1995年2月 九州旅行(4)

翌22日、広島2軍の選手とロビーですれ違いつつ
宿を発ったかすこば一行。
まずは日南市内にある飫肥城を攻略に向かった。
飫肥城は南北朝時代から明治維新まで、伊東氏の居城として栄えた城。
伊東氏は戦国時代の一時、城を薩摩の島津氏に奪われたが
巧みな外交戦術で城主に返り咲き、父祖の地を守った。
江戸時代には運河の掘削などで商業地が発達、
現在もその面影を残す町並みとなっており
国の伝統的建造物群保護地区に指定されてござる。
飫肥城
飫肥城

古い佇まいの城下町を残した
九州でも屈指の名城。

飫肥の町を後にした我等は再び日南海岸を南下、
都井岬の風景を眺めて一休みする。
ここは全国でも数少ない野生馬の生息地。
岬の台地は一面の芝草になっていて
この一帯に野生馬がのどかに暮らしているのだ。
もちろん、この馬たちは国の天然記念物でござる。
都井岬からは進路を西に取り、国道448号線・220号線を経由して
桜島の南麓を横切って行く。
真下から見上げる活火山の姿は獰猛そのもの。
桜島港から鹿児島市営フェリーに乗り錦江湾を横断、
ついに鹿児島市へ上陸した。

鹿児島市の名所と言えば、先ずは磯庭園。
薩摩国の大名、島津家の別邸とされた庭園で
目前に錦江湾と桜島の勇姿を望む豪快な景観。
島津氏は鎌倉時代から明治維新まで薩摩の領主として君臨した名家で
関ヶ原合戦においても、徳川家と敵対したにもかかわらず
その領地を安堵され、九州随一の勢力を維持した。
幕末の倒幕活動でも力を発揮した事はお馴染みであろう。
国名勝 磯庭園
国名勝 磯庭園

磯庭園は仙巌園(せんがんえん)とも呼ばれ、
仙巌園附花倉御仮屋庭園の名で
国の名勝に指定されている。
梅や桜といった木と並んで
ビロウや蘇鉄という南国ならではの植物もあり
本州の庭園とは一風変わった雰囲気を持つ。
国名勝 仙巌園
国名勝 仙巌園

仙巌園の名の由来がこの岩。
庭園裏山の中腹に突き出した岩に
「仙壽巌」と記されている。
200mmの望遠レンズで撮っているから大きく見えるけど
実際にはかなり高い所にあるんですよ、この岩。
現代のように建機もない時代に
ど〜やって書いたんだこれ?!
ちなみに、「仙巌園附花倉御仮屋庭園」は
“せんがんえんつけたりけくらおかりやていえん”と読む。

鹿児島市内の城郭と言えば、島津氏居城の鶴丸城。
ここは是非とも登城しておきたいところ…だったんだけど
家族旅行ではそうそう城ばかり攻めるワケにも行かず
鶴丸城の裏手、鹿児島随一の観光地である城山へ。
いやー、さすがに有名な場所だけあって
ここから望む鹿児島市と桜島の景色は絶景でした。
城山公園の売店では「巨大ボンタンあめ」を入手。
鹿児島銘菓のボンタンあめがキングサイズで売っていて
これがまぁ、ド胆を抜かれる大迫力の大きさ。
ウケ狙いの土産物としてはこれ以上のモノはなし!

夕日が沈む時刻になったので、今夜の宿がある指宿方面へ出発。
途中、喜入の原油備蓄基地の横を通りすぎた。
いやまぁ、タンカーが何隻も密集して航行する姿に驚き、
原油タンクの大きさと数にまたびっくり。
いったいどれほどの石油が蓄えられてるんだろ?と思いつつ
車はさらに南下、喜入町から指宿市へと入ったのでござる。
大園原交差点で国道226号線を離れると、今夜の宿である
かんぽの宿・指宿は目の前だった。



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