信長軍の攻撃に対して籠城した長島願證寺です。
水田の中、まるでそこに「置いた」ように建てられた現在の寺は
信長との戦いの後、再建された寺坊ですが、大きな本堂に
城の櫓を思わせるような高い建物が並び、やはり城郭を彷彿とさせます。
一向一揆の折には願證寺を中心に2万と言われる一揆勢が結集し
それに対する信長も7万もの大軍で総攻撃をかけたとか。
現代では「輪中の町」として知られる静かな農村ですが
その当時、血で血を洗う凄惨な殺戮戦が行われていたんですね。合掌。

長島から1号線を更に東へ。木曽川を渡ると愛知県に戻ります。
しばらく道なりに真っ直ぐ進み、国道302号線とクロスするかの里東交差点で北上、
大治町・甚目寺町方面へと向かいます。302号は名古屋環状2号になっていて
環状線のうち北半分は東名阪自動車道の側道として利用されている道。
名古屋市の外郭を回る道として整備されているだけあって、車線は豊富にして
路面状況も大変良く、一般国道(しかも2級国道)なのにまるで高速道路並みの快適さ。
走っていて楽しくなってきます。いいねー、この道。綺麗です。
これだけ余裕のある道ですので、勿論渋滞なんかありませんし。
100m道路に代表される名古屋圏の道路はさすが素晴らしいッスね!
車社会に対応した渋滞知らずの道路行政、うらやましい限り。
東京や横浜もこれだけしっかりとした道路を沢山作ってくれればいいのに…。
個人的意見なんですが、早いところ相模縦貫道造ってくれませんかねぇ? (^^;

現在は貫通してますが、この当時302号線は甚目寺町でいったん途切れます。
無い道は進みようがありませんので、ここで脇道に逸れました。
甚目寺駅の先で名鉄津島線の踏切を渡り、車は清洲町に入ります。
清洲と言えばそう、清洲城でございますな。
現代、愛知県の県庁所在地にして中京地域の中心都市になっているのは名古屋ですが
その名古屋が都市整備される前、信長や秀吉の時代はここ清洲が尾張国の府でした。
当然、清洲城は尾張を代表する城郭ですし、清洲同盟や清洲会議など
戦国時代の重要な事象の舞台として、日本史の教科書に出てくる場所ですぞ。
え、教科書の内容なんて覚えてられない?あ、左様ですか…。
それはともかく、現在の清洲城には模擬天守が築かれ
華々しい城址公園として整備されております。
新幹線の車窓からチラっと見える天守と言う事で有名?なんですが
本来、清洲城に天守は…いや、何でもありません (ーー)
そもそも、往時の清洲城は川を挟んだ対岸に…いやいや、何でもありません (ーー;
いーんです、何でも。城跡が綺麗に整備されて、多くの人が親しめるようになってれば。
そういう事にしておきましょう(爆)

あ、でも、本当に綺麗に整備されてますので
この天守は見ごたえがありますよ♪
清洲城跡
清洲城跡

はい、これがその模擬天守です〜★

清洲から愛知県道67号線に入り、いよいよ名古屋市へ向かいます。
新川を越して西枇杷島町を通過、このへんには大きな立体交差がありまして
それを抜けると庄内川、更にその先は名古屋市です。
ちなみにこの年の夏、名古屋近辺は集中豪雨に見舞われ
TVの中継で西枇杷島町の水没した姿が映し出され…
「あ、ここ通った立体交差だ!うぁー、あんなになっちゃったんだ」と
驚かされたものです。そんな豪雨が来るとはいざ知らず、
その時はやや渋滞気味の67号線をのんびりと走行、
上更通の交差点からは国道22号線になりました。
西区役所の前を通過すれば、ほどなく名古屋市の官庁街。
その脇にそびえるのは、天下の名城・名古屋城です!

今回の旅は名古屋を中心に、と考えて出てきた訳ですから
当然、名古屋城は一番の見所。駐車場に車を入れたら気合十分、
隅々まで見るつもりでいざ出発しましょう。
まずは名古屋能楽堂の前に鎮座まします加藤清正公の銅像に御挨拶 (^^;
城造りの名人と謳われた清正は名古屋城の築城に参加し
後世にさまざまな伝承を残しております。そんな清正像から先に進み
まずは西之丸御門へ。ここが名古屋城の正門、入場料を払って中に入ります。
西之丸御門を入った所は、当然西之丸(笑)
ここからは空堀越しに大天守と西南隅櫓が並んで見えるようになっていて
名古屋城絶景の一つとされています。そのまま空堀沿いに北上すると、
今度は御深井丸(おふけまる)。こちらには御深井丸庭園や
乃木倉庫(近代に建てられた陸軍倉庫)、それに西北隅櫓があります。
この西北隅櫓、清洲城の天守であったものを移築したと言う伝承があり
それ故、別名で清洲櫓とも呼ばれます。もちろん古建築、重要文化財です。
何と拙者が訪れた際、その西北隅櫓が一般公開中!
一も二もなく、拝見させて頂きましたよ、えぇ (^^)v
さすが旧天守だけある三重櫓、中は広く無骨な感じ。
石落しからは下の堀が望め、反対に最上階の窓からは見事な眺望が広がります。
やはり古建築の重厚感は圧巻!本物は違うもんですねぇ★

御深井丸の北側に回り込むと、名古屋城大天守の旧礎石が展示されてます。
現在の名古屋城大天守は戦後の再建。その工事の際、基礎を固めるために
旧来の礎石は取り外され、ここに設置された訳です。
そんな礎石を横目に見つつ進むと、本丸不開門(あかずもん)に差し掛かりました。
不開門は本丸北側の小さな門で、その名の通り普段は閉め切られた門。
その塀にはいくつもの刀身が埋め込まれ、剣塀と呼ばれております。
こうする事で塀を乗り越える侵入者を阻止するようになってるんですな。
先人の知恵、これまた名古屋城の名所のひとつです。
さて、本丸に入りたい衝動を抑えつつ、まだまだ外周を回るかすこば。
不開門も見学した後、更に北回りで東側へ移動します。
塩蔵構、旧二ノ丸東二之門、搦手馬出と言った遺構を見学し
今度は本丸の東側、二ノ丸に到着です。




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