1999年5月 北陸攻略(4)

白川郷荻町集落で迎えた朝は、軽い小雨模様。あたりはしっとりと濡れ
山霧たちこめる遠景に浮かび上がる合掌造りの家々は
去年少しばかり見た快晴の下の情景とは異なって幻想的です。
夜明けと共に歩き始め、荻町集落の中を散策しつつ
何枚かの写真を撮影していると、いつのまにか周りには
数多くの観光客が繰り出して来ました。拙者のように車中泊ではないものの
白川郷の宿で一夜を明かした観光客の皆々様方が、朝の散歩に出てきたようです。
おぉ、さすがに世界遺産の地となるとこんな早朝からでも
みんな観光して回るんだねぇ。って、拙者も他人の事は言えないけど (^^;
飛騨の山奥の5月、新緑萌える中にもまだ少し桜の花が残っていたりして
雨の合掌造り集落は色々と賑やかな朝を見せてくれました。
国連世界文化遺産 白川郷 和田家住宅
国連世界文化遺産 白川郷 和田家住宅

田起こしの水を引き込む直前の時期なので
まだ黒々とした田んぼに囲まれている農家。
かなり立派な石垣が組まれた上に建っている家なので
城マニアには結構羨ましいと思えるお宅です(爆)
写真だと見にくいかなー、この石垣…。
写真に載せた和田家の住居や、去年訪れた明善寺を見学した上、
荻町城山展望台まで登って白川郷全景を俯瞰。
思う存分に世界遺産の集落を拝見させて頂きました。

朝8時を回った頃に白川郷を離れ、元来た国道156号線を北に戻ります。
昨夜、夜祭りに遭遇したもう一つの合掌村・五箇山を目指す道です。
昨日は深夜に通ったせいで何も見えませんでしたが、改めて朝通ると
ずーっと山あいの道、しかも白川郷から五箇山までは距離があるんですねぇ。
小一時間ほどかかってようやく行徳寺まで戻ってきました。
夜祭の喧騒から一転、朝の境内には誰も居ません。
いくつも吊るされたぼんぼりだけが、祭りの名残を留めていました。
その行徳寺からすぐそばには国の重要文化財・岩瀬家の住居があります。
もちろん合掌造りの古民家で、白川郷・五箇山にある数多の合掌造り民家のうちでも
最大級の大きさを誇る家です。「月見櫓」の頁に記した通り、
伝統ある古民家はふるさと切手の題材にもなりました。
拙者が訪れたこの日は5月4日、雨模様の天気ながら家の軒先には
大きくて立派な鯉のぼりが飾られておりました。
いいなぁ、これぞ日本の原風景…。

五つの谷に囲まれた場所、「五ヶ谷間(ごかやま)」が転じて
「五箇山」になったといわれる五箇山合掌造り集落ですが、
細かくは菅沼集落と相倉(あいのくら)集落に分かれています。
(その他、付近一帯に合掌造り民家が点在もしています)
岩瀬家から北上すると菅沼集落、更に道を進むと旧村上家住宅、
五箇山の鎮守・白山宮、そして相倉集落へと繋がるのです。
もちろん、拙者はこまめに停車して各名所を拝観。
朝方の小雨はすっかり本降りになってしまいましたが、
全然めげる事なく、むしろ雨の情緒を楽しんで観光を繰り広げました。
拙者以外にも、雨でも見物していた観光客は沢山いましたしね。

さて、ここまでロクに朝飯らしいものも食べず
「朝駆け」モードで観光してきましたが、さすがに空腹を覚えたので
食事を摂る事にしました。相倉集落から少し北上したところに
道の駅・たいら(ここは平村ですから)がありまして、
そこに乗り付けて蕎麦など頂いた次第であります。
夜明けからの行軍だった事もあり、ついでに少々仮眠も取りました。
さて、あまりのんびりともしていられないので
目が覚めたところで即出発。このまま福光IC方向まで戻るのが
一番簡単なルートですが、それじゃ全然面白くないというもの。
来た道とは違う道を使って富山市方面に出ようと考え、
地図で見るだけでも難儀しそうと想像できるような山越えルートを選択!
道の駅から新山の神トンネルを抜けて富山県道34号線に入り、
狭隘な険しい道を北上して国道471号線に合流する。
しかしこの道も「ホントに国道か?」と思えるような状況が続き
国道472号線に変化して山を下る頃には
「何でこんな道通っちゃったんだろう…」と半分後悔するような有様。
これだったら国道156号線のまま北上する方がマシだった(泣)

ま、来ちゃったものは仕方がない。472号線で辿り着いたのは八尾の町。
わざわざ山道越えたのはここに来たかったからでもありますし。
八尾と言えば、有名なのが「越中おわら風の盆」ですね。
毎年9月の1日〜3日、静かな闇夜の中で風流に繰り広げられる盆踊りの祭り。
もちろん、季節が違うので今やっているわけじゃありませんが
その舞台となる町並みはどんな所なのか見てみたかったんです。
風の盆が行われるのは旧町屋の中にある諏訪町通り、この通りは
諏訪神社の参道にあたる道だったためにその名が付いたようです。
諏訪町通りに立ってみると、整然と並べられた石畳が続き
道の脇には疎水の流れや灯籠が点在。祭りの時には曳山の山車も出て
人の流れが大賑わいになるようですが、この日は何もない日だったため
雨が降っているせいもあり、だ〜れもいない静かな状態でした。
普段静かな所だからこそ、祭りが華やぐというものなのかも知れませんね。
諏訪神社に参拝し、そのすぐ脇にある八尾城山公園にも登ってみると
眼下には八尾の旧市街が良く見えました。この城山公園、現在は秋葉神社となっています。
昔から八尾の町は度々大火に襲われ被害を受けていたため、
火伏せの神様として有名な秋葉神社を勧進して防火の祈願をした事が由来だそうな。
今、目の前に見える八尾の町は、人々が守る努力を積み重ねたからこそ
こうして昔ながらの町並みが残されているんですねぇ。
諏訪町通り
諏訪町通り

ここがその諏訪町通り。
9月の祭りはこの通りを盆踊りの行列が
整然と練り歩いていきます。
阿波踊りのように激しく乱舞するのとは違い
古風で静かな踊りというのが特徴ですね。

八尾の町は大きく旧市街と新市街に分かれています。
諏訪町通りは旧市街。そこから少し北にあるのが新市街。
新市街には町役場やJR越中八尾駅があります。
駅のすぐ脇にある踏切を通り過ぎ、JR高山本線の北側に出ると
ちょうど踏切の警報機が鳴り、緑色の列車が通り抜けて行きました。
たった1両で走る小さな列車は何だかとても可愛いものですね。
というか、あまり本数が多くないであろう運行ダイヤで
偶然にも走り去る列車を見れたのは幸運だったのかな?

八尾の町を出たのは午後1時。そこから富山県道7号線を走って行き
旅の締めくくりとして富山城にやって来ました。
去年の旅でも訪れましたが、その時はエラく慌しい訪問だったので
今回改めて見直そうと思って再訪したのでござりまする。
戦国時代、富山地方の豪族として勢力を築いた神保氏の城として発展し
その後、佐々成政が領有した事で有名です。
(何だか今回の城は佐々成政関係ばかりだな)
当時は神通川の水利を取り込み、水濠を縦横に廻らせた縄張りだった事から
越中の浮城としても名を馳せました。江戸期には加賀前田家の支藩とされましたが
廃藩置県の後、城は解体されていきました。
現在は城址公園となり、富山市の中心部に残る緑地が貴重な存在。
模擬天守も建てられ、市民の憩いの場となっているようです。
富山城
富山城

なかなか見事な模擬天守です。
が、この石垣はもともと本丸御門の跡地。
実際の天守跡はこことは別の場所になります。
史実と異なる方法での城郭復元と言うのは
愛好家にとっては賛否両論の論議を呼びますね。
雨の富山城を以って、今回の旅は終了です。
富山ICから北陸自動車道に乗って帰路に着きました。
前半2日は友と一緒の珍道中、後半2日は気楽な一人旅で
色々と変化に富んだ旅行でありました。
いいね、こういうの。面白くて♪
大型連休と言えど、比較的混雑するような事もなかったし。
(え、普通の人が行かないような所に行ってるからだって?)


◆◇◆ 陽春に 友と二人の 歴史旅 町の息吹に 心打たれつ ◆◇◆




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