2000年2月 奈良遠征(2)

明けて2月12日の朝でございます。
今回泊まったのは奈良公園のすぐ目の前にある厚生年金飛火野荘。
今日の予定は南へ向かう予定なので、朝食を済ませて直ちに出発!
…ではないのです (^^;
この飛火野荘のすぐ隣に、頭塔(ずとう)と呼ばれる史跡がありまして
宿の展望フロアからその頭塔が丸見えですので、それをしばし観覧。
本当は見学料を払わないと立ち入れないものらしいのですが、
飛火野荘に泊まった特権?! 優雅に上空から観察状態です♪

で、その頭塔。何だか良くわからない謎の史跡です。
頭塔という名前からして謎。聞いただけでは何なのか皆目見当がつきませんよね。
何でも奈良時代(そりゃそうか、奈良市内だもんね)
聖武天皇の寵愛に甘んじていた政僧・玄ム(げんぼう)が失脚し
九州の大宰府へ追放され同地で没したらしいのですが、
そこはかつて玄ムが政権から追い落とした
藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)が憤死した地でもありました。
広嗣の怨念渦巻く場所で亡くなった玄ムは、少しでも大宰府から離れたい一心で
亡き骸から首だけでも飛ばし、奈良の都に戻したそうな。
その首がたどり着き、葬られた塚というのがこの頭塔。
ふむ、それならば頭塔という名の由来も納得がいくというものですな。
まぁ調査の結果、ホントの所は玄ムが死んでから20年ほど後
実忠という僧侶が建てた土造りの仏塔が、
いつしか頭塔と呼ばれるようになったという事らしいです。
(そりゃ本当に首が飛んでくるわきゃないもんね)
いきさつはともかく、この頭塔というのは形も謎。
何というか…ピラミッドですな、こりゃ。
そのピラミッドの中に、いくつもの石仏がはめ込まれておりまして
ご丁寧にも、そこには瓦屋根の庇が用意されている。
仏塔というのに、こんな形状ってアリなんだろうか?
というか、文面だけじゃ全然わからんぞ (^^;
もうこれは写真見て頂いたほうが早いですね(自滅)
国史跡 頭塔
国史跡 頭塔

これがその頭塔。謎です。謎の頭塔です。
仏塔なの?お墓?やっぱピラミッド?!
そもそも“ズトー”という語感自体が
何ともエキセントリックな響きで謎を深めます。

さて、宿を出発して奈良市中心街を横断。
今日最初の目的地は、鑑真和上が創建したとされる唐招提寺です。
昨日訪れた東大寺や興福寺に負けず劣らず由緒ある古刹でございますな。
国道369号線を西へ進み、三条大路南5の交差点を左折、
今度は奈良県道9号線を南下しますと、ほどなく唐招提寺の入口が近付きました。
ところがまぁ、県道9号線から入った途端、まるで民家の路地のような狭道。
何だか下町の住宅街の中にあるような雰囲気なんですね、唐招提寺って。
ま、これはこれで風情があると言うもの。
やや拍子抜けしたような?感じで境内に入ると
今度はどんでん返し、さすが名刹の風格ある広大な敷地と
古くからの伝統ある堂宇が並び、厳粛とした空気が漂います。
最初に甘く見た油断を一喝するように、凛とした緊張感が押し寄せました。
やはり歴史ある寺はこうでなきゃいかん。ありがたく拝観させて頂き、
有名な金堂や、鑑真和上の霊廟をじっくりと見学致しました。

お次は薬師寺。これも有名な大寺でござるな。
東大寺、興福寺、唐招提寺と来れば外せない奈良市内の名所でしょう。
その薬師寺は唐招提寺のすぐ南側。歩いても行けるような距離ですが
車を回送するため、僅かな距離ながら敢えて乗車して移動しました。
駐車場に車を入れたなら、いざ薬師寺参拝です!
ところがここに、神社も併設されております。
薬師寺境内の内部にある休ヶ岡八幡宮です。
神社マニアの黒旅殿、無論ここで素通りするはずがありません。
社務所で御朱印を貰うべく、薬師寺拝観受付に向かう道から逸れました(爆)
他のメンバーは小休止 (^^;
こういう小さなイベントもなかなか楽しいものです。
さて、黒旅殿が復帰したところで改めて薬師寺に突入。
入口の門をくぐると…おおぅ!これまた凄いぞ !!
左右に高くそびえる西塔・東塔の勇姿、そして正面に巨大な金堂が!
現在は金堂の後ろに講堂が復元されておりますが、
この頃はまだ工事の真っ最中。とは言え、東西の塔と金堂だけでも
十分に迫力がある建物が、しかも整然と並んでおりました。
薬師寺の素晴らしいところは、これだけ大きい建物に囲まれていながら
開放感があるので、空間に余裕があるんだよね。
迫力はあるんだけど、決して圧迫感はない。
う〜ん、絶妙なバランス感覚なんだねー。この伽藍配置は良いですなぁ。
こうした建物群の中で、東塔は奈良時代からの残存建築物。
もちろん国宝です。その他、東院堂も国宝ですし、南門は重要文化財。
そうそう、休ヶ岡八幡宮の社殿も重文ですね。
復元建築と古建築が見事に共存する薬師寺の“懐の深さ”に
拙者はしばし驚嘆しておりました…。

唐招提寺、薬師寺と続けざまに2つの寺を見学し、
車は更に南へと進みます。斑鳩方面へ向かう予定なのですが
その途上にあるのが大和郡山城でござる。
無論、城好きとしてはここを外すわけにいきません。
奈良県内の最も代表的な近世城郭ですからねぇ。
そんなわけで、ここは拙者のリクエストで立ち寄りました。
もともと大和国衆である筒井家の城であった郡山城は
豊臣時代に太閤秀吉の弟として有名な大納言羽柴秀長が大改修し
現在の規模になったと言われます。江戸時代になると
徳川幕府譜代の重臣が城主を歴任し、大和国の押さえとして
重要視されていたことが伺えましょう。
現在の城跡は堀や石垣が残り、門や櫓が復元されており
静かな城址公園として整備されています。
そう、ホントに静か。市の中心部にあると言うのに
喧騒とは全くかけ離れた静かさで驚かされました。
やはり古い都は他の観光地とはひと味違う何かがあるのでせうか…。

車は再び奈良県道9号線を南下、名産品の金魚を養殖する池がひしめき合う
大和郡山市の郊外を通り抜けて生駒郡斑鳩町に入りました。
これまた平城京の奈良市と並ぶほど有名な古都ですね。
何せ聖徳太子の時代に栄えた地ですから、古さで言ったら奈良市以上!
その聖徳太子ゆかりの寺、世界文化遺産に登録された法隆寺が
次なる目的地でありました。法隆寺正面の観光駐車場に車を停め
付近の土産物屋兼食堂で遅めの昼食を摂ったら、参拝開始です。
仏像系のきゃーるたん女史はもう大喜び。門外漢の黒旅殿と拙者も、
さすがにこれだけ歴史のある一大史跡に来たとあっては、
襟を正して中に入らせて頂く思いでありました。
で、その中と言うのがまぁ広い。地図で比べれば、昨日訪れた奈良公園よりは
小さいはずなんですが、感覚としてはそれに匹敵するような広大さ!
それもこれも、沢山の古建築物が至る所に残っていて
その一つ一つが目を惹くからからなんでしょうね。
何といっても現存最古の木造建築物ですからねぇ。
金堂や五重塔なんか、よく飛鳥時代にこれだけの巨大建築を
建てたもんだと感心させられるし、有名な夢殿は
均整の取れた八角形の姿がとても不思議な安定感を生んでいます。
もちろん、建物のほとんどが国指定の重文や国宝。
隣の中宮寺まで足を伸ばし、飛鳥文化の空間に埋没したひと時でした。
まるで時が止まったようなこの空気感は独特なものがありますねぇ…。
国宝 法隆寺東院夢殿
国宝 法隆寺東院夢殿

こちら有名な夢殿。
八角形の建物は1951年(昭和26年)6月9日
戦後の文化財保護法で
最初に国宝指定を受けたものの一つです。
静かな安定感は飛鳥文化の芸術性ならでは。

さて、寺と城を見て回ったこの日、まだ神社が残ってます(爆)
ここからは黒旅殿のリクエストにお応えし、奈良の神社廻りがスタートです。
法隆寺から向かう目標として黒旅殿が選んだのは、
西名阪自動車道法隆寺ICの傍にある広瀬神社。彼のナビに従って車を走らせ
なんだか他人様の家に入っていくかのような路地を抜けた所に
ありました、鳥居の姿が。と言っても、何だか村の鎮守様という位に
小さくて控えめな鳥居です。本当にここで良いの?と思ったのですが
どうやらここで良いらしい。素人には格式が分からんのですけれど
神社マニアの氏に言わせると、結構重要な神社らしいです。
そう言われると、境内には舞殿(て言うの?)まであって、
立派と言えば立派…なのかなぁ?
でも、小ぢんまりした境内はどう見てもフツーの神社。
威厳ある大神社というよりも、近所の子供が遊び場にしてそうな感じだし。
う〜む、神社の世界と言うのも、なかなか奥が深いんでしょうなぁ。
…城マニアの特異性というのも、他の人からは同様に不可解なんでしょうが (^^;
広瀬神社
広瀬神社

夕景の境内、我々以外に訪れる人はいませんでしたが
確かに格式が高い神社らしく、建物は小さいながらも
立派な設えになっておりました。

時刻は午後4時頃。まだ何とか日は残り、もう少しなら観光できそうです。
黒旅殿は広瀬神社を今日のメインに考えていたらしく、
予定ではこの後宿に向かう事としていたのですが
あと少しなら見物できるという話に、「それなら龍田大社も…」と。
これも広瀬神社と同じほどに重要な神社なんだそうです。
よっしゃ、善は急げ。と言うか、急がないと日が沈む。
迷う暇なく、車は龍田大社に向かって走り出しました。
またもや黒旅殿のナビで車を動かし、西へと向かいます。
何だかよく分からないルートを通りましたが、生駒郡三郷(さんごう)町
JR関西本線三郷駅の傍にある龍田大社に到着。
思いっっっきり住宅街に埋もれた位置にある大きな神社、というのに
やや戸惑いを感じつつもあたりは薄暮、すぐに暗くなる時刻です。
せっかく来たんだから写真くらい撮らねば、と大急ぎで境内に入り
各自が思い思いに撮影ターイム!何とか写真は撮れる明るさでした。
一息ついたところで、黒旅殿が神社の説明をしてくれました。
ふむ、こちらは先ほどの広瀬神社よりも明らかに大きい神社だね。
素人目に見ても、何となく立派な神社なんだと言うことはわかります。
とはいえ、境内に観光客らしい人の姿はなく、
むしろ地元の人が散歩しているというだけです。
時間が時間だからかな?もっと明るいうちに来れば、
ちゃんと観光客や参拝者がいるのかもねー。

欲張って奈良県の西の端、龍田大社まで来ちゃったけれど
今夜の宿は桜井市にとってあるので、まるで逆方向。
これまた急いで車を走らせ、宿へと向かいます。
とっぷりと日の暮れた夜道を走り、何とな〜く方向感覚だけで
大和高田市、橿原市を通過して桜井市へと入りました。
桜井駅前の宿に到着したのは午後7時頃。少し遅くなってしまいました。
とは言え、まだ7時だというのに、駅前だというのに、
まるで深夜のような静けさ。あたりには人っ子一人いません。
これにはかなり驚かされました。こんなの東京や横浜じゃありえないし、
百歩譲って我が町・茅ヶ崎ですら考えられません。
やはり古い都は他の町とはひと味もふた味も違う何かがあるのでしょうね(確信)




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