2013年8月 復興応援!宮城旅行(2)

朝焼けの松島…
朝焼けの松島…
♪新しい朝が来た〜♪
今日は良い天気になりそう (^_^)
さぁ、朝食を頂いて今日も行動開始です!

昨夜の食事処あたりまで来たら
でっかい教習車!
あら?こんな町中に(しかも朝から)陸自のトラック?
よく見たら「操縦訓練」ですって。教習車ですか!運転頑張って〜★

さて、本日一発目の観光は瑞巌寺。松島湾のすぐ傍にある名刹です。
平安時代からの古刹を、伊達政宗が再興したという由緒でして…
仙台笹モニュメント
仙台笹モニュメント

参道の木立ちの中に、竹束で作ったモニュメント。
焼き印で伊達家の家紋・仙台笹が描かれています。
おおー!情緒満点だ (^ー゚)v
国宝 瑞巌寺庫裏
国宝 瑞巌寺庫裏

国宝の庫裏。大きい!
綺麗だし立派ですねぇ。
これまた情緒満点だ (^ー゚)b
当時、本堂は大修理中だったので
この庫裏が仮本堂になってました。
その中には、本堂から移されていた政宗の大位牌などが
手に取るような近さに置かれていました。
参道木立
参道木立

震災では津波を被った境内ですが
参道の木立ちは青々として、美しいという表現が相応しい程。
やはり政宗公の思いを受け継ぐ空間は特別です。
本堂修理中と言う事で、その代わり?と言っては何なんですが
この期間に特別公開されていた所がありました。今回、瑞巌寺に来たのはほぼそれがお目当て(笑)
陽徳院廟所 寶華殿

伊達政宗の正室・愛(めご)姫、陽徳院の霊廟。「ほうげでん」と読みます。
元々、1953年(昭和28年)3月3日に宮城県指定文化財となっていましたが
大修理を経て2012年(平成24年)7月9日、国の重要文化財に。
政宗廟の瑞鳳殿は戦災焼失し再建されたものですが、こちらは
正真正銘の古建造物。修理前は漆塗りや塗装が剥げ、白木剥き出しの
痛々しい姿になっていたものの、これこの通り豪華絢爛な姿に!
陽徳院廟所 寶華殿
瑞鳳殿の扁額は青地でしたが、こちらは赤色。軒裏も赤漆塗りで、女性らしい華やかさ。
瑞鳳殿はいつでも拝観できますが、こちらはこの当時だけの限定公開。そりゃ、見逃せないっしょ! (^-^)
昨日・今日とで政宗夫妻の廟所を拝観。うん、良いぞ宮城県!

瑞巌寺境内から出て、改めて昼間の松島を眺めれば…
昼の五大堂
昼の五大堂

昨晩とほぼ同じアングルで五大堂を撮影。
緑の木々の向こうに立派なお堂が見えて
何とも言えず、爽やかな雰囲気…。
松島めぐり観光船

海を見れば、立て続けに観光船が波を切って行きます。
せっかく松島に来たんだから、海から眺めるのも…と
思っていたのですが、家族が「船はイヤ」と言うので
お見送りに徹します。トホホ… (- -;
松島めぐり観光船
国重文 瑞巌寺五大堂
国重文 瑞巌寺五大堂

んで、改めて五大堂です。
瑞巌寺の境外仏堂で、国の重要文化財。
小島の中にありますが、橋を渡るだけですので
誰でも簡単にお参りできます。

さて、そろそろ松島を離れて石巻市へ。
仙台の外港として発展していた石巻、これまた東日本大震災で甚大な被害を受けましたが
そんな石巻のシンボルとなっていたのがこちら!
サン・ファン・バウティスタ号
サン・ファン・バウティスタ号

政宗の壮大な野望…と云われる、慶長遣欧使節。
幕府(=日本政府)では無く、仙台藩(=伊達家)が独自に
スペインやローマ教皇と外交関係を結び、あわよくば
大艦隊を派遣してもらい、幕府を打倒するつもりだった?なんて言う巷説が。
その使節を運んだ西洋式の帆船がこちら、サン・ファン・バウティスタ号です。
もちろん当時の船では無く復元されたものですが、この船が造船・出港した石巻で
「宮城県慶長使節船ミュージアム」が開館し、そこに展示されていました。
ところが震災で博物館も船も被害を受け、当時は修復の真っ最中。
こうして遠目に見るだけでしたが、それでも「石巻と言えばここ!」と言う場所に来られて
感無量。さりとて、修復しても船の損傷は激しく、結局その後に解体される事となってしまいます。
立派な船だったんで、勿体ない気もしますが…つくづく震災の被害には色々と考えさせられますね。
今となっては貴重な光景を写した写真となってしまいました。

石巻市から更に東へ。女川町へとやって来ました。
女川と言えば震災で津波被害の大きかった町。そして原発の運用で色々と問題が浮き彫りとなった町です。
あの大地震から2年半。遊び半分ではなく、震災被害を真剣に見てみようと、意を決してやって参りました。
浦宿終端(当時)
浦宿終端(当時)

JR石巻線の浦宿駅近くの線路にて撮影。
思いっきり線路内に立ち入って撮っておりますが
危険行為をしている訳ではありません。御覧の通り、
踏切からこちら側は雑草が生い茂り、その向こうには車止めの障壁が。
震災による不通区間となってしまい、あの車止めからこちら側へ
列車がやって来る事はないのです。当時、線路や道路と言った
交通インフラはズタズタに寸断され、復興の課題となっておりました。
場合によっては復旧を断念し、鉄道路線からバス転換した場所も。
幸いにも石巻線はこの2年後に浦宿駅から女川駅(つまりこの写真の手前側)まで
復旧が完了し、再び列車が行き交うようになりました。
浦宿駅 路線図(当時)

浦宿駅にあった、当時の路線図。
代行バス区間、あるいはBRT(バス専用路)区間など
“鉄道が寸断された”路線図になっております。
そんな中、浦宿駅(図の右下)から先
女川駅までの部分は、途絶したまま…。
浦宿駅 路線図(当時)
浦宿駅ホーム(当時)
浦宿駅ホーム(当時)

浦宿駅までは通行可能となった、という事で
綺麗に整えられた線路ですが、よく見れば嵩上げされ
堤防も線路に沿って作られています。なるほど。
そしてその先は逆に全くの荒れ放題。
震災復興の難しさが、車止めの手前と向こうで
ハッキリと分かれています。
駅名標も、浦宿から先が無い状態…。

浦宿の駅前も、まだ災害後から手付かずのままで
瓦礫こそ撤去されたものの、殆ど何もない更地のような状態。
しかしそうした中で、いち早く営業を再開したお店がありました。
かまぼこの製造・販売を行っている「高政 万石の里」女川本店さんです。
ここだけは元気に営業中と聞いていて、ぜひ行ってみようと赴いた次第。
中に入ってみると…
どうでしょうTシャツ
「高政 万石の里」女川本店

練り物の直売をしている高政かまぼこさんですが
地域の復興拠点として、観光PRや様々な土産物販売も
行っていました。左の写真は、某人気TV番組とコラボした
品の展示をして観光誘致に一役買い、右の写真では
地元ゆかりのグッズを色々と取り揃えていた様子が。
「涙ぐましい」と言うよりは「逞しい」努力が
清々しく見えました。頑張れ女川!頑張れ東北!!
もちろん、ちょっとばかりですが買い物もさせて頂きました★
女川グッズ色々
笹かま製造中!

生産ラインもちゃんと稼働してました。
色々と御苦労はあったかと思うのですが
まだ周りが荒れ野原の中にあって、
この工場だけは従業員の方がはつらつと
働いていて、こちらも元気になりました。
かまぼこウマー♪ (^∇^)
笹かま製造中!
女川の街

でも、高政さんのすぐ目の前は
まだまだこういう光景が広がり
何をどうするのか、全く手つかずと
言った感じ。復興の現状、
しっかりと拝見しました。
女川の街

さてさて、女川から再び石巻へ戻ります。
復興応援!という事で、石巻の街でも買い物をしようと思っておりまして
宮城県道192号線を東から西へ移動、ちょうど石巻線の踏切に差し掛かった所
石巻線マンガッタンライナー
石巻線マンガッタンライナー

お、列車が来た!しかも何だかラッピングしてる?と
慌てて撮ったのがキハ48系の「石巻線マンガッタンライナー」
石巻の街は漫画家の石ノ森章太郎先生(宮城県出身)を題材に
「萬画の町」として地域振興を行っており、それに合わせてJR各線でも
石ノ森先生のキャラクターを使ったラッピング列車「マンガッタンライナー」を運行しています。
震災の被害著しかった石巻線でも、この時期に急遽「マンガッタンライナー」が用意され
ちょうどその列車が、踏切待ちをしていた所に通り掛かりました!
昔ながらのキハ48なのに、まるで別物の輝かしさ。
これは被災地で元気が出ますね〜!

で、石巻の町に到着。ここで幾らかでもお金を落とそう!という事でやって来たのが
石巻まちなか復興マルシェ
石巻まちなか復興マルシェ

津波ですっかり流され、空き地となった広場を使って
仮設店舗を出店していた観光商店街です。
色々なお店、様々な品物が売っていて、中々に良き!
そして石ノ森先生のキャラクター像が沢山並んでいて
皆さんの生活を力強く応援していました (^-^)

ちなみに、今はこの場所に仮設ではない
「かわまち交流広場」の施設が建ち
この仮面ライダー像もその中に飾られているそうです。
個人的に特撮ってあまり好きじゃないんですが、やっぱ仮面ライダーの知名度って凄いよねぇ(笑)
細かい話はよく知らないけど、見ただけで「ライダーだ」と言うのは分かりますし、今なおシリーズは続いてるし。
でも石ノ森先生のキャラクターでオイラが知っているのは、どっちかと言うと「009」かなー(←どうでも良いw)
石ノ森萬画館

石巻まちなか復興マルシェは北上川の河畔にあり、その対岸に建つのがこの
石ノ森萬画館。石ノ森先生は、もはや「漫画」は多様な絵画表現だと宣言し
「萬画」の字を充てられておりました。その記念館がこちら。
震災時、この建物も津波で1階部分は水没しましたが上層階は無事で
孤立していた人々の臨時避難所になっていたとの事。宇宙船をイメージした
建物は宙こそ飛べないまでも、危難は乗り切ったのですね…。
石ノ森萬画館
石巻の空に 石巻の空には、力強い入道雲と頭巾雲が沸き立っておりました。

さてここからは北上して登米(とめ)市を目指します。
市町村合併で出来た登米市の中心街は登米(とよま)町、そこには古い建物が数多く残され「みやぎの明治村」と呼ばれています。
水沢県庁記念館 旧登米高等尋常小学校校舎
海老喜味噌・醤油店 小堀元英堂・ささき輪業店
熊本油麩店 角田屋寝具店 警察資料館
と言う訳でドーン!一気に写真掲載(笑)
明治村と言いますが、江戸時代の建物や昭和の看板建築なんかもあって多種多様。
街歩きするだけで十分楽しめます〜♪ (^ー゚)b
警察資料館

上の7枚の写真のうち、一番右下にあるのが警察資料館。
旧登米警察署の建物で、中にはこんな展示が!
白バイにパトカー、しかも昭和チック(笑)
運転席に座れますし、建物の中では留置場体験なんかもw
まぁ、本当にお世話になる事は無いでしょうが(爆)
警察資料館(内部)
登米の町には他にも武家屋敷があったり、蔵造りの商家があったり等、町全体が博物館のようです。
そうそう、海老喜味噌・醤油店さん(写真列中段左)の建物はこの後に国の登録有形文化財となりました!
登録基準として「国土の歴史的景観に寄与しているもの」評価としては「町の出入口となる角地に建つランドマーク的な存在」
なるほど、仰る通りでございます m(_ _)m

あぁそうそう、寺池城にも行きましたよ。軽くね、軽く(家族連れで行く所じゃないしw)

そろそろ宿へ向かう為に移動しつつ、佐沼城にも立ち寄りました。軽くね、軽(以下略)

とっぷり陽が暮れた所で、宿を予約していた鳴子温泉郷(川渡温泉)に到着。
何でも今夜の予約は我が家だけだそうなんで、1家4人で貸し切り状態!
4人だけど10畳の一番大きい部屋を割り当てて貰い、風呂場も使い放題。ありがたや〜!
で、今夜もどこか食事処へ行こうと言う事でチェックインしてから暫し外出。
鳴子の温泉街なら、何か名物料理でもあるだろう―――と思ってたんですがね。
予想に反して、食事を摂れるお店が無い。と言うか、開いてない。まだ19時前だと言うのに?
いや、もしかして田舎の店は閉まるのが早い?いやそれにしても温泉街だよ?
酒呑んで飯食ってというオジサンが居たって良さそうなのに…と、温泉街を家族でウロウロ。
そば処 小花さん

で、かろうじて1軒だけやっているお蕎麦屋さんを発見。
蕎麦だって立派な郷土料理!(だよね?)
そんな中でも特に気になった地鶏南蛮そばを注文してみました。
普段、蕎麦はざる蕎麦一択なんですが、たまにはこういうのも。
ほら見て、写真だけでも十分美味そうでしょ?美味かったですわよ(笑)
そば処 小花さんにて
危うく腹を空かせた子供を抱えて路頭に迷う所でした(←微妙に表現が間違ってるw)
夜でも開いていた(と言うほど深夜じゃありませんが)お蕎麦屋さんに感謝! m(_ _)m




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