越前国 丸岡城

所在地:福井県坂井郡丸岡町霞町
■■駐車場: あり■■
■■御手洗: あり■■
遺構保存度:★★☆■■
公園整備度:★★★☆■
1575年(天正3年)、織田信長は北陸地方の一向一揆を平定するために
丸岡の東4kmの山中にあった豊原寺を攻略し寺坊を焼き払った。
柴田勝家は信長に越前を与えられ、その甥・勝豊は寺跡に豊原城を構えたが
翌1576年(天正4年)に豊原から丸岡に移り築城した。
これが現在の丸岡城でござる。
柴田氏が羽柴秀吉に滅ぼされた後は城主が次々に変わり明治を迎える。
城址は一時官有地となっていたが民間に払い下げられ、
天守閣以外の建物はすべて破却されてしまった。
1901年(明治34年)、唯一残った天守は丸岡町に寄付され
1934年(昭和9年)に国宝(旧国宝)の指定を受けた。
1948年(昭和23年)に福井地震で倒壊してしまったのでござるが
用材の80%は元の古材を使用して1955年(昭和30年)に修復再建。
現在は国の重要文化財に指定されている。
丸岡城は標高17mの独立丘陵上に築かれた平山城。
霧がよく出て城を隠してしまうので別名は「霞ヶ城」。
天守のある本丸の北側に二ノ丸を置き、さらに二ノ丸の東には
東ノ丸・搦手門と続き、その全体を広い堀が囲んでいた。
その外郭には侍屋敷を配置し、さらに河川を利用して外濠を作り
寺社民家を包容した城下町を形成していたのでござる。
現在堀や曲輪は埋め立てられて遺構を見ることはできない。
天守閣は現存のものでは最古と見られている(異説あり)。
三重三階の前期望楼型天守閣、上層望楼を形成して通し柱がなく
一層は二階・三階を支える支台をなしている。
初重の外観が大壁で腰が下見板張り、上層の望楼部は
上部が漆喰壁と真壁造りで、高欄をめぐらせている。
屋根は全部石瓦(笏谷(しゃくだに)石)で葺かれているのが特徴。
1枚の重さは約20kg〜50kg。約6000枚(120t)の瓦が使用されている。
天守閣の高さ12.6m、石垣高6.0m、鯱の高さ1.66m。
規模は小さいが古風で剛健な建造物でござる。
北陸地方唯一の現存天守閣として一見の価値ありですぞ!
現存する遺構
天守閣《国指定重文》・石垣
一乗谷城
越前大野城