2015年8月 修学旅行で行かない京都旅行
旅行期間:2015年8月18日(火)出発〜8月20日(木)帰着
主な滞在地
8月18日(火):
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平等院鳳凰堂・寺田屋・御香宮神社・伏見稲荷大社・方広寺・本能寺跡
旧二条城跡・南禅寺・平安神宮・黒谷金戒光明寺・八坂神社・高台寺
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8月19日(水):
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梅小路蒸気機関車館・教王護国寺(東寺)・渡月橋・天龍寺・嵯峨野観光鉄道・京都タワー
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8月20日(木):
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元離宮二条城・晴明神社・龍安寺・御土居・山科本願寺跡
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上の子供が中学に進学した2015年。
小学校では修学旅行で日光へ行くのが我が茅ヶ崎市(神奈川県)の定番だけど
中学だとやっぱり京都・奈良なのが定番。自分が中学生の時代もそうだったし
子供が行くときもそうだよね、なんて話をしていたら家族から「夏休みには京都へ行こう」となりました。
個人的にも、この年の京都は色々と注目するところがあったので、前向きに話を進める事としましたが
肝心の子供が2年後には修学旅行で行くんだから、ド定番で組み込まれそうな
金閣寺・銀閣寺・清水寺なんかは“外して”行先を選定する事に。斯くして夏休みも後半戦の8月18日(に日付が変わった頃)
家を出発し、京都へ向かったのでございます。夜のうちに移動し、朝から京都を楽しむために!
で、朝8時半。やって来たのは宇治。開門まで30分早く着いちゃったけど、のんびりと待って朝一で入ったのは

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国宝 平等院鳳凰堂
宇治と言えば平等院ですわな。まぁ、これも修学旅行で行きそうな場所ですが
家族からのリクエストがあったので、コースに入れてみました。宇治なら京都の端なので
ここからスタートにすれば、京都市中まで順番に進んで行けそうな感じにもなりますし。
で、撮った写真はやっぱりド定番の正面から、両翼まで入れて。
お手持ちの10円玉と見比べてみて下さい(笑)
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正面からではなく横からとか斜めからも撮ってみたんですけど、やっぱり何だかしっくり来ない。
この建物は真正面からが一番安定するように出来てるんでしょうねー。
鳳凰堂はこの前の年まで大修理を行っていて、まだ新装成ったばかりの鮮やかな姿でした。
快晴の青空に朱塗りの建物が映え、それがまた池に写って映え… (^-^)v
ところで、鳳凰堂って中に入って拝観する事が出来るんですね。てっきり内部は見られないんだと思ってたw
拝観料を払えば見られるとの事なので、せっかくなのでチケットを購入し見てみる事に。
と言う事で内部拝観券を入手!
内部拝観は時間制で入れ替わりなので、決まった時間に入って次の組が来るまでに退出せねばなりません。
お堂の中に入ってみれば、そりゃまぁ(不信心な拙者でも)何とも言えない荘厳な空間。
さりとて、当然ながら御本尊様を撮影するのは御法度ですので
阿字池
鳳凰堂の中から、さっきいた場所を撮ってみたw
とりあえず中に入った証拠写真って事で (^ ^;
(わざと金網のボケも入る感じで撮影)
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平等院と言えば鳳凰堂、と相場が決まっているワケですが
もちろん他にも色々なお堂があったり、収蔵品を展示しているミュージアムなんかもあったりします。
仏教絵画とか、彫像とか、まぁ伝統あるお寺に残されている様々な芸術品が展示されているんですけど
ウチの子供が何だか妙に興味を持っちゃって、鳳凰堂よりもミュージアムに長居しちゃって、
親としては子供が見たいものを引きはがす訳にもいかないので放っておいたら
時間がどんどん経っていって、予定がオシ気味に(爆)
別にキッチりと段取りを組んでいるわけじゃないから構わないっちゃぁ構わないんだけど
こういうのに興味を持つなんて、ちょっと意外… (^ ^;
やっとの事で平等院を抜けだした後は(←何だか災難に遭ったような言い方ですが)
北上して伏見へ。ここはここで色々な史跡や名所がありますけど、最初に訪れたのは

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寺田屋
幕末の歴史にたびたび登場する旅籠・寺田屋。
薩摩藩の内ゲバ的な刃傷沙汰や、坂本龍馬が
伏見奉行所の追っ手を切り伏せた件とか、
何でここでばかり物騒な事件が起こるんでしょうかねぇ?
旅籠だったら他にもありそうなのに、1度事件が起きた後
また別の事件が同じ所で起きるって、何か狙われているとか因縁があるとか?
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何でそんな事件ばかりが起きるのかは当時の状況が深く関わっているでしょうから現代からは想像できませんし
この建物が幕末当時から残っているものなのか、再建されたものなのか、色々と論争もある難しい史跡なんですが
歴史好きにとって伏見と言ったらここが外せないのは間違いないワケでwww
寺田屋 龍馬の間
そんな寺田屋の中に入れさせて頂きました。
薩摩藩の事件の方が大ごとの筈なんですが
やっぱりウリは龍馬なんでしょうねぇ。龍馬関連の
展示や解説が沢山溢れてました。柱には刀傷や
弾痕、再建された建物ならこうはならないので
これは当時からのモノ…なんでしょうか?
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御香宮(ごこうのみや)神社
続いて訪れたのは御香宮神社。
不信心なオイラが神社なぞ?と言う感じですけど
この表門は伏見城の大手門を移築したもの。
そして境内の端には、その伏見城から抜かれた
石垣の石材も集められています。要するに、
神社的要素より、城分補給ですわ(笑)
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指月伏見城発掘現場
って言っても、実は移築門や移設石垣にもそれほど興味無いんですよ私は。
城の現場から離れてしまった建物や石材は、もう城の遺構として意味が無いと思っているんで。
全く無価値とは言いませんが、やっぱりそれは城内にあってこそ意義があると考えるのでね。
じゃ何で御香宮へ行ったのかと言うと、その近くでこの発掘が行われていたから。
2015年当時、新発見となった指月伏見城の遺構を見られたら…と。
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一般的に伏見城と言うと伏見“桃山”城を指しますが、元々は“指月”伏見城に始まる城です。
ところが指月伏見城は完成直後に大地震で崩壊、そのまま破棄され改めて桃山に作り直されたんです。
誰もが見捨てた指月の城は、あっという間に埋め立てられて遺構を残さない幻の城と化しましたが
これが2015年の頃、マンションの建設工事に先立って行われた発掘調査で
その名残りと見られる石垣が発見され、大きな話題となりました。その発掘現場がここ。
実はこの数日前、発掘結果の現地説明会が行われかなりの人が集まったのですけど
ウチらが京都へ行く日程の時には…もうすっかり埋め戻されておりました。
もしかしてまだ発掘の跡が見られるかなーと期待していたんですが(残念)
その次に向かったのは伏見で一番の観光名所、伏見稲荷大社。
ここはまぁ、今更説明するまでも無い処だと思いますが…。
伏見稲荷大社
朱塗りの鳥居に朱塗りの社殿、
有名な伏見のお稲荷さんです。
外国人観光客を誘致するようになった
今ではもの凄い混雑で大混乱らしいですが
この当時も、かなりの観光客(外国人も)が
訪れて、大賑わいでした。
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で、伏見稲荷の代名詞と言えば千本鳥居。数えきれない程の鳥居が密集して並ぶ姿が“映えスポット”ですが
奇跡的に人が居ない瞬間を撮影したり 

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人が途切れないから、逆に通過する人を流す撮り方をしてみたり…。
当然、こんな所で三脚なんか使えませんから手持ちで頑張って撮ったんですよ。
この苦労を皆さん察して下さいな(苦笑)
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神社を一回りした後(伏見稲荷の境内はものすごく広いんですわ)、昼食を摂り
いよいよ京都の中心街へ移動。と言うワケで…
京都タワー
京都駅前にて、フツーに観光写真です(笑)
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いや、まぁ、別に京都駅前はただ通過しただけですがね (^ ^;

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方広寺 鐘楼
んで、やって来たのは方広寺です。一般の方はあんまり聞き馴染みが無い?方広寺。
京都や奈良にはゴマンとお寺があるから、その中の1つでしょ?と言った感じですけど
じゃ何でその中の1つにわざわざ来たのかと言えば、この鐘を見るためです。
え?鐘??それだってどこのお寺にでもある普通の鐘じゃん?って感じですけど
いや、この鐘は歴史の教科書に出てくる特別なアレでして…
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国重文 方広寺 梵鐘
これ、御存知ありませんかねぇ?
「君臣豊楽 国家安康」 豊臣家を君主とし、家康の名前を分断する
…と言う呪いが込められた梵鐘だと言いがかりをつけ、徳川幕府が
大坂城の豊臣秀頼に宣戦布告する“名目”になった梵鐘です。
この鐘は江戸時代当時の物が残っていて、国の重要文化財。
幕府と豊臣家が遣り取りした、そのホンモノが見られます。
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古い説では、豊臣家がこの梵鐘を作った意図とは関係なく徳川幕府が難癖をつけたとされていましたけど
近年の研究では、豊臣家が意図的にこの文言を刻み込んだのではないか、と考えられるようになりました。
(そうでないとこんな銘文が書き込まれる筈がない?)
豊臣家が家康を呪っていたのかどうかは、今となっては分かりませんけれど
「この鐘は潰せ」と言っていた徳川幕府が、大坂の陣が終わった後にはこの鐘を放置して
それが今でも残っているのだから、幕府側は本当に“言いがかり”のネタに使っただけで
事が終わったら、もうどうでも良いって言う感じだったんでしょうねぇ。現代でも戦争の発端になる事って
戦いの「始まり」としてだけ重要で、それが過ぎたら誰も何も触れなくなったりするワケで…政治力学って難解だわ (- -;

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国宝 豊国(とよくに)神社 唐門
方広寺の隣には秀吉を祭神とする豊国神社が。
個人的に秀吉はキラいなんですけど(神奈川県民としては、後北条家の仇敵!)
それはそれとして、歴史的遺構はきちんと見ておきたいので。この唐門は
伏見城?あるいは二条城?の門を移築したと言い
桃山時代の造形美が凝縮された“国宝”ですので!
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旧本能寺跡
その後は京都市内をフラフラと移動。
こちらは織田信長さんが明智光秀さんにヤラれちゃった本能寺の跡。
いわゆる「本能寺の変」の現場です。今、建て直された本能寺が
別の場所にあるんですけど、本来の本能寺はココでした。でもまぁ、
すっかり住宅街になっちゃってますけどね。何にも遺構は残らないし。
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その他に旧二条城跡とかにも立ち寄り(ここも単なる市街地です)ながら、次に訪れたのは南禅寺。
南禅寺の近くに、和菓子の体験制作をさせてくれるお店がありまして、嫁さんが「是非やってみたい」と仰るのでそこへ赴いたのですが
オイラは御菓子作りはちょっと…いや、嫌いとか触りたくないとかじゃなくて、伝統ある京菓子をオイラのような
日頃料理すらしないような人間が軽々しく取り扱うのは恐れ多い気がして。とは言え、嫁さんが御菓子作りをしている間は
時間に余裕ができる(要するにヒマな)ので、オイラは上の子を連れて南禅寺一帯を散策する事に。
伏見城遺構 不明門(あけずのもん)
まずは白川通り沿いにある、この建物。南禅寺の目の前です。
伏見城から移築されたという、不明門だそうです。
飾り金具が入っていたりして、如何にも桃山風ですけど
この門の形状・規模にしてこの装飾?この屋根?
何だかアンバランスな感じに見えるんですけど…。
ただ、雰囲気はたっぷりと纏っていますね(笑)
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国重文 南禅寺 三門
で、南禅寺の境内に入ってみると堂々とした巨大な門が。
デカい。とにかくデカい。高すぎて見上げても見切れない。
城郭建築は見慣れてますが、それとはまた違う迫力に圧倒されます。
柱1本と取っても、こんなに大きなものなのでビックリしますねぇ。
城の門とは異なる趣きですのでねぇ…。
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南禅寺 法堂(はっとう)
いわゆる「本堂」に相当する建物ですが、これまたデカい。
世界最大の木造建築物と言われる東大寺の大仏殿よりは
小さい筈なんですが、むしろ“圧”と言うならこっちの方が上かも。
遠目に見ても威圧感があるし、近くに来ると押しつぶされそうな感覚に。
仏法の道場って、真剣勝負の場…と言う事なんでしょうか?
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世界最大の木造建築…で、昨今は大阪・関西万博の大屋根リングが記録を塗り替えましたけど
あれって会期が終わって保存するとかしないとか、部分だけ残すとか話が二転三転してますが
全部残さないのなら、また大仏殿が最大建築に復帰するんでしょうか?って、全くの余談なんですけどねwww
とまぁ、厳かな南禅寺の境内を進んで行くと、唐突に洋風な建築…いや、構造物に遭遇。
南禅寺は修学旅行でも来る?かどうか微妙な名刹ですけど、どっちかと言うとコレが見たくてやって来たんです今回は。
たぶん、修学旅行生はこれを目当てにここまで来るって事はなさそうですので―――

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国宝 琵琶湖疏水 水路閣
古代ローマの遺跡みたいな水路橋。
南禅寺の境内を突っ切っているこの橋は、明治時代に作られた
琵琶湖疏水の一部分。レンガで作られたアーチは実に美しく
近年(本当にごく最近)、国宝に指定される事になりました。
国宝になったから、今では修学旅行生も来る…のかな??(謎)
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歴史ある古刹の境内に煉瓦アーチ橋というのもミスマッチなんですが、自然と落ち着いて調和が取れているのが不思議な所。
そして間違いなく水路であるという証に…

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国宝 琵琶湖疏水 水路閣
この通り、橋の上に登る事も出来て
勢いよく水が流れている様子を眺められます。
緑の木々を抜けていく一本の水路、
夏の暑い午後にはちょうど良い清涼剤ですね。
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この後、南禅寺の塔頭である金地院(こんちいん)を拝観。金地院って?と言う方も居ると思いますが
南禅寺の敷地内にある小さなお寺で(塔頭なんだから当たり前かw)、綺麗な庭園があります。
え、その庭園を見に行ったのかって?いや、それだけじゃなくて江戸幕府初期の学僧・崇伝(すうでん)さんが居た寺としても有名。
これもまた歴史に関係した場所、という事で…。
南禅寺境内から外に出ると、水路が行きつく先となる船溜まりに。

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南禅寺船溜
琵琶湖疎水記念館の前に、大きな池が。
噴水もあったりして、なかなかに解放感のある景色です。
疎水はここに流れ着き、様々に活用され
やがて鴨川へ合流していきます。
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琵琶湖疎水記念館にて
明治時代に引かれた琵琶湖疎水は、水運や発電に使われた用水。
かつて使われた発電用機材なんかが、こうやって展示されております。
京都の“近代化”を支えた歴史を知れる記念館です。
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さて、ここまで朝から(と言うか前の晩から)駆け足で走りつづけてきたので
そろそろ宿へ向かおうかと。南禅寺からは10分ほど、丸太町通りに面したホテルが今回の宿です。
チェックインして、嫁さんはすっかり休憩モードに入ってスイッチが切れました。
が、オイラとしてはまだ観光する気満々だったので、ここから散歩で回れる範囲を見て歩こうと。
せっかく京都まで来たんだし、まだ陽は高いし、全然余裕っしょ(笑)
平安神宮
平安京、つまり京都が都となって1100年を記念し
明治時代に作られた神社。平安京を模した社殿なので
入口の門は平安京の門である応天門がモデル。
確かに、京の御所と神社の建物って雰囲気が似てますよね。
都の建物を神社として作るって、思い付いた人は素晴らしい!
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ちなみに、平安京の建物を“スケールダウン”して、少し小さめに作ってあるそうなので
本当の応天門はもっともっと大きかった事になります。ほぇー!これで十分デカいんだけど、もっと大きかったのかぁ。
平安神宮の境内をウロウロし、次に向かったのは宿の北側にある金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)。
黒谷町(くろだにちょう)にある事から「くろ谷さん」と呼ばれ親しまれているお寺なんですが、めっちゃデカい!
南禅寺の境内も広かったんですが、くろ谷さんも相当にデカい範囲に及んでいます。
しかも、南禅寺とは違ってちょっと高台にあるので軽く山登りになります。

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浄土宗 紫雲山 金戒光明寺
境内の入口にある車止めの石には「黒谷境内」と凛々しい文字が。
とは言え、この石の手前は山を登って来る階段なので、ここから
車が入って来るような事は絶対にあり得ないんですがw
車止めと言うよりも、結界石みたいな感じなのかな?
階段を登り切った所にあるので、かがんだりしゃがんだりせず
少し下の段から、目線のまま撮れる写真です(笑)
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そんな金戒光明寺は、幕末の頃に会津藩が京都の陣所としていた場所。
幕末の会津藩と言うと、藩主・松平容保(かたもり)公が京都守護職として不逞浪士を取り締まっていて
あの新選組なんかも、その配下として働いておりました。そんな京都守護職本陣として見てみれば
小高い山の上にある金戒光明寺は、まさに山城。そして大量の兵が駐屯するに相応しい地理。
しかも京都御所は目と鼻の先。そりゃ、遠征城郭としては丁度良い場所にある訳だわ。
実際に行ってみると、その“地の利”が良く分かります。これはフィールドワークじゃないと感じられない!

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崇源院(すうげんいん)墓
そんな金戒光明寺ですが、京都で亡くなった会津藩士の墓地があったりして(何せ本来は寺ですから)
幕末ファンにとっては一種の聖地になっていたりします。もちろん、拙者も会津藩墓所を
お参りさせて頂いたワケですが、その手前側にあったのがこちら「崇源院さんの墓」。
え?こんな所に何で?と思ったんですが、説明書きでは追善供養で作られた墓との事で納得。
ここには遺髪が納められているそうで、本当の墓は東京の増上寺にあります。
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で、崇源院って誰よ?と仰る方に。徳川2代将軍・秀忠の奥さんで
浅井三姉妹の末っ子…と言っても分からない?浅井三姉妹と言うのはご自身で調べて貰うとして
大河ドラマの主人公にもなった「お江(ごう)ちゃん」の事です。だから、上野樹里さんですってば(←それが説明なのかよw)
山を下りると(そういう場所にあるんですよ)そこが宿。我々も一息ついて、夜になったころ
夕食を食べるついでに、もう一回り散策を。賑わう夜の京都に繰り出すので、車は宿に置いたままバスに乗り
やって来たのは東山。当初のプラン通り、清水寺には行かないものの…

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国重文 八坂神社 西楼門
八坂神社…の境内を通り抜けて、目的地へ向かいます(笑)
えぇ、通り抜けるだけです (^ ^;;;
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四条通りの夜景
楼門から振り返れば、賑わう四条通り。
いわゆる“祇園”の夜…なかなか壮観な光景です。
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ねねの道
八坂神社から高台寺(こうだいじ)へ抜ける道には提灯の行列が。
伏見稲荷の千本鳥居と同じく、こちらもシンボルが折り重なる
幻想的な光景です。あちらが昼の名所なら、
こちらは夜の名所と言っても良いかと。
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と言う事で、お目当てにしてやって来たのは高台寺。ねねさんのお寺です。
え、ねねさんって誰?ですと??豊臣秀吉の奥様、寧子(寧々)さんです。
え、豊臣秀吉って誰?ですと???
そういう方は義務教育やり直して下さい。マジで。

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臨済宗 鷲峰山(じゅぶさん) 高台寺
秀吉の死後、仏門に入ったねねさんのお寺。
ねねさんの院号は高台院。それで高台寺なワケ。
この高台寺で夜間特別拝観が行われていたので
それを拝見しに、やって来たのであります。
ライトアップされた境内、ちょっと妖艶です…。
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国史跡・名勝 高台寺庭園
そんな高台寺には美しい庭園が。
そしてそれがライトアップされ、木々が輝き
鏡のような池に写って、万華鏡のような美しさ。
絶景かな、絶景かな…!
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国重文 高台寺 傘亭(上)と時雨亭(右)
高台寺の境内には、伏見城から
移築されたと伝わる2つの茶室が。
傘亭と時雨亭、どちらも名建築。
そして闇夜に浮かび上がると
より一層、ファンタジーな感じに!
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夜の高台寺、実に幻想的で素晴らしい光景を拝めました。
個人的に秀吉は嫌いですが、ねねさんには感謝です(なんじゃそりゃw)
帰りの道沿いで見つけたのが
禁裏御陵衛士屯所跡
「きんりごりょうえじ」の屯所(とんしょ、駐屯地)と読みます。
幕末、京都で尊攘浪士を取り締まった新選組は有名ですけど
その新選組から思想の違いで分裂した一派が禁裏御陵衛士。
その後、御陵衛士は新選組と抗争を起こし粛清されますが
幕末好き、新選組好きの方々にとっては有名な場所ですな。
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ってな感じで、京都の夜も堪能した一日目なのでありました…。
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