2001年5月 諏訪松本旅情

旅行期間:2001年5月4日(金)出発〜5月6日(日)帰着

主な滞在地
5月4日(金):諏訪湖・諏訪大社下社・万治の石仏・開智学校・松本城夜景
5月5日(土):松本城・松本四柱神社・美ヶ原高原
5月6日(日):千ヶ滝・浅間園・白糸滝
諏訪松本旅情行程地図


数年前にあっこ氏へ譲った拙者の旧車・光冠号がとうとう引退。
氏は新車の雌子山羊号を導入し、その御披露目がてらに
仲間うちで連泊の旅行へ出かけようと言う事になったのでござる。
目指すは信州、諏訪や松本方面。
メンバーは例の如く(?)あっこ氏ときゃーるたん女史、それに黒旅殿とオイラ。
で、この面子だと当然目的は仏像・神社・城郭(笑)
ゴールデンウィークで渋滞を覚悟しつつ、中央高速で長野方面へ走り出しました。

5月の4日、早朝に出発した我々は昼前くらいに諏訪湖へ到着。
想像していたよりかは混んでいなかったような道路事情に拍子抜けしつつ
湖畔の観光地をいくつか回る事にした我々は
まず手始めに諏訪湖間欠泉センターへ立ち寄りました。
諏訪湖といえば間欠泉(なのか?)という事で、巨大な水柱ならぬ
お湯柱が吹き上がる瞬間を待ったのでありやす。
(諏訪湖の間欠泉は温泉になってるんですね)
ところが間欠泉の時刻表(爆)を見れば、噴出時刻はまだ暫く後。
間を持たせるため、先に他の観光地を見ようか?と議論しましたが…。
結局、そうして話しこんでいるうちに噴出時刻が到来 (^^;
ま、我々の旅行なんてこんなモンです。
で、拝見しましたよ間欠泉。
拙者は前に一度見た事があり、旅行好きな黒旅殿も良く知っておりましたが
きゃーるたん女史は勢い良く吹き上がる温泉の柱に大興奮!
オイラや黒旅殿は間欠泉よりも
そんな喜びようをする彼女を見る方が面白かったりして。
まず一発目の観光地、なかなかの成果だったようです。

続いて向かったのは諏訪大社の下社秋宮。
ここはもう言わずもがな、神社マニアの黒旅殿に連れてこられた場所です。
諏訪の御社は上社前宮・上社本宮・下社春宮・下社秋宮の4つに
分祇されていますが、その中でもここ下社秋宮は特に大きく有名な観光地。
歴史ある境内には石燈籠や大きな建物が並び、風格がありますな。
諏訪大社 下社秋宮
諏訪大社 下社秋宮

神社の狛犬が凛々しく空を睨み
この地の守りを固めていました。
注連縄も極太で重厚感があります。
ところが、3人がその境内を色々と見て周っている中
オイラは一人フラフラと外へ出て、駐車場へ…。
まともに神社を見ず(いや、見ましたけどね)、
敷地外れの駐車場へ来たのには訳がありまして
実はその駐車場が城跡だったりしたからなんですね。
神社の脇の駐車場、その駐車場の隅っこにある看板には
ここが霞ヶ城(手塚城)址だと記載されています。
看板の傍には城主・手塚光盛の銅像も。
光盛は鎌倉時代の名将として誉れ高く、
弓の腕前で自らの命を存えさせた逸話があるほど。
戦国時代にも甲斐の武田信玄と対決した諏訪氏が
諏訪大社と所縁のある人物でしたし
この神社は何かと武芸と関連する話に尽きませんなぁ。

秋宮から場所を移し、今度は下社春宮へ。
こちらもそれなりに大きな神社なんですが、
秋宮があまりに大きすぎるため、比較的小ぶりに見えてしまいます。
観光客の数も秋宮に比べるとだいぶ少なめ。
まぁ、それはそれで静かなんで良いのですが (^^;
おかげでじっくりと拝観する事ができました。
で、その春宮から歩いてすぐの所に
面白い(と言ったら失礼ですが)ものがあるので行ってみました。
万治の石仏という仏像なんですが、要するにこれ
そこにある大きな自然の岩に刻み目を入れて胴体にし
その岩の上に仏像の首だけ据えて石仏としたものなんです。
どう見ても胴体と頭がアンバランス…。
御仏の慈悲を感じると言うよりは、何か笑いを狙っているような?
まぁそれも含めて御仏のお慈悲なんでしょうけどね(爆)
そう考えればご利益もありそうかなぁ。
いずれにせよ、素朴な石仏にはありがたみと親しみを感じる事ができ
何とも言えない良い風情を醸し出していました。
万治の石仏
万治の石仏

春真っ盛り、桃の花が紅く色づき
その情景を石仏が優しく見守っていました。
とても素晴らしい石仏の御姿ですが、
この絶妙なアンバランスさを
かの故・岡本太郎氏が大絶賛したとか。
う〜ん、芸術は爆発だ! (^_^)

諏訪の名所をいくつか見て、車は松本へ向かいます。
今夜の宿は松本市郊外の美ヶ原温泉ですので。
少々道に迷いつつも、日が少し西に傾く頃無事に松本市内へと入りましたが
このまま宿に直行するのはちと早いが、かと言って
そんなに欲張って遊べるほどの余裕はない感じ。
ならば軽く見られそうな所を観光し、残りは翌日に回そうという事になり
赴いたのは開智学校。明治初頭、日本でも学制が導入された際
建築された学校の校舎が現在まで残されている貴重な文化財でありますな。
擬洋風建築と呼ばれる形式の校舎は、洋風の意匠である
中央の塔部分やバルコニーをトレードマークにして
西洋文明が日本に取り入れられた事を当時の子供らに知らしめました。
開智学校の隣には松本市旧司祭館もあります。
こちらも昔ながらの洋館。2つ並んで、明治期の名建築があるとは
松本という場所、城下町と言う一言で片付けられるほど甘くないようです♪
国重文 開智学校
国重文 開智学校

いかにも明治時代の洋風建築という校舎。
こうした古い学校建築は日本各地に
まだいくつか残っていますが、その中でも
開智学校はダントツの知名度ですね。
それにしてもこの写真、構図がビミョーに傾いてるなぁ (^^;
松本市旧司祭館
松本市旧司祭館

これまた明治時代の洋風建築物。
空色の外観は清涼感溢れる清々しさ。
やはり神の教えを広めるには
まず第一に誠実さをアピールしなくちゃね(何だそりゃ)

さて、開智学校と松本氏旧司祭館を見たところで
今日の行程は打ち止め。市街地を離れ、温泉宿に向かいました。
のんびりとした静かな宿でくつろぎ、夕食も済ませ
さぁ後は寝るだけかな、という感じになったものの
春の夜長は刻が経つのも緩やかで、直ぐに床に入るには勿体無い。
せっかく松本まで来たんだからという“いつもの悪い癖”が首をもたげ
そうだ、夜景を見に行こうと思い立ったかすこば。
あっこ氏に車のキーを借り、一緒について来る事を申し出た黒旅殿と2人で
再び松本市の中心部へとやって参りました。
ご想像通りでしょうが、お目当てはライトアップした松本城の天守閣。
国宝の天守群は下見板張りで「黒い天守」として有名ですが
ライトアップで闇夜に浮かび上がると、わずかに塗られた壁が光り輝き
想像以上に明るく、白く見えるから不思議です。
昼間はもちろん良いですが、夜の城攻めも捨てがたいッス!
国宝 松本城天守群
国宝 松本城天守群

方や戦国期から現在に残る日本古来の建築物。
開智学校と双璧を為す松本市屈指の観光名物ですね。
夜の暗さに浮かぶ天守は、昼間見る感覚とは全く違い
特別なものがありますぞ。





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