2013年3月 「一夜の城」オフ
旅行期間:2013年3月17日(日)
主な滞在地
3月17日(月):伊那市〜箕輪町周辺諸城郭

この年、お城界隈で騒然となったニュースが「長野県にある一夜の城(いちやのじょう)が崩されるかも」という急報。
「一夜の城」の説明は置いといて、農村の路地に面したこの城の土塁が
道路の拡幅計画により切り崩される事になる―――という一大事。
まぁ、地域住民の方々にとっては生活環境を良くする事業ですから無理もない事ですけど
城好きの人間としては、貴重な文化財が滅失する危機。もし無くなるのなら、今のうちに見ておかないと…と
焦燥感を募らせていたら、何と長野在住の城友達・えどっちさんがご案内してくれるとのお話。
ついでに、周辺にある城も巡るオフ会にすると仰って下さったので
これは是が非でも行かないと!と、早春の長野へ喜び勇んで向かったのでございます (^-^)

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八ヶ岳早暁
と言う訳で夜明け前に家を出て、諏訪湖SAで空が赤く染まり始めました。
元来た道の方角を振り返れば、八ヶ岳の向こうに朝焼けが。
まだ冬の寒々しさも残しながら、新しい一日の始まりです!
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諏訪湖SAから先へ進み、待ち合わせの伊那市方面へ走れば、徐々に空が白んできて
東から登る陽が、西に並んだ山並みを赤く色付けていきます。
富士山だと「赤富士」と例えられますが、中央アルプスだと…「赤アルプス」?(苦笑)
朝7時半に集合、まずはそこから程近い春日城へ。伊那市の中心街、天竜川の河岸段丘上にある城跡は
現代では春日公園として市民の憩いの場になってますが、城好き人間が集まれば…

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春日城 堀跡
みんな喜び勇んであちこち探り回ります(笑)
堀底にわらわらと群がり、その深さを体感。
公園として橋が架かってますが、当時はもっと違った状況でしょうし
「これ、どうやって攻める?」と皆楽しそうw
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春日城跡から伊那市街を望む
城内に居るとそれほど高低差を感じないんですが
(だから堀をザクザク切って曲輪を分断している訳で)
そもそもここは河岸段丘の上、崖端に立てばこの眺望!
伊那の町を一望です〜★
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朝のウォーミングアップには丁度良い春日城を堪能し、次は天竜川を渡った対岸にある殿島城へ。
ここも公園…と言うか広場?になっている城跡ですが、城目線で見ればきちんと土塁で囲われていて
静かな良い城です。そして土塁の外側には多重の堀が掘られていて…

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殿島城 堀跡
カマボコのようにモコっと盛り上がった土塁の列の谷間が
殿島城の空堀。左側にももう1列、堀と土塁が並んでいます。
比高二重土塁?と言う表現は古いのかもしれませんが、
その言葉が思い浮かぶ、多重の堀列が見事です!
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木陰の谷間にはまだ残雪がたっぷり。うん、信州の春はもう少し先なんだね。

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殿島城から中央アルプスを望む
青い空に映える青い山並み。
どの山も、山頂付近はまだ白い雪をかぶっています。
でも、思ったよりも白くはない…。
あの雪が溶ける頃、山国にも本当の春が訪れるのでしょう。
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春日城をスタートして、天竜川を渡り殿島城、更に東へと進みます。
で、10時を回った所で本日のメインイベント!一夜の城へとやって参りました。

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一夜の城 史跡標柱
農家の裏道のような細い道を歩き、
どこに城があるの?と思っていたら
唐突に現れた土塁、そして
その上にはこの史跡標柱。
いやいや、ちゃんと立派な土塁と
案内表示じゃないですか!
てっきり廃れて忘れられたような場所なんだと
(勝手に)思ってましたよ (^ ^;
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1582年、甲斐の武田氏を倒そうと信濃へ攻め込んだ織田軍のうち、信長の長男である信忠が
この地に一晩の陣を張ったという事から「一夜の城」と呼ばれるようになった史跡。一晩の陣所とは言え
しっかりとした土塁が残り、それが400年以上も保たれていたのだから立派なものだと言えましょうな!

一夜の城 土塁
で、これが問題の土塁です。確かに、細い道の際まで土塁が迫り
反対側には民家が並んでいるので、この道を広げるには土塁を崩すしかなさそう。
いや、でもこの道はそもそも拡幅する必要があるのか?とも思うのですが
まぁ地元の方にしてみれば、自家用車や農作業車を通すに邪魔なんでしょうね。
この写真で分かる通り、当時は土塁がほぼ「完存」のような状態でしたが
どうやら現在、土塁は半分の薄さに削られたようで。なるほど、崩すと言っても
全部ごっそり持っていく訳では無く「薄くする」って事なのね。
いや、それでも勿体ない話だとは思うのですが、仕方がないか…(悩)
とりあえずは土塁に手が入る前の、貴重な姿を写真に収められました。
ついでと言っては何ですが、この付近には「貝沼城砦群」と呼べるような小さな城が密集。
散策がてら、黒河内城(くろごうちのじょう)・貝沼古城・貝沼池田城(いけだんじょう)・貝沼荒城を順番に見て回りました。
さて、そこから更に東へ。やって来たのは高遠の街並み。誰ですか、「高遠には饅頭しかないぞ!」とか言ってる人は?(謎)
高遠にはこのエリアで一番大きな城、高遠城があるじゃないですか!
そんな訳で高遠城をじっくりと見物しながら、お弁当を城内で食べる事に…。

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高遠城から中央アルプスを望む
今回このフレーズばかりだなw
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高遠城と言えば、日本でも指折りの“桜の名所”ですが
城好きにとっては、桜が無くても楽しめる場所。石垣とアルプスのコラボ、美景です。
石垣だけじゃなく土塁や堀跡、ちょっとした建築物も趣があって良い感じ。
ここは以前にも来た事がありましたけど、改めてじっくり見ると面白い発見がありますね。
高遠城と言うと、関係する人物が色々と豪華なお城。
まず挙がるのが築城した人物、武田信玄の軍師として有名な山本勘助ですな。
大河ドラマで内野聖陽さんが演じた、と言えば何となく思い出される方も多いかと。
それに続いて出てくる歴史上の人物と言えば、保科正之(ほしなまさゆき)公かと。
誰それ?と言う方も居るでしょうが、実は徳川2代将軍・秀忠の落とし種。
夫の浮気を許さない恐妻・お江の方(おごうのかた)の目を逃れるため、秀忠は生まれた子を保科家に預け
江戸を落ち延び、遠く離れた高遠へ隠します。そこで成長した正之は、後に兄である3代将軍・家光から
目を掛けられ江戸幕府の大老に抜擢されるのですが、育ての親である保科家への恩義を忘れず
徳川姓へは戻さず、一生を保科の名で通します。一方、実父に代わって引き立ててくれた兄への孝行としては
家光の子、4代将軍の家綱を補佐し見事な幕府政治を行った、名君中の名君。

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高遠城から高遠湖を望む
城内でお弁当を食べていたら、何故か話の流れは
俳句・短歌大会に。みんなが思いつくまま
一句、また一首と詠んでいったのですが
オイラも保科正之に思いを馳せ、一つ詠んでみたのが…
父母(ちちはは)に 疎まれ落ちし 子なれども
心はぐくむ 保科の古城
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とまぁ、こんな感じ (^ ^;
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もう一人、高遠へ落ちて来た人と言えば江戸城大奥の御年寄・江島(えじま)。
7代将軍・家継の生母として絶大な権勢を誇ったお喜世の方に仕え、その右腕と呼ばれた彼女ですが、
お喜世を追い落としたい一派によって、外出して門限に遅れた江島が歌舞伎役者の生島新五郎(いくしましんごろう)と
密会していたと暴露され、高遠へ流罪になったのであります。大奥の女性が将軍以外の男と密通しては大罪ですから。
高遠へ幽閉されてから27年、彼女はここで一生を終えます。既に8代将軍・吉宗の治世が盤石なものとなり
9代将軍・家重へ代替わりする直前、という頃でした。

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国登録有形文化財 高遠閣
高遠城内にある大きな観光建築。
桜の季節には、ここが入城券売り場になりますが
この季節ではフリーに入れるので、あまり縁が無い(苦笑)
とは言え、昭和初期に建てられた高遠閣は今や立派な文化財。
それを堀越し、土塁越しに眺めると…何だか本当に城の御殿みたい!
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江島についても一首詠んでみたのですが、それは一番末尾で御紹介(爆)
再び天竜川に近づき、そこから北上。続いては福与城を訪問します。
山里の奥の方に高台があって、そこが城跡。綺麗に整えられ、曲輪や切岸が良く分かる城です。
オイラは既訪の城だったので雰囲気は知っているのですが、初めて訪れる方々は見事な造形に大喜び!

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長野県史跡 福与城址
堀底を通って城内に入るのですが
見事な切岸に居ても立っても居られなくなって
わらわらと直登する方が続出(笑)
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福与城から次の城へと向かう所で「そう言えば、この辺りに田中城ってありましたよね?」と訊いた所
寄り道して下さる事に。えどっちさん、ありがとう! m(_ _)m
田中城、以前この辺りを探してみたけど見付けられない城だったんです。
それもその筈、現在は工業団地に造成されて遺構は皆無。
石碑が1つ置かれているくらいなんですが、その石碑はどこ〜!って云う有り様だったので
此度、ご案内頂いてようやく石碑とご対面。もうね、それだけで満足です。
積年の恨み(と言う程でもw)が晴らせました! (^-^)ヤッター!
田中城を経由したので、ちょっと遠回りになってしまいましたが
最後に訪れたのは上之平城。これも福与城と同じように山里の奥の方に高台があって、そこが城跡。
長野県では定番の河岸段丘、そして舌状台地という築城好地なのですが、
他のそういう城が半島状の台地を「輪切り」にしているのに対し、上之平城では十字に切れ込み(堀)を入れているのが特徴。
そして勿論、その堀が最大の見どころで、猛者の方々はわらわらと堀の中へ潜って行く(笑)
福与城が下段から切岸の上へ登っていくのと対照的に、こちらは曲輪上から切岸を下るというのが差異ですかね。
そして段丘崖からは…

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長野県史跡 上之平城址
切岸の下には田園風景、遠くにはアルプスの山々。
如何にも長野らしい、日本の原風景と云った情景です。
この高さが守りの要、そして眺望が城の機能、上手く兼ね備えています。
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ちなみに、上之平城の読み方は「うえのだいら」とも「かみのだいら」とも。
どっちが正しいの〜??? (@△@;
と言う感じで、本日のオフ会は終了〜★
色々と楽しませて頂きました。やっぱ山城王国の長野はええなぁ…。
そして一夜の城、ギリギリで旧態が見られて良かったッス!
案内して下さったえどっちさん、どうもありがとうございました〜!! m(_ _)m
で、高遠城で詠んだ江島哀歌がこちら↓(別に江島は自業自得と思ってるんで擁護の気はサラサラ無いんですがw)
◆◇◆ 高遠に 桜待ちわび 雪解けど 流るは涙 江島生島 ◆◇◆
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