★この時代の城郭 ――― 首里城:琉球王府
屈辱的支配に甘んじる事になった琉球の民にとって、心の拠り所は王府である
首里城であった。第二尚氏王統の成立後も逐次首里城の改修は継続されていたが
特に17世紀以後、その傾向は顕著なものとなっていく。1621年〜1627年にかけて
正殿の隣に南殿(なんでん)を創建。1660年には失火により城内が全焼してしまうが
薩摩の支配下にありながら復興に着手する。1667年、正殿の前に有名な大龍柱が立てられ
1682年に陶工の平田典通(ひらたてんつう)が中国で習得した技術に基づき
龍頭棟飾を製作、正殿の屋根に据えられた。1709年、再び首里城は全焼してしまうが
1715年までに再建を果たし、以後、1846年まで必要な時期毎に修理が行われている。
特に1768年の正殿修理は大がかりなもので、この時に工事記録である
「百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)普請付御絵図并御材木寸法記」が残された。
首里城の拡大発展は、王国の民が一丸となり行われた国家的事業だったのである。
首里城正殿(沖縄県那覇市)
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