2014年3月 小田原城現説+α

旅行期間:2014年3月8日(土)

主な滞在地
3月8日(土):小田原城御用米曲輪・伊豆長浜城・足柄城・丸山城
小田原城現説会場地図 (C)Mapion


昨年(2013年)2月にも小田原城の御用米(ごようまい)曲輪で発掘調査の現地説明会が行われましたけど
今年も、その発掘調査の経過説明会が行われる事になりました。
で、まぁ、去年のあの「凄い結果」を目にしてしまったら、そりゃ今年も行かないと…行くっきゃないでしょ!
城仲間の数名も、あの現説は見に行くとの話だったので、それなら皆で見て
ついでに他の城も見学するオフ会にすると言う計画にしました。

それではまず、その現説の様子から…
池泉遺構と井戸 中世の池泉遺構
昨年、衝撃的な姿を現した池泉がより広く掘り出されていました。その隣には井戸跡も。
前日に雨が降ったせいで池に水が溜まり、きっとこの池はこういう感じだった?と、より一層想像し易い雰囲気に。


※衝撃的な池泉
去年の記事を見て頂くのが一番分かり易いんですが、念のためここでも説明。
五輪塔(寺の墓地なんかで見かける燈籠のような姿をした小さな供養塔)の「屋根」の石材、つまり
ブロック状の石を大量に集めて、それを逆さにして埋め込み、底辺が上を向くようにして敷き詰め
まるでタイル敷きのような護岸を「戦国時代の小田原城」では庭園の池に作り出していました。
昨年、その遺構が部分的に露出し、それだけでも十分衝撃的な光景だったんですが
今回はそれがより一層広いエリアで掘り出された現地説明会となりました。
まるで現代工法で作られたかのような「規格材」造りの池…凄い話でしょ?



礎石建物跡 石組水路遺構
礎石建物の跡に、石組水路の遺構。どれもこれも、凄い遺物のオンパレード!
大きな井戸跡 玉石敷遺構
大きな穴は井戸の跡。玉石が敷き詰められた場所も。
生活空間が見えたり、整然と整えられた権威ある空間が同居。
規格材の使われ方 タイル敷き池泉
そしてこれが「タイル敷き」の遺構。凄い!これ本当に450年前のモノなのか?

参考写真(注:これは小田原城のものではありません)

きっとこういう感じで池を作っていたんでしょうね。
現代の公園にある池と全く同じ構造物だ…(驚)
参考写真

そして今年の目玉になるモノがこれ!
タイル敷き庭園! 縦長の板は滝?
池の護岸ではなく、床一面にタイルを敷き詰めたこの場所…
驚異のタイルアート!
庭園の散策路(広場?)をタイル敷きにしたエリア!これはもう「現代の都市公園」そのものでしょ!
しかも、真ん中に「縦長の板」がありますでしょ?
これ、当時は本当に「立てる石板」として使われていたようで
枯山水の滝、つまり「タイル庭園の真ん中に、唐突に空中から流れ落ちる瀑布」が表現されていた訳。
もはや技術論なんか飛び越えて、現代アートじゃないですか!!
21世紀にゲームやアニメで表現される“異世界感”と言っても良い…。
参考写真(注:これは小田原城のものではありません)

イメージ的には、こういう空間を石で表現したかったのかな?
写真はイメージです
京都や大坂といった上方は「伝統芸術が理解できないと野卑だ」と言っていた土地ですが
小田原ではむしろ前衛芸術が花開いていたという証。そりゃ、後北条氏が秀吉を
“下賤の出自のくせに、公家かぶれした成り上がり者”と見るのも一理ある訳です。
そもそも後北条氏は(最新研究によれば)室町幕府政所執事・伊勢氏の末裔ですから
「京都の文化も理解しつつ、独自の超越芸術を作り出していた」事になります。

それから、タイルアートの手前に、不粋に見える土管の列がありますけれど
これは明治〜大正期に小田原城址が皇室の小田原御用邸として使われていた頃の埋設遺物。
この土管も、立派に歴史の証人なのです。

五輪塔の石材 五輪塔の石材
敷地内から出土した大量の五輪塔石材。これをバラして、タイルにしていた訳ですね。
そして向こう側に置かれている、中途半端な矢穴(石ノミ跡)が残る石垣石材も気になる(笑)
きちんとした区画分け
タイル敷きの縁に沿って、区画分けの石が並べられ
その外側には砂利が敷かれていました。
明確な造園コンセプトがあった訳ですね。
にしても謎の遺構だ…。


さて、午前中の現説が終わった所で小田原城は退出。
これからみんなで伊豆を目指します。向かうは伊豆長浜城
内浦湾
内浦湾

伊豆半島の入り江、内浦湾に突き出す
岬状の小山が長浜城の跡。当時は戦国大名の軍船が
並んでいた海に、今ではリッチなプレジャーボートが停泊。
彼方には淡島、そして富士山。海が綺麗だ…。
新設された見学通路
この頃、長浜城では史跡整備が劇的に進み、見学用通路が作られたり
不要樹木が伐採されたりして、久々に訪れたら環境が激変してました!
見通しが良い! 建物跡の展示
曲輪の形がハッキリ分かるし、その先への見通しも良い!
建物跡の平面展示には「柱がこんな感じで並んでた」と言う“半立体的表示”も施されていました。
見学通路を兼ねた展望台というのも、上手いこと考えたものですねw
こういう整備だと“戦国時代の城はこういう風に使われていた”という想像がし易いと思います。

そして豆州長浜城と言えばこの眺望!
内浦湾、そして富士山さん!
ちょっと雲がかかってしまいましたけど、彼方に白い雪をかぶった富士山の頭が。
眼下には内浦湾、それを塞ぐ天然の防波堤のように淡島が鎮座します。
ここ数年「天空の城」と持て囃されて兵庫県の竹田城から望む風景が有名になりましたけれど
長浜城から眺める景色も、負けず劣らずだと思うんだよなー。
西の横綱が竹田城、東の横綱が伊豆長浜城ではないかと。

城の北面は階段状に曲輪が重なり、山の麓へ降りて行けます。
突端の海辺まで行ってみると
碧く透明な海 伊豆の海は、碧く透明に輝いておりました…。

反対に、南側の麓(海に突き出す城山の“根元”)へ行っていると
こちらはまだ工事中!
この辺りはまだ整備工事中でした。
現在では、舟入だったこの場所に
当時の軍船の大きさを示す平面展示が
出来上がってます。船体の平面展示と言うのも
なかなかトリッキーではありますが(爆)


と言う事で、伊豆の長浜城を堪能。この後、休憩を挟んでもう1ヵ所くらい行く?との話になり
夕暮れ時に行くならば―――あそこだろ!と選んだのがこちら。
夕暮れの足柄城
足柄城夕景

特徴的な石碑があるので、
分かる方なら一目で分かるアングル。
冬場にしては雲の多い日でしたが、
ここからは富士山がくっきりと見えました。
そう、足柄城は富士眺望の名所。
そして夕陽の名所でもあるので、
この時間に訪れるのは
最高のタイミング! (^ー゚)b
この年の2月は雪の降る日が数日繰り返され(それもドカ雪)、足柄峠にある山城では
残雪がたっぷりと。まともに踏み抜くと、足首の上くらいまで雪に埋まる状況でしたが
堀には雪が溜まってます 日当たりが良い場所では雪も無く
景色が素晴らしく、濡れるのも気にせずついついあちこち動き回ってしまいます(笑)
日当たりの良い場所は雪が消えてますが、逆に堀底なんかはまだ雪で埋もれてます。
オレンジ色の空 紅の飛行機雲
太陽が雲に透けた日没の一瞬、周囲はオレンジ色に染まりました。
そして日が暮れた直後、飛行機雲は紅色の線となり…色々とフォトジェニックな足柄城でした。
(あれ?城の話は何もしてないぞwww)

どうでも良い話なんですが(完全に個人的雑感です)宝永火口って
「富士山のどてっ腹に大口開けていて、山の形を損なっている」と酷評する方もいますが
むしろ雪の紋様を作り出すには良いアクセントになると、個人的には思うんですがねー。
たぶん、静岡側から見慣れている方(北を仰ぐ向き)と神奈川側から見る人(西を向く角度)で
富士山の容姿が違ってしまうからなのかな〜? (^ ^; オイラは神奈川県民


すっかり陽も暮れたので、オフ会メンバーの解散となる訳ですが
ここから東京寄りでそこそこ大きな駅と言うと、本厚木駅かな?
ですので、足柄山から国道246号線に出て厚木市街を目指すのですが
その道沿いにある、と言うかこれも最近綺麗に整備されたばかりの城址公園が丸山城址公園!
夜になってしまいましたが、ここなら「ちょっと見る」くらいは出来るし
何せ246に面していて駐車場も完備されているので、訪問は全く問題なし…という事でオマケの寄り道。
夜の丸山城土塁
夜の丸山城土塁

市街地の中にある城址公園ですから、夜でも明るいし
整備されたばかりなので安全に見て回れます。
ちょっとシャッターを長めに開けば、写真だって
この通りに撮れますし。で、この土塁!分厚い!高い!
整備されるまでこんな土塁がここにあるなんて
知らなかったんですがねー(苦笑)
まぁ、写真的には土塁よりも後ろで煌々と輝く東海大学の方が目立っちゃってますが orz そんなオチかよw

何はともあれ、色々と「芸術的な城」を堪能した1日でございました♪ (^-^)v



◆◇◆ 掘り出でた いにしえの町 今みても 不思議と通ず 美しさかな ◆◇◆




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