1998年6月 中部地方大周回(7)

長い旅も残すところあと2日。朝日町で朝を迎え、今日は新潟県へと入る。
6月の旅路も7日目にして遂に小雨がそぼ降る天気になってしまった。
晴男のかすこばであるが、流石に一週間連続で晴天というのは難しい。
今日の観光に影響が出ないかちょっと心配だ。
が、それ以上に宿の裏山が気にかかる。名前が城山になっているのだ。
こうなりゃもう行ってみるしかあるまい。
本当に城跡があるのかどうかわからんが…。

で、ありました(あっさり)。越中と越後を分ける宮崎城跡です。
国境にある城という事は、それだけ重要度が高いというわけでして、
何でも創建は源平合戦の頃にまで遡るとか。
以後、南北朝の争乱や戦国合戦にも用いられたそうで
かなりの歴史を持つ古城郭。でも全国的には無名の小城郭。
いちおう富山県指定の史跡になっているので、それなりに整備されていますが
国史跡に比べるとどうしてもレベルの低さは否めないのが残念。
周りはほとんど雑木林と云った感じだし、駐車場も狭い。
これだけ立派な由緒のある史跡なんだから、もっと上手く活用すれば良いのに…。

宮崎城山から下山し、車は国道8号線を東へ。5分とせずに新潟県に入り
まもなく見えてきたのが天下の険・親不知。ここはもう皆さんご存知だと思いますが
日本海に切り立った断崖絶壁で有名な名勝地ですやね。
この海辺を渡ろうとする時、親の知らぬ間に子供が波にさらわれてしまうというほど
険しい道のりであるという悲しい逸話から名付けられた場所です。
現在は国道8号線、JR北陸本線、それに北陸自動車道といった主要幹線が通り
通行の難所というのは過去の話になっていますが
それでもこの断崖は相変わらずの険しさを残し、一大観光地になっておりますな。
ちなみに北陸自動車道の親不知ICは、この難所に設置するための工夫として
海上にせり出して建設されている。これは日本初の海上インターチェンジなんだそうな。
親不知
親不知

切り立った断崖に打ちつける荒波。
この波打ち際、歩いて渡れます?
いや、絶対無理だろうなぁ(反語)

その親不知ICから北陸道に乗り、車は新潟県を突っ走る。
青海町から糸魚川市、能生町、名立町と通り抜け、上越市に到着。
上越ICで高速を下りたら、次の目的地春日山城へ!
ここは城郭愛好家、歴史マニアなら欠かせない城です。
そう、越後の龍として有名なあの上杉謙信の居城なのだ。
春日山の駐車場では謙信公の銅像がお出迎え。
加えて城の入口付近は春日山神社となっており、
ここまでは普通の観光客もボチボチ訪れるようだ。
さすがにその先の城跡となると…やはりマニアしか入らない様子。
だがしかし、だからこそ、拙者は足を踏み入れる。いや、踏み入れねばならない。
雨に足元がぬかるんでいるが、気をつけながらいざ、城攻めへ!
―――で、見てみました春日山城。
まず最初の感想は、デカい。山城なのにこの大きさは桁外れだ。
その次の感想は、良い。曲輪や堀跡がきちんと残っている。
しかも「城マニアにだけわかる」という感じなのが嬉しい。
御花畑曲輪、復元された毘沙門堂、本丸跡の眺望など、
残された遺構も謙信の生活を偲ばせるものなのがいいですな。
最近(でもないか)、小説で話題になったという上杉景虎の居館跡と推定される場所や
微妙な腰曲輪の跡地なども、歴史愛好家には興味を惹くものですな。
小雨が降る中でも城攻めして良かったと思わせる名城でした。
ついでと言っては失礼ですが、春日山城の脇には林泉寺もあります。
謙信が幼少の頃、学問の修行をするために預けられ養育されていたお寺です。
林泉寺
林泉寺

これがその林泉寺。
春日山城のすぐ隣にあります。
謙信の墓もあるので、結構墓参に訪れる人がいるようです。

さて、上越市内にはもう一つ、春日山城と並ぶ有名な城があります。
もちろんこちらも見逃せない。林泉寺を見学し終えたかすこばは、迷わずそちらへ移動。
徳川家康の6男にして独眼龍・伊達政宗の婿に当たる剛毅な将として知られる
松平忠輝の居城として造られた高田城です。
城の縄張りはその岳父・政宗が担当し、春日山城廃城後の越後国を統括する
中心として築かれ、現在は三重櫓が復元されている秀麗な城。
復元とは言え、この櫓はなかなか素晴らしいものです。
一般の人には、春日山城よりもこっちの方が観光地的でいいでしょうね。
高田城
高田城

近世城郭としては珍しい土塁造りの城。
中央の櫓が件の復元三重櫓です。

本日の宿は妙高高原なので、高田城の見学後はそっち方面に移動。
この当時、上信越自動車道は部分開通していたので
乗り場となる中郷ICまで国道18号線を南下し(中郷から北は未開通だった)
そこから高速を使って妙高高原を目指した。
でも、中郷ICと妙高高原ICって、たった1区間なんだよね。
わずかそれだけの距離だけを走るのも無駄なので
もうひとつ先のインターになる信濃町ICまで走り
野尻湖を眺めながら帰る事にした。
野尻湖と言えば、古代史に登場する場所。この湖の周辺から
旧石器時代の遺物やナウマン像の骨などが見つかっている。
何かそれに関連した観光ポイントはないかなー…と探したのだが
これがまぁ、全然ないのね。ちと期待外れ。(探し方が悪いだけかもしれないけど)
こうなると古代史とは全然関係なく、タダの湖って事になるよねぇ。
ま、しょうがないので宿まで引き返す事にした。
そんなこんなで終わっていく7日目だったのでありました。



前 頁 へ  次 頁 へ


本 丸 御 殿 へ 戻 る


城 絵 図 へ 戻 る