2013年1月 房総陣屋オフ

旅行期間:2013年1月26日(土)

主な滞在地
1月26日(土):貝淵陣屋・真武根陣屋・真里谷城・大多喜城・万喜城・小杉御殿
房総陣屋オフ行程地図


この日は神奈川のお城仲間を連れ立って千葉の陣屋&城郭を攻めるオフ会。
我が家から横浜→川崎の各所を回ってメンバーを拾い、そこからアクアラインを通って房総半島へ向かいます。
朝の9時半、海ほたるPAで一休み…
海ほたるから眺む
海ほたるから眺む

冬晴れの日、ちょっと風があって
海は細かく波立っておりましたが
見晴らしは抜群!沖を往く貨物船に
風の塔、そして対岸の川崎工業地帯と
全部がスッキリと見通せました。

アクアラインで千葉に上陸すれば、そこは木更津。木更津には江戸時代後期の陣屋がいくつか。
まずはそれを目当てに行動します。と言う訳で、最初の目的地は貝淵陣屋です。
徳川将軍家と縁が深い林家の陣屋ですが、今となっては何も遺構らしきものは無く…。
まぁ、それは覚悟の上で訪れたんですが(苦笑)最初の1箇所目は肩慣らしと言う事でw
木更津市史跡 木更津県跡
木更津市史跡 木更津県跡

この貝淵陣屋、明治維新では「木更津県」の県庁とされ
それが印旛県と合併し、現在の千葉県になりました。
つまり房総半島の南半分をここで管轄していたんですが
そうした歴史も全部、この1枚の石碑に集約されています。

続いて訪れたのは真武根(まぶね)陣屋跡。林家が幕末の一番激動な時代に本拠とした陣屋です。
もともと貝淵陣屋を使っていたのですが、台地の上にあたる崖上に新たな陣屋を構えたものでして
徳川家に殉じた林家は、他の大名が次々と新政府へ寝返っていく中、藩主自身が脱藩して(!)戊辰戦争に参戦し
最後まで江戸幕府に忠義を尽くした稀有な存在でした。明治維新で改易(取り潰し)された大名は、何とこの林家のみ。
徳川家や会津の松平家ですら「減封」だけ(家は存続している)だったのに、林家だけ家が無くなったのです…。
(詳しくは真武根陣屋の項をお読み下さい)
その忠誠心はもっと語り継がれて良いと思うのですが、歴史ファンにすらあまり知られていないのが残念! (><)


木更津市史跡 真武根陣屋跡

木更津市史跡 真武根陣屋跡 請西藩戊辰殉難者慰霊碑

風の噂に聞くところ、ここは宅地開発のせめぎ合いに揺れている最前線なのだとか。
もしかすると数年後には家が建ち並んでしまうのかも?という場所なんですが、現状ではこのように
野原のまま(要するに手が付けられない)、その中にポツンと祠が。そしてその奥には「請西藩戊辰殉難者慰霊碑」も。
幕府は滅ぶ、と分かっていながら徳川家への忠義に命を懸けた藩主と藩士らの壮絶な覚悟が、ささやかに
顕彰されております。そしてこの場所から遠望すれば―――!!!!!
東京湾の対岸に!
あれに見えるは横浜ランドマークタワー!
そう、ここからは横浜港が確実に視認できるのです!!!
つまり、日本を揺さぶる如く押し寄せる異国船を日々ここから監視していたと言う事!
即ち、ここは間違いなく幕末動乱の最前線だった訳です!!!

もうね、これを見た瞬間に感動しましたよ!
なるほど、ここに陣屋を築き直したのはそういう理由があっての事かと。
真武根陣屋が築かれたのはペリー来航に先立つ事3年前の話なんですけど
林さんは江戸湾に異国船が来る事を見越して、監視や海防に適した場所を選んで
新しい陣屋を作ったのだと、ここに立てば実感できる…そんな素晴らしい史跡なのです。
全国に“良い城跡”と呼ばれる城は色々ありますが、当時の「緊張感」を体感できる真武根陣屋も
それに含めて良い“名陣屋”の1つだと言えるでしょう。ホント、この陣屋の来歴と実像は
もっともっと語り継がれて良いと思うのですが、お城ファンにすらあまり知られていないのが残念!!! (><)

私が言うのも何ですが、地権者さん木更津市さん是非とも史跡整備&活用に前向きな御検討をお願い申し上げます… m(_ _)m

さて、この後は海沿いを離れて内陸へ向かいます。田舎道をあっちへこっちへ、辿り着いたのは
木更津市の果て、少年自然の家キャンプ場…の隣にある真里谷(まりやつ)跡。武田氏、そう
武田信玄の武田氏と同族の上総武田氏が築いた山城ですが、キャンプ場があるおかげか綺麗に整備されていて
見学しやすい山城です。ここはオススメ!ではあるのですが、如何せん交通の便が悪すぎ〜 (^ ^;
城山神社
城山神社

城域の入口にあるのがこの神社。
境内の奥にある階段を登って行くんですが
この時点で風情があって良い感じです♪
真里谷城の登城路

冬でも緑色を失わない竹の葉が
風にそよいで青空と好対照です。
ここを登って行けば、城の中枢部。
真里谷城の登城路
その上へ登れば、見事な土塁で囲われた曲輪があったり、しっかりした虎口があったりで大満足!
お城マニアの方ならば、ぜひ御自身で見てみて下され★ (^ー゚)v

再び山道をグルグルと回り、やって来たのは大多喜(おおたき)
戦国時代に築城され、明治の廃城令まで使われ続けた城です。個人的には以前にも来た事があって、美麗な模擬天守に
目を奪われたものですが、今回は改めて城の縄張りや構造をじっくり見てみようと思って来たのであります。
大多喜城 模擬天守

大多喜城 模擬天守

でもやっぱり天守に目が行ってしまふ…(爆)
いや、もちろん切通し状の堀切とか
険峻な切岸とかも見て、あぁ確かに
ここは中世城郭だったんだと
再確認もしましたけどねwww
大多喜城 模擬天守


立葵紋

立葵紋 軒丸瓦と天守

大多喜城と言えば本多忠勝!徳川四天王!!家康に過ぎたるもの!!!
と言う事で、本多家の立葵紋が目に入ります。
天守をバックにしたアングルは、色々と工夫して撮ってみました♪

大多喜城 切岸 こんな感じで、崖上に天守があるんですよね…。
でも本丸側に立つと全然高さを感じないと云う罠(笑) 千葉県立中央博物館大多喜城分館

高台にある城から、大多喜の街へ下りてきました。
大多喜駅にて

いすみ鉄道の車庫。キハ52の車両が
運行を終えて帰ってきました。
熟練の職員さんが動かす古参の車両、渋い…。
大多喜駅にて

大多喜の街からほぼ真東へ移動していくと、そこにあるのは万喜(まんぎ)
(今回は振り仮名が必要な難読城名ばかりだな…w)
小高い丘の上が城になっていて、遠くから見ると何やら天守のような展望台が分かる…でも何だか変だぞ?と
前からこの辺りを通り掛かる度に気になっていた城なんですよねー。と言う事で、今回満を持して来訪!
んで、その城跡へ行ってみると、展望台の正体はこんな感じ。
万喜城 展望台
万喜城 展望台

上半分は立派に天守(のような)建築。
でもその下は…足だけ?!?!
まるで目玉のオヤジ(by ゲ■ゲの鬼太郎)ですわ!
どういう経緯でこうなったのかは存じませんが
こんな建物ってアリなんでしょうか?
(懸造り、と言うほど地形の制約もありませんしね)
予算が足りなかったのか、何か法律的な制限があったのか、或いは…?
展望台からの眺め
展望台からの眺め

でもそんな展望台からの眺めは抜群。
西陽に照らされた山里の風景がのどかで
実に心癒されるものでした。
ところで、この城の案内板に書かれていたのが剣豪・御子神典膳(みこがみてんぜん)の活躍。
あまり武術には興味が無いものの、剣豪として名高い典膳には聞き覚えが。なるほど、あの人物がこんな所で
武功を挙げていたのかと知れば(詳細は万喜城の項を御覧下さい)、なかなか興味深い城ですな。

最近は“刀剣”が大ブームで特に女性の方々に大人気と言った具合ですが、個人的にはどちらかと言えば
剣術家の方に興味がある(まぁ大して詳しくはありませんがね)んですけど…戦国武将の類例、という感じですからw
刀剣女子の方々って剣豪には食指が動いたりはしないのかしらん? (^ ^;

万喜城 妙見菩薩

城域をぐる〜っと回ってきたら、妙見菩薩の
お堂に辿り着きました。やっぱり千葉だから
妙見信仰に関わりがあるんでしょうか?(勝手な推測)
きっとこの土山も櫓台か何かだったのかな?
とりあえず、これまた何だか雰囲気が良かったので
それだけの理由で撮影(笑)
万喜城 妙見菩薩

さて、そろそろ陽が沈む時刻なので本日の上総周遊はこれまで!
元来た道を戻り、アクアラインから神奈川へ帰ります。と言う訳で、行きとは逆に
海ほたる→川崎→横浜と通るので…ん?川崎?そういえばこの近くに確か…小杉御殿が!
―――と立ち寄りましたが、まぁ夜ですから当然ながら真っ暗(苦笑)
えぇまぁどうせ石碑が1本あるだけですし、それでOKでしょ (^ ^;

ってなワケで、上総の陣屋に始まり川崎の陣屋(御殿)で終わると言うコアな城めぐりの1日でございました m(_ _)m


◆◇◆ 海越えて 上総で振り向き ハマ見ゆる ここは確かに 海防の城 ◆◇◆




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