1998年6月 中部地方大周回(8)

長かった旅もついに最終日。
「あぁ、もう終わりかぁ」と多少の感傷にふけりつつ、朝8時から本日の行動開始。
昨日は野尻湖から宿まで直行してしまったので、
まずは妙高高原の自然を満喫するため、周辺の散策から始める事にした。
ここ妙高高原は、高原リゾートという事で別荘地になっている。
加えて温泉地、スキー場などのレジャー施設も多いのだが
それでも自然が沢山残されており、周りには緑の木々や草原が。
そんな中でも特に名所になっているのがいもり池。
妙高山麓の小さな湖で、ここから望む山の雄大さ、自然の美しさはピカ一。
妙高を訪れる人は必ず足を運ぶ場所でありますな。
それにしても、何で「いもり池」なんて名前なんだろう…?
いもり池
いもり池

遠く霧にかすむ妙高山と
緑映えるいもり池の水面。
確かにここは妙高高原随一の景勝地ですね。
妙高高原の温泉地はかなりの賑わい。
宿をチェックアウトし、拙者と同じように旅立つ人たちが
車やバスに乗って動き始める時間でありました。
そうした人たちを横目に見つつ、ふらりと立ち寄った土産物屋では
「妙高高原ビール」なるものが売っておりました。
今では当たり前になった地ビールですが、この頃はまだ物珍しさもあり
家族や友人への土産として数本購入。酒飲みの皆さんには
こういう地元モノの珍しい酒が喜ばれますよね。
そういう拙者は一滴も酒を飲まないので、全然良く分からないのですが (^^;

さて、妙高高原を後にしてそろそろ南下を開始。
昨日来た道を戻りつつ、新潟県から長野県へ。
これから向かうは戸隠方面。妙高高原に続き、山並みを楽しむドライブでござる。
その途中、国道18号線を走りながら目に入ったのが
小林一茶の旧宅。俳人として有名な小林一茶は
ここ長野県信濃町柏原の出身。江戸に出て奉公人となりつつ俳諧を修め
晩年に帰郷、数々の不運に見舞われながらも強く生き、65歳で亡くなった。
その一茶が最晩年を過ごした旧家が今も残され、国の史跡に指定されているという。
偶然通りかかった所にこんな名所を見つけるとは、これも旅の楽しみですな。
場所は信濃町役場の隣。国道18号線の道端なので、すぐに見つけられます。

で、いよいよ戸隠の高原道路に突入。ちょっと霧がかかる天気だったが
光冠号は快調に山道を突き進む。目指すは戸隠神社の中社だ。
6月の山並みは萌ゆる木々の濃緑色で覆われ、霧が流れるのもまた一興。
所々には牧場があったりして、長野県道36号線は
森の中、高原の草原、湿地帯、それに牛や馬の放牧など様々な景色を見せてくれる。
さて戸隠中社に着いたのは11時半頃。せっかく来たのだから参詣しないとね。
朱塗りではなく、地肌がそのまま出た木材で組まれた大鳥居が荒々しい。
森を抜けていく参道の階段を上っていくと、拝殿に到着。
おぉ、さすがに風格のある大きな建物ですなぁ。
神代の昔、取り払われた天ノ岩戸が飛ばされてきて戸隠の山となり
それを祭った社が戸隠神社となったとされる由緒を持つこの神社は
創建以来、2000年の歴史があるという。まぁ、神話の真偽は置いておくとして
天ノ岩戸伝承から太陽の恵み、農耕を司る神とされた戸隠神社は
日本全国から広い信仰を集め、その名を知らしめている。
そんな戸隠で最も有名なものと言えば…蕎麦!
時間は正午を過ぎ、中社参拝を終えた拙者はそのまま鳥居前の蕎麦屋に直行。
美味しいお蕎麦を昼食に頂いたのでした。

昼飯を終え、中社を離れたのは午後1時過ぎ。程無く現れた分かれ道で
県道36号線から離れて戸隠村役場方面へ。そのまま山を下り、
長野市方面へ向かった。この道沿いに行けばそのまま善光寺の裏に出るはずだ。
さすがに県道を離れて山沿いの道に入ったので、途端に道は険しくなる。
上り坂に下り坂、左右のカーブが連続して続く。
するとその前方に大峰山なる山が現れ
道路案内の看板を見てみると…なになに、大峰城跡?!
おおっ!これはぜひ立ち寄らねば、としばし寄り道。
この大峰城は有名な川中島の合戦に際して上杉方が築いた出城で
武田方との争奪戦が繰り広げられたらしい。軍事上の要地という事は一目瞭然で
城跡からは善光寺平が一望!足元にはこれから向かう善光寺があった。
ちなみにこの大峰城、現在は模擬天守が建てられ(←実際は天守などない城だが)
蝶の博物館として公開されている。
う〜ん、何でここが蝶の博物館なんだろう… (ーー;

大峰山から下れば、目の前に善光寺!
あまりにも唐突に善光寺の正面に出たので、ちょっと面食らった程だ。
さすがに善光寺と言えば全国でも有数の大寺院。
加えてこの日は日曜日だったため、参詣客で溢れかえっていた。
周りには観光バスがひしめき、自家用車は行列を為し…
駐車場を確保するのに小一時間もかかってしまった(泣)
しかもその間に、さっきまでかかっていた霧が雨になって降り出して(大泣)
仕方がないので傘をさしながらの参詣となりました。
これはこれで、風情があると言えばいいのかもしれませんがね。

雨天と言えど、善光寺の境内は人がいっぱい。
傘をさすのに気を使いながら、先へと進めば
見えてきました、あの有名きなお堂が。
いやぁ、想像していた以上に大きな本堂ですなぁ。
ホントに大きいや。こりゃビックリ。
こんなに大きなお堂をよく建てたもんだな、としばし驚愕。
が、あまりのんびりはしていられない。
何せ駐車場待ちで1時間近く無駄になっているんだから。
本堂の中を拝観し、境内をぐるりと回ったらそそくさと撤収。
本当はとなりにある城山公園も見たかったんだけど、これは断念しました。
もっと見たいお城がこの次にあるんだもん〜 (><)
国宝 善光寺本堂
国宝 善光寺本堂

雨に濡れた善光寺の本堂。
傘をさしながらでもこれだけの人出がありました。

次に向かうは松代。長野市街地を縦に通り抜け、
JR信越本線の線路と犀川を渡って行く。
車は国道117号線を走り、千曲川方面へと分岐したところで
これまた偶然にも八幡原史跡公園の前を通りかかった。
ここ八幡原は川中島合戦の激戦地。
武田信玄と上杉謙信が一騎討ちで切り結んだという伝承の残る地だ。
史跡公園には、その一騎討ちの様子を表した銅像が置かれ
ちょっとした観光地にもなっているようだ。
こういうのがあると、歴史好きな人間にとっては結構嬉しかったりします。

そのまま道沿いに千曲川を渡った所が松代。
川中島合戦の当時には海津城があった場所で、
江戸時代に入ると松代藩10万石の本拠地となり栄えた所です。
太平洋戦争末期には、閑静な内陸の場所が適地とされて
東京から大本営が疎開する予定になっていたとか。
近代戦の血生臭い話は別として、歴史のロマンが溢れる町です。
もうお分かりだと思いますが、善光寺を早々に切り上げたのは
この海津城を見るため。川中島合戦の城となれば、見ない訳にはいかないのです。
城跡は長野電鉄屋代線松代駅のすぐ裏手。
松代の町は、駅の表側は市街地化されて拓けているものの
裏手はほとんど手付かずのように昔ながらの農耕地が残っている。
海津城跡はこの草原の中にあり、街中とはちょっと雰囲気の違う空間。
おぉ、こりゃ期待大。幸い雨も上がった事だし、いざ出陣!
と思ったら、この時期の海津城址は整備工事の真っ最中。
そこかしこに「立入禁止」のバリケードが立ち、拙者の進入を拒んでいた。
それでも、バリケードの隙間から見える石垣は見事。
松代城時代のものとされる天守台を写真に収められたので、大成果としましょう♪

松代藩は真田信之から始まる江戸時代の大藩。
その真田家が戦国時代まで本拠としていたのが上田の地である。
海津城から出発したかすこばは、そのまま松代の町の目の前にある
長野ICから上信越道に乗り、上田を目指した。
何たって去年の秋、当時の職場の職員旅行で別所温泉に行きながら
上田の町並みは見る事ができなかったからねぇ。
今回はそのリベンジ。松代に続き、真田家を巡る旅路である。
高速に乗ったのは30分ほどで、上田ICに到着し
真っ直ぐ向かったのはやはり上田城
真田氏の本城として相応しい質実剛健といった城で、
江戸時代に仙石氏が移封されて来てから更なる改修工事が加えられ
現在の姿になった。現存する建造物は西櫓。それに北櫓と南櫓は
一時期城下に払い下げられたものの、太平洋戦争後に元の場所へ復された。
この北櫓と南櫓の間に架かる櫓門が近年復元され、上田城の威風を盛り上げている。
いやぁ、何と言っても真田は日本一の兵と評されて
全国的にもファンが多いですからねぇ。
上田の城は重要な観光資源といった処でしょうか。
城内には真田家ゆかりの井戸なども残り、城マニア的には嬉しい限り。
あー、やっぱり来て良かったぁ★
国史跡 上田城
国史跡 上田城

戦国最強の一族、真田家の本城。
三途の川の渡し賃である六文銭が家紋とは
死を恐れずどこまでも武人たる誇りを象徴しておりますな。
この城は“家康の天敵”と呼ばれた真田昌幸が築城し
その名の通り、2度に渡る徳川軍の攻撃を跳ね除けた堅城。
戦国史上に名を残す城の一つに数えられます。
写真は長野県宝に指定されている南櫓。

去年のリベンジはこれだけじゃ終わらない。
念願の上田城攻めから取って返し、
改めて別所温泉郷の古刹巡りをもう一度する事にした。
団体で行った職員旅行じゃ、全然ゆっくりと見学する暇が無かったからねぇ。
今回は自分の好きなように寺巡りを楽しむつもり。
そんな訳で、上田から別所へ車を走らせ、
あちらこちらのお寺を続けざまに参拝。以下に列挙すると
大法寺に行き国宝の三重塔を見学、天台宗別格本山の常楽寺、
安楽寺のこれまた国宝・八角三重塔と見て、
最後に別所温泉の出入口を守護する生島足島神社に参拝。
どの寺も神社も色々な味わいがあり素晴らしいものばかりでした。
やっぱ、古刹巡りは大人数で行くよりも少人数でじっくりと見るほうがいい!

で、当初の旅の予定はここまで。別所界隈を見て家路に着くはずだったのだが
夏至間近の6月ではまだ陽が高い。まだもう少し観光できる所はないかと思い
上田市郊外の信濃国分寺跡を見る事にした。
奈良時代、聖武天皇の発案で全国に国分寺が建立され
各地を守護し国の安寧を導き出そうとされたのだが、
信濃国の国分寺はここ上田の地に作られたそうな。
時代が過ぎ、信濃国分寺は兵火で消失の憂き目を見たものの
室町時代に再興されて現在に至っているとの事。
現在、旧国分寺跡は国の史跡に指定され
再興国分寺も別所界隈の古寺と並んで上田の町の観光資源となっている。
現存する再興国分寺三重塔は国指定の重要文化財。

上田市の東端まで来たものの、まだ陽は暮れていない。
ならばとことん観光してやろうと思いたち、この辺りで有名な城郭は…と考える。
松代、上田と来れば次は小諸!という結論になり
国道18号線から東部ICへ向かいまたも上信越道に。
わずか1区間だけだが高速を使って移動、小諸ICで下りて懐古園へと車を走らせた。
島崎藤村の故郷として有名な小諸、その小諸の名園として名高い懐古園は
小諸城の跡地を利用した公園。
時刻は既に夕方6時を過ぎ、周囲の土産物屋などもすっかり閉店した後だったが
別に気にもせず静かな小諸の町並みをひたすら城目当てに突き進んだ。
当たり前だが、こんな時間に懐古園へと入る人間は拙者くらいしかいない。
もちろん、駐車場もガラガラ。と言っても、24時間出入できるので特に問題はない。
沈む太陽と競争しながら、駆け足で城跡を見学するかすこば。
園内には島崎藤村の銅像などもありましたねぇ。城の石垣も見事だし。
そうこうしているうちに、7時が近づいて辺りは暗くなり…これにて観光は終了。
最後に懐古園入口になる小諸城旧三ノ丸門を撮影して幕を閉じた。
紫色に暮れた空にライトアップされた城門が浮かび上がる写真は
大天守の頁、小諸城の紹介(↑でリンクしてます)をご覧下され (^^)

いやー、8日間に渡る旅行で、しかも最終日はめいっぱいの行程。
さすがにお腹いっぱいという感じで満足、満足。
さぁそれじゃ家に帰ろうかと再び小諸ICに行き
上信越道(お世話になりっぱなしです)に入ったかすこば。
ところがどっこい、ここからが大変な道のりでした。
すっかり真っ暗になった信州路。しかも散々観光して疲れ気味。
この状態で待ち受けていたのが天下の難所、碓氷峠!
高速道路は整備状態も良く、一般道に比べれば楽な運転のはずですが
さすがに碓氷周辺は一筋縄には行かない。
急カーブの連続、トンネルを抜けてまたトンネルが続き
かなり神経を使うハンドル捌きが必要だったのです。
たまらず峠の麓にある横川SAで一休みする事になりました。
考えてみりゃ、長野県から群馬県に入ったばかり。
茅ヶ崎に帰るまではまだまだ道のりは遠い…。
しまった、ちと調子に乗りすぎたと思ったものの
まぁ十分に観光を楽しんだのだから我慢しようと覚悟を決め
その後も所々で休憩を取りつつ、時間を費やしながら
遥かな家路に就いたのでした。

さて、最後の運転は大変疲れたものの今回の旅は感動に次ぐ感動があり
上高地や白川郷など、周った場所も良い所ばかり。
これほどの大旅行を一人で成し遂げたのは初めてで
自分にとって大きな自信になったような気がしますな。
これ以後、東北の果てや四国まで遠征するのが当たり前になったのですが
それもこの旅を上手く成し遂げた事があってこその事。
後にも先にも色々な旅に出かけておりますが、
今回の旅行ほど印象に残っているものはありません。
我ながら、良い旅だった… (^^)v
あ、でも、普通の人にはこんな無謀な旅行勧められませんね(爆)


◆◇◆ 城跡と 萌ゆる自然に 歓喜した 長き旅路は 心の宝 ◆◇◆




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