1999年10月 京都思いつき巡行

旅行期間:1999年10月8日(金)夜半出発〜10月11日(月)早朝帰着

主な滞在地
10月09日(土):

膳所城址・平等院・淀城跡・伏見桃山城跡
二条城・北野天満宮・龍安寺・保津峡
10月10日(日):

丹波亀山城跡・丹波篠山城跡・福知山城・山賀城跡
田辺城址・天橋立・舞鶴東港・小浜城跡
京都思いつき巡行行程地図


10月の8日、金曜日。夕方、4時を過ぎようという頃でしょうか。
もうすぐ仕事も終わろうかという時刻にふと気が付いたんです。
明日・明後日は土日で休み、月曜は体育の日の振替休日。
(この当時はまだ10月10日が体育の日でした)
あ、そういや3連休なんだ。全然考えてなかった。
このままだと予定なしなんで無駄に時間を過ごす事になりそうだなぁ。
やっぱどっか行こうかなぁ。でも何にも計画してなかったしなぁ。
いや、せっかくの連休だしなぁ。どこ行こうかなぁ。
そうだ、京都行こう!とりあえず交通費だけあれば何とかなるわ。
―――そんな感じで、急遽思いついた京都行き。
計画らしい計画は何もなく、およそ有名処の城跡に行くという事だけ考え
慌ててATMでお金を下ろし、旅費だけ確保したらその日の晩に旅立ってました (^^;

かすこばの京都行きというと、例の如く東名・名神を通って
大津SAで夜明かしになりまする。今回もそのパターンで行軍し
日が昇ってきたら出発。で、まずどうしようかと考えまして
大津という所にも城があるよな、と思い立ち
SAからICへ直行(大津SAはIC併設です)、高速を出ました。
どうせ京都は目前、別に急ぐ旅じゃないし、手当たり次第の攻略で
勝手気ままに動き回ろうというワケです。
で、向かいましたのは膳所(ぜぜ)城跡。
琵琶湖の湖畔に築かれた水城で、江戸時代になってから作られた近世城郭です。
明治維新後はほとんど破却され、現在では城の跡地も埋め立てられてしまい
城跡公園にこそなってはいるものの、遺構らしいものは全然見受けられませんが
城外に移築された建築物が数多く存在している稀有な城として有名です。
ま、拙者が行ったのは城跡公園の方で、移築建築物は何も見なかったんですが
今考えるともっとしっかり下調べして、
近隣の移築建築を何箇所か見に行けば良かった…。

京都を目指す旅なんですが、大津市と京都市はすぐ隣。
まぁ、はっきり言って、このまま山一つ越えれば京都の町に入っちゃいます。
何だか少々物足りない。行き当たりばったりの旅だし
わざと遠回りでもして、京都市街からちょっと離れた所も見てみたい。
道路地図帳を広げて、どこか適当な場所はないじゃろか?と検索。
比叡山延暦寺…は今いる所からは逆方向。近江大橋を渡って
琵琶湖の対岸に…行くと京都から離れていく。南側は…。
お、宇治。平等院だね。京滋バイパスを通れば一直線だ。
あ、これがいいや。平等院は見た事ないし。ふむ、これに決定!

そんな訳で、京滋バイパス経由にてやって来ました平等院。
平安時代の関白・藤原頼道が宇治の別荘を寺に改めて
死後の安寧を願ったとされるのが創建の由来ですね。
その中でも特に有名な建物が鳳凰堂。10円玉のデザインとしてお馴染み。
左右対称に広がった建物が、さながら鳳凰の翼を広げた姿に似ている事から
その名が付けられたもので、堂内には阿弥陀仏像が安置され
壁画や扉絵には来迎図が描かれております。つまり頼道は
この御堂を極楽浄土の世界とし、自分がその中にいつも居る事で
浄土への往生を遂げられると考えたわけですやね。
って、自分が死ぬ時に備えるっていうだけでこんなデカい建物作るんかい!
うーん、貴族のやる事って桁外れですなぁ (^^;
国宝 平等院鳳凰堂
国宝 平等院鳳凰堂

はい皆様、10円玉をお手元に
ご用意して見比べて下さい。
今更説明する事は何もございませんが
平等院鳳凰堂の全景でございまする。

さて、宇治って京都府の中でも結構南側に位置しております。
もう少し京都府南部で見るところはないじゃろか、と思案していたら
平等院から真っ直ぐ西に向かうと、淀の地なんですね。
淀と言えば淀城!淀殿のお城ですね。
こりゃもう戦国マニアとしては欠かせない場所でござるな。
そういう事なんで、京都府道81号線で西へ、
宇治川を渡って京都府道13号線を北上。程無く淀城址に近づいたのですが
どうも進入路がよく分からない。仕方がないので、
いったん13号線から脇道に逸れ、京阪淀駅周辺をグルグル回る嵌めに。
そこで初めて気付いたのですが、淀って京都競馬場があるんですね。
拙者は賭け事やらないんで、全然知りませんでした。
ちょうどこの日にレースがあるらしく、駅周辺は人が波のように…。
しかも何だか警備員やら警官やらもそこかしこに出張っているし。
駅前に車乗りつけるなんて出来そうにないねぇ。
こりゃヤバい、駅近辺は近寄れないわ。あちゃー。
だいたい、見知らぬ土地だと駅の観光情報が頼りになるんですが
今回はそれが使えそうにありません。困りながらも
駅から少し離れた住宅街に入り込んでしまい、カンだけを頼りに散策。
で、何となく歩き回ってたら、ありましたよ淀城。立派な石垣と濠が。
はぁ、一時はどうなる事かと思った。とりあえずこれで淀城攻略達成ですね。
それにしても、もう少し城跡周辺を整備したらいいのに…。
せっかくこれだけ有名なお城なんだから、駐車場や案内板を置くべきでは?

府道13号線を更に北上、国道1号線とクロスした所で東に行けば
今度は伏見の地になります。伏見もやっぱり、お城です(爆)
伏見稲荷神社も有名ですが、拙者はやっぱり、お城です(大爆)
太閤秀吉が京都を望む地に築いた伏見城を見に行きます。
が、ホントの城跡は現在伏見桃山陵(明治天皇御陵)になっていて
立ち入りすることができません。代わりと言っては何ですが
御陵の脇に模擬天守が建てられていて、その辺りが
当時は桃山キャッスルランドという遊園地になっていたので、そちらへ。
(位置的には伏見城の御花畑曲輪に当たります)
このキャッスルランド、現在は閉園されておりますが
その時はまだバッチリと営業中。伏見城天守を中心にして
色々な遊具が並んでおりました。でもねぇ、城を見には来たけれど
別に遊園地で遊ぼうという気はないし、そんな時間も無いし…。
何せ思いつきで来た旅ですから、遊園地の入場料なんて論外!
しばし悩みましたが、結局入口の前から天守の写真を1枚撮って退散。
遊園地の中には入りませんでした。
あ、こういう事する客が沢山いたから閉園になったのか ?!

伏見からは真っ直ぐ北上。いよいよ京都市街地に入ります。
街中に向かえば向かうほど渋滞になる道路状況にめげず
辿り着いた先は…もうお分かりですね、二条城です (^^;
京都の町のど真ん中にある近世城郭・二条城は、
徳川幕府の儀式典礼を執り行う城として造られ、現存する二ノ丸御殿は国宝。
1994年に城跡は国連の世界文化遺産に登録もされております。
今まで何度となく京都には来ていたものの、二条城をまともに見たのは
高校の修学旅行で見学した時のみ。それももうだいぶ過去の話だし
だいたい、修学旅行じゃあまりきちんと見られなかったしねぇ。
しっかりと記録に残る形で見るのは、今回が初めてと言っても差し支えないでしょう。
ちょうどこの日は運良く?本丸御殿の開放日になっていて、
普段は内部に入れない本丸御殿の中を見学する事ができました。 こういう偶然に恵まれると実に楽しいねぇ (^^)v
国重文 二条城本丸御殿
国重文 二条城本丸御殿

二条城と言うと、二ノ丸御殿があまりにも
有名ですが、こちら本丸御殿もなかなかに
由緒のある建物です。
もともとは旧桂宮家御殿として
江戸時代後期に建てられた建築物を
1893年(明治26年)から翌年にかけて
ここ二条城本丸に移築したものです。

南から北上してきたルート的に、続いては洛北の名所めぐり。
これまた修学旅行で行くような場所を“おさらい”するのが目的です。
二条城を後にして、まずはじめに立ち寄ったのが北野天満宮。
雷神にして学問の神である菅原道真公を祀る有名な神社でござるな。
ここも是非とも訪れたかった場所のひとつです。
修学旅行で来た場所ですけど、やっぱりロクに覚えてないんだもん(泣)
ダメだねー、高校生が団体行動してもさぁ、
全然“学を修める”事にはならないんだよね。
せっかく良い場所に行ってても頭に入らないのさ。
京都と言えば修学旅行の定番だけど、今さら思うに子供にゃ勿体無い所だね。
やっぱり大人になってからじっくりと味わうべき場所なんだよな。
と、ここで愚痴ってもしょうがないんだけどね (^^;
続いて訪れたのは龍安寺(りょうあんじ)。枯山水の石庭で有名なお寺ですね。
ここは初体験の場所。龍安寺も修学旅行の定番なんでしょうが、
わたしゃその時には訪れなかったんですね。で、初めて見る石庭は
やはり素晴らしいものですな。何だかここだけ時間が止まっている感じ。
思わず縁側に座り込み、西日に暮れる白い砂の庭園を見入ってました。
国特別名勝 龍安寺方丈庭園
国特別名勝 龍安寺方丈庭園

はい皆様、平等院と同様にこちらも
今更説明する事は何もございませんが
国の特別名勝に指定されている
龍安寺方丈庭園でございます。
白砂の庭園美、誰もが一度は
見た事ありますよね?

どれくらい時間が過ぎたのでしょうか、長かったような短かったような…。
気が付けば既に夕暮れの近い時刻になり、そろそろ京都市内の見物は
終わりにする時間になっていました。まぁ、予定らしい予定の無い旅ですが
明日はどこへ行こう?と考えりゃ、そうだ、丹波方面へ行こうかと閃きました。
そんなワケで、龍安寺から丹波へ抜ける道を地図で検索。
さし当たっての目標を亀岡市にしてみると、京都市と亀岡市は隣り合わせなのに
案外直通する道路は多くないんですな。一番大きな幹線道路は国道9号線で
明智光秀が本能寺の変の時に通った老ノ坂峠を抜ける最短ルートだけど
龍安寺から9号線に出るまでが渋滞の市街地を貫通しないと行けないので
ちと厳しい。もう一つあるルートは、ここ洛北からそのまま西に行き
保津峡沿いに京都府道50号線の山道を進む道。
50号線が京都・亀岡市境を越した所で左に折れて愛宕谷川と並走すれば、
亀岡市街地の中心部に出られます。
うん、保津峡見ながら山道越えは面白そうだ。こっちの道に決定!
斯くしてかすこばの愛車・街一番号は、夕闇迫る
愛宕山の山中へと突っ込んで行ったのであります。
JR山陰本線 保津峡駅
JR山陰本線 保津峡駅

夕暮れに蔭る保津峡駅にて
丁度到着した列車を撮影。
当時は現役バリバリでしたが、
往年の名機である113系車両の姿は
今や過去のものになりつつあります。
京都府道50号線はかなり細い道。府道というから
それなりに整備されていると思いきや、この考えは甘かった。
それでもまだ保津峡沿いに走るあたりは普通に走れる道。
JR山陰本線の保津峡駅に到着したのが丁度午後5時、タイミング良く
到着した列車を記念の写真に収め、更に山中へ分け入る道へと進んだものの…。
日が暮れて急激にあたりは暗くなってきて、しかも道はどんどん狭くなっていく。
やがて50号線から別れ、亀岡市へ下りる林道に入ったらもう最悪!
このルートを選んだ事を後悔するような悪路で、おまけにもう真っ暗闇。
かろうじて舗装はされているものの、街燈やガードレールなんてもちろん無いし
1車線の道は車1台がようやく通れるだけの幅しかない。
よもやこんな道に対向車なんて来ないだろうが、
それだけにもしここで脱輪でもして谷底へ落っこちても、
誰にも気付かれないだろうなと思いつつ、焦りながらの運転が続いた。
どれくらい走ったのだろうか、もう時間感覚なんて吹っ飛んでいたが
ようやく街の明かりが見えた時には本当に安堵しました。

亀岡に来たのも城を見るためだったんだけど、既に暗闇の世界になっていて
とても見物なんて出来るはずはありません。かと言って、成り行き旅行では
宿をとっているわけでもなく、結果的に今夜はここで野宿!
亀岡市内の路地裏で、車を停めても問題なさそうな場所を確保し
特にやることも無いので早々に就寝する事にしました。
こういう時、ホンマに1BOX車は便利だねぇ。寝床として十分な広さがあるからさ。
明日は夜明けと共に行動開始と決め、今日の行程はこれにて終了したのでした。




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