日向国 飫肥城

所在地:宮崎県日南市飫肥
■■駐車場: あり■■
■■御手洗: あり■■
遺構保存度:★★☆■■
公園整備度:★★★■■
南国宮崎県の中でも南部に位置する日南市。この町は昔から城下町が栄え、
現在も国の伝統的建造物群保護地区としてその佇まいを残してござる。
その中心となるのがこの飫肥(おび)城。伊東氏の城である。
城は南北朝時代から築かれていて、日向国と大隅国の境界に近いため
日向(伊東氏)・大隅(肝付氏)・薩摩(島津氏)の争奪戦が起きていた。
三氏はいずれも古くからの名門で、互いの威信を賭けて戦ったが
戦国時代にまず肝付氏が島津氏に降伏。北上してくる島津軍と
それを迎え撃つ伊東軍で激闘が繰り返されたが、ついに島津軍に落とされる。
城主伊東義祐(いとうよしすけ)は豊後国の大友氏を頼り逃亡。
大友氏も耳川の合戦で島津氏に敗れると堺で豊臣秀吉に接近。
嫡子伊東祐兵(いとうすけたか)が秀吉の九州征伐に従い
見事飫肥城を奪還した。1587年(天正16年)のことでござった。
以後伊東氏5万1千石の居城として明治維新まで存城したのでござる。
飫肥は日向灘から内陸へ5kmほど入った標高20〜30mの台地に広がる町で
最も標高の高い北端に城を構え、大手門から南へ一直線に大通りが貫いている。
この大手門通りは緩やかな下り坂となって城下町へと通じる。
また、江戸時代(5代藩主伊東祐実の頃)に開削された堀川運河は
飫肥の町と油津の港を繋ぎ、これを水運の要として特産品の飫肥杉が搬出され
飫肥に繁栄をもたらしたのでござる。
飫肥城が現在みられる姿になったのは1686年(貞亨3年)の大改修によるもの。
石垣などは現在もその遺構を残している。
門や櫓は昭和の再建建築物だが、当時の面影を偲ばせてくれる。
九州のかくれた名城のひとつ。
現存する遺構
堀・石垣・郭群
城域内は国指定史跡
熊本城
首里城