2006年7月 第五回全国一斉お城の日

旅行期間:2006年7月30日(日)

主な滞在地
7月30日(日):


御瞥山砦跡・村岡城址公園・二伝寺砦跡・鐙摺城跡
和田氏関連史跡・新井城址・三崎城址・浦賀近辺・衣笠城址
金沢陣屋跡・今井砦址・獅子ヶ谷城跡・寺尾城址・茅ヶ崎城跡
第五回全国一斉お城の日行程地図




「全国一斉お城の日」とは?

全国から集まられたお城好きの皆さんが同じ日に一斉に好きなお城を巡り、
それをスレにつなげていくというものです。
当日の城攻めとして有効になりますのは当日の24時間です。(AM0:00〜PM12:00)
なお、当日お城にいけない方も皆さんのお城レポートやケータイによる
実況レポートに対して随時感想、応援を書き込んでいただいて結構です。

有名なお城、近場の小さな城跡、陣屋跡などどんなお城でも結構です。
めざせ全国制覇!!

(mixi「お城めぐりしよう!」コミュ イベントトピより抜粋転記)


ってな訳で、またもや参戦「お城の日」!
今回は夕方までに帰宅しないといけない用事があった日に
重なってしまったので、近場も近場
藤沢〜三浦半島〜横浜南部を回る事を選択。
その分、細かい所もみっちりと(笑)

早く切り上げないといけない分、出陣を早めまして
朝5時ジャストに家を出発。こんな時間から城めぐりするヤツなんて
そうそう居ないはず…という油断は禁物(どっちなんだよw)
第五回ともなると、イベント参加者がかなり増えてきたので
1番槍(最初の攻城報告者)狙いの人も少なからずいるんです。
拙者、「お城めぐりしよう!」コミュの中では
夜討ち朝駆け部(夜間や早朝に城へ行く人の同好会)副部長でしたので
早駆けで遅れは取るまいぞ!と意気込んで出発し
最初の攻城報告をしたのが5時半。場所は藤沢市街地のど真ん中、
時宗総本山の遊行寺に程近い御瞥山(おんべやま)砦
(と言っても今ではタダの公園でしかありませんがw)
ところが、何と5分前に城に到着したという書き込みを入れた方がいる !!
うぁー、失敗ったぁ〜!(><)とヘコんだんですが、
誰あろうその書き込みをしたのは夜討ち朝駆け部の部長殿。
あぁ、それなら負けても仕方ないか、と妙に納得した訳でした(苦笑)

御瞥山から東側へ移動し、立て続けに高谷砦(村岡城)二伝寺砦と攻略。
ここで6時の時報。(高谷砦で朝日を拝みました)
サクサクと進行せにゃイカンので、これでもやや遅めのペースか?と焦りつつ
次に向かいます。二伝寺は玉縄城に最も近い城なので
ルート的には玉縄へ向かうべきなんでしょうが、かの地は現在女子高の敷地、
こんな時間から(しかもカメラなんか持って)うろついたら通報されかねない (^ ^;
という事で、今回は玉縄をスルー。藤沢から鎌倉方面へ回りこみ
海沿いに三浦半島を目指します。ところがまぁ、海岸沿いの国道は
いつもの事ながら、ノロノロ運転の渋滞…。
こればかりはどーにもならないので、我慢しつつ
次の目的地、鐙摺(あぶずり)城跡に着いたのはほぼ7時。
何で鎌倉を通り過ぎるだけで1時間もかかるかなぁ (x x)
葉山マリーナ



葉山マリーナ

源頼朝が旗揚げした際に縁深い城だった鐙摺城は
有名な葉山マリーナのすぐ隣にあります。
その葉山マリーナにはこんな石碑が。
日本のヨットの発祥地?なの??ホントに???
マリンスポーツなんてのは全くの門外漢なんで、
全然わかりませ〜ん!(爆)

葉山から国道134号線を南下し、三浦市に入った辺りで脇道へ。
話によればこの近辺に和田館があるらしい。
畑の中の道をぐるぐる回っていると、何やら石碑があったんだが…
でもここは聞いていた場所とは違うし?
しかし和田氏云々と書いてあるような?
どういう事なんだ?
いや、とりあえずもう少し探してみよう、という事で
なお動き回る事10分ほど。とりあえず館の跡という石碑を発見。
時刻は7時30分ちょっと過ぎ。ふむ、何とかこれで目的は果たしたぞ。
で、さっきの石碑はいったい何だったんだ…?
和田義盛旧里碑
和田義盛旧里碑

改めて、その石碑を見てみれば
和田義盛旧里碑(和田氏供養塚)との事。
要するに、和田義盛さんが
お住まいになられていた事を示した
碑なんですけど、それって館とは違うの? (^ ^;
(館跡の碑より立派でした)
案内板には義盛さんの功績が
色々書いてありました。嗚呼、郷土愛…。

和田氏馴染みの土地を見て回った後、再び国道へ。
134号線の最南端にあたる交差点が「曳橋」という名前なんですが
この曳橋、かつての城郭遺構の名残。すなわち、城の外郭線となる
堀に架けていた橋があったと言われる場所。んで、その城は
今どうなっているかと言うと―――水族館に海水浴場、つまり一大観光地(苦笑)
そんな訳で、次に訪れたのは
史上最長の籠城戦が繰り広げられたという歴史的に重要な城、新井城
ですがまぁ、今や観光地ですから…(汗)
朝8時にして、早くも海水浴客で一杯ですから…(滝汗)
1人でカメラ持ってウロついてたりしたら、完全に不審者じゃないですかっ !! (><)
とりあえず人波から脇に逸れ、誰も寄り付かないような場所へ退散。
かつての城主、三浦道寸(どうすん)さんの墓参りをして攻城記録とする事に。
んで、そそくさと退却しつつ帰り際に堀切跡の写真を撮影。
新井城堀切跡
新井城堀切跡

海水浴場へ通じる道の傍らに
こういった城郭遺構が垣間見えます。
本当はこういう所を
色々と見て回りたかったんですけど
水着姿の人が通り過ぎる横の藪の中で
こんな写真ばかり撮ってたら、絶対怪しいでしょ(困)
そもそもこの写真を撮るのだって、普通の人から
見たら何をやってるんだって感じだったし…。
↑まぁ、この写真自体、城に興味のない人には何が何だか解らんわなぁ ?!?!

逃げるように撤収した新井城から車で10分ほど。
やってきたのは三浦市の最南端とも言える、三浦市役所です。
市役所近辺の公共地区街は、かつての三崎城址でして
ちらほらと残されている土塁を拝見。
駐車場を仕切る土手としてすっかり馴染んでますが、
これは紛れもなく城の遺構。うん、結構デカいぞこれ。
当時乗ってた最明星号の背丈より高い。
と言う事は、残存部分だけで2m越してるって事やね。
当時は水軍基地とされていた城ですが、今も眼下に見えるのは
遠洋漁業の一大基地…さすが、三崎は昔も今も港町です。

車を走らせて、今度は三浦半島の東側へ。
車窓に見える海は相模湾から東京湾へと変わりました。
三浦半島、東京湾と来れば―――ペリーさんですね!(そうなのか ?!)
いや、だって、久里浜港の前までやってきたら…
ペリー公園
ペリー公園

ほら、こんなのが出てきた(笑)
黒船でやって来たペリーさんが漕ぎ着けた場所ですから。
(そんな単純な話じゃねーっつーの!)
記念碑には「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と
書かれてますが…北米合衆国、水師提督、
上陸記念碑は分かるとして、「伯理」って…。
随分と無理矢理な当て字じゃないかい、ペリーさん (^ ^;
兎にも角にも、浦賀ですよ浦賀。
細長く切れ込んだ浦賀湾には、当時から今に至るまで
渡し舟が現役で稼動中。これもなかなか風情があるというもの。
そんな浦賀にも、実は城郭があったりします。
斯くしてやってきたのは浦賀城跡。
浦賀港の東側出入口を守る小高い山、現在は叶神社になってる場所が城跡。
何はともあれ、真夏の暑い最中ですが山に登ってみれば…
浦賀城址からの眺め
浦賀城址からの眺め

やぶ蚊がブンブンと飛びまくる中
山頂から見えるのがこの眺め。
綺麗に太平洋が一望できます。
伯理さん、この海の彼方から来たんですねぇ。
(↑しつこいw)
いや、それにしても暑い!
毎度毎度の事ながら、拙者の晴れ男っぷりは
時として迷惑な程なのかもしれないなぁ(←馬鹿)
戯言は置いといて、この叶神社
勝海舟が太平洋横断前に航海安全を祈願した神社だとか。
そういう話を聞くと、今まで気にも止めていなかったのに
由緒あるお社に見えてくる…ような?
叶神社にて
叶神社にて

港町、狛犬、鳥居の向こうに浦賀の港。
信心は全くないオイラですが
この景色は悪くない、と思うぞ!

三崎〜浦賀の道中ですっかり時間を消費。
気が付けば、10時半を回ってました。
こういう時に限って、次の目的地への道が分からなかったりする。
住宅街から離れた山里の中、どこが目的地へ繋がる道なんだ?と
悩んでグルグル回って右往左往、ようやく目星が付いたと思ったら
ガタイの大きなワゴン車で登るにはかなり厳しい急坂に。
アクセルべた踏みで、タイヤが焼け気味で、
一気に吹かして何とか登坂するとそこは衣笠城址公園です。
大善寺から奥へと歩いて行き、何とな〜く城跡っぽい広場に。
公園と言っても、要は山林の広場って感じですなぁ。
草ボウボウの場所なんで、あまり遺構らしい遺構が判らない…。
とりあえず城址碑があったんで、場所に間違いはないはずだけど
これ以上居座っても成果がなさそうなんで、
時間短縮の必要も加わってとっとと退却しました。
下山して県道26号線を北上、横須賀線の衣笠ガード下あたりを
通り過ぎる時に最明星号が総走行距離30000kmをマーク!
草だらけの城よりも、むしろこっちの方が記録になったような(苦笑)

横須賀市を通り抜け、横浜市へ。ここは既に武蔵国、
朝5時から動き続け、早くも12時を回ろうかと言う時刻ですが
昼食を摂ってるヒマなんかありゃしない!
食事抜きでやって来たのは京浜急行金沢八景駅の傍にある
泥牛庵なる寺。この寺は小高い山になっていて、
そこから見下ろした住宅街一帯が金沢(六浦藩)陣屋の跡です。
金沢八景と言えば、誰もが鎌倉時代の史跡と思うんですが
何気に江戸時代の陣屋もあったんですなぁ。
もっとも、その陣屋は現在完全に住宅街なんで
遺構らしい遺構は皆無。
やっぱり、八景は鎌倉史跡としてしか注目されないか…(爆)

それにしても、この時間の国道16号線はガチガチの大渋滞!

磯子区の屏風ヶ浦から県道22号線へ。
海沿いのルートから一転、今度は内陸部へ向かって
ようやく到着したのは今井砦跡。時刻は午後1時。
かなり良さそうな遺構が見受けられ、発掘によれば古銭が出土したとか
なかなかに興味深い史跡なのですが…どうにも場所がわかりづらい!
しかも大半が私有地 !! そもそも駐車場なんかない !!!
という事で、あまりジロジロと見て回れる状況ではありません。
新井城と同様、ここも駆け足で行き来したら速攻で撤収〜! (T-T)
続いてやって来たのは港北区と鶴見区の境界付近。
現在はみその公園とされている小高い丘がかつての獅子ヶ谷城跡。
しかしまぁ、城跡というよりも農村資料館といった感じですな。
何せこの公園、横浜市内の古民家を保存展示しているので。
そんな訳で、写真をどーぞ!
横浜市指定有形文化財 みその公園獅子ヶ谷横溝屋敷主屋
横浜市指定有形文化財 みその公園獅子ヶ谷横溝屋敷主屋

威厳ある豪農家屋。
まさにいぶし銀の魅力ですね。
この裏山が城跡です。
横浜市指定有形文化財 みその公園獅子ヶ谷横溝屋敷穀蔵
横浜市指定有形文化財 みその公園獅子ヶ谷横溝屋敷穀蔵

これまた立派な蔵。萱葺きを
かぶせたような、何とも不思議な屋根です。
それにしても、カンカン照りや…(暑)
横浜市指定有形文化財 みその公園獅子ヶ谷横溝屋敷主屋内部
横浜市指定有形文化財 みその公園獅子ヶ谷横溝屋敷主屋内部

家の中はこんな感じ。
如何にも古き良き日本家屋の佇まい。
障子の外には盛緑濃い庭園…好いなぁ!

鶴見区にはもう一つ有名(って程か?)な城跡があるので
そこまで足を伸ばすことにしました。しかしまたこれが
完全な住宅地(しかも新興住宅地なのね)の中に
石碑と名残の公園がある程度との事で、探すのに難渋。
もはや地図は当てにならず、方向感覚と雰囲気だけで捜索し
あった!寺尾城址碑を発見〜★ (^ ^)
うひゃー、これ、人の家の庭先にポツンと置かれてるだけなのね!
こんなの見つけるなんて、ほとんど不可能な話だよ… (x x)

寺尾城で午後3時を回り、もういい加減
帰らないとマズい感じになってきました。
ホントはここから国道1号線に出るのが一番早い帰宅ルートなんだけど
何とか欲張ってもう1箇所くらい立ち寄りたい!
そういう事で、1国とは逆方向へと走り始めるかすこば(爆)
鶴見区から港北区を横断し、都筑区へ突入!
駆け込むようにやってきたのは茅ヶ崎城址。
拙者が住んでいるのは湘南の茅ヶ崎ですが、
横浜にも茅ヶ崎という地があり、しかも城があると聞いていて
前々から行ってみたかった所です。
と・こ・ろ・が!
茅ヶ崎城址は横浜市が史跡公園に整備する工事を行っている真っ最中。
もともとこの場所は私有地ですし、工事のフェンスがぐるりと取り巻き
とても中には入れそうにない。立地といい状況といい、
ひと目みるだけで立派な城跡だというのが一目瞭然なんですが
この状態では、さすがに突撃できません (^ ^;
時間もオシている事だし、軽く外から偵察するだけに留めました。
残念無念…。
あの切岸、かなりの絶壁ぶりだったなぁ。

さてはて、完全に時間はオシてましたが
大急ぎで帰宅し、何とか次ぎの予定には間に合わせました。
そんなこんなで、本日の成果は14城攻略!
イベントでも最多攻城数をマークできました (^ ^)v

ちなみに、茅ヶ崎城址公園は2008年6月28日に開園。
もちろん、開園初日に改めて行って参りました〜♪


◆◇◆ 祭りの日 攻めぐ阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら(以下略w) ◆◇◆




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