2005年5月 新世紀名古屋城博(3)

宿から見た木曽川
宿から見た木曽川

今日もいい天気♪
昨晩は真っ暗になってから到着したんで、全然周りが見えなかったんですが
日が昇ってから改めて見てみると本当に目の前が木曽川なんですねぇ、この宿。
こちらには展望塔があって、宿泊者は自由に登る事が出来るんですが
眼下に見る木曽川は実に大きな川…そして対岸は岐阜県です。
今日はその岐阜県へ入ります。

県道17号線愛岐大橋を渡って県境を越え、航空自衛隊各務原基地の前を通り
国道21号線を西へ。真っ直ぐ岐阜市へ向かいます。岐阜もまた
名古屋同様に喫茶店文化花盛りの町。なので、嫁さんはまず喫茶店へ…。
その時間を利用して、オイラは細かく城めぐり(笑)
そんなこんなで、最初に訪れたのは加納城址。
関ヶ原合戦の後、岐阜の中心として新たに築かれた城郭です。
つまり、江戸時代から近代に至るまで岐阜の町はここを拠点にして栄えたという事。
ところが現代では宅地化の波に飲み込まれ、この城跡はすっかり住宅街の中に
取り残されたような形になっています。逆にそれがなかなか面白くもあり、
訪ねてみると、大通りに沿ったコンビニの裏にいきなり城址広場が現れ
ギャップに驚かされます。しかも、近世の城跡だけあって石垣が見事!
主郭の外周をぐるりと回る石垣が良い状態で残されています。
国史跡 加納城址
国史跡 加納城址

いやはや、素晴らしい石垣です。
これだけの遺構が残っているだけあって、
当然ここは国の史跡。でも完全に住宅地の中に
取り残された空地(って言うな!)なんですよねー (^ ^;
加納城址と目と鼻の先にあるのが川手城跡。
こちらは室町時代に美濃守護・土岐氏が館を構えていたところ。
江戸時代の中心地と室町時代の中心地が隣り合わせにある訳ですね。
ところがどっこい、こちらは全然遺構らしきものは無し。
それどころか、現在は女子高の敷地になっておりまして…
城の取材だと言っても、カメラをもった男がうろつていると
不審者にされてしまいそう。しかしまぁ、今日は土曜日で
学校は休みの模様。おまけに、子供をあやしながらやって来たので
何とか「散歩している親子連れ」といった言い訳が立ちそうです(苦笑)
結局、ここでは城址碑の写真を1枚撮っただけでそそくさと退散。
(他に見るようなものもなさそうですしw)

さて、嫁さんと合流して次に赴いたのは…そう、岐阜城
美濃の蝮と称された戦国の梟雄・斎藤道三が本拠とし、道三没後は
織田信長が苦心して奪い取り天下覇業の礎とした名城です。
まさに戦国乱世を体現した城郭。室町時代の緩やかな営みは川手城、
天下泰平となった江戸時代には加納城が中心街とされましたが
その間のいっとき、激しい争乱の時代にはここが岐阜の首府となっていたのです。
そんな戦国の城は険しい山の中。麓には平時の居館が構えられましたが
戦いの時に立て籠もる城郭は金華山の頂に築かれていました。
健脚の方はこの山を歩いて登るようですが、オイラはそんな自信なし(笑)
時間も無いし、家族も連れている事ですしね (^ ^;
なので、山頂付近まで上がれるロープウェイを利用しました。
これなら快適に山の上まで移動できます。
山上に細かく残る城の遺構を見ながら、復興された模擬天守に入れば
そこは岐阜の歴史を説明した資料館。そして最上階に上がれば…この眺望!
岐阜城天守からの眺め
岐阜城天守からの眺め

どうですか、この絶景!
金華山の真下に長良川が流れているんですが
あまりにも崖が急なので、
カメラのファインダーに収まりません!
信長もこうして眼下を見たんでしょうねぇ。
この日は初夏の陽気で汗ばむくらいの日差しだったんですが、
天守の上では涼しい風が抜けていき実に快適でした。
ひとしきり楽しんだ後、再びロープウェイを使って下山。
麓で嫁さんは土産物を物色、オイラは山麓居館跡を見学。
そこから山頂の天守も写真に収めてみました。
岐阜城模擬天守
岐阜城模擬天守

望遠レンズ&トリミングしてようやくこの大きさ。
いや、もう、高い高い!
こんな山の上の城、実際に攻めろと言われても
勘弁して欲しいと思っちゃいますね(笑)
さっきまであそこに居たんだよなぁ…。

さて、岐阜中心部の見物はこれでお終い。続いては郊外へと足を運ぶ事にしました。
岐阜市の中心から西へと進む道の途上、鷺山城・黒野城にも立ち寄り。
いやぁ、黒野城の土塁と堀は見事だったねぇ!
感激しつつ車を走らせて行くと、岐阜市を出て本巣市へ。
「道の駅・織部の里もとす」で一休みしたんですが、
「織部の里」と言うだけあって、どうやらこのあたりは
安土桃山時代の茶人大名・古田織部が生誕した場所らしい。
近隣には織部の城もあるらしいのだが、今回それはリサーチしなかったのでパス(爆)
先を急いで到着したのは谷汲という集落。こちらには華巌寺という
有名なお寺があり、かつてはその門前町として栄えた場所。
2001年までは樽見鉄道の路線が延びていたんですが
現在は廃止になってしまいました。しかし、その谷汲駅の跡地に
古い車両を展示した小さな博物館ができているんです。
電車好きの子供を喜ばせようと思ってやってきたのが
ここ、旧谷汲駅 赤い電車ミュージアム。
旧谷汲駅 赤い電車ミュージアム
旧谷汲駅 赤い電車ミュージアム

今にも列車が発車しそう!
こんな感じで、駅と列車が
そのまま展示物になっています。
もちろん、列車の中にも入れますよ★

谷汲にはその名も門前公園なる綺麗な公園もあるので散策。
さらに「道の駅・夢さんさん谷汲」へ移動してお昼ごはんに手打ち蕎麦を頂きました。
さぁ、そろそろ旅も終盤。結構な大移動をしたので、
嫁さんと子供は車の中でお休みモード…。という事で、
帰り道の高速道路へ向かう道すがら、次々と小さな城に立ち寄りつつ進みます。
揖斐陣屋曽根城十七条城と攻めた後、岐大バイパスを大返しして大垣城に到着。
ここは公園になっているので嫁さんもしばし散策。
復元天守もあるので、それなりに観光地ですし(笑)
大垣城復元天守
大垣城復元天守

関ヶ原合戦の前日、東西両陣が睨み合った城・大垣城です。
かつての天守を比較的忠実に再現した復元天守ですが
観光建築化のため、最上階の窓にはガラスが
はめ込まれてしまっているのが少々興醒めで残念。
太平洋戦争前までは国宝天守が
残っていたんですがねぇ…返す返すも残念 (T_T)

さぁ後は大垣ICから高速に乗るだけ…なんですが
まだ日が沈む前なので、あと1箇所くらいは観光できるか?!
ということで、大垣から東へ向かって墨俣城を見物する事に。
まだ小者時代の秀吉が、一夜にして川の中州に築いた城として伝説になっている所ですね。
(まぁ、実際どうだったかなんて分かりませんがw)
もちろん、砦のようなものだったはずなので
現在では城らしい城であるわけがないのですが、目の前に現れたのは…。
墨俣一夜城模擬天守
墨俣一夜城模擬天守

城といえば天守、という感覚はわかるんですが
天守のない城、そもそも天守なんかない時代の城に
こういう模擬建築を建てるのは歴史の誤解を招くだけなので
城好き人間の間では目の敵にされている天守です。
拙者も噂は常々聞いておりましたが、実際に目にすると…。
いやはや、それにしても無駄に立派過ぎるわ、これ。
形も大垣城天守のパクりですしねぇ(核爆)
そういうわけで、旅の最後は少々呆気にとられる〆になりましたが
岐阜羽島ICで名神高速に乗り、帰宅した次第でございます。
名古屋の金鯱に感激したところから始まり
秀吉の誇大広告?に呆れた終わりでしたが
なかなかに濃い旅で楽しめました★


◆◇◆ 天まもる 神が降だりし 尾張にて 黄金(こがね)の功徳 浴びし我がみの ◆◇◆




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