2009年9月 さよなら佐久間レールパーク

旅行期間:2009年9月21日(月)

主な滞在地
9月21日(月):野田城址・長篠城址・佐久間レールパーク・鳥羽山城址・二俣城跡
さよなら佐久間レールパーク行程地図


この年の秋は、秋分の日や敬老の日が上手く組み合わさって5連休の“シルバーウィーク”に!
さすがに毎日遊び歩く訳には行かないまでも、どこか1日くらいは出掛けようかと思っていた所
静岡県にある鉄道車両博物館「佐久間レールパーク」が閉館になるとのニュースが…。
JR東海が名古屋市に新しい鉄道博物館施設を作り直す為、佐久間レールパークを廃止して
そこにあった車両を名古屋へ移すという話との事。これは是非とも、レールパークが無くなる前に
行っておきたい!と考え、まぁ子供連れで出かけるにも丁度良い場所だし、ドライブで1日動くにも
静岡あたりは適度な距離感。これはまさしくシルバーウィークにうってつけなプランという事で
9月の21日、いそいそと出発したのでありました。

目指す佐久間レールパークはJR飯田線の中部天竜駅にあります。当時はまだ新東名が開通していない頃、
中部天竜駅へ行く為に、東名高速で豊川ICまで走行。そこから飯田線と並走する国道151号線へ。
国道151号線を豊川から北上する道となると…途中にはちょっと立ち寄ってみたい城がいくつか(ニヤリッ)
鉄分補給の旅ながら、城分補給も目論むかすこばがまず訪れたのは野田城跡。
歴史に興味の無い人には全く無名、逆に戦国史マニアには超メジャー処のお城。と云うのも、
戦国の名将として名高い(歴史知らん人でも名前くらいは聞いた事のある)あの武田信玄が
最後に攻めた城がこの野田城なのです。迫り来る死期と戦いながら人生の最後に上洛しようとした信玄は
三方ヶ原の戦いで徳川家康をいとも容易く蹴散らし、次いで途上にある野田城にも攻め掛かりますが
その最中に病状が悪化、野田城は落としたもののもはや京の都まで遠征する体力が尽き、領国の甲斐へ
戻って行くのです。しかし帰郷も叶わず、信玄は途中の信濃国駒場(こまんば)という所で病没…と言うのが
通説。まぁ信玄の死した場所には諸説あり、また野田城攻めでは病状が悪化したのではなく
城からの?或いは家康や信長の?刺客に襲われて絶命したという説もある、何ともミステリアスな噂が
飛び交う城なんですが、とりあえず城としての構えはなかなかお見事。一見すると単なる雑木林なんですが
「明らかに屈曲した堀だろ」とか「うわーこの土橋の繋ぎ方が狙ってるなぁ」なんて具合に城マニア目線では
かなり強烈なインパクトがあって、これは確かに信玄が命を賭してでも攻め落とさねばならん城だと思えます!

で、151号線沿いに北上…となればもう一つ落としておかねばいけない名城が。日本百名城に選ばれた
長篠城址ですな。こちらは日本史の教科書に載っている「長篠の戦い」の舞台ですから、義務教育を
受けた人ならば知っている―――筈ですよね? (^ ^;
戦国史において、まさに“血で血を洗う大合戦”が行われた城ですが、21世紀になった秋の風景は
彼岸花が咲き乱れる静かな公園の体。彼岸花は血吸花、討死した者の鮮血が…なんて風ではなく、
本当に平穏な、のどかな秋の光景を目にすると何だか時間を忘れて見惚れるような感覚になります。
国史跡 長篠城址
国史跡 長篠城址

空堀の底には彼岸花が群生。赤と緑のコントラストが鮮やかです。
個人的に、正直「百名城になる程の城?」と疑問の長篠城なんですが
(やっぱ長篠合戦のネームバリューだわなぁw)
でもきちんと遺構は残ってますし、何より地元の方々が
愛情と誇りを持って城跡を守っている様子は感じられました。
長篠城址を走る飯田線

城址の敷地内をかすめて
飯田線の線路が走っている長篠城。
ローカル線ですから、そんな頻繁に
列車がやって来る訳でもないのですが
たまたま列車がやってきたので撮影。
土塁をブチ抜き、唐突に現れる車両は
なかなかに迫力で、写真映えしますねぇ!
長篠城址を走る飯田線

ここからは暫くの間、ひたすら車で移動。国道151号線を北上し、東栄町役場の前からは
国道473号線へ。山間の曲がりくねった道を抜け、天竜川の橋を行きつ戻りつ―――
ようやく到着しました、佐久間レールパーク!
まぁここからは写真を色々と御覧頂きましょう〜♪ (^-^)
0系カットモデル
0系カットモデル

まずは新幹線!と言えば0系!
運転席に乗りたい人が長蛇の列…
特に閉館前でお客さんが多く来てますから★
(と言っても大混雑という程ではなくw)
でもこれ、運転席部分だけのカットモデル(笑)
客席部分は全然付いてません (^ ^;
ちなみにこの0系車両は名古屋の新博物館には移籍しておらず
車両メーカーの施設に移されたとか。という事は、もう本当に見納めだったんですねぇ。

111系 クハ111-1

キハ11形(キハ48000形) キハ48036

ED62直流電気機関車 ED62 14
111系 クハ111-1

111系車両…って実はレア物?
生産開始したものの、すぐに
113系へ移行してしまいましたから。
そのクハ111のトップナンバーです。
113系に比べて大きめの前照灯が
存在感あって目立ちます!

キハ11形(キハ48000形)

こちらは気動車、キハ48036。
国鉄から除籍後、いったんは
茨城交通に譲渡された物ですが
そこでも廃車となり、この佐久間
レールパークへとやって来ました。
“スカ色”がなかなか渋い…。

ED62直流電気機関車 ED62 14

これもレア物!飯田線専用機として
ED61から改造されたED62。その14号機
いぶし銀の一灯式前照灯が古風…。
残念ながらこの車両は、レールパークの
閉館と共に解体処分されてしまったそうで
これまた見納めとなった写真です…。

クモハ12形 クモハ12054

鶴見線で使われていた旧型電車。
こげ茶色の車体が時代を感じさせますねぇ。
この車体も名古屋へは移されず
部品取りの為にバラされてしまったとか。
う〜む、結構消え去った車両が多いんだなぁ。
クモハ12形 クモハ12054

オヤ31形客車 オヤ31 12
オヤ31形客車 オヤ31 12

建築限界測定車、オヤ31。右の写真で
拡大撮影している「針」を張り出して走行し
線路周辺の建築物などが列車に接触しないか
調べる為の試験車両。まるでハリネズミ(笑)
でもこれ、実際に検針が接触したような場合
どうやって処理したんでしょうか? (^ ^;
もちろん、そうならないように設計して
建物を配置している前提でしょうけど…。
建築限界測定車

モハ52形 モハ52004
モハ52形 モハ52004

登場当初は「魚雷形電車」なんて
物騒な呼び方がされたモハ52ですが
どっちかというとタマゴのような
可愛らしいデザインですよねぇ。
結構、女子ウケするんじゃないかな?
左:キハ181 1 右:DE15 1541
左:キハ181 1 右:DE15 1541

気動車時代の「しなの」が見られるというのは
往年の国鉄ファン(?)にとっては垂涎の光景です。
そしてその隣にあるラッセル車は、展示車ではなく
現役除雪車のDE15ディーゼル機関車。DE15は
その後JR東海からJR西日本へと転籍しています。
この2両が並んでいる様子は壮観そのものですな。
左:ED11 2 右:オロネ10 27
左:ED11 2 右:オロネ10 27

ED11は米国製。直流電気機関車の古典機です。
この形式は2両しか作られていません。そのうちの1機。
片やオロネ10は旧型の寝台車。車両形式「ロ」なので
当時は2等車、今風に言えば「A寝台」ですから
なかなかに贅沢だった車両ですな。
この2両が並んでいる様子は壮観そ(以下略)
保守の問題やら色々あるでしょうが、野外展示されているというのは
当時の空気感を味わえるので特別な良さがありますな。
特にキハ181系「しなの」なんかは、背景に山並みが広がる中にあってこそ
実際の雰囲気を感じられるんじゃないかなぁ…って、まぁ「しなの」は
飯田線にゃ入っていませんでしたがね。あくまで雰囲気の話としてですわw

花博顔ハメ

おぉっ!?こっ、これは…
浜名湖花博の時の顔ハメじゃないですか!
まだ放置…もとい、残されていたとは(笑)
花博顔ハメ

ヘッドマークいろいろ
ヘッドマークいろいろ

鉄道ファンなら誰でも興味津々だと思う各種列車の
ヘッドマーク。でもさすが、JR東海管内の臨時列車が
メインの展示です。豊川稲荷に中日ドラゴンズ…
そして「小和田(こわだ)」は皇太子殿下(当時)へ
1993年に嫁がれた雅子妃殿下のご実家である
小和田(おわだ)家にちなんで飯田線がブームになった
話題ですね。でも、オイラの地元である茅ヶ崎市にも
小和田って云う地名があるんだけど―――こっちは
全然話題にも上がらなかったなぁ(爆)

中部天竜駅
中部天竜駅

山の中の長閑な集落に位置する
中部天竜駅。ちょっと陽が傾き
ほのかに赤み掛かった照り具合の中
レールパーク「18年間ありがとう」の
横断幕が寂しさを誘います。
そして入線した119系は、これまた
今では廃止になってしまった
車両系列。懐かしや… (T-T)
JR飯田線 119系
プラレール×名古屋城?!
館内展示

レールパークの館内展示には
鉄道施設の設備展示や
Nゲージの鉄道模型ジオラマ、
そして子供用にプラレール…ん?!
そこには名古屋城の天守模型がっ!
お子さま用とは言え、これは侮れん…(そうか?)

さてそろそろ帰りが気になる時刻。一通りの展示は見たので
名残惜しくもレールパークを後にします。今度は天竜川に沿って
国道152号線を南下する道で浜松市街地を目指します。この道は通称
秋葉(あきは)街道、火伏の神様として祀られる秋葉神社の側を通っているので
その名が付いた由緒ある街道です。その秋葉山本宮秋葉神社が鎮座する秋葉山の麓、
天竜川をせき止める秋葉ダムが作り出す秋葉湖が(何回「秋葉」って書いた?w)
秋葉湖の下流にはもう一つのダム、船明ダムがあり
そこには人道橋の「夢のかけ橋」が優美な姿を見せ―――
夢のかけ橋
夢のかけ橋

もともと、中部天竜駅と浜松方面を繋ぐ鉄道路線
「佐久間線」が建設される予定で各所工事が行われ
この橋も、その路線用の橋梁として完成したものの
結局、国鉄の赤字清算によって佐久間線は未完成のまま
廃止される事になってしまったそうです。で、その
未成線の橋を観光用の歩行者・自転車専用の橋として
再利用したのがこちら「夢のかけ橋」との事。
赤と白のアーチが空と湖に映える、綺麗な光景に
思わずシャッターを切りました。

そのまま国道152号線を南へ進むと、天竜の街並みに入ります。佐久間線が繋ぐ予定だった
天竜浜名湖線(旧国鉄二俣線)の天竜二俣駅には天竜浜名湖鉄道の車両基地があり、懐かしの
扇形車庫も健在!佐久間レールパークの帰り道ならば、ここも押さえておきたい鉄道名所です。
天竜二俣駅にて
天竜二俣駅にて

駅前にも色々な鉄道資料や車両が鎮座。
丸ポストの向こうには「腕木式信号機」が2つ、
留置線には懐かしい20系寝台客車ナハネ20 347と
ディーゼル気動車キハ20 443が連結して置かれています。
寝台車の表示幕には「寝台特急さくら」しかも
東京〜大阪での運行って…何かごちゃ混ぜ? (^ ^;

※注:20系車両で運行していた当時の寝台特急で
東京〜大阪間での編成運用はありませんでした。
東京から出た「さくら」は基本編成で長崎行き、
付属編成は博多行き、後に佐世保行きへと改変。
(但し、基本編成と付属編成が逆転した時期もあり)
細かい話ですが、20系で東京〜大阪の運行をしていたのは
急行「銀河」の運用なので、「さくら」ではありません。
ナハネ20 347ナハネ20の表示幕
天竜浜名湖鉄道 TH2100形

白い車体にカラフルなライン。
爽やかでオシャレなデザインです〜!
天浜線の主力車両ですねー。
天竜浜名湖鉄道 TH2100形
国登録有形文化財 天浜線扇形車庫
国登録有形文化財 天浜線扇形車庫

天浜線扇形車庫は国の登録有形文化財にして
近代化産業遺産にも認定されている由緒正しい(?)もの。
その手前には色鮮やかなTH9200形車両と
シックなTH3000形が並ぶ1枚。天浜線オールスター
勢揃い、と云う感じの写真です(笑)

9月下旬の頃合いだと、もうすぐ陽が沈みます。帰る直前のギリギリ、
何とか明るいうちに何かもう1つ…と思ったところ、二俣の街には有名な城があるので
ちょっとだけその山へ登ってみる事に。てなワケで鳥羽山城を攻略。
ここは見事な石垣遺構もあり、庭園の痕跡もあったりして実はなかなかの名城。
いやぁ、日暮れ直前に軽く見るなんて言う御気軽な城じゃないんだよねー、と少々反省しつつ
展望台から眼下を眺めれば…
浜松市街地夕景
浜松市街地夕景

浜松市街地に夜のとばりが下り
その手前、天竜川に架かる橋は
光の渦に包まれていました。
さぁ、今回の旅も終わりかな〜。
と言いつつ、鳥羽山城の隣にあるもう1つの名城にも立ち寄ってみたりしてw
そう、遠州平野の要になる二俣城です。こちらも石垣が見事、天守台まで備えた
屈強な城でして、日没直後ならまだまだ楽しめる場所だったりもするのですが、
さすがに家族連れじゃ長居は無用ですから、写真を1枚撮っただけで、そそくさと撤収〜!(苦笑)

浜松ICから東名高速に乗って無事帰宅。
存分に鉄分補給?ちょっとだけ城分補給も??という旅でした。
で、この1ヶ月後の11月1日に佐久間レールパークは閉園。
展示されていた車両の大半は、名古屋市に作られるリニア・鉄道館へと
お引っ越しするのでありました。そのリニア・鉄道館へは後々赴くのでありますが
それはまたの機会に…。



◆◇◆ 懐かしの 名車集うた 鉄の里 時の流れに 消えつ戻りつ ◆◇◆




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