2000年10月 北東北旅行(4)

夜の天守に感激した翌朝、10月7日。
宿を出立した拙者がまず訪れたのは、碇ヶ関村の中にある関所跡でした。
江戸時代、津軽領の国境を監視するために造られた関所は
今もなお、古風な佇まいを見せて街道に睨みを利かせると共に
訪れる観光客の安全を見守っているかのような温かさもありました。
田舎の村、唯一の観光地…というと聞こえが悪くなりますが
ここは訪れるだけの価値がある場所でしたぞ (^^)
碇ヶ関御関所
碇ヶ関御関所

神奈川県民の拙者としては
関所と言うとまず箱根の関所!なのですが
ここの関所跡も負けず劣らず立派なものでした。

碇ヶ関御関所跡の次は弘前市へ。
昨夜通った道を再び走り、改めて昼の弘前城を見学するためです。
闇夜の中とは全く違い、明るい陽の光りの下で走る道は
昨日と同じ道でも、全然違う風景を見せてくれます。
周りの景色に見とれつつ、市街地に入ればやや混雑。
さすが津軽10万石の城下町なれば現代も大都市、出勤時間のラッシュも当然です。
今日の自分は呑気な観光客である事に少々後ろめたさも感じつつ
徐々に城跡が近づいてくると興奮…。
城跡のすぐ隣、津軽ねぷた村の駐車場をお借りして車を停めれば
はやる心は抑えきれず、堀沿いに再び亀甲門へと向かって走り始めました!
国重文 石場家住宅
国重文 石場家住宅

弘前城亀甲門の前にある古民家。
城目当ての旅ですが、
それ以外のものもちゃんと見ています。
弘前城は1610年に津軽信牧(つがるのぶひら)が建てた城。
現存天守12城の一つで、天守のほかにも櫓3基、門5棟が現存してござる。
いずれの建物も国指定重要文化財。しかも城の跡地がほぼ完全な形で残されている。
東北地方で大都市の中に城が丸々保全されているのは稀有な存在。
当然と言いますか、拙者にとってやはり今回の旅で最大の目的地となる城でございます。
江戸時代に櫓を改造して創立された天守は独特の意匠。
写真を見て頂ければわかる通り、外側にだけ飾り破風を付けたあの天守は
是非とも見ないと気が済まなかったので大満足です。内側と外側であまりにも
ギャップの激しいデザインセンスは壮観。
外側の華麗さと、内側の地味さは実にアンバランスなんだけど
見事な融合を果たしていて、惚れ込んでしまいました。
他の櫓や門も一つ一つじっくりと見て回りましたが、
これまた古風な趣でありながら、上品な佇まいにウットリ…。
いやー、これほど素晴らしい城跡だと感じた所はありません。
個人的に、今まで見た城の中で最高に惚れ込んだ城ですね。
城址の敷地も完全に残っているし、ありゃスゴイです。
本丸跡地から望む岩木山の雄大さにも感激致しました!
国重文 弘前城天守
国重文 弘前城天守

昨晩の夜景とほぼ同じアングルの写真です。
青い空に高くそびえる天守の姿は
やはり感動的ですなぁ。
城内をくまなくチェックして、櫓や門といった現存する建築物を
総て写真に収めた挙句、城の構造物としては珍しい石橋や
埋門という隠し門の跡まで見学し、城の南端である
大手門から出てきた頃にはすっかりお昼近くに。
あぁ、いかんいかん。弘前城を見るだけで半日使ってしまった。
なんせ重要文化財が山ほどある場所だからねぇ。
まぁ今日の夜は宿の手配をしていなかったので、
気の向くままに行動しても大丈夫だけどさ。
そんなこんなで、ちょっとばかり弘前郵便局に立ち寄り
ここで弘前城の写真が入った絵はがきを購入。
おまけにそのはがきにその場で風景印を押して貰ったりして (^^;
で、ようやく弘前の町を離脱。隣町の岩木町へ行き、
町役場のそばにある大浦城跡を攻めました。
まぁ、今では大した遺構も残らない城跡なんですが
弘前築城まで津軽氏の本拠であった城なので、ちょっと重要かな。
然る後、青森県道3号線をそのまま西へ直進。訪れたのは岩木山神社。
東北有数の神社として有名なこちらは、もちろん本殿や拝殿、
楼門といった建築物がいずれも国の重要文化財。
その名の通り岩木山をすぐ後ろに背負い、数々の歴史的建造物を擁するこの神社は
一言で表現すると「無」の空間。人の手が作り出した社なのに
そこにいると宇宙の中に浮かんでいるかのような開放感と寂寥感が渾然一体となり
まるで人知を超えた、摩訶不思議な場所という雰囲気に包み込まれます。
不信心な拙者でも、時が止まったように吸い込まれる感じがしましたな。

神社の周辺には見渡す限りのリンゴ畑。これまた、如何にも青森ですな (^^)

さて、岩木町から弘前市に戻ったらそのまま東に向かい、国道102号線で黒石市へ。
ここは「こみせ」と呼ばれる旧家のアーケード通りがある町として有名ですが
オイラとしては…きっと古い町だから、城があるはずっていう浅はかな考え(爆)
で、町なかを1時間ほど探してみたんだけど、
どうにもそれっぽい所は見つからなかったのよ。
まぁ、もっと事前に下調べしておけばちゃんと見つかったんだろうけど
この時は結局、わからず終い。で、これ以上ウロウロしても仕方がないので
諦めて次の目的地に行く事にしました。
え、「こみせ」は見たのかって?いえ、時間節約のためにカットです(ってオイ!)

黒石ICで東北自動車道に乗り、一気に北上。東北道の終点である
青森ICまで行き、その目の前にある超有名な観光地に向かった拙者であります。
青森市郊外にある巨大史跡、三内丸山遺跡。ここが次なる目的地です。
敷地に入るや否や、目の前に有名な巨大掘立柱建物や
大型竪穴式住居が!これはもう、最初っからヤラれました。
こんなに威風堂々とした大型建築が、縄文時代の史跡にブチ上げられていたら
歴史好きな人間としては、そりゃぁノックアウトですよ。
いや、ここは歴史の好き嫌いは関係ナシ!凄い場所です。
青森を訪れるなら、絶対に行くべしッ ( ̄∇ ̄)
国特別史跡 三内丸山遺跡
国特別史跡 三内丸山遺跡

ここはもう有名ですから、
特に説明も要らないでしょう。
左が復元された巨大掘立柱建物、
右が大型竪穴式住居です。

弘前城に岩木山神社、三内丸山遺跡を回った本日は…かすこばにしちゃ
珍しく普通の観光地めぐりしてるなぁ (^^;
そんな観光地めぐりを続けるべく、車は青森市中心部へ。
目指すは青森駅です。青森(横浜じゃないのね)ベイブリッジを渡り
三角形の近未来風な建物、アスパム青森を横目に見つつ
青森駅の裏側に回り込めば、見えてくるのは青函連絡船・八甲田丸。
ここはかつての花形役者であった連絡船をそのまま博物館として展示した
青函連絡船記念館になっているのです。
夕日に照らされて青森港に係留された黄色い船体を見ていると
何だかそのまま船出しそうなほど、かつての威勢を感じさせてくれますが
悲しいかな、青函トンネルが開通して以来、
この船が海を渡る事はもうないんですね。背後に控える近代的なベイブリッジや
華々しいアスパムの姿と対比してしまうと少し可哀想になってくる八甲田丸…。
SLが各地で復活し人気を博すように、ノスタルジックな連絡船も
再び海の主役に返り咲くような事になれば良いのに、と思わせる光景でした。

アスパム青森と青森ベイブリッジ
アスパム青森と青森ベイブリッジ

正三角形の建物がアスパム青森。
このアスパム青森は
青森県観光物産館なんだそうです。
一面式斜張橋のベイブリッジもお見事!

青森市森林博物館となっている旧青森営林局庁舎の前を通り過ぎ、
車は青森市街地を離れます。国道280号線を陸奥湾沿いに北上、
津軽半島をぐるりと一周するコースに入った拙者の車は
夕景の中をひた走り、蟹田の町で日没を迎えました。
目的地としては龍飛崎なんですが、これはもう岬に着く頃には
真っ暗になって何も見えないのが目に見えてます(おや?)
まぁ、しょーがない。どう考えたって時間切れだもんね。
それでもいいんだ!意地でも龍飛崎まで行ってやる !!
道沿いには色々と景勝地がありそうなんだけど、
どうせ暗闇で見えやしない、と諦めてひたすら爆走。
今別の町に着いた頃には夜6時、試しに今別駅まで行ってみたけれど
既に終電の時刻は過ぎ(笑)人っ子一人いませんでした (^^;
やっぱり津軽半島の突先じゃ、もう眠りにつく時間なんだよなぁと思いつつ
車はまだまだ先へ進み、遂に龍飛崎まで到着しました。
とうに深夜ですから(爆)真っ暗な中では何もないだろう…
と思ったら、暗い夜に浮かび上がる物体が!しかもいくつも林立 ?!
何だコリャ、と驚きよく見てみると、風力発電の風車なんですね。
海に面した龍飛崎は一定の風が吹く地点として有名で、
それを利用して風車が建てられているんだそうです。
ほぉー、これはなかなか壮観ですなぁ。
夜のうちにやってきた甲斐があったかな?
明日の朝一で龍飛崎観光できりゃいいや、と軽く見ていたんだけど
思わぬ収穫がありました。
龍飛崎風力発電所
龍飛崎風力発電所

昨夜の弘前城天守に続き
またもや夜景の撮影。
こういった風車がいくつも並ぶ光景は
まるで宇宙基地か何かか?という感じです。
それはそれとして、宿はどうしようか?と考えながらの運転だったのですが
龍飛崎まで来ちゃったら、もう車中で寝れば良いかなーと考えて
そのまま就寝。龍飛崎の立派な観光ホテルが目の前にあったのですが
どうせ寝るだけだからわざわざ金使う事もなかろう、と野宿にしたのね (^^;
って、こんな事するのは拙者だけだろうけど…ん?いや、そうでもない。
まわりには同様の車が何台かいらっしゃる!
あちゃ〜、みなさん考えることは同じなのねー(核爆)




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