1998年10月 南東北縦断(3)

何とも贅沢な天童の宿に名残を惜しみつつ
3日目の旅は山形縦断、そして会津方面へ。
天童市から国道13号線を南下し、隣の市である山形市へ入ったかすこばは
まず初めに城ありき、で山形城へ突撃!
仙台は独眼竜政宗が整えた町としてあまりにも有名だが
その政宗の伯父にして影の宿敵であった最上義光(もがみよしあき)が
戦国時代末期から江戸時代初頭にかけて大整備を行ったのが山形城。
伊達・最上といえば南奥羽の2大巨頭として名を馳せておりますな。
そんな山形城、最上氏が移封された後は様々に城主が入れ替わり
現在では霞城公園として一般開放され、山形市内の中心部に
大きな緑地スペースを確保しているのであります。
公園内には市営球場や県立体育館、市郷土館などの文教施設が置かれており
その中の一つ、県立博物館を見学してみると
さすが城跡だけあって山形の歴史や風土など、さまざまな展示物が。
もちろん、城跡の遺構も確認すべく見回った拙者は
復元整備された東大手門の写真を撮りまくり… (^^;
門の前に立つ義光公の銅像は
「何だか妙なヤツがおるのぉ」と苦笑していた事でしょう。

霞城公園から離れ、次の目的地へ向かおうとした所、
山形市役所の近辺に何やら立派な建物が並んでいる。
大正?昭和初期?の風格を思わせるその建物は
旧山形県会議事堂と旧山形県庁舎を保存したもので
現在は山形県郷土館となり「文翔館」と呼ばれている。
いやまぁエラく立派な建物だからせめて外から写真だけでも撮ろうと思ったら
何と入館無料で見学できると言う。おおぅ、こんな名館が
タダで見られるなら是非とも見ないといかん。
という訳で、急遽立ち寄る事にして中に入らせて頂きました。
会議場、貴賓室、知事室などなど、やはり内部も立派なもので
これはかなりお得な体験をさせて頂きましたぞ。
山形県郷土館 文翔館
山形県郷土館 文翔館

こちらは旧県庁舎の建物。
何とも重厚な作りで素晴らしいでしょ?
この隣には赤レンガ造りの旧県会議事堂が並びます。

山形市の次は、そのまた隣の市である上山市へ移動。
この数年前に開通した山形新幹線が停車する
かみのやま温泉駅の前に啓けた町は、古くからの温泉地であり
城下町としても有名。当然、かすこばのお目当ては…お城です (^^;;;
羽州の名城と呼ばれた上山城は、今でこそ観光用天守が建てられた
のどかで平和な場所ですが、戦国時代には城主の武衛氏が
米沢の伊達氏や越後の上杉氏と覇を競った
“最前線の城”だったのであります。今でも城跡からの眺望は良く
東にそびえる蔵王連山の様子が手に取るようにわかり
周囲の警戒を厳しくしていたであろう戦国の世情を感じさせる城跡だ。

上山から国道13号バイパスを南下、山形新幹線の線路と並走し
続いて訪れたのは米沢の町。山形、上山と並び、これまた出羽の城下町ですな。
米沢といえば、城…という前に有名なのが米沢牛!
やはりここはお土産物として何か米沢牛の食材でも買って帰らねば。
そう考えて、牛肉の卸店を探して色々と物色したのであります。
で、色々と土産物を買って車に詰め込み、さて次こそ城攻め!と思ったら
おや?このお店からちょっと先に目をやると…どうやら城の姿が窺える。
何だ、こんな近くにお城があったんだねぇ。
あまりにも出来すぎた話ですが、結局城に惹かれるような事になっているとは(爆)

米沢城は、もともと伊達氏の本拠地。
伊達というと仙台…というイメージが一般的だが、本来はここを領していたのである。
独眼竜政宗も米沢城で産まれており、城内には「政宗公生誕の地」の碑がある。
豊臣秀吉の全国統一により伊達氏は米沢から去り、代わって上杉氏が領有。
関ヶ原合戦後には上杉氏が本拠地とするようになり、以後明治維新まで
上杉氏の城として用いられ続けたのである。明治以後、城が廃されてからは
城主・上杉氏を祭る上杉神社となり、城の曲輪はそのまま神社の境内として残されている。
そんなワケで、境内には上杉謙信の銅像があったりもするんだけど
米沢に上杉氏が入ったのは、謙信が死んでからだから
全然関係ないっちゃぁ関係ないんだけどね。ま、ご愛嬌って事で(笑)

上杉氏関連で米沢にある名所がもう一つ、上杉氏一門の廟所だ。
名将・謙信から(だから謙信は米沢とは無縁なんだけどね)歴代の当主が
この廟所に祭られている。静かな境内に並ぶ墓碑は、伊達家の廟所とは違い
質素そのものという感じ。質実剛健を旨とする上杉家の家風なのでしょうか。
意外だったのが、結構観光客がいた事。ここって、一般の人には馴染みが薄い
かなりマニアックな場所だと思うんだけど…。
国史跡 上杉氏廟所
国史跡 上杉氏廟所

ちょっと曇ってきて
雨が降り出しそうだった上杉氏の廟所。
重厚で質素な廟所には
曇天模様くらいのほうが似合っているかもね。
結局、雨らしい雨は降りませんでしたが。

米沢からは国道121号線を突っ切り、いよいよ福島県へと向かう。
県境の山々を通り抜けるルートだが、この道沿いには
“フルーツ王国”山形県らしく、リンゴやサクランボを商う果樹店が多い。
米沢牛だけじゃ物足りないので、こうしたお店の中の1軒に立ち寄って
土産用にリンゴやラフランスを買い込んだ。
さあ、これで心置きなく山形県とお別れできる。
およそ4kmにもなる長い大峠トンネルを抜けると、既に福島県の領域に入っていた。

名物のラーメンを食べたいと思いつつ、時間の関係で喜多方市は通過。
少しでも宿に近づいておくため、そのまま国道121号線を南下したが
もう1ヶ所くらいは観光したいと思ったのでロードマップを見ると
会津藩校日新館という表記がある。ここは江戸時代の会津藩校を再現した場所で
観光施設とは言え、それなりに史料的価値のある施設だ。
時刻はもう午後4時を過ぎ、入館時刻ギリギリだったが
このへんで見る観光地はもうここしかない、と思ったので直行し
駆け足で中を見学。藩校を再現しているだけあって、
敷地内には校舎や孔子廟などが建ち並び、江戸時代の雰囲気は抜群でした。
会津藩校 日新館
会津藩校 日新館

もともとの日新館は、1803年(享和3年)建立。
文武両道を旨とする会津藩士の教育をし
現代の小学校から大学までに相当する学科内容だった。
漢学、天文学、蘭学、化学など
当時としては高水準の授業が行われていたという。

日新館の見学を終えると、既に日没。
今夜の宿は会津若松市の奥座敷として知られる東山温泉だ。
前日の天童温泉同様、ここも宿泊券を利用しての贅沢な一泊。
宿の裏には天然の大滝がある絶景のロケーションで
これまた優雅な夜を堪能したのでありました。
明日は会津街道沿いに南下し、帰宅の途に着きます。




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