2015年4月 松平郷オフ会

旅行期間:2015年4月11日(土)

主な滞在地
4月11日(土):

市場城址・能見城址・足助陣屋跡・足助真弓山城跡・大給城址
松平城址・松平東照宮・中垣内古屋敷跡・丸根城址・挙母桜城址
松平郷オフ会行程地図 (C)GoogleMap


4月に入り、そろそろ山城シーズンは終わりかと言う感じの頃。「山城終い」の前に、オフ会で出かけようと
城友のOーちゃんさんを誘い、ついでにウチの子供らを暇つぶし的にドライブへ連れ出し、向かったのは愛知県。
前々から気になっていた、三河の山城へ赴いたのでございます。
東名→新東名をひた走り、東海環状道に入った所で鞍ヶ池PAへ…。

鞍ヶ池PA

花の鞍ヶ池PA 花の鞍ヶ池PA
雨上がりのPAでは、春の花が咲き乱れておりました★

豊田藤岡ICで高速を下り、国道419号線を北東方向へ走ると、豊田市の北端である旧小原村へ。
そこにあるのが市場城と言う城の跡。今回、行ってみたかった“お目当ての山城”です。
豊田市史跡 市場城址
豊田市史跡 市場城址

城の登り口を進んで行けば、正面に現れるのが
ドン!と威風堂々な石垣です。このアングルだと
如何にも行く手が石垣で塞がれているかのよう。
城を攻めに来た兵も、こういう“圧”を感じながら
登るワケですよねぇ。上から撃たれる〜! (><)
そんな石垣の手前には山桜が満開…鞍ヶ池PAと同様、春真っ盛りです!
市場城の石垣

階段を登り、石垣の面を伝って歩けば
曲がり角の向こう側にも、更なる石垣の列。
しかもこの石垣、巨石が組み込まれています。
この城の使用状況的に、これほど見事な石垣が
どうして作る事が出来たのか、ちょっと謎…。
市場城の石垣
石垣から土塁へ
石垣から土塁へ

その石垣の先、二ノ丸部分が見えてきましたが
あら?そっちには全く石垣が無い…。
土塁と切岸で作られた「土の城」になってます。
こっちとあっちで全然違う城の様相に
初見では強烈な驚きを感じました。
更にその先へ進むと、こんな見事な遺構が!!!
畝状竪堀! 畝状竪堀!!
まるでノコギリの刃のような、ギザギザした地形が並んでいます。
この“土の波”が数条に渡って、辺り一面に広がり、それが斜面の底へと繋がっておりますけれど
これが畝状竪堀(うねじょうたてぼり)と呼ばれる遺構。山を登って来る敵に対して、こうやって障害物となる土堤を並べ
斜面を横へ回り込む事が出来なくなるようにし、一本道(土堤と土堤の間しか通れない)を登るしか無い状況を作り出します。
もちろん、城を守る側はその一本道の前で待ち伏せし、上から矢玉を浴びせかければ良い訳ですよ。
こうした畝状竪堀は山城に特有な技巧的仕掛けでありますが、こんなに大がかりなモノが、
しかもこれほど綺麗な状態で(崩れたり潰されたりせず)残っているのは貴重!
普通、畝状竪堀は残っていたとしても殆んど崩れて埋まっているのが常で
写真に撮っても、全然ハッキりとは写らないものなんですよねー。
ですので、これだけ凄い畝状竪堀が見られたことにまたもや驚愕!
市場城の切岸

城の裏側まで降りてきたら、積み重なる
切岸の山になっていました。
これまた綺麗な状態で残されています。スゲー!
畝状竪堀にせよ切岸にせよ、もちろん石垣も、
どれもこれもこんなに見易い状態のまま残され
市場城、噂に違わぬ名城でした!素晴らしい!
切岸の重なり
徐々に雲も晴れてきて、射しこむ木漏れ日も美しい日和となりました。

お次は足助(あすけ)方面を目指し、国道153号線に出るべく南下。その途中、愛知県道19号線を走っていたら
いきなり路肩に巨大な看板が登場。そこには「…城址」と書いてあったので、慌てて停車。
その看板を確認すべく、下車して坂を登ると
能見城址の看板
能見(のうみ)址の看板

はぁ〜!立派な看板です。が、こんなに大きな看板が立つのに
能見城と言うのは殆んど無名の城跡。ここを狙って通った訳でもなく
完全に偶然行き当たった城跡なので、事前の予備知識もゼロ。
後日、調べてみてその歴史を知りましたが(詳しくはリンク先を参照)
これだけ立派な看板を出すんだから、もう少し売り出せば良いのに…。
しかも、最近ではあまり手入れがされずこの看板も草木に埋もれ全然見えなくなっているらしいです。
まぁ、肝心の城跡は道路工事で壊滅した場所ですから売り込もうにも売り込めないか…。
能見城址
能見城址

ちなみにこの看板の立ち位置から見下ろした光景がコレ。
この道路の通っている場所が、本来の城址…と言うか
道路は向こう側の橋と高さを揃えるべく、山を崩して貫通しているので
厳密に言えば、城があったのはこの道路の“上空”だったワケですな。

さて、足助の町に到着し、最初に見たのは足助陣屋跡。さりとて、陣屋の遺構は残っておらず
この当時は愛知県の足助農林振興センターが建っていて、“現代のお役所”と言った雰囲気の場所でした。
なので、それほど見るべきものは無く、むしろ足助の街並みを見る事に。足助は国の伝建地区、古い街並みが残っており
国伝建 足助の街並み

昔ながらの商家、といった家が並びます。
ちょうどお祭りか何かが行われる日のようで
軒先には幕が上がり、提灯が掲げられ
和の情緒が倍増。本当に江戸時代へ来たかのよう。
一番手前のお宅なんか、まさにコレこそ
リアルな陣屋じゃね?と言った感じw
国伝建 足助の街並み
そんな街並みの向こうに見える山が、かつての足助真弓山城の跡なんですが、綺麗に公園整備され
「城跡公園足助城」と言う観光施設になっております。そんな訳で、そちらへ向かってみますと…
城跡公園足助城
城跡公園足助城

早くも山つつじが咲き、その向こうには緑の小山。
青空も広がってきて、春の山城は彩りに溢れています。
これからこの山を登って行くのですけれど
城マニア的には、この眺めだけで期待感MAXですw
城域に入れば、復元された小屋とか柵とかがあって「中世城郭の在り様」が感じられるようになっています。
観光地化された城跡公園と言うと、大概が白壁の塀を繋げ、有りもしなかった模擬天守を揚げてしまって
「むしろ違〜う!」となってしまっているのですが、ここはそれなりの時代考証に基づいて作られているので、
正確ではないにせよ「そうそう、そんな雰囲気!」と納得できます。
城跡公園足助城 大櫓を望む

こんな感じで、曲輪は柵(塀じゃないのね)で囲われ
場所によっては茅葺屋根の建物があったり
天守っぽい大櫓がありますけど、これも檜皮葺で
必要以上に飾り立てたりしてません。シブい! (^-^)v
城跡公園足助城 大櫓を望む

足助から更に南へ進み、続いてやって来たのは松平郷。松平の里ですから、それはつまり松平氏=徳川家の「発祥の地」です。
当然、松平氏に関連する史跡や城跡が色々とある訳で、その中でもイチオシの城跡がこちら!
国史跡 松平氏遺跡 大給城跡
国史跡 松平氏遺跡 大給(おぎゅう)

国史跡ですから、立派な石碑。
その向こう側には岩盤が立ち上がり
天然の障壁を作り出しますが、これは
手前を削り取って堀切にしたもの。スゲー!
大給城は大給松平氏の城跡。戦国初期の城跡らしく、地形を活かした荒々しさが見る者を圧倒しつつ
作り込みも壮大で、当時はまだ一地方豪族だった(それも分家の大給)松平氏がこんなに凄い城を持ってたの?と
感心させられる名城であります。ですので、奥へ進めば…
国史跡 松平氏遺跡 大給城跡 石垣
国史跡 松平氏遺跡 大給城跡 石垣

こんなにしっかりした石垣まで!
松平氏(徳川氏)が関東へ移封される戦国末期まで使われた城なので
あってもおかしくはない遺構なのですが、むしろここまで山城を強化する必要性?が
よく分からない、謎多き城でもあります。
そして謎と言うならば、最大の謎がこれ!
国史跡 松平氏遺跡 大給城跡 水利遺構
国史跡 松平氏遺跡 大給城跡 水利遺構

目の前に芝が葺かれた土の壁。その上にも同じような段が。
真ん中に切れ目がありますけど、この土堤が何かと言えば
沢の水を堰き止めて貯める「ダム」です。山城に飲料水は必需品ですが
500年前に、現代のダムと全く同じ構造物を作って貯水したとは…。
これ誰が考えたの?溢れる水は切れ目から受け流すようになっていて
決壊を未然に防ぐ構造まで(そしてそれは下流でまた受け止める)完備。
大給城址 物見岩からの眺め

城の最突端部からはこの眺望。
物見岩からは西側の視界が開け、
濃尾平野、名古屋市街地方面が望めます。
こりゃ確かに戦略的要地だわ…。
大給城址 物見岩からの眺め
この後、大給城址の“散策ルートから外れた方”もくまなく探索。こちらは険阻な切岸が連なり
子供連れで行くにはちょっと難儀する場所でしたが、山城らしい防御構造物が続出し、もうお腹いっぱい(笑)
惜しむらくは、写真写りの良いポイントがあまり無くて紹介しづらい所かなー (^ ^;

さて、大給城を堪能したらいよいよ松平郷の中へ入っていきます(大給城はまだ松平郷の手前なのね)。
以前来た時とは違い、いつの間にか松平郷の入口に観光駐車場が出来ていたのでそこに車を駐車。
この駐車場は、ちょうど行こうと思っていた松平城のすぐ傍だったので、そのまま城跡へ直行します。
松平城は先ほどの大給城より小ぶりで、構造も“古風”な純然たる中世山城。
2つの城を比較しながら見て回り、なかなか面白い山歩きになりました。然るのち、松平郷の中心地まで移動。
山間集落の顔となっているのが松平東照宮、やっぱり徳川縁故の地ですから徳川家康を祀る東照宮があるんですよね。
その東照宮を見に来たのですが、おや?何だか随分と人だかりが…何でこんなに混んでるの?と思ったら

徳川家康公四百年祭

徳川家康公四百年祭
狙って行った訳では無いのですが、偶然にも東照宮では厳かなお祭りが。
見てみれば「徳川家康公四百年祭」そうか、徳川家康が亡くなったのは1616年。
この時は2015年だから四百回忌か!という祭礼をやっていたんですね。
ちなみにこの松平東照宮の敷地こそ、松平家発祥の拠点・松平氏館跡(とされている)なので
そりゃ、この東照宮でそういう例大祭があっても当然ですわな。
徳川家康公四百年祭 記念幟
無神論者(不信心)なので宗教儀式とか祭礼とかは
全然興味が無いんですけど、こういう歴史的儀礼となると
ちょっと襟を正して、かしこまってみたりしてしまいます(苦笑)

どうやら例大祭では夜に仕掛け花火とかも用意されていたようですが
そんな時間まで残っていられないので、松平家ゆかりの地を散策して(怪しい銅像とかを見てw)終了。
松平郷を後にして、豊田の市街地へと下りて行きます。その途中、市街地まであとちょっとと言う所で寄り道したのが
中垣内古屋敷(なかがいとこやしき)と言う武家居館の跡。来歴も殆んど詳らかでない史跡ですけれども
中垣内古屋敷

細い田舎道の果て、迷いながら
ようやく辿り着いたのがこの石垣。
何故ここにだけ、こんなにしっかりした
石垣が残っているんでしょう。謎だ…。
中垣内古屋敷
丸根城跡
丸根城

そこから更に市街地へ近づき、次に訪れたのは
矢作川の河原に沿った位置にある丸根城跡。
静かな公園になっている城跡なんですけれど
これこの通り、空堀や切岸はお見事!
だんだん陽が暮れてきて、もう自然光で撮るのは無理かなー?と言う時刻になってしまいました。
観念したところで市街地に入ったので、泣きの一ヶ所として訪れたのが桜城の跡。
豊田市史跡 桜城石垣

雑居ビルが並ぶ市街地のド真ん中、
一区画だけが児童公園になっていて
その中にこの石垣がポツンと残されています。
これまた何故ここにだけ、こんなにしっかりした
石垣が残っているんでしょう。謎だ…。
豊田市史跡 桜城石垣
普段は全く使わないフラッシュを焚いて撮影。
いつも使わないので、フラッシュの使い勝手が掴めなかったんですけれど(と言うか、発光撮影をあまり信用していない)
ここでなら、この距離なら、この規模の石垣なら撮れるだろうと、イチかバチかで撮ってみました(爆)

てな感じで、桜城の時点で19時を回っており、ここから帰る事を考えれば本日はこれにて終了。
いや、豊田から神奈川まで戻るのなら十分過ぎるほど遅いんですがねwww
新東名を東へ進み、途中の浜松SAで夕食を摂りつつも無事に帰宅いたしました。







ここからは「余談」

帰宅したのはかなり遅い時刻になったんですが、その翌日は奥様と子供を連れて江ノ島までお出かけ。
最近(その当時ね)新しく出来た、話題のパンケーキ屋さんへ一緒に行く約束をしていたので
ちょっと遅めに家を出て(そりゃ、前日が前日だったものでねぇw)ブランチを食べに赴いたワケです。

―――我ながら元気だなぁ(爆)

エッグベネディクト

と言う事で、そのお店の“看板メニュー”である
エッグベネディクトを頂きました。奥様は
もりもりのホイップクリームパンケーキ。
(もう崩し始めちゃってますけどw)
見た目にも、味も見事なブランチです!

エッグベネディクト

その後はショッピングモールへ移動してお買い物、だったんですけれど
目の前には東海道線の線路、そして行き交う列車が次々と…。
ついつい面白くなって(別に珍しくも無い普通列車ですが)色々と試しながら撮影。
E231系 東海道線普通列車 E233系 東海道線普通列車
通勤列車でも、流し撮りで引き立てれば見事な主役です♪

185系 特急「踊り子」 EF66牽引 貨物列車
続いては特急「踊り子」、それにパワフルな機関車が牽く貨物列車。
良いタイミングでシャッターは切れたんだけど、やっぱり背景が面白みに欠けるなぁ (^ ^;

185系 行先方向幕
185系 行先方向幕

もう1本185系がやって来たので、ちょっと変わった構図で切り取り。
背景に桜の花を流しながら、行先の「伊豆急下田」と言う方向幕を主役に。
今どきの新型車両は大概が電光掲示板ですけど、独特のフォントで
ハッキリと目立つ「回転幕」って、やっぱり見易くて分かり易いと思います。
昭和エモさが流行ってリバイバル塗装の車両が復活したりしてますけど、
個人的にはこういった「方向幕」とか「ヘッドマーク」こそ、昭和の“味”だと
思うんだよなぁ。電光掲示板のヘッドマークは、正直つまらん…。


てな感じで、何だかんだで2日間連続で動き回った週末。
あぁ、あの頃は若かったなぁ(←何だかジジくさいw)







◆◇◆ 春来たり 山城仕舞えど 花始む そこで祭らる 遺徳に歓喜 ◆◇◆




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