2000年10月 北東北旅行(5)

車中泊を過ごして夜明けと共に行動開始。
日が昇るや否や龍飛崎から北海道を望み、階段国道も制覇!
ここ龍飛崎には世にも珍しい階段の国道があるんです。
国道339号線は龍飛港〜龍飛崎灯台間が階段になってます。
もちろん、車は通れません。歩行者専用の道路です。
それも思いっきり生活道路です。これが国道…。
世に広く知られている階段国道ですが、実際に目にするとかなり衝撃モノです。
階段国道 国道339号線
階段国道 国道339号線

階段国道のスタート地点。
この奥の突き当たりから階段になります。
赤くペイントされた路面が国道部分です。
…えーっと、完全に民家の路地なんですが (^^;
ちょっと信じられませんよね(笑)
昨晩見た、風力発電の風車も晴れた日の光りの下で眺めると
また違った様子に見えますねー。龍飛崎、やはり風光明媚な場所です。

龍飛崎から津軽半島の西岸を戻るように走り、小泊村方面へと向かいます。
国道339号線を南下、眺瞰台と呼ばれる展望台であたりを眺めれば
後ろに遠ざかる龍飛崎に別れを告げ、これから赴く小泊岬の姿を確認できます。
つづら折の山道を一気に下りると、龍泊ラインと呼ばれる海沿いの開放的な道。
進行方向右手に広がる日本海の海面は穏やかで、思わず見とれながら
気分良くカっ飛ばしていると、あれ、今左側に何かあったぞ ?!
失敗った、左は全然注目していなかった。何だか気になったので慌てて引き返すと
これが立派な滝!はるか上に横たわる山の稜線上から、
何段にも繰り返される階段のような岩場を清い水が流れてくるんです。
その名も七ツ滝。確かに、七段もあるような大滝であります。
いやー、ビックリした!こんな素晴らしい滝が不意討ちで現れるんだもん。
右ばかりじゃなくて、左もちゃんと見て運転しましょう。
いや、そうじゃなくて!きちんと前を見て運転しましょう(爆)

この当時の小泊村、現在の中泊町小泊に到着したのは朝7時くらい。
漁港はどうやら早朝の漁から船が帰ってきた後らしく、
喧騒が終わったような雰囲気でした。そんな漁港を尻目に、
脇目も降らずにオイラが直行したのは柴崎城跡。
かつて南部氏との抗争に破れた安東氏が蝦夷地(北海道)に逃れる際、
最後に立ち寄った城だそうで。この安東氏は現在の秋田県から青森県西部を領した
中世豪族ですが、太平洋側から進出してきた南部氏と盛んに争い、
室町時代にここでの領有権を失い、一時蝦夷地へと追われたのです。
しかる後、秋田で再起し戦国時代末期には秋田氏と改姓、
近世大名へと勇躍したのであります。
遡れば平安時代の豪族、安倍氏に繋がる名門の系譜だとか。
1051年〜1062年にかけて起きた戦乱、前九年の役で戦った安倍氏といえば
小学校で習う日本史の授業で出てくる人名なんですが…覚えてます? (^^;
現在はひっそりと静まり返る社となっておりますが
柴崎城は名族の栄枯盛衰を物語る城跡なんですな。

小泊村を出発し、さらに国道339号線を南へ行けば
十三湖に沿って海岸から内陸部へ入ります。この道沿いにある
唐川・福島・中里の各城は古代縄文時代から続く安東氏の拠点。
なんだか安東街道という感じの339号線ですな。もちろん、拙者はこれらの城を
順次攻略。縄文時代から永く使われた城跡は、戦国期の城跡とはひと味違います。
特に城を観光の目玉にして町の活性化をしようとしている中里町は面白く
中里城址のイメージソングなるものを製作、歌詞の看板が城跡に掲示されていました。
城跡のイメージソングとは何とも奇妙ですが、これがまぁ今は亡き
河島英五さんの作曲だというのだから立派なもの!思わず感心してしまいました。
無論、復元整備された城跡は良い感じでございましたぞ (^-^)

この近辺にある金木町と言えば太宰治の故郷として有名ですが
私は太宰のファンでも何でもないので(というか、むしろ苦手)
金木町は完全にスルー(爆)
五所川原方面へ繋がっている339号線はこの先混雑するかもしれないので
わざと地方道を突っ切って一気に鯵ヶ沢方面に向かいます。
(今思えば、亀ヶ岡遺跡だけは行っておけば良かった…)
今度の見学地は鰺ヶ沢の種里城です。
ここは大浦氏初代、大浦光信が造った城。
大浦氏とは、蝦夷地から旧領奪還を企てる安東氏に対抗するため
南部本家から派遣された南部氏の傍流。元は久慈に居していたらしいです。
光信は種里城で大浦姓を名乗り、その子孫も津軽平定のため戦いました。
しかし南部本家からはたびたび冷遇されることもあり、5代為信はとうとう南部氏に謀反。
津軽姓を称し独立した戦国大名となりました。これが江戸時代の弘前藩10万石を治めた
津軽氏なんですね。鬼謀の将として知られる為信は苛烈な侵略を断行した反面
愛民の情深き優れた民政家だったといわれ、津軽地方の名君として現在でも慕われています。
ちなみに、弘前城を建てた津軽信牧は津軽為信の三男です。
で、津軽氏の始祖となる大浦光信ゆかりの種里城は
これまた観光の目玉になるように色々と整備されています。
山を分け入った奥、というような場所にある城なんですが
その領域は広大で、光信の力量がうかがえますね。
城跡の奥深くに分け入っていくと、光信公の墓所もあります。
そしたらなんと、光信公の475回忌法要をやっておりました。
ちょうど10月8日が命日なんだと。いやー偶然だね〜!
国史跡 種里城址 大浦光信廟
国史跡 種里城址 大浦光信廟

ここ種里城も国指定の史跡。
拙者が訪れた際、偶然にも光信公の
法要が執り行われていました。
久慈から派遣され、津軽統治を一任された
光信という人物も、為信同様に
優れた武将だったようです。

種里城から南に広がる山々は、世界自然遺産に指定された白神山地。
大自然に畏敬の念を抱きつつ、日本海に沿って国道101号線をぐるりと回ると
五能線の線路と併走する事になりました。この道のりも結構長い。
かなりのスピードで走っているつもりなんだけど、
なかなか先に進まないんだよね。やはり東北は広いなぁ。
1時間ほど走った頃でしょうか、名勝地である十二湖に到着。
ここで車を降りて、少しばかり散策する事にしました。
米国のグランドキャニオンになぞらえた、日本キャニオンなる断崖を見つつ
森の中に静かな佇まいを見せる美しい湖沼群を堪能したかすこば。
まだ紅葉していない緑の山と同じく、水の色も鮮やかな緑色でした。
十二湖湖沼群
十二湖湖沼群

拙者が訪れたこの日は
まだ紅葉が始まってませんでしたが
山の木々が赤や黄色に色づくと
この景色も一変するのでしょうね。
それもまた見てみたい気がしました。

白神山地を横目に十二湖を過ぎると能代市。
秋田県北部の代表都市です。米代川の河口にある能代は
川と海を繋ぐ水運の町として栄え、現在も大規模な港湾都市。
国道101号線は市街地へ入る車が列を為して渋滞になりつつあったので
地図を頼りに脇道へ入る事にしました。で、通ったのが
能代山本広域農道。農道なので、農耕車優先の道路なんですが
そんな車とは全く行き会わず、しかも1級道路のような良い路面だったので
国道を走るよりも快速に移動する事ができました。
加えて、さすが農道だけあって周囲は一面田んぼばかり。
10月初旬、稲刈り直前であろう田んぼには金色に輝く稲穂が!
見事な黄金の平原を切り裂くように、拙者の車は進んだのであります。

さて、そうして急行した先にあるのは
安東氏の傍流、桧山安東家が建てた桧山城
ここを見ないとこの旅は終わりません。
すさまじく急峻な坂を登り、能代の町を見下ろす城跡に着いた時
時計の針は午後3時を回り、次第に薄暗くなってきました。
あまり色々と見る暇はなさそうだったのですが、
それでも秋田屈指の名城ですから、城中を駆けずり回る事になりました (^^;
桧山城址にて
桧山城址にて

そうやって走り回りながら
城の一角で見つけた構図。
直感的に「これは撮るべし」と思い
時間に追われながらもシャッターを切りました。
ほどほどの所で見学を終わらせ、退城したかすこば。
夕暮れのなか山を降り、黄金色の稲穂が続く風景をひた走り、
日が沈むと同時に東北道の十和田ICから帰路についたのでした。
そんな訳で、今回の旅で攻め落とした城跡は合計22箇所。
もうちょっといくかと思ったんだが…やはり東北は広いねぇ。
ホントは秋田市方面や男鹿半島、盛岡市へも行きたかったんだけど
なんせ広すぎてそんなに手が出ない。いや、足が回らない。
もう一度東北めぐりをして、今回とり逃した所に行きたいものだねぇ。


◆◇◆ 燃ゆる山 黄金(こがね)の稲穂 秋深し 蒼空高き みちのくの旅 ◆◇◆




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