2014年8月 夏休み 新潟旅行(2)
明けて2日目の朝。朝食を摂ったら宿を出発。今日は新潟市から西へ向かい上越市を散策します。
北陸道をひた走り、上越ICで高速を下りました。で、市街地へ入るなら南へ進むのですが
まずは反対側、北へ行って海の目の前まで近づきました。ここのお目当ては
福島城
です。
新潟なのに福島?と言う苦情は受け付けません(笑)
ここには越後上杉氏の後に越後国を治めた堀氏の城がありました。
険峻な山城を頼みとした上杉氏と異なり、領国経営を重視した堀氏は海辺に城を置き
水運の利便性を最大限に活用した訳ですが、それは近代になると港湾工業地帯となってしまい
現在は殆んど跡形も無いのが残念。しかし、そこにあった小学校(これも現在は廃校したそうです)に
小さな歴史資料館が開設されていて(ここだけは今でも残っているとの事)そこには―――
福島城資料館 展示物
この時は(その名も)古城小学校、現在は閉校し
老人福祉施設となった建物の中にある小さな資料館。
この部屋は来訪者が誰でも入れるようになっています。
学校の空き部屋を使った資料館なんですが、このように
展示品の内容は本格的。結構充実しています。
せっかくなら、城の土塁や堀も復元してくれれ…いや、何でもない。
ここからは子供の社会科見学を兼ねて、いよいよ上杉家の歴史に触れる旅。
でも、下の子や嫁さんは全然興味無さそうだし、何よりこれから山城を登るので
それは無理な話。なので、オイラと上の子で歴史の旅、嫁さんと下の子はのんびりと遊ぶ事にし
しばらく別行動を取るように致しました。ですので、いったん直江津駅で嫁さん達を車から降ろし
2人は電車で上越市の中心部へ向かいました。そんなこんなで…
直江津駅にて
おっ!「サンダーバード」だ!偶然行き会ったんだけど、昨日の「北越」に続き
これも関東では見かけられない車両なのでラッキー★
普通列車も関東と無縁の455系。渋い色合いだ…。何気に国鉄色ってエモいなぁw
って、そうじゃなくて。上杉家の歴史を探す旅なので列車に脱線してたらキリが無い。
直江津駅を離れて、まずは市街地の中にある小さな公園へ。ここが
御館
(おたて)
の跡です。
御館と言うのは関東管領だった上杉憲政
(のりまさ)
の居館にして、上杉謙信が没した後には
家督を争って上杉景勝と戦った上杉景虎
(かげとら)
が本拠とした施設。ここを見ないと
上杉謙信の“最期”は語れません。と言っても、今は本当に小さな公園の名前に残っているだけなんですがね (^ ^;
その次は上越市の埋蔵文化財センターへ。ここでは上杉家に関する史料が展示されています。
上越市埋蔵文化財センター 展示物
このセンターがあるのは、謙信の本拠地・
春日山の麓。そんな訳で、当時の山城の姿や
そこからの出土物なんかが展示されています。
そしていよいよ山登り。越後上杉家の本城である
春日山城
を攻略します。
山の中腹にある駐車場から、頂上にある本丸まで比高差100m弱。子供連れでも登れない事は無い高さです。
山城ですが綺麗に手入れされているので、遭難するような心配も無い場所ですし。
いざ出発!と歩きだしました。が、何だか雲行きが怪しい。夏の山なので
もしかして天気の急変か?と困ったんですけど、もうここまで来たからには引き返せない。
案の定、パラパラと雨が降ってきて(降ると思って無かったから雨具なんか無い)
こりゃ、雷なんか落ちてきたらひとたまりもないぞと内心ヒヤヒヤしつつ
何とか手近にあったお堂の軒下まで駆け込みました。まぁ、ここも落雷なんかあったら
結構ヤバいかもと思いましたが、せめて直撃は避けられるかと。
そんな心配を他所に、お天気は気まぐれ。15分ほどしたら驟雨は去り、雷が落ちる事もありませんでした。
春日山からの眺め
雨が去ったばかりの風景。眼下に広がる上越の町は霧に煙っています。
アングルの左端は海、さっき行った福島城もあの辺りに…。
向こうに連なる山々は米山。中越地方と上越地方の
分かれ目になる名峰です。越後が山国である事が良く分かる眺め。
謙信さんも、こんだけ高い山の上から国を見下ろす生活をしてりゃ
「てっぺん獲った!」と軍神を気取るのも分かるような、分からないような…(謎)
ところで、春日山城と言うとついつい山頂一帯の“超スーパー山城”な縄張りばかり注目しますが…
春日山城史跡広場
最近は山麓部の整備も進み
随分と綺麗になったので、
そちらも漏れなく見学。
←雨上がりの空が、堀の水に写ります。まるで鏡だ!
全然知らずに行ったんですけど、この翌日(8月23日)と翌々日(24日)
謙信公祭が開かれる予定だったそうで、この広場ではセッティングが着々と進められてました。
某有名ミュージシャンが謙信役だったそうで。見れば良かったかな? (^ ^;
春日山城は完全制覇したので、嫁さん達を迎えに高田駅へ向かいます。
高田の町並み
日本屈指の豪雪地帯である上越市は
「雁木
(がんぎ)
」が広がる町。雁木とは
建物の庇を張り出して通路にした建築様式。
言わば“和風アーケード”です。御覧の通り、
建物の庇が通りに沿って延び、隣の建物と
一体化して通路になってますよね。
雪国ならではの知恵…。
高田駅前
高田駅前のロータリー。何だか随分とオシャレです。
さっきの純和風な雁木の町とは対照的w
(瓦葺きではありますが)
この年は高田開府400周年と言う事で
それを題したモニュメントが掲げられておりました。
駅で嫁さんと下の子を拾ったら、次の観光地へ。上越の名城・
高田城
です。
新潟県史跡 高田城跡
再建された三重櫓が目立つ城跡は
広々とした公園なので、これなら
家族みんなで来ても大丈夫。
立派な櫓は、近くで見れば大迫力、
遠目に見ても絵になって良い感じです。
高田の町から離れ、南へ進みます。ここから高速に乗り、次の城を目指します。
先ほど紹介した上杉景虎が家督争いに敗れて御館を逃れ、景勝の追撃に備えた山城・
鮫ヶ尾城
へ行こう…と思ったのですが
再び天候が荒れ始め、高速道路上で巨大な雹が叩き付けてくる始末!
ガンガンと車の天井を打つ音が聞こえ、このまま走っていたら窓ガラスが割れかねない状況。
身の危険を感じ、慌てて新井PAに退避。わざと木陰を選び、できるだけ雹の直撃を躱すように留意します。
こんな天候で山城に登るなんて勿論ムリ。雹が止むまで待っていたら時間切れでやっぱり山登りはムリ。
こりゃ、景虎さんが「春日山から来たヤツは追い返せ!」と言っているようですな。
神も仏も信じない無神論者なんですが(だから落武者の祟りとか全然気にしないw)
さすがにこの時ばかりは景虎さんに嫌われているような気がして、鮫ヶ尾へ行く事は諦めました。
(相州の民が、援軍も付けずにノコノコと鮫ヶ尾城へ来るのも怒られる原因なのかも?)
あ、鮫ヶ尾城の来歴をご覧頂ければ言ってる事の意味が分かると思うので詳細は省略します m(_ _)m
鮫ヶ尾城は必ず再訪すると心に誓い、それを達成するのはまた別の折になります。
結局、新井PAで雹が収まるまで時間を潰し、ようやく動けるようになったのはもう夕刻。
仕方が無いので、もう今宵の宿に直行します。妙高高原の懐にあるペンションが今夜の宿です。
妙高高原ビール園
夕食はペンションの隣にある
妙高高原ビール園のレストランで頂けるようになってます。
(そういう提携になっている宿です)
オイラは全く酒を飲まないので関係ないのですが
ビール好きな方には嬉しい話でしょうね〜。
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