2000年2月 奈良遠征(3)

桜井で迎えた3日目の朝♪
昨日の夜の静けさはそのまま朝まで続き
すっかり日が昇って明るくなっているというのに、
宿のまわりに人影は見えず…。
きっとこういう場所なんでしょうね、桜井という町は。
同行のメンバーに先立って、ひと足早く出発の準備を終えた拙者は
そんな静かな朝の桜井駅前を散策。駅の跨線橋から望むJR桜井線の車両は
クリーム色の車体に朱色の横帯が一本入った、何となくローカルなもの。
電車の雰囲気からも、のどかな桜井の土地柄が窺えました。

さて、旅の準備を整えた我々は宿を引き払い、大和路最後の日を満喫すべく
桜井から南へと車を向かわせました。1日目は奈良、2日目は斑鳩を巡り
3日目の今日は飛鳥を旅します。そんなわけで、最初の見学地は
飛鳥坐(あすかいます)神社から。やはりここも由緒ある神社との事。
石造りのがっしりとした鳥居は、やや無骨な感じも受けますな。
その鳥居をくぐると、小高い岡を登る石段が続き
途中で幾度も折れ曲がりつつ、頂上へと向かっています。
その頂上にはいくつかの社殿が並び、飛鳥の地を守護しておりました。
そこには「力石」なる丸い石が置かれており、女性は右手で
男性は左手でその石を持ち上げられれば、御利益があるとか。
仲間みんなで交互に持ち上げて、大騒ぎしたのも良い思い出です。

お次は石舞台古墳。飛鳥で最も有名な史跡でしょう。
見るからに何トンもありそうな巨石をいくつも積み重ねた石室は
飛鳥時代の権力者、蘇我馬子の墓であるとかないとか。
これだけ大きな石を、人力だけで運んだわけですから
そりゃ相当な苦労があったことでしょうなぁ。
現代の感覚からは、とても想像できません。
他の古墳と違って、ここでは石室の内部に入ることもできるので
勿論入って見学させて頂きました。ふむ、結構な広さですな。
中に入って驚かされたのは、かなり明るい事。
巨石に塞がれた内部は、さぞかし暗かろうと思っていたのですが
石と石の隙間を埋めているわけではないので、太陽の光が
結構射し込んでくるんですねー。フラッシュがない拙者のカメラでも
十分に撮影できる明るさでした。
国特別史跡 石舞台古墳
国特別史跡 石舞台古墳

巨石を上手く積み重ねた古墳。
古代、人力だけでどうやって
この岩を積み重ねたのでしょう?
謎が謎を呼ぶ、奈良の旅です。

石舞台古墳を出たところで、飛鳥の土産物を物色。
小さな土産物屋が何軒か並んでいるのですが、その中の一軒で
不思議なものを見つけました。奈良時代の食物「蘇」を復刻したものです。
蘇とは何ぞや?という方もいらっしゃるでしょうが、乳製品を発酵加工したもの。
要するに、奈良時代のチーズです!
一口食べてみると、これが何とも言えない深い味わい。
現代のチーズのような酸味が利いた明快な味とは対照的で
それほどキツイ酸味はなく、しゃぶっているうちに味が染み出てくる感じ。
そうして染み出る味は、やや甘みのあるまったりとしたもので
何となく出汁が効いているような…(乳製品か、それ?!)
感覚としてはスルメを舐めているようにも思えてきます。
拙者は呑みませんが、酒のつまみに良いかもねー。

そのお店では古代米も売っておりました。
最近は普通のお店でも見かけるようになってきた古代米ですが
まだこの頃は珍しいもので、オイラは初体験の食材。
普通の米に少しばかり古代米を混ぜて炊いた御飯を試食したところ
ほのかに香ばしい味わいに加え、古代米のプチプチした食感が面白い!
これは病みつきになる楽しさですな。飛鳥や奈良の雰囲気を味わえる
蘇と古代米、土産物として買って帰りました。

石舞台古墳からやや北に戻り、酒船石にも立ち寄ります。
これまた石にまつわる古代の遺跡。2〜3畳ほどの大きさの平べったい石に
なんだかよくわからない窪みや溝がいくつか彫られています。
古代ではこの溝を使って酒を醸造していたのでは?という想像から
酒船石、と名付けられたそうですが、真相は謎です。
宗教的意味合いがあるのか、生活器具として使われていたのか、
お墓なのか、祭壇なのか、それともタダの悪戯で作られたものなのか
ホントのところは全くわからないそうです。
謎の酒船石…古代のミステリーですね。
国史跡 酒船石
国史跡 酒船石

こちらも国の史跡。
奈良にあるものは何でも史跡です(ォィ)
それにしてもこの紋様、やはり謎です。
謎の古墳、謎の史跡、謎の酒船石…。
奈良にあるものは何でも謎です(ォィォィ)

酒船石から道を下ったところにあるのが、飛鳥寺。
ここには日本での現存最古と言われる仏像、飛鳥大仏があります。
もちろん、飛鳥寺自体も日本最初の寺として有名だしね。
日本史に興味がある人間なら、行かねばならない場所でしょう(そうなのか?)
さぞかし立派な寺なんだろう…と期待して行くと
おや?随分と小さなお寺です。何だかとても可愛い感じの寺。
期待外れというよりも、想像を裏切る大逆転劇に思わず微笑ましくなりました。
で、もちろん拝観させて頂きました、飛鳥大仏。
これまた大仏というには小柄な感じ。でも、普通の仏像よりは大きい。
いいですね、これ。厭きるほど大きくなく、存在感がないほど小さくなく、
まさに「心やすまる大仏」といった絶妙なサイズです。
さて、寺の隣には入鹿首塚があります。大化の改新で討たれた
蘇我入鹿の首塚と言われる石塔です。何だかまぁ、これも小さい。
祖父・馬子の墓があれだけ巨大な石舞台古墳なのに対し、
賊として処された入鹿の扱いはこんなもんなんですな。
古代の権力闘争を如実に表している史跡です。
首塚の向こうにある甘橿丘は、かつて入鹿が大邸宅を構え
飛鳥の都を一望に見下ろす(見下だす?)事で蘇我氏の権勢を誇示したそうですが
それに比べるとこの首塚の寂しさ、権力者の盛衰を物語っておりますな。
入鹿首塚
入鹿首塚

これがその首塚。小さいでしょ?
とても古代権力者の墓とは思えない寂しさです。
写真奥にそびえるのが甘橿丘なんですが
あの丘の上から引きずり下ろされ、
小さな石塔に押し込められた蘇我入鹿…。
彼が如何に諸人から恨まれていたかを表しています。

そろそろ飛鳥を発つ時刻。高松塚古墳や談山神社など、
他にも色々と見て回りたい場所は山ほどありますが、
最後に亀石(これも謎の巨石です)を観て、いにしえの都を後にしました。
飛鳥から都市部に下りてくると、そこは橿原市。耳成山、天香久山、
それに畝傍山という大和三山を擁する、これまた歴史ある町です。
その畝傍山の麓にあるのが橿原神宮。明治時代に創建された大神社で
橿原市で最も有名な観光地の一つです。もう言わなくてもお分かりでしょうが
黒旅殿の要望でここにも立ち寄りました (^^;
で、鳥居と神門をくぐって境内に入れば…広っ!
何なんだこのだだっ広さは!
神社マニアの黒旅殿はたいそう喜んでおりましたが
さすがにこの広大さは、拙者のような素人には持て余し気味。
しばらくは境内横の池を眺めたりして、暇を潰しておりました。

橿原神宮の東側にあるのが、藤原京跡。
奈良に都が移るまで、約15年間皇宮とされた場所です。
これまた橿原の名所ですな。
現在は史跡地が整地され、宮殿跡が開放されています。
橿原神宮からの帰路、ここにちょっと寄り道し
古代の都への想像を巡らせたかすこば一行。
遠くには天香久山の姿も見えています。
畝傍山、天香久山と立ち寄ったので、せっかくだから耳成山へも…と思い
藤原京跡から北上し、耳成山直下の道を通り過ぎました。
さぁ、いよいよ奈良ともお別れです。

国道24号線を北に向かい、橿原市から大和郡山市、そして奈良市へ。
初日に訪れた不退寺の脇を通り抜け、そのまま車は北上。
目指すは京都駅です。ここでレンタカーを返却し、新幹線で帰るのです。
既に新幹線の切符は用意してあるので、遅れる訳にはいきません。
ひたすら24号線を北上する我々。そのルート上、何だか面白そうな
史跡なんかも車窓を掠めるのですが、もうさすがに立ち寄る暇はナシ。
国道24号線、そして1号線を乗り継いで京都市街地に入った頃
時刻は午後4時半を回っておりました。何とか新幹線の時間には間に合いそうです。
東寺の前を通り過ぎ、車の返却時間内に京都駅到着。ふぅ〜、ひと安心。
さまざまな名所を見て回った奈良の旅もこれで終了。
思うに、有名な京都という町に隠れがちで、
なかなか奈良をメインにした旅をする機会はありませんが
改めて見てみると、奈良のいぶし銀的な魅力はかなり良いもの。
賑やかな京都より、むしろ質素で素朴な奈良に
惚れ込んでしまいそうな感じさえ受けました。
まだまだ取り残した城跡も多いし(爆)、また奈良に来なくては!
そんな考えを巡らしつつ、関東へ向かった新幹線の車内なのでございました。


◆◇◆ 気心の 知れた仲間が 集う旅 あなたとなら 大和路の春 ◆◇◆




前 頁 へ


本 丸 御 殿 へ 戻 る


城 絵 図 へ 戻 る