1998年6月 中部地方大周回(5)

昨日は午後から小雨が降ってしまったが、一夜明けたら上がっていた。
そうと来りゃもう歩き回るしかないっしょ!
幸い、宿に車は置きっ放しに出来そうなので、駐車場を探す問題は無し。
さぁーて、いっちょ金沢の名所を攻略しますか♪

で、まず最初は成巽閣(せいそんかく)から。
宿から出てすぐに行き当たったので、入館。
成巽閣とは、1863年に13代加賀藩主・前田斉泰(なりやす)が
母親の真龍院の隠居所として造営した御殿で、
当初は巽新殿と呼ばれていた建物でござるな。
江戸時代における大名御殿の姿を残す建物として貴重なもの。
庭園は国の名勝に指定されている。

その成巽閣の隣が兼六園。今日のメインとなる観光地だ。
岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並ぶ日本三名園のひとつで、
金沢の町の代名詞と言っても過言ではない場所でござろう。
早速入園してみると、いやー広い広い!
隅々まで見て回ろうと思っているのだが、果たして何時間かかるのやら?
これは気合を入れて歩かねば、と再確認。
根上り松、徽軫灯籠(ことじとうろう)、雁行橋、夕顔亭など
園内各所に見所が満載で、思わず写真をバシバシと撮りまくり (^^;
うーん、兼六園恐るべし。ここまで時間とフィルムを消費させられるとは…(オイ)
国特別名勝 兼六園
国特別名勝 兼六園

加賀百万石の太守・前田家に相応しい大名庭園。
水と緑を愛でる庭園は、極力自然の雰囲気に近づけつつも
さりげなく贅沢な風合いを匂わせるもの。
写真の噴水は、園内にいくつかある池の高低差を利用した
サイフォン式の噴水であり、もちろん日本最古の
噴水設備である。江戸時代にしてこの設備、さすが百万石!

兼六園の向かいにあるのが金沢城跡(ん?これじゃ本末転倒か)。
加賀百万石・前田家の居城であり、それ以前は
北陸地方の一向一揆を指揮する総本部・尾山御坊があった場所。
現存する金沢城の遺構は三十間長屋と石川門で、
近年に五十間長屋などの建造物が再建されたが
拙者が訪れたこの時はまだ建築工事が始まる前であった。
従来、金沢城跡地には金沢大学の校舎が軒を連ねていたのだが
史跡整備の為に郊外へ移転。よって、城の内側は
大学校舎を解体した直後の荒地になっていて
場所によっては立入禁止、見学箇所も限られる状態でござった。
うーん、もう少し後なら整地された公園になっていたのに…残念。
まぁ、三十間長屋や石川門を見ただけでも十分価値があったけどね (^^)

金沢城を一通り見学した後は、周辺の市内観光を。
金沢市中には、兼六園の外周沿いにぐるりと一周するだけでも数々の名所が並んでいる。
手当たり次第という訳じゃないけど、目に入った場所を観光してみた。
まず始めは尾山神社。金沢城の隣にある神社で、前田家の祖・前田利家を祭っている。
明治初期に作られたというギヤマン張りの楼門は
神社というよりも教会といった方が正解か?と思える。
尾山神社の裏手が香林坊の町並み。金沢市のメインストリートと言える繁華街で
通りの両側に数々の店舗やビルが立ち並ぶ。
香林坊の通りを南に下り、香林坊郵便局の前から市役所方面、つまり東へと折れると
今度は広坂の大通り。こちらは官庁街と言った感じの御堅い雰囲気だが
その中に異彩を放つ建物がひとつ。石川近代文学館だ。
赤レンガ造りのクラシカルな建物は、金沢の名門・旧制四高の本館を再利用したもので
その周囲には松並木が植えられて更に雰囲気を出している。
広坂の通りを東に歩けば、再び兼六園に突き当たる。
このまま兼六園沿いに歩く道すがらあるのは石川県立美術館や
石川県立歴史博物館などがある本多の森公園。本多家の屋敷跡を利用したこの公園は
木々が立ち並び、芝生広場が開放的な緑の都市公園。
この日は近所の幼稚園児や小学生が多数来園し、写生やボール遊びに興じていた。
そんな緑の公園にある歴史博物館はこれまた赤レンガ造りのレトロな建物。
旧陸軍倉庫だったそうで、確かに重厚感のあるどっしりした風格でござった。
本多の森公園の向かい側にある緑地が金城霊澤の湧水公園、金沢神社。
かつて芋掘藤五郎なる人物がこの泉で芋を洗ったところ、
砂金が湧き出したという伝説があり、ここから「金沢」の地名が付いたとか。
国重文 尾山神社神門
国重文 尾山神社神門

鳥居の向こうにステンドグラスの建物…って
何だかとってもミスマッチだよねぇ (^^;
明治初頭に建てられたこの銅板葺きの楼門は
津田吉之助と長谷川準也の設計と言われ、その特異さから
1935年5月13日に国の重要文化財に指定されている。

金沢市内にはまだまだ見たい場所が山ほどあるけれど、
さすがに残り時間を考えると出発せねばならない時刻。
これから能登半島を回るというのに、既に正午を過ぎているんだもん!
こりゃヤバいと思い、慌てて車に飛び乗り金沢市を後にする。
河北潟の畔から能登道路に入り北を目指し、今浜ICで下りた後は
国道249号線をぶっ飛ばしで運転。金沢市を出て1時間ほど後に
能登半島の景勝地・巌門に到着した。能登金剛と呼ばれるこの一帯は
切り立った断崖が立ち並び、見事な景観を作り出している。
松本清張の小説「ゼロの焦点」の舞台となった場所…らしい。
拙者は読んだ事無いので知らないけど (ーー;

能登金剛から更に249号線を北上。場所柄か、大した交通量も無いので
スイスイと運転できる。これで金沢市内で時間を食った分が挽回できるかな?
続いて訪れたのは門前町の総持寺祖院。今でこそ、総持寺といえば
横浜市鶴見区の大寺で有名だが(石原裕次郎の菩提寺ね)、明治まではこちらにあった。
明治維新に伴い、政治・経済・文化の中心が東京に移ったため
総持寺も横浜に寺を分け、信者獲得を目指したというのである。
そのせいか能登の総持寺は静かな古寺として取り残された感じになってしまったが
いやいや、むしろ横浜の総持寺が近代的で事務的な“ただの寺”であって
こちらの総持寺祖院の方が“寺としての風格”を備えた立派な感があって良い。
「祖院」というのは伊達じゃなく、こちらこそ本家だという威厳が十分。
境内には山門や経蔵など、古刹である事を証明する建物がいくつも見受けられた。
庭園も綺麗だし、結構いいお寺ですよ♪

なおも249号線を北上し、たどり着いたのは輪島市。
今は廃止されてしまったのと鉄道輪島線の終着駅で、輪島朝市でも有名な観光都市だ。
拙者もこの朝市を見たいとは思っていたのだが、まぁこの時間じゃやってないやね。
時計はもう午後3時近くを回っていて、朝どころか夕方に近いくらいだし。
仕方が無いので市内をぐるりとひと回りしただけで次の目的地へと急いだ。
輪島市内で東へと折れた249号線をまだまだ進み、訪れた場所は白米(しろよね)の千枚田。
海へと突き出した山の斜面に小さな田んぼをいくつも作り千枚田を構成している場所。
「千枚」というが、実際には2146枚もの田んぼがあるそうな。
こりゃホントに見事な水田の風景。地名が白米となるのも頷ける。
いやぁ、石川県は金沢市内だけじゃなく能登半島も見所が多いや。
時間がいくらあっても足りないねぇ…。

千枚田からもっと進み、日本海の海岸線をひた走るかすこばの車。
今日の宿は和倉温泉なんだけど、このペースだと何時に着くかなぁ…なんて考えていると
左手には曽々木海岸の岩礁が見えてきた。冬には日本海の荒波が打ちつけ、
波の花と呼ばれる泡沫が風に舞う景色で有名な観光地だ。義経伝説にも登場する歴史の地で、
兄・頼朝の追討を逃れ奥州へ向かおうとする義経主従一行がここから船出したと言われる。
その時に矢を射て穴が空いたとされる岩が窓岩と呼ばれる奇岩で、
曽々木海岸を代表する風景になっているのでござる。
さて、曽々木海岸のすぐ傍にある古民家が時国(ときくに)家。
壇ノ浦で源氏に討伐された平氏の中で、数少ない生き残りとなった平時忠は
能登に隠棲するようになり、以来この地で細々と生活する事を余儀なくされた。
さらに、時忠の子・平時国は、なお厳しい源氏の監視を緩める為に平姓を捨て
時国の名を家名とし、土着の豪農として生きるようになる。
時代が移ると時国の家は上家と下家に分かれ、現在に至り
上時国家と下時国家の両家が昔ながらの古民家を保存し、観光解放しているのでござる。
義経伝説に平家の末裔、能登には源平盛衰の歴史が残っているものですな。
もちろん歴史好きの拙者にござれば、上下両方の時国家を拝観させて頂きました。
国名勝・天然記念物 曽々木海岸
国名勝・天然記念物 曽々木海岸

これが有名な窓岩。
そそり立つ岩礁にぽっかりと覗き穴が空いてます。
矢を射て開いたという伝説も何となく頷けますな。
冬には波の花が舞い立ちます。

時国家から249号線をまだ東へ、能登半島の最北端を目指し車を走らせるが
うーん、時間的に考えて半島一周は無理そう…。
途中、国道から分かれて石川県道26号線に入れば半島最北端へ行けるのだが
泣く泣くそれは断念、このまま国道を走って珠洲市の中心街へ向かう。
いったん日本海から別れ、大谷峠を越えて能登半島を横断。
珠洲市街地で再び海へと出て(今度は半島の南岸ね)、
海沿いに南へと下った。珠洲の海岸線で見かける景勝地は見附島。
切れ長の島が浮かぶ様から、通称で軍艦島と呼ばれる孤島だ。
言われてみれば確かに、そう見えなくもない。
軍艦島からさらに南下した所にある砂浜は恋路海岸。
悲恋の恋物語から名付けられた海岸は、海水浴シーズンにはまだ早く
人っ子一人いない物悲しさ。悲恋の情景を醸し出していた。

内浦町の松波から国道は再び内陸部へと入っていく。
残り時間が少ないかすこばも、国道から外れて周遊する冒険は危険と考え
迷わずこのまま道なりに進んだ。その選択は正しく、整備状態の良い道路を
思う存分にかっ飛ばす事ができた。いやぁ、能登の道って飛ばし放題だね。
(って、お前は法定速度守ってるのか?)
内浦町から能都町へ、さらに穴水町へ。時折海沿いを走り、はたまた山中を抜け
国道249号線は“日本の原風景”と呼べるような風景の中を進んでいく。
そんな中、七尾北湾に出たところで見かけたのが「ボラ待ち櫓」。
能登の伝統漁法、ボラ待ち漁に使うという竹竿組みの小さな櫓が海に置かれていた。
この櫓に人が乗り、ボラが来るのを待っているというのどかな漁法だそうな。
今ではなかなか行われる事はないというが、何ともまぁ、優雅な話ですなぁ。
時間に縛られる事のない、昔ながらの温かみにちょっと心奪われた。

と言っている暇はない、時間に追われまくりのかすこばは
穴水から能登有料道路に入った。この道は能登半島の山麓をブチ抜く自動車道。
さすがに穴水まで来ると国道は交通量が増えてスピードダウン気味だったので
少しでも時間を稼ぎたい拙者には便利この上ない道路である。
これで一気に和倉温泉へと向かおうという考えであった。
左手に七尾湾の海を眺めつつ、高速道路に乗れてようやくひと安心。
何とか日没までには宿に着けそうだ。徳田大津ICで能登道を下り、
再び国道249号線のお世話になりつつ、和倉温泉に取った今日の宿へと到着。
言うまでもない事だと思いますが、和倉温泉といえば能登最大の温泉街。
七尾湾や能登島の景観を眺めつつ、日本海の海の幸を楽しめる。
交通の便が良い事もあって、温泉旅館が林立する光景は
石川県のみならず日本国内でも屈指の大観光地と言えましょう。
この和倉の湯で疲れを落とし、今日一日の(無茶な)行程を思い返しつつ
明日の旅路に期待するかすこばでありました。



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