★★★相州乱波の勝手放談 ★★★
#12 層塔型天守にこそ“きんせい美”を見よ!
 




現存12天守に敬意を表し、#12話は天守についての雑想w



ひと口に天守と言っても、例えば縄張上における連結式とか複合式とかの差異、
あるいは破風(はふ)の飾り方、用いる瓦の種類、
それに“黒い天守”か“白い天守”かの好みなど、見方は人それぞれ違う。
そんな中でも最も大きく好みが分かれる点というのが、恐らく
「望楼型(ぼうろうがた)天守」と「層塔型(そうとうがた)天守」の違いではないだろうか?
個人的には、見た目にスッキリした層塔型が好きなのだが…。
(あくまで好みの問題としての話です)
※連結式・複合式…等々
こちらをご覧下さい m(_ _)m


※破風
こちらをご覧下さい m(_ _)m
(こればっか…)
※用いる瓦の種類
木造建築としては限界に達するほど大きな建物である天守は
戦闘要塞である堅牢さを兼ね備えながら(つまり重くなる一方で)
自重で潰れないよう、軽量化が求められていた。
可能な限り軽量で、かつ耐久性が必要とされた事から
建築様式(時代)の進歩に伴い、瓦を通常のものに代えて
銅板葺き(つまり銅瓦)にしたり、鉛瓦にする事もあった。
当然、建材の違いによって外観(特に色合い)に変化が生じ
天守建築の多様性を楽しめるようになるのである。


※望楼型と層塔型
こちらをご覧下さい m(_ _)m
(まただ…)



城友達のおーちゃんさん曰く
「天守に貴賎なし!」との事。
確かにその通り!! 間違いなく名言である。
好き嫌いとは関係なく、文化財としての天守に良いも悪いも無い。
望楼型だろうと層塔型だろうと、どんな天守も良いものの筈である。
況や、400年以上前の先人から受け継がれた建物(或いはその技法)なのだから
いずれの天守であろうと、賞賛こそすれ侮蔑するなど
真っ当な城好きならば許されない行為であろう。

ところが、だ…。

関ヶ原東軍主義者であるようなオイラなので、天守の好みで層塔型を挙げるのも
城好きの中でマイナー派であるらしく、どうやら圧倒的に人気なのは
ハデに飾り立てる望楼型の方らしい(苦笑)
しかしそういう望楼型ファンの方は、望楼“至上主義”が行き過ぎる嫌いがあり
層塔型天守に対して侮辱的発言をされる方が居られるようだ。
(勿論そんな事を言うのはごく一部の方であり、全員がそうだとは申しません)




例えば―――《某SNSコミュニティ内の天守トピから部分引用》

層塔で美麗な天守はレアケースです

とか

天守についてはサイズ(つまり容積)のポイントと高さのポイントで比較する向きが
多いと思います。数字は客観的ですから。しかしながら一番重要なのは、
「美しいか」という観点でしょう。これは主観的ですが、「格好よく天守を造る」という
概念があったようですので後世の我々もどの天守が格好が良いのか、という
美醜の価値基準で評価して良いと思います。
云わばミスコンテストでなく、天守閣コンテストのようなものでしょうか。
そうなると失われた天守も含めて推定ベース天守も含めて
以下が上位ランキング入りかと。
 安土城 豊臣大坂城 名護屋城 広島城 岡山城(以下、望楼型天守ばかり列挙)
不恰好天守ワースト部門では議論が分かれるところですがデブ系や妥協の産物系で
 江戸城 名古屋城 小田原城 水戸城 福山城(層塔型天守ばかり記載)

など




………主観的と言うよりも、単に自分が作った論をさも当然かの如く書いているだけやん(怒)

望楼は美しいから良くて層塔は不恰好だから醜悪だって
どんだけ自分勝手な理屈なんだよオイ!! (▼▼メ
当時「格好よく天守を造る」概念があったなんて聞いた事がないし
(そもそも、わざと格好悪く建てる訳がないわな)
それが望楼型だけに当てはまって層塔型は美しくないなんて単なる個人的主観だし
仮にそんな世相だとしたら何で層塔型天守が慶長期以後大流行するんだよ?
層塔型で美しいのは稀少事例だから有り得ない?誰がそんな事言ってんだ??

層塔型天守愛好家として、こうした侮辱は絶対に納得できない!
そっちがそれだけ悪態を吐くのであれば、
こちらもそれなりの反論をして「層塔型天守の良さ」を申し上げたい!





日本古来の美意識(特に建築様式で)は、定型とか左右対称(シンメトリー)さを
重視している。例えば寺社建築、伽藍の配置は一定の法則に定まっており
それを逸脱するような事は通常有り得ない。個々の建物においても、
基本的には左右対称、上下の関係でも各階毎の統一性は必ず図られる。
法隆寺、東大寺大仏殿や正倉院宝庫、平等院鳳凰堂や
平安神宮(平安時代の寝殿造を再現)社殿など
飛鳥・奈良・平安時代から残る古建築はいずれもそうだ。
社寺にある多重塔(正確には屋根が多重なだけなので、多階建築ではないが)等も
上下方向・左右方向のいずれに対しても統一感を持たせたデザイン。
左右非対称になったりするのは増築・改築によるものが大半で
創建時からそういう形で建てたものは殆どない。
平等院鳳凰堂左右非対称なんて有り得ない!
平等院は左右非対称だとマヌケな姿に…
東大寺大仏殿何この醜悪な姿…
大仏殿の上層を神社風にすると統一感なく奇怪な容貌…
興福寺五重塔うぁー、不気味w
五重塔を色違いにしただけで不気味 (><)

※ちなみに、西欧建築だと…
アミアン(ノートルダム)大聖堂 photo from Wikipediaシャルトル大聖堂 photo from Wikipedia
左:アミアン大聖堂
右:シャルトル大聖堂

いずれも世界遺産に登録された
フランスの教会建築。
左右の塔が統一されず
何故か片側だけが高い。
特にシャルトル大聖堂は
塔の先端部のデザインも異なり
多様な装飾が混在した形状。
日本の古建築物では
こうした状態の物を
見かける事はまず有り得ない。
西洋建築でも相似形の物は
もちろん沢山あるが、必ずしも
それで統一されている
訳ではないようだ。

鎌倉・室町期以降の主流となる武家建築では
相似形に拘らず、例えば書院建築(後世の御殿建築)では
雁行の並び(複数の建築物を斜め方向に連結させる)を主体にするなど
左右非対称な形式が登場するようになるものの、これは
風水や方位学・家相学などの複合概念を取り入れた為であり
建築物そのものとしては、旧来の寝殿造りを踏襲するなど
基本理念が崩壊した訳ではない。このような武家書院造りの代表例が
足利義満の北山山荘、足利義政の東山山荘であろう。即ち、現在の
金閣寺・銀閣寺である。金閣も銀閣も、1層目と上層部の建築様式が異なり
しかも1層目の造りは左右非対称のものになっている訳だが、これらは
1層目を武家の実用建築としているからであり、仏塔建築として用いられる
上層部は旧来の様式を外さずに作られている。日常空間としての武家建築と
演出空間である寺社建築を区別してこその“形式美”を両立させたものなので
決して「左右対称」「統一感」を無視して建てた訳ではない筈だ。
仮に一切の対称概念を取り入れない建物にするのであれば、
金閣の2層目と3層目はもっと異なる外観に仕立て上げたであろう。
武家の建築(城郭建築はまさにこれに該当する訳だが)だからと言って
古くから根ざす美的観念を捨て去って建てている訳ではないのである。
金閣(鹿苑寺舎利殿)金閣(鹿苑寺舎利殿)

この“対称の法則”を天守に当てはめると、望楼型は既に「規格外」という事になる。
元来、望楼型天守の創始は不定形・不安定な地盤の上に
どうにかして高層建築を建てる為に考案されたものなので
そうした「規格外」の技法は止むを得ないものだし
望楼型天守とは、それで当然の建物な訳だから
誰も悪いとか卑下するつもりは毛頭ない。しかし、それまでの通念から見れば
“常識を逸脱した技法”であるのだから必ずしも美麗だとは言い切れない筈だ。
安土城天主・岡山城天守 平面図
こちらは安土城天主(左)と岡山城天守(右)の平面図。
(縮尺・方位は異なります。分かりやすくする為に安土城は2階・岡山城は1階平面を使用)
いずれも望楼型天守(天主)の代表格であるが、ご覧の通り
安土城は不等辺8角形、岡山城は5角形平面である。当然の事ながら
この建物が左右対称に成立する事は有り得ない。安土や岡山は極端な例だが
他の望楼型天守も、多かれ少なかれそういう事例が見受けられる。見る方角によって
天守の姿は様々に変わり、それが望楼型天守の「味わい」になる訳で
これら天守の魅力でもある(よって、私は望楼型天守を否定するつもりは全く無い)。
だがそれは、逆説的に言えば「この角度からの見栄えは良くない」という事にも
繋がる筈であり、望楼型天守の美観が不変的・一定的なモノではない事の証だ。
望楼型天守が「好きだ」「素敵だ」という気持ちはわからなくは無いが
それは単に見る者の主観的意見に過ぎず、何ら明確な根拠がある訳でもなく
況してや「良い」「悪い」などと断ずる事ができる筈も無い。
高知城天守 立面図
高知城天守 立面図

南面は本丸御殿と隣接している為、
初重の屋根が切れていたり出入口があるのは
構造上仕方ないとして、上下階の窓位置が
統一されていなかったり(紫矢印)
    ※上下階でずれる北面が城郭建築物としては正当
そもそも窓の位置が違う(緑矢印)位置があり
一目見ただけで統一感が欠けている。
犬山城天守 1階平面図
犬山城天守 1階平面図

左上と右下は石落しや付櫓の連結により
出っ張っている。これは縄張上の問題なので
問題視しないが、それによって壁面のラインが
並行にならず、斜めになってしまっている。
「角ばったデザイン」のイメージがある
犬山城天守も、実はこうした
“無理矢理な調整”をしているのである。
対する層塔型天守は、付櫓や出入口の位置を除けば基本的に左右対称。
反対方向から見ても同じ姿を見せている。
「この天守の見栄えは嫌い」というのは別として、そうでなければ
「どこから見ても安定した美しさ」が楽しめるのである。
これは、仮にその城が攻められた際にどこから見ているのかわからなくする
(攻城軍に自分の位置を見誤らせる)効果があるので
実益を兼ねている筈であり、非常に合理的でもある。
名古屋城天守 北面名古屋城天守 南面
名古屋城天守の例

ほぼ同アングルで撮影した
天守北面と南面。
もちろん、見る人が見れば
僅かな差異でどちらの面か
一目瞭然であろうが、
素人目には同じ破風、
同じ石落しが並び
区別が付き難い。
そもそも層塔型天守は精緻な四方形(可能な限り正方形に近い)の
天守台があってこそ成立する建物である。望楼型天守は
「どうにかしていびつな土台でも天守を揚げる」為のものだが
逆に層塔型天守は「きちんと整えられた強固な土台を用意して」建てる訳だ。
加えて、層塔型天守は建物の柱割や建材の規格化を計算して造るもの。
つまり、高度な技法と綿密な計算そして均質な統一感があって
はじめて可能となる建築物であり、その先進性や技術力は
コンピュータや土木機械のない時代によくぞ成し得たものだと
感嘆こそすれ、非難されるような謂れがあろうか?
望楼型天守の「好き嫌い」は単なる主観論にしか過ぎないが、
層塔型天守の「精度の高さ」「技術レベルの向上」については
明確な尺度を以って「良くできている」と言えるものであろう。
全てに於いて高いレベルを要求される建造物が天守建築であるが
望楼型よりも進化し、建物総高や建築容積が増大できるようになった層塔型は
諸大名の憧れであり、城郭建築の“最高到達点”たるものだった筈である。
これを「不恰好」だの「醜悪」などと呼べる訳がないし
もし仮にそうだとしたら、層塔型天守を考案した藤堂高虎が
“築城の天才”として賞賛されているのは何なのだろうか?

#建築論を突き詰めると、相似形にならない方が美麗だとか言うんだけど
  こうやって実例を挙げれば、相似形の方が落ち着きがあるのは明らかなんだよねぇ…。





破風をいくつも並べて飾り立てるのが「豪壮華麗」で望楼型の美しさを示すと言い
破風がなくても成立する層塔型は「単調なデザイン」だからダメだとも仰るのですが
じゃぁ仮に、望楼型の破風を取り除いたらどうなるか?
姫路城大天守破風を消してみると…
姫路城大天守から、構造上
必要な大入母屋破風だけ
残してあとは消してみた。
こうなると、入母屋破風が
必要以上に巨大(圧迫)感を出し
建物全体が鈍重に見える。
特に最上層の高さが
無駄に際立って
“頭でっかち”な印象になり
各階のバランスが非常に悪い。
また、平(ひら)側は全体的に
「のっぺり」した面持ちで
全く締まりのない姿だ。
世界遺産に讃えられる城も
これでは形無しである。
望楼至上主義の人に言わせると、層塔型天守の代表例である名古屋城天守は
「デブ」だの「寸胴」な外観なんだそうな。1重目・2重目の底面積が同大で
軒が低く、3重目で急に軒が高くなるから…というのが理由らしい。
しかし、姫路城天守で示したこの結果を見れば
その論がそのまま同じように当てはまる。初重・2重の軒が低くほぼ同大、
上層階になるほど軒が高くなり、何ともアンバランス。デブで寸胴だと
名古屋城天守を貶めるが、むしろ望楼型天守は大半がこの形状なのだ。
つまり破風を多く設置するのは、こうした不恰好さを隠す為
必要不可欠だからであり、ハデにしないと建物本体の
不均等なプロポーションがモロに出てしまうからに他ならない。
望楼型天守が破風の多さで楽しめるのは、
姿を美しくしようとする試行錯誤(平たく言えば“ごまかし”)の結果であろう。
丹波亀山城天守 立面図丹波亀山城天守 古写真
丹波亀山城天守

左:立面図
右:古写真
一方で層塔型天守はその構造上、必ずしも破風は必要ない。
であるからして、破風を持たない天守も多数存在した。
そもそも、層塔型の創始とされる丹波亀山城天守からして
破風は付けられておらず、それは明治初年に撮影された古写真で
確認できる(現物は惜しくも撮影直後に解体されてしまった)。
立面図を見ると、初重から5重目まではほぼ一定の高さで軒が立ち
上で記した通り「非常に均等で統一感のある」外観を保っている。
また、建物全体の線も「細すぎず、太すぎず」という
絶妙なプロポーションを有しており、実に清楚でのびやかな姿だ。
層塔型が鈍重・単調だという論は、むしろ全く逆なのである。

※名古屋城天守の形状
ちなみに、名古屋城大天守の1重目と2重目が同じ大きさなのは
石落しを2重目に置く為、わざとそうしているのである。建物直下の敵を
撃ち取る為の「穴」が石落しであるが、通常はそれを初重に開いて
敵への攻撃力を見せ付けるのが“軍事的用途”としての天守だ。
しかし名古屋城は“天下を統べる将軍家の城”として築かれたものである為
敵意満々の無骨な姿を見せるのではなく、目立たぬよう2重目にそれを置き
将軍家の徳と礼節を示している。故に、鉄砲狭間も壁面に埋め込まれ
平時は全くその姿を隠しており、有事の際にはじめて開くようにしているのだ。
一方、石落しを2重目に構えた場合の実用効果を高めるには
初重の軒高を抑える必要が生じる為、必然的に1重目と2重目の高さが
低くなる訳だが、建物全体の縦横比を整えるべく
3重目をその分だけ高く設定し全体の高さを稼いでいる。
即ち、名古屋城天守は
「デブ」でも「寸胴」でもなく、緻密な計算と
高みを目指す平和理論を実現した
“崇高な建築物”なのである。
きちんと理由があって作り出されたこの姿なんだから…

美醜の価値基準が一番重要とか、アホなこと抜かすな! (▼▼メ





望楼型天守の白眉とされ、近世城郭の嚆矢となり、城郭建築の中で
恐らくトップクラスの人気を誇るのが安土城天主であろう。
織田信長が「天下布武」を“目に見える物”とすべく創建し
当時の最新技術を惜しみなく投じ、万民を畏怖させる為に建てた天主は
歴史マニアの枠を飛び越え、日本人全員に憧れを抱かせる存在と言っても
過言では無かろう。本能寺の変に続く混乱で焼失してしまい、
正確な姿は未だに謎…というのも、非常にロマンを掻き立てるものがある。
城好きな人間に「復元して欲しい天守は?」と訊けば
必ずと言って良いほど、上位にランキングされる天主だ。
だがそこで、拙者は敢えて一石を投じたい。
安土城天主って、本当にそんなに美麗か?
くれぐれも誤解の無いように申し上げるが、凄いか凄くないか、良いか悪いかではない。
(常識的な感覚で)美麗かどうか?という点を論じているのである。

#信長は超常的なので、一般的な美感とは違うんだろうけど…。

安土城天主想像図/内藤案 (C)3kids
詳細が謎に包まれた安土城天主は様々な復元図が制作されているが、
こちらは故・内藤昌(あきら)工学博士による案を3kidsさんが立体化したもの。
細部に色々な相違点があるものの、諸々ある安土城天主外観復元案は
概ねこの復元案と合致しており、“一般的に最も知られた安土城天主の姿”である。
3重の大櫓に、仏塔のような八角塔を据え付け
最上階は黄金の装飾で飾り立てた建物。
何ともまぁ、豪快な信長らしくド派手な建物であり
創建当初は唯一無二と言える巨大建築であった訳だ。
城下の民はさぞかし驚愕したに違いない…とは思うが
常識的に考えて、この建物は本当に「格好良い」ものなのか?
冒頭に記した通り、全くシンメトリーな建物ではない。
土台の大櫓は無骨な下見板張りなのに、八角塔部分は神社風?の朱塗りで
(仏塔様式なのに神社風の色彩ってのもどうなのよ?)
最上階部分は金色に輝かせて―――って、上下の統一感も全く無し。
建築力学(耐久性)上、重量のある大型望楼は乗せられなかったのだろうが
下層部に比べて上層部の小ささが極端すぎるのも違和感アリアリ。
仮に現代このような建物があったら、テーマパークのアトラクションか
(実際にそういうテーマパークがある訳だがw)
悪趣味なホテルか、そんな感じにしか見えないだろう。
信長が作った謎の天主…という事で、皆が盲目的(狂信的?)に
礼賛ばかりしているが、冷静に見てみれば極めてアンバランスで奇妙な建物なのだ。
異様な風体なればこそ、臣民は驚愕し信長に平伏するという
“武家政権の喧伝装置”としての機能が果たせた訳であり
当然「これが信長の狙い通り」なのだろう。だから悪い物でも何でもないし、
機能美としては正解と言える。あるいは「前衛的」「サイケデリック」という感覚なら
これ以上ないくらいに芸術的な建物だ。しかし、日本古来の観念においては
建物としての“様式美”から逸脱していると考えるべきではなかろうか?



何年か前に漫画家の某氏が自宅を建てた際、派手派手なピンク色(だったっけ?)にしたら
周囲の家から「景観破壊だ」「非常識」と大問題にされましたが
例えば皆さんが一戸建ての家を建てるとして…

こんな家や
実際に住んでみたら、かなり恥ずいと思うんだけど…
明らかに“異常”な建物 w
こんな家
造ろうとは思わないでしょ? (^ ^;
こういう異形の建物は、信長だから許されるんであって(そこが彼の凄さでもある)
明らかに一般の通念からはズレてるとしか思えない…。



蛇足ながら、個人的な印象を申し上げると…安土城天主の概観(外観ではなく)って
安土城天主の体躯って、何かに似てません?この体躯、何かを想像させませんか?
オイラが思うに、これにソックリ!万治の石仏 photo from Wikipedia
万治の石仏、長野県諏訪郡下諏訪町にある自然石使用の仏像である。
かの芸術家、故・岡本太郎氏が激賞した石仏として有名だ。
半球体の岩を胴体とし、そこにユーモラスな頭を乗せた姿は
何ともまぁ、まさしく「芸術は爆発だ」というに相応しい珍妙な造形。
仮にも仏様に対して珍妙と言うのも罰当たりだとは思うが、
一般人の感覚では遠く及ばない岡本太郎の感性をして賞賛に値するという事は
逆説的には、やっぱり「何だか変」というしかあるまい。
安土城天主、個人的にはどうしてもこの石仏と同じ雰囲気を感じるのだが
織田信長と岡本太郎、常識からかけ離れた2人の芸術観には
何かしら共通するものがある…のだろうか?
(と取り繕ってみたが、要するに安土城天主も珍奇だって事さねw)

ところで、こうやって概観イメージを層塔型天守に当てはめてみると…
津山城天守 立面図



層塔型のシルエット比較

左:津山城天守
右:名古屋城天守

縮尺は異なります
背景配色は同一のもので統一
名古屋城天守 立面図(宝暦改修時)
建物の平側、鯱を頂点として屋根の葺き下ろしの線を緩やかな曲線で繋ぐと
不思議な事に、層塔型天守の殆ど全てが同一のラインに収まるのである。
そしてこの姿、日本人ならば誰しも知っているあの美しい山に準える事が出来る。
富士山のシルエット
世界遺産にも登録され、今や日本のみならず世界の宝となった富士山である。
「ゴミが多い」という理由で自然遺産登録は不可能となったが、
それならば、とばかりに文化遺産で登録となった日本一の山。
自然遺産がダメだからって、文化遺産なら良いの?と思えなくもないが
しかしユネスコが「文化遺産での登録を認めた」点は大きいのではないだろうか。
つまり、富士山単体の存在だけでなく周辺寺社や景観なども含め
文化的存在としての総合的な考察を認めたという事である。
これ即ち、日本人の文化や潜在意識の中には常に富士の心象があり
富士の美しさ・荘厳さ・気高さは日本人のDNAに刷り込み済みと言えよう。
富士山が嫌い、という日本人はそうそう居ないのではないだろうか?
その富士山のシルエットに、層塔型天守は酷似しているのである!
これぞ層塔型天守の優秀な美観を如実に表している筈だ。





信長の安土城に始まり、近世城郭における
“武家政権の存在そのものを体現する存在”として発展した天守建築。
繰り返しおーちゃんさんの言を引用するが「天守に貴賎なし」であり
どれが優れ、どれが劣るなどという比較は成り立たない。
安土城あってこその天守建築であり、おおむね天正〜慶長期の大名たちが
腕を競って日本全国に建ち並べたその姿は、いずれも美しく雄々しい物だ。
然るに、一方的な押し付けで優劣を決めたり
況や批判ばかり並べるのは、先人達への冒涜ですらある。
望楼型天守だけが素晴らしいなどと言う発言に対しては
むしろ層塔型天守こそが、「近世城郭」を完成形に導き
「均整の取れた姿」で、民心の安寧を保証したものだと反論したい。
層塔型天守にこそ
“きんせい近世/均整美”を見よ!





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