2009年8月 【極秘】大坂遠征記
旅行期間:2009年8月28日(金)夜半出発〜8月30日(日)帰着
主な滞在地
8月29日(土):勝竜寺城・淀城周辺・大坂城

2009年、当時参加していた某SNS(mi×i)の城コミュニティの中で
ごく一部だけの中核メンバーだけに、関西の方からメッセージが送られてきた。
曰く、とある伝手を使って特別に「本当に特別に」現在の大阪城の地下に埋まっている
豊臣期大坂城の石垣を見学できる機会を設けたので、声掛け出来る範囲のメンバーにだけ
お誘い下さった…との事。要するに“仲間うち”だけの特別ツアーを企画してくれたワケです。
ちなみに―――お城好きの方ならば良くご存じでしょうが、現在の大阪城公園は
徳川幕府がそれまでの豊臣政権を滅ぼした証として作り直した大坂城でして、
大坂城と言えば「太閤はん(豊臣秀吉)の城」と言うイメージが強烈でありますが
秀吉の大坂城は今の大阪城公園の地下に埋められてしまっているのでござります。
即ち、豊臣期大坂城は全く目にする事が出来ないのですが、発掘調査によって確実に
その石垣と言える遺構が、ごく僅かに検出されておりまして(でも一般公開はされていない)
今回、それを特別に見せて頂けるという事になった訳。貴重なイベントにお声掛け頂き
オイラとしては“一生の記念!”と云う程に、即座に参加決定をお返事させて頂いた次第!
そりゃ、城好きとしては「これを見なければ死ぬまで後悔する」と思うよねぇ (^ ^;
当時の勤務先、月末は色々な締め作業があるので絶対に休めなかったんですけど
今回ばかりは「どうしても!何が何でも !!」と頼み込んで休日を確保(爆)
そうは言っても、コミュ全体で大々的に募集するイベントではなく
“特別選抜メンバー”だけで開催する企画ですから、他の人には他言無用。
厳密な箝口令が敷かれておりましたwだから、他に誰が来るのかは行ってみなければ分からず。
現地で会って初めて「おぉ、貴殿もお越しか」「あー、あの方は来られなかったのか」と(苦笑)
全てが手探りの中、8月29日に大坂城へ乗り込んで参りました。
拙者の旅は夜間行軍がデフォ。特にこの当時はETC1000円の時代(懐かしい…)でしたし
ガス代含めても新幹線使うより自分で車を運転していった方が安いので、前日夜から出発。
23時ジャストに東名厚木ICを通過。渋滞はしていないのですが、夜間トラックが全車線を塞ぎ
平均時速80kmペース。東名高速のキャパが限界に近い事を実感しました。
当時はまだ新東名が未完成。山城遺構を潰している第二東名、城マニアには恨みを買ってますが
こうなると早く完成させる必要があるんじゃないかと思わされました。

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厚木IC合流
厚木ICでの合流、本線上には
深夜バスや大型トラックが一杯。
西へ向かうにつれ、その車量は増え
愛知県あたりではガチガチ…。
ちなみに、まだ新東名や圏央道は
未開通。今なら厚木じゃなくて
寒川南ICから乗れるんですがねw
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微妙なのろのろペースにイライラが募ります。
途中、新城PAで1時間ほど休憩するも、一向に状況は改善されず。
しかもトラックが車線を飽和状態にしてくれたせいで、
豊田JCTでは伊勢湾岸道へ入れず…強制的に名神高速へ(遠回りじゃ)
まぁ、大量のトラックが伊勢湾岸道に行ったおかげで
名神高速はガラガラ、ようやくペース挽回できたけどさ(悔)
大津SAに到着したのは朝5時ちょっと前。
ここで再び1時間ほど仮眠を取ったら朝駆けするために出発。(大阪集合は13時なので)
向かったのは勝龍寺(しょうりゅうじ)城。本能寺の変の後、形勢不利になっていった明智光秀が
秀吉の軍に破れ、逃げ込んだ城です。ここから落ち延びた後、彼は力尽きます。

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勝龍寺城址公園
現在は日本庭園として整備された
綺麗な城址公園なんですが
朝早く行ったせいで、まだ開門前。
う〜む、朝駆けした意味がない… orz
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仕方がないので外縁を眺めただけで早々に切り上げ、続いての目標へ。
徳川政権下、京都南部の押さえとされた淀城です。
 
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淀城跡公園
いやはや、相変わらず石垣が立派!
綺麗な城址公園なんですが
10年ほど前に訪れた時と
ほとんど変わってませんでした。
あの頃ゴミだらけだった天守台内部は
綺麗に清掃されたようですね (^^)
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京阪電車2600系
京阪淀駅の目の前なので、電車が
ひっきりなしに行き交います。これは
当時の塗装で、今はこの様式から
変更になったそうです。
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淀城に続いて、その少し北にある妙教寺へ。こちらは新規訪城、淀古城の跡です。

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淀古城跡 大圓山妙教寺
秀吉の側室・茶々の事を「淀殿」と呼びますが
この淀「古」城を与えられた事が由来。程なく
廃城になり、城跡の痕跡は何もありませんが
聞けば幕末には鳥羽・伏見戦役の激戦地で
あったとか。今は静かな住宅街の中にある
小さなお寺なんですけどね。
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妙教寺で写真を撮影し、車に戻った所で
それまで晴天だった空から雨が降り始めました。いやー、ぎりぎりセーフだ (^^;
車を走らせ、国道171号線で京都府から大阪府へ入ると
いったんは雨から逃げ切って止んだんですが、コンビニで弁当を買って
遅めの朝食にした所、再び雨に追いつかれてしまいました。
いやまぁ、これが豪雨と言うべき凄い雨。次の目的地に進む道も、細かい路地続きの上
一方通行ばかりで謎だらけ。視界不良と不慣れな土地に困りつつ
それでもようやく攻め落としたのがここ。

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茨木城址 茨木小学校
はい、ウチの掲示板の常連さん某氏の
ご出身校だという茨木城跡です。
思い当たる方、正直に名乗り出るよーに(笑)
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このあたりで時刻は11時。大坂城での集合時刻は13時15分だったので
まだまだ余裕があったんですが、深入りは禁物という事で大阪市内へ。
雨は降ったり止んだり、難しい天候が続いたんですけど
無事、大坂城の駐車場に入ったのが11時45分でした。余裕余裕★
ロクに寝てなかったので、ここで1時間ほど睡眠を。

で、13時ちょっと前に車を降りて集合場所の天守前へ向かいました。

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国重文 大坂城一番櫓
冒頭の紹介通り、こうして現在
見えているのは徳川の大坂城。
太閤の城と思っている人も多いんでしょうが
今やこっちが正真正銘の大坂城(何だそれw)
現存する一番櫓、国の重要文化財です!
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一番櫓の前を通り過ぎ…

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国特別史跡 大坂城
まるで湖のような堀に
これだけ立派な石垣がそそり立つ様子は
さながら浮沈戦艦のような存在感。
ビルの彼方には大阪空港へ下りる飛行機が…。
歴史と現在が共存する大阪の町です。
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桜門の虎口、蛸石を横目に見つつ天守前へ

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国重文 大坂城桜門
本丸入口を扼す桜門の向こうには
壁のような蛸石が待ち構え、更にその上に
金鯱を掲げる天守が聳えています。
カップルさん、何だかとても楽しそう…♪
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桜門虎口 蛸石
これが蛸石。石の模様が
タコに見えるとか見えないとか…。
兎に角デカい石で、城内で最大の
面積を有する石だそうです。
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いやー、やっぱ大きいわ大坂城は (^^;
街中にある城とは言え、西町台地の“山”に作ってあるので
駐車場から急坂の山登りに息が上がる事…(苦笑)
結局、イベント開催時刻になるとバッチリ雨が止みました。
ふむふむ、晴れ男の念力は相州党の敵地である大坂でも通じるようですな(爆)
天守前にて
集合時間になって、皆さん集まって来ました。
さぁ、ここから本番開始です〜!
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皆様と合流した後、今回の目玉!
地下に埋まっている豊臣期大坂城の石垣を見学させていただく事に。

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“謎の石垣” ←分かる人だけ分かるw
天守前、古井戸のような大穴が
実は石垣への降下口。
特別に鍵を開けていただき、
みんな順番に交替交替で中へ…。
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この梯子から地下7mまで潜っていくと―――
(安全確保の為ヘルメット装着義務ですw)
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幻の豊臣大坂城!
この石垣が!野面積み、確かに豊臣期の
石垣(本丸中段石垣)です!! 一つ一つの
石のサイズは大きくてもラグビーボール程度、
徳川期大坂城の石材とは明らかに異なっています。
石材の端々が白くなっているのは、石垣を白漆喰で
固めていた可能性が考えられるそうです。
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何でも、石垣の劣化や世情の流れにより
今後この石垣を公開する機会は恐らく
もう無いとの事…うひゃー!
貴重すぎる体験だぁ!! (><)
と言うのが当時の話だったんですけど
最近むしろ何度も公開するイベントが
開催されているようなんですよね(爆)
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それにしても、普段は蓋で封緘されているのに
何故か地下に細かいゴミが投げ入れられている…。
皆さん、そうまでして蓋の隙間からゴミをねじ込みますか?!?!
ちゃんと自分で片付けましょうよ… (ー"ー;

全員が見学したら、再び蓋を閉めて封印。
この後、大坂城外へ出て移設遺構の見学と懇親会でした。

天守の裏へ回ると、太平洋戦争中の空襲で
天守台に爆弾が直撃した箇所を教えて頂きました。
現在の天守は昭和初期に再建された鉄筋コンクリート造なので、米軍の空襲で
燃える事は無かったんですが、実は石垣には被害が出ていたとの話。
上空からやや斜めに落ちて来た爆弾が、石垣の側面に当たった為
その部分の石材がめり込むように歪んでしまっています。
文化財保護と戦争の災厄を考えさせられる遺構です…。

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極楽橋から本丸を辞し
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蛸石に次ぐ大きさと言われる
肥後石の前を抜けて…
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ドーンセンター(大阪府立男女共同参画・青少年センター)前に再現された豊臣期大坂城の
石垣を見物。こちらは掘り出された豊臣期石材で造った「移設」石垣です。
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懇親会会場からはこの眺め…絶景かな絶景かな♪
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美味しいものを沢山いただきました (^o^)
皆さんは2次会に向かうという話だったんですが、
拙者は帰宅する予定(毎度毎度の強行軍…)だったので、ここでお別れ。
駐車場へ戻る道すがら、今一度大坂城を見て回ろうと思い立ち
一人でウロウロと城内を歩き回る事にしました。
(え、全然「道すがら」じゃないって?w)
天守に灯が点り
とっぷりと日が暮れた大阪市内、
水上バスもナイトクルーズ―――
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大坂城 青屋門
青屋門って切妻屋根なんだぁと思いながら城内へ
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天守は絶妙な色合いです!
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昼間楽しんだ“秘密の入り口”
夜の闇にはひっそりと静まり返っていました。
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御金蔵や桜門を見物し

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国重文 大坂城大手門・千貫櫓
大手門、そして千貫櫓へ
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国重文 大坂城六番櫓
六番櫓と一番櫓、やっぱりよく似てますね
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噴水前広場を通って車に戻りました。
駐車料金は都合9時間分。あちゃ〜… (T_T)
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何はともあれ、色々な意味で貴重な体験をした大坂攻めでした。

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帰りは無事に新名神→伊勢湾岸道へ(苦笑)
夜通し走って、結局帰宅したのは
夜が明けてからでしたが(爆)
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ちなみに、TRIPメーターを見たら
自宅〜大阪〜自宅の総走行距離が、ジャスト1000km!これはビックリ (^ ^;
ところで、このオフ会の中(当時、と言う事ね)で話題になっていたんですが
解説によれば、今回潜った天守前竪穴とドーンセンター前の復興石垣の他に
もう1箇所、豊臣期の石垣を検出している所があるそうで
いずれ整備事業が行える状況になれば(つまり予算があれば)
そこを整備した上、一般開放できるようにしたい(!)との事でした。
当時は「そんな予算なんか無理だから、その石垣は幻のままだね」と思ってたんですけど
昨今はふるさと納税やクラウドファンディングと言った集金方法が可能になったおかげで
どうやら?その石垣公開が前向きに??動きつつある???そうです。
まぁ私は大阪市の行政にツテがある訳じゃないので
その話がどこまで本当なのか、進むとしてどこまで行っているのかは全然知りませんがw
7m潜らずとも地表展示してくれる石垣が出てくるなら、楽しみに待ってます♪
そうそう、SNSで7mも梯子を下りるのは怖そう…というレスも貰ったんですが
あまり高さを考える余裕はなく、ひたすら目の前の梯子段に手と足を動かしていく
事務的な作業で上り下りしていたんで、それほど怖さを感じる事は無かったです (^-^)
◆◇◆ 眠る城 前世の栄華 見る誉れ 歓喜極まる 極楽の橋 ◆◇◆
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